第1回「生物多様性しが戦略推進専門家会議」

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■このホームページのタイトル「環境社会学/地域社会論 琵琶湖畔初」の下にある青い文字が並ぶメニューバーがあります。このメニューバーのうち、「ABOUT-A」には、私のプロフィールやこれまでの経歴等の基本的な情報が記載されています。その中には「社会的活動」という小タイトルがあり、これまで委員に就任してきた自治体の審議会・委員会のリストが記載されています。そのうちの1つになりますが、2014年1月から2015年3月まで、「滋賀生物多様性地域戦略策定に係る専門家会議」の委員を務めていました。この専門家会議では、滋賀県の生物多様性を推進するための「生物多様性しが戦略」を策定に向けて議論を行ってきました。議論の成果は、「しが戦略」として策定され公表される事になりました。その途中では、県内6ヶ所でタウンミーティングを開催しました。私も、大津会場でファシリテーターを担当しました。この「しが戦略」の詳細については、トップの写真の中にある冊子『自然本来の力を活かす「滋賀のいのちの守り」-生物多様性しが戦略-』をご覧いただきたいと思います。PDFファィルでもお読みいただけます。

自然本来の力を活かす「滋賀のいのちの守り」-生物多様性しが戦略-

■今回開催された「生物多様性しが戦略推進専門家会議」は、この「生物多様性しが戦略」の中間評価に向けて、数値目標(指標)や中間評価の手法について再検討を行う事にありました。いろいろ議論が行われました。ひとつには、生態系サービスのうち調整サービスに関する部分が少ないことが気がかりとの指摘がありました。ダムや堤防だけで治水を行うのではなく、総合治水を行うというのであれば、人が手を入れて水源涵養の機能が上昇した森林を森林整備率等で評価することが必要だという意見です。

■私は、野生の鹿による鹿害の被害について、県内のあちこちで聞いていることから、この点から意見を述べました。鹿が増えすぎて森林や山の植生を破壊しているのです。「しが戦略」では、平成22年を基準年度として、「ニホンジカの生息数」を「しが戦略」策定時から目標年度の平成29年度までに半減することが目指されていました。もちろん、現実はうまくいっていません。また、「ニホンジカの生息数」に加えて、「狩猟免許う所持者の人数」も指標として上がっています。私が指摘したのは、これだけではどれだけ駆除できたのかが見えないので、「社会的努力」の「見える化」が必要だということです。できれば、駆除した鹿肉は廃棄物として処分してしまうのではなく、社会的にも有用な資源として活用されることが望ましいわけですが、そのあたりの実態がどうなっているのかが把握できる数値がありません。指標とはならなくても、参考値として指標を支えるようなデータが必要だと思うわけです。そのような参考値を添えることで、社会の中の生物多様性をめぐるシステムの持つダイナミックな動きを評価することができます。

■評価は、「社会的努力」を後押しするものであってほしいと思います。目標値に到達していないとダメ出しをするためではなく、なぜうまく行かないのかを考える契機にしなければなりませんし、もっと言えば、生物多様性をめぐるシステムの中で、社会的努力をしている人びとの意欲を喚起し、エンパワメントしていくような形で機能するものである必要があります。

■この専門家会議、今年の秋まで3回開催される予定です。

春がやってきました(その2)。

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■先月の29日、「春がやってきました」をエントリーしました。その後ですが、庭の変化にスピード感が出てきました。その変化が加速しているように思います。変化には気がついているのですが、私はいつまでたっても花や植物の名前を覚えられません。情けない話しですが、その一方で頑張っていることもあります。毎日、庭の変化を追いかけつつ、同時に、猛烈に増え始めた雑草を抜いています。まだ、大きくはなっていません。大きくなる前に、摘んで抜くのです。花、植物、雑草。そういう区分は、人間の都合で作った区分であって、そのような差別はなんだかちょっとおかしいわけですけどね…。ただし、雑草と呼んでいる草たちは増えるスピードが尋常ではありません。地面にしゃがむと、この季節でも、そのことがわかります。毎日、草を摘んで抜いているので、右手の肘の近くの筋肉が痛いです。腱鞘炎だな。右手の親指・人差し指・中指を使うものですから。

■前回のエントリーでは、目立った花たちを取り上げましたが、今日は、そのような目立った花の横で、とても小さい花が咲いていたり、花を咲かせる準備をしているのを確認しました。地味ですが、可憐です。トップの画像ですが、これはドウダンツツジでしょうかね。花を咲かせるまでには、まだもうしばらく時間がかかりそうですが、準備万端という感じがします。具体的に名前を言えれば良いのですが、わかるのは限られています。スノーフラッグ。ヒメツルニチニチソウ。イカリソウ…ぐいでしょうか。これから、いろいろ勉強していきます。
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研究部長の任期終了、そして長期国内研究員

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■3月末で、龍谷大学の研究部長(教員部長)の任を解かれました。2年間という短い期間でしたが、解決、対応しなければならない大きな案件がいくつもありました。多くの職員の皆さんに支えていただき、部長として職務をなんとか全うすることができました。31日には、瀬田の研究部に用件があってメールを送ったところ、担当職員の方からの返信には「脇田部長とお呼びするのも、今日が最後ですね。2年間、お疲れ様でした」とありました。いや、もう本当に感謝の言葉しかありません。ありがとうございました。

■深草キャンパスには研究部長室があります。デスクの横には長机が置いてあり、そこには、分厚い書類のファイルが2列2段積み重ねてあります。2年間の会議資料です。おそらく積み重ねれば、私の背丈ほどになろうかと思います。龍谷大学は大変丁寧に意思決定を進めるため、どうしても会議が多くなります。本音を言えば、もっと会議の数を減らして迅速に意思決定を進めることができればなあと思っています。これからの大学運営のためには、必要なことかと思います。時間も大切な資源ですから。さて、これらの資料は、すべて溶解処分にしてもらいます。また、写真に写ってはいませんが、手前のキャビネットがあります。そこにはコーヒーサーバーやマグカップ等の私物が置いてあるのですが、すべて勤務する瀬田キャンパスに学内便で送ってもらうことになっています。とまあ、そういうことでして、この2年間を振り返りつつ、深草キャンパス東門前にある「新華」で、昼食に担々麺をいただきました(研究部長を終えることと、担々麺…特に関係ありません)。4月からは、深草キャンパスに行くこともなくなります。ここのお店の料理も食べられなくなります。「思い出の坦々麺」です。

■31日の午後からは、アジア仏教文化研究センターの評価会議と、世界仏教文化研究センターの運営委員会が開催されました。アジア仏教文化研究センターの評価会議の前には、研究部の職員の方が、伏見稲荷大社のそばにある「総本家いなりや」のお煎餅をお礼にと言って持ってきてくださいました。左が「きつねせんぺい」、右が「開運せんべい」。素朴ですが、とても美味しい煎餅です。有名らしいですね。私がこの煎餅のことを知らないということで、わざわざ買ってきてくださったのでした。ありがとうございました。評価会議の後に開催された世界仏教文化研究センター運営会議、研究部長である私はオブザーバーなのですが、研究センター長からセンターの活動実績に関する評価のあり方について意見を求められました。この運営委員会での発言、そして最後のご挨拶が、研究部長としての最後の仕事になりました。

■4月になりました。すでに入学式やオリエンテーション等が各キャンパスで行われています。私はといえば、今年度、2017年度は、そのような各学部にとっての大事な行事には参加していません。国内長期研究員で研究に専念し、授業や会議が免除されるからです。振り返れば、龍谷大学社会学部に勤務して14年目になりますが、その間、9年間は様々な学内行政の仕事に従事してきました。学生生活主任2年、研究主任1年、研究科長2期4年、そして研究部長2年。必ず何か大きな課題があり、問題が発生しました。それ以外にも、「大津エンパワねっと」のような地域連携にも相当力を入れてきました。かなり精神的に疲れてしまいました。結果として、自分のことはずっと後回しになっていましたが、やっと自分のことに集中する時間を持つことができることになりました。このような研究員制度を持っている龍谷大学に心から感謝しつつ、これまでやりたくでもできなかった自分の研究を、この1年で少しでも進展させることにいたします。国内研究員制度で、どのような研究に取り組むのかについては、別のエントリーで詳しく説明したいと思います。

小さな命

20170331hinako.jpg■3月17日のエントリーは「おいじいさんになりました」でした。大変個人的なことですが、孫が誕生したことを報告しました。その後ですが、娘と孫は大阪の産婦人科専門の病院を6日程で退院し、滋賀の我が家にやってきました。ひなちゃんといいます。

■娘と孫のひなちゃんは、その後も我が家で過ごしています。娘婿のお父さんも育児休暇をとって、育メンパパです。我が家で娘と一緒に育児に頑張って取り組んでいます。そして1日に何回も何回も「かわいいね〜」と言いながら、夫婦で子育を楽しんでいます。娘の母、ひなちゃんのおばあちゃんもそのような娘夫婦の子育てをガッチリとサポートしています。おじいちゃんである私も、それなりに?!サポートしています。今週の火曜日は、生まれて2週間目の検診でした。娘の一家とおばあちゃんで、ひなちゃんが生まれた大阪の病院に行って検診を受けてきました。おじいちゃんである私はといいますと、市役所で仕事…でした。孫のひなちゃんは、おっぱいを飲んで、ウンチとおしっこをして、泣いて、寝て、順調に体重も増え、スクスクと育っています。

■先日は、奈良に暮らす、ひなちゃんのひいおじいちゃんとひいおばあちゃん(義父母)が、滋賀までやってきてくれました。ひいおじいちゃんは歩くのが大変ですので、私が奈良まで車で迎えに行き、帰りは娘婿が奈良まで送ってくれました。ひいおじいちゃん、ひいおばあちゃんとも、曽孫のひなちゃんを抱いて、とても幸せそうでした。小さな命が、世代を超えた関係をより緊密にしているように思います。小さな命を育むことが「暮らしの中心」にあり、そのことがみんなの幸せな気持ちをも育んでいるのです。凄いことだな…と思います。こういうことは、じつは人間がホモサピエンスに進化していく過程で獲得したことなんじゃないのか…そのようにさえ思っています。社会学者としてそういうことを言うのはいかがなものか…という指摘はあるでしょうが、ヒトの進化という観方から考えること、大切だと思うのです。京都大学の山極寿一さんは、何かこういう問題について発言されていたように思います。甲斐甲斐しく、孫のひなちゃんの世話や娘のサポートをしているおばあちゃんを見ていると、有名な「おばあちゃん仮説」のことが頭に浮かんできます。

■さて、毎日、孫のひなちゃんの世話をしながら幸せな気持ちで過ごしているわけですが、来月の上旬には、大阪の自宅に娘の家族は帰ってしまいます。その時のことが、ちょっと心配です。「ひなちゃんロス」になってしまうでしょうね~。

宇良関のサイン

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第3回「龍谷大学東九条粉もん研究会」

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20170329okonomiken9.jpg■昨晩は、第3回「龍谷大学東九条粉もん研究会」が開催されました。今回の会場は、八条河原町にある「よりみち」さんです。社会学部教務課職員の野澤信孝さんが会長です。これまでは、野澤会長と教学部課長の河村由紀彦さん、そして私の3名による研究会でしたが、今回から、農学部教務課長の津秋博之さん、そして同志社社会学部教員の鵜飼孝造さんにもご参加いただけることになりました。

■この研究会には、会員番号があります。野澤会長が3番、河村会員が2番、津秋会員が4番、鵜飼会員が5番です。会員番号は研究会への参加の順番に付いています。今の所、会員証を発行する予定ありませんので、各自で覚えておいていただかねばなりません。ちなみに、私はこの研究会の発起人ということで、勝手に会員番号を1番にしています。今日は都合が悪かったけれど、次回からは女性職員の方にもご参加いただけるようです。よろしくお願いいたします。

■同志社大学の鵜飼先生とは、久しぶりにお会いしたことになります。初めてお会いしたのは、お互いに大学院生の時でした。そのあと、2回ほどしかお会いしたことはありませんが、facebookを通して交流が深まり、私がfacebookに「東九条粉もん研究会」に関する投稿をしたことがきっかけとなり、ご参加くださることになりました(鵜飼先生、お好み焼きがお好きなんですね〜)。一応、龍谷大学と研究会の頭につけていますが、鵜飼先生は、奥様を通して龍谷大学とは深いご関係をお持ちだったということもあり、会員番号5番です。

■今回は、お好み焼きの「うどん入り」と「そば入り」、そして「ねぎ焼き」を注文しました。写真は、その調理過程と完成した時の様子です。このほかにも、「焼きそば」や、「ほそ焼き」「イカ焼き」「豚キムチ」などの鉄板焼きも注文しました。飲み物は、基本ビールと焼酎になりますが、今回は、「バクダン」も頼んでみました。「バクダン」というと、漫画「じゃりン子チエ」のなかにも登場しますね。この「バクダン」にいては、こちらの説明をお読みいただきたいと思います。もっとも、現在の京都の東九条界隈のお好み焼き屋さんで「バクダン」というと、赤玉ポートワインを焼酎と炭酸飲料で割ったものをさします。昨日は、この京都の「バクダン」を味わいました。

■これまでの記録ですが、以下の通りです。3回、3つのお店とも、それぞれに個性がありますね。それぞれのお店の味を分析的に説明することはできませんが(しませんが)、できれば退職するまでの残り10年間で、この界隈のお好み焼き屋さんをすべて「制覇」したいと考えています。年に3回のペースだと、あと30軒は行けるはずです。こうやって職場の仲間と交流しつつ、地域のB級グルメを楽しむって、なかなかエエ感じやと思いませんか? エエ感じなんですよ〜。もう1つの研究会、「龍谷大学餃子研究会」の方、新年度になったら開催しないといけませんね。

第1回「山本まんぼ」(下京区高倉通塩小路下ル東側 市営住宅内)
第2回「本多」(南区東九条宇賀辺町59)
第3回「よりみち」(下京区西之町111 崇仁市営住宅1棟 1F)

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春がやってきました。

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■我が家の小さな庭に、春がやってきました。少しずつ、いろんな花が咲き始めています。チューリップは、まだもう少し時間がかかるかな。芝桜の花が1つ咲いているのもみつけました。ただし、芝桜は全体としては世話が上手くできておらず、弱ってきています。残念です…。芝もそうです…。ということで、造園屋さんに庭をやり直してもらう予定です。現在、設計してもらってる最中。飼っているクサガメの池も作ってもらう予定です。そうそう、冬眠中だったクサガメたちが目覚めつつあります。

■写真ですが、上段はスイセンとヒマラヤユキノシタ、中段はヒメツルニチニチソウとシバザクラ、下段はまだ花が咲いていないチューリップとスノーフラッグ。スノーフラッグは、これから咲き始めようとしているところ。これからも続々と咲いてくれるはずです。楽しみです。

木瀬部屋千秋楽祝賀会

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20170327urazeki4.jpg■昨年のことになりますが、龍谷大学に勤務する教職員の皆さんのなかでも、関西学院大学出身者の皆さんと職場の同窓会を結成しました。「龍谷大学新月会」といいます。この職場の同窓会で、親しくさせていただいた文学部の東豊先生とは、大相撲の宇良関を一緒に応援してきました。というのも、宇良関も関西学院大学のご出身だからです。ということで、東先生からお誘いを受けて、我らが母校の関取・宇良関を応援するために、「木瀬部屋千秋楽祝賀会」に参加させていただきました。場所は、大阪中之島にあるANAクラウンプラザホテル大阪です。

■トップの写真は、祝賀会の冒頭で、木瀬部屋の親方(木村瀬平さん、元幕内・肥後ノ海)が挨拶をされているところです。親方の後ろに並んでおられるのは、1列目ですが、左から部屋頭の宇良、德勝龍、臥牙丸、英乃海の関取の皆さんです。東先生と応援している宇良関は、この春場所では、前頭十二枚目、8勝7敗で勝ち越しをされました。次の場所ではさらに番付をあげていかれることでしょう。宇良関は、身長173cm、 体重は128kgです。今の大相撲のなかでは小兵の関取になりますが、多くの皆さんを魅了するのは、小さな身体で土俵際で粘って勝ちにつなげる勝負強さでしょうか。大相撲に入門したときは、レスリングの経験を活かした居反りや足取りなどの珍しい技に注目が集まりましたが、入門後、身体を大きくしてからは、少し相撲のスタイルも違ってきているように思います。前に出て、下から相手を押すことを大切にしているように思うのですが…。もちろん、素人の感想にしかすぎないのですが。

■文学部の東先生と一緒に応援しているわけですが、意外なことに、近いところに宇良関のファンがいました。義父母です。小さな身体で技を繰り出すこと、顔が可愛らしく、インタビューもハキハキしていて大好きなのだそうです。デビューした時からのファンで、宇良関の取り組みだけは、必ずテレビで観戦するとのことでした。また、友人である東京在住の建築家・玉井一匡さんも宇良関のファンでした。玉井さんも、「今場所は、前にでる正攻法を身につけてようとしている」との分析をされていました。同感です。四股も現在の力士の中では一番との評価です。身体や関節が柔軟ですからね。それから、「時間いっぱいの時に、呼び出しが手渡そうとする手拭いを必ず要らないと断って頭を下げるところ」にも、宇良関の人柄を感じておられました。これまた同感です。私が社会学部の「大津エンパワねっと」で担当した学生(卒業生)が、宇良関と小中学校が同級生だったとのことで、人柄もすごく良い青年だと教えてくれました。祝賀会のステージでインタビューを受け、たくさんの懸賞金を獲得したけれど、どう使うのかと質問された時、「プライベートなので答えられません」と言ったことも印象に残りました。人気が出てきても、そのこととは関係なく、あくまでクールに、ご自身の相撲を取り続けようとされる意思のようなものを感じました。私も含めて、みなさんは、宇良関のこのような「まっすぐ」なところに惹かれているのだと思います。

■この日は、NHKで長らく相撲中継のアナウンサーをされ、現在は東京相撲記者クラブ会友として活躍されている杉山邦博さんが、祝賀会の司会進行をされていました。実際に杉山さんにお会いすることができて、これまた大変嬉しかったです。現在は、86歳なのだそうです。とてもそのようにはみえません。溌剌とされていました。この日は、木瀬部屋の祝賀会ではありますが、横綱稀勢の里が、左肩付近を負傷したにもかかわらず、逆転優勝して横綱としての責任を果たしたことを大絶賛されていました。

■ところで、この日は、東先生からのアドバイスがあり、色紙を用意していました。宇良関の周りには、一緒に写真を撮ってもらおうと多くの人びとが集まっていました。宇良関は大変だな〜と思いつつ、私自身も、色紙を持ってその人の集まりの中に加わってしまいました。写真と色紙を大切にします。単なるミーハーなんですが、とっても嬉しかったです。力士は、通常では考えられないような身体能力を持った方達です。この祝賀会には、木瀬部屋の力士がずらりと揃われましたが、その存在感に圧倒されました。そのような巨漢の力士たちの中で、果敢に相撲をとる小柄な宇良関の姿は、多くの皆さんに感動を与えていると思います。今後も、躍進していっていただきたいです。来場所の番付は、幕内の中でも上の方になろうかと思います。上位になればなるほど、強い力士と対戦しなくてはいけません。柔軟な身体や関節でできるだけ怪我をしないように、頑張っていただきたいと思います。これからも、宇良関を応援してまいります。
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寧波大学外語学院(中国・浙江省・寧波市)

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■3月21日(火)から23日(木)までは、中国の湖北省・武漢市にある華中師範大学を訪問しましたが、23日には浙江省・寧波市にある寧波大学外語学院に移動しました。寧波大学外語学院では、外語学院と本学の社会学研究科とが締結した入試協定に関して協議を行いましたが、加えて、友人でもある李広志先生の日本語の授業で、急遽、講演をすることになりました。講演の内容は、「龍谷大学大学院への留学の勧め」…のような感じです。みなさん、熱心に私の話しを聞いてくださいました。ありがとうございました。トップの写真は授業の最後に撮った記念写真です。

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■寧波大学でも、宿泊は隣接する大学が経営するホテルでした。朝食はホテルでの中華風のバイキングになるのですが、どこの街のホテルに行っても似たような料理なってしまうので、大学に隣接する学生街の食堂に出掛けることにしました。ホテルから数分のところにある「上海特色生煎」というお店です。上海の名物である「生煎」を売っています。これは餃子のような包子の一種で、大きな鉄板で焼いて作ります。皮はもちろん小麦粉ですが、日本で食べる餃子よりも肉厚です。片側はしっかり焦げ目が付いています。まずは、焦げ目が付いていない、柔らかい方を少しかじって中身の肉汁を吸います。スープのような感じです。ちょっと、小龍包(ショウロンポウ)に似ています。そして、黒酢や唐辛子味噌をつけていただきます。このお店に来たのは、しばらくぶりでしたので食べ方を忘れていました。口の中ではなく、テーブルの上に肉汁を飛ばしてしまいました。4個で5元。日本円で80円ぐらいです。さすが学生街です。とても、安いですね。

■このお店のある学生街は、元々、(良い意味で)小汚い場所でした。個人的な感覚では、落ち着く場所でした。ところが、寧波大学の創立30周年事業のなかで整備され、すっかり小洒落た今風の場所に変わってしまいました。創立30周年ということから、寧波大学はまだ若い大学であることがわかります。鄧小平の指示でできた大学だからです。学生街の一角には、この学生街の整備過程についてのパネル展示がありました。最後の写真が、そのパネル展示の1枚です。昔の「上海特色生煎」の店の様子が写っています。私個人としては、街の景観の中にある「履歴」が一気に消えてしまったようで、ちょっと残念です。

20170327ningbo7.jpg■この写真はホテルの部屋から撮ったものです。この日は団体が宿泊しており、通常の部屋は満杯。結果として、2部屋あるスイートルームに宿泊することになりましたホテルの側の事情なので、宿泊代金は普通の部屋と同じです。ちょっと、ラッキーという感じですね。窓からは、立派な大学のグランドが見えます。そのグランドの向こうに見える高層マンションは、こちらの中産階級の方達が購入されるタイプのものです。日本円で3000万円ぐらいだそうです。100平米は確実にあると思います。その手前には、横長のものが見えますが、これは鉄道です。寧波大学は寧波市の郊外にありますが、市内を走る地下鉄が大学の少し手前から地上に出て、その後は高架を走ります。寧波大学に初めて来た10年前には、まだありませんでした。完成してから2年程ではないかと思います。経済力をつけた中国社会はどんどん変化しています。発展することは良いのですが、バブル経済っぽいところが気になります。また、中国のどの街の風景・景観も、みんな似たような感じになってしまっていることも気になります。そのことを問題視する方たちも、こちらにはいます。

華中師範大学外国語学院(中国・湖北省・武漢)

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■先週の21日(火)から昨日の25日(土)まで、中国に出張してきました。今回も、大学院社会学研究科の「東アジアプロジェクト」に関連する出張です。ここで「東アジアプロジェクト」に関する説明はいたしませんが、ぜひ過去のエントリーをお読みいただければと思います。私は、「東アジアプロジェクト」で中国を担当しているのですが、2016年度末まで研究部長を務めているため、なかなか出張の時間が取れず、結局、年度末になってしまいました。今回の出張では、湖北省武漢市(長江中流域)にある華中師範大学外国語学院と浙江省寧波市にある寧波大学外語学院(沿岸域)を訪問しました。まずは、華中師範大学のことから報告したいと思います。

■21日は、始発の電車に乗り、滋賀県から関西国際空港に向かいました。関空から上海浦東空港へ。そのあとは上海から武漢空港へと飛びました。写真は、湖北省の武漢空港に着陸する前に撮ったものです。長江流域であることから、その周囲も「水っぽい」場所が広がっています。地図を広げて眺めていただければわかりますが、武漢の周囲には、長江が氾濫することで生み出された大小様々な湖があります。また、水路も発達しています。そのような環境ですから、元々、淡水魚を対象とした漁業が行われてきました。現在では淡水魚の養殖も盛んです。また、「水っぽい」環境であることから、蓮根も名物です。「南船北馬」という言葉は、このような環境から生まれたのでしょう。

■武漢空港に到着すると華中師範大学外国語学院日本語学科の学生、呉くんと王さんが迎えにきてくれました。呉くんは大学のある武漢の人です。つい最近まで、1年間、交換留学生として東京の武蔵野大学で勉強していました。王さんは東北地方の長春の出身。彼女は日本語弁論大会で2位になりました。今週末、中国の学生団の1人として来日する予定です。2人とも、とても優秀です。中国語のできない私は、とても助かりました。夕食は、こちらの先生も混じって、武漢料理を美味しくいただきました。名物の蓮根のスープがとても美味しかったです。こちらの蓮根は、熱を加えると芋のようにホクホクした食感になります。

20170326wuhan8.jpg ■華中師範大学外国語学院では、学生対象の講演を行いました。講演会には1年生から大学院生まで参加してくれました。3年生以上は、私の日本語がわかります。すごいことですね! 短期で集中的に練習するので話せるようになるのです。さすがに、1年生はまだ無理、2年生も少し難しい…。ということで、私にアテンドしてくれた呉くんと王さんが通訳をしてくれました。講演のタイトルは「大学と地域社会の連携」。講演会は午後からでした。午前中は、私く院長になった先生にご挨拶をした後、呉くんと王さんに、この日の講演の内容をあらかじめレクチャーすることにしました。すごく反応が良いといいますか、飲み込みが早いので、助かりました。講演会ですが、お2人の通訳のおかげで楽しい講演会になりました。講演会の最後には質疑応答の時間がありました。講演会が終わった後にも、恥ずかしがり屋の学生2人が、そっと質問をしに、そして感想を伝えに来てくれました。まだ日本語がうまく話せないのですが、一生懸命私に自分の考えを伝えようとしてくれました。2年生でした。このような経験は、日本ではあまりないので、とても嬉しかったな〜。写真は、講演の最後に、「みんな、一緒に写真に写ってくれよ!」とお願いをして撮ったものです。

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