目次案の作成
■今日は総合地球環境学研究所の仕事です。地球研のプロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会─生態システムの健全性」の成果を書籍にまとめて出版するために、プロジェクトのコアメンバーの1人である京都大学生態学研究センターの谷内茂雄さんと、企画と目次を検討しました。場所は、谷内さんの研究室です。京都大学生態学研究センターは、最寄りの駅が龍谷大学瀬田キャンバスと同じJR瀬田駅になります。ということで、「ご近所さん」になりますね。ということで、とても綺麗に整頓されている谷内さんの研究室の窓からは、湖南アルプスがよく見えます。
■さて、仕事の方ですが、基本のアイデアはすでにおよそ出来ていたので、それをワープロに打ち込み、2人のディスカッションを元にプラッシュアップしました。意外と早めに出来上がりました。まあ、日本語の本はこれでよいとして、次は英語の本ということになります。限られた厚みで、どこまでプロジェクトの成果のエッセンスを詰め込むことができるのかなと、少々、暗中模索のところがあります。出版にあたって、プロジェクトの側の戦略をもう少し練らないといけないなと思っています。出版社側の意向も確認しなくてはなりません。
龍谷大学世界仏教文化研究センター公開研究会
■9月28日と10月5日に、龍谷大学世界仏教文化研究センターの公開研究会が開催されます。世界仏教文化研究センターの博士研究員とリサーチ・アシスタントの皆さんによる発表です。予約不要、一飯来聴者歓迎とのことです。場所は、龍谷大学大宮学舎清風館3F共同研究室です。
■9月28日(木)13:15~14:45
①「南方熊楠が見た聖なる表象―聖地那智山での体験とともに―」唐澤太輔(龍谷大学世界仏教文化研究センター博士研究員)
②「「越後の親鸞」像の形成と確立過程―『御伝鈔』から近代へ―」大澤絢子(龍谷大学世界仏教文化研究センターリサーチ・アシスタント)
■10月5日(木)13:15~14:45>
③「参詣曼荼羅の時空間―立山曼荼羅における地獄表現の諸相―」亀山隆彦(龍谷大学世界仏教文化研究センターリサーチ・アシスタント)
④「仏教説話にみる海の表象―もう一つの聖地像―」李曼寧(龍谷大学世界仏教文化研究センターリサーチ・アシスタント)
⑤「聖なる表象としての災害モニュメントと仏教者の役割」金澤豊(龍谷大学世界仏教文化研究センター博士研究員)
初秋の伊香立でウォーキング
■昨日は午前中に、ウォーキングを行いました。「びわ湖チャリティー100km歩行大会」=「びわ100」が、いよいよ来月に迫ってきました。昨年に引き続き、今年も、滋賀県庁の「世界農業遺産申請チーム&農政水産部」の職員の皆さんと100kmを歩きます。これまで再びフルマラソンを完走するためにランニングに取り組んできましたが、ウォーキングも練習することにしました。走るのと歩くのとでは、やはり違うような気がするからです。ということで19km弱歩きました。当初の計算では、20kmだったのですが…。また、途中で色々関心のあるところに寄り道したりしたので、ちょっとウォーキングに時間がかかりました。3時間弱。1,127kcalを消費しました。
■今月末に、滋賀県庁の「世界農業遺産申請チーム&農政水産部」の職員の皆さんと、50kmウォーキングの練習会があります。それまでにも35kmウォーキングしておく必要があります。月末の50kmウォーキングが完歩できれば、100kmはなんとかなる…はずです。
■ウォーキングだったので、少しゆとりがありました。コースは、大津市の堅田から比叡山と比良山の間にある丘陵地帯です。学区でいうと、伊香立学区になります。秋の山里の田園風景を楽しむことができました。ほぼ、稲刈りが終わりかけている段階でした。先日、伊香立のまちづくりに関して聞き取り調査を行ったのですが、その時に伺った野菜の直売所も確認できました。土日に営業しているようです。この野菜市を運営されている「香の里 粋に生きよう会」のこと、このブログでもご紹介できたらと思います。ちなみに、この伊香立のまちづくりに関して、公益財団法人滋賀県人権センターの月間情報誌「じんけん」に短い文章を寄稿しました。10月号になります。チャンスがあれば、お読みください。
今年もアサヒビール吹田工場見学
■先日の日曜日、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」の常連の皆さんと一緒に、アサヒビールの吹田工場へ見学に出かけました。2014年、2016年、そして今年、私は3回目の見学になりました。アサヒビールの吹田工場は、JR吹田駅のすぐそばにあります。吹田の観光スポットの一つです。ただし、そのような通常の観光的なビール工場見学とは異なり、私たちの場合は「アサヒビールの顧客の皆さんをご招待させていただきます!」という感じでしょうか。居酒屋「利やん」が契約しているビールがアサヒビールなのです。
■まあ、そのようなことがあるからというわけではないのですが(いや、半分はそういうことかも…)、私は「利やん」ではもちろん、自宅でもアサヒビールを愛飲しています。もっとも正確にはビールではなくて、糖質ゼロの発泡酒「スタイルフリー」、あるいはノンアルコールの「ドライゼロ」のお世話になっています。少しだけですが、やはり健康に気を使っているのかもしれません(ノンアルコールの「ドライゼロ」は、本当によくできています)。
■工場見学は、今年で3回目なので、一応、一通りのことはわかっているつもりですが、1年に1回ということもあり忘れていることも多々あります。吹田工場での生産量は、1日にビールの大瓶で370万本分。ものすごい量ですね。工場操業開始当時の煉瓦造りの建物の後ろには、大きな魔法瓶のようなタンクものが見えます。大麦から作った麦汁にホップで香りをつけた後、この魔法瓶のようなタンクの中で熟成させます。このタンクの中の麦汁糖分を、酵母がアルコールと炭酸ガスに分解するのです。このタンクの中には、500klのビールが入っています。500,000リットルということになりますね。これを、350㎖の缶ビールに換算すると約143万本。毎日1本ずつ飲んでいくにしても、全部飲み干すのには約4000年かかることになるそうです。こうやってビールの製造過程を学びながら、最後にビールをいただくことになります。昼間から幸せな気持ちになりました。できたてで新鮮な生ビールを胃袋の限界までいただきました。
■これ、お分かりになりますでしょうか。瓶ビールの王冠の裏側には、昔、コルクが貼り付けてありました。今は樹脂ですけれど、昔はコルクだったのです。戦前期、戦争のためにポルトガルからコルクの輸入が厳しくなってきた頃、アサヒビールの前身である大日本麦酒が広島の山林を買い取りました。そこには、コルクの代替品となるアベマキが生えていたからです。このアベマキの樹皮を、コルクの代わりに使っていたのだそうです。詳しくは、アサヒの森のサイトをご覧ください。アサヒビールが環境問題にどのように力を入れているのか、理解できます。
老いを受け止める力
■先日、自宅近くの農村地域に聞き取り調査に出かけました。お相手は、もうじき75歳の男性でした。地域づくり・まちづくりのリーダーの1人として、地域の課題解決に尽力されきた方です。お話しも、すごくわかりやすく、わざわざ私の聞き取り調査のためにレジュメまで用意してくださいました。まあ、あらかじめ作成したあったものかもしれませんが、理路整然とお話ししてくださいました。助かりました。
■調査では、いつもICレコーダーに録音させていただきます。この日は、自宅から出発したので、家族のICレコーダーを借りました。帰宅してから、昼間の聞き取り調査の様子を、録音したICレコーダーで聞き直すことにしました。しかし、何か変なのです。しばらくして、自分が「ずいぶんゆっくりしゃべるようになっているな〜」と、ふと気がついたのです。自分自身の喋るスピードが以前と比較して遅くなっているように思ったのです。若い頃、私は、離島にある漁村でそこに暮らしながら聞き取り調査をしていました。現役の漁師さんだけでなく、すでに引退した80歳を超えた方にもいろいろお話を伺いました。そういう時、特に高齢者の方にお話しを伺う時は、意図的に少しゆっくり目のスピードで質問をさせていただいていたように思います。ご高齢の方に配慮してのことです。
■ところが、この日は意図していないにもかかわらず、無意識のうちにゆっくりしゃべっているのです。自分も歳を取ってきたのだ…と思いました。「そういえば、若い同僚が早口で喋ると、少々理解しづらくなっているよな〜。少しずつ、脳みそが緩んできている証拠だ」と、思ったわけです。歳をとると、なかなか言葉も出てきません。「ほれほれ、あれあれ」と言葉がなかなかでてこない時があるのです。同年輩の人たちと話しをしていても、そういう話題になります。「ああ、みんな同じだ」と安心しそうになりますが、ちょっと不安でもあります。小さな脳梗塞が原因で言葉が出にくいということもあるからです。まあ、それはともかく、自分がゆっくりしゃべっていることに、少し気落ちしてしまいました。
■ところが、録音したICレコーダーを確認していると、変なスイッチが入っていることに気がつきました。再生のスピードを遅くするスイッチです。再生するときに、ゆっくり内容を聞くための機能なのでしょう。そのスイッチを切ると、なんと私は普通にしゃべっていました。「なんだ、こんなオチなのか」と、自分自身でも呆れる結果でした。普通だとすぐに「ICレコーダーの方がおかしい」と気がつくわけですが、今日はそうではなく、自分が衰えていると勘違いをしてしまったわけです。この自分の老いに対する自信のなさこそが、問題なのかもしれません。もっと正確に言えば、自分の老いをきちんと受け止める力…と言い換えても良いかもしれません。
新大久保を「Kai-Wai散策」
■先日のことになりますが、東京に出張しました。早稲田大学で、コアメンバーとして参加している総合地球環境学研究所のプロジェクに関する「打ち合わせ会議」があったからです。「打ち合わせ会議」は早めに終わることがわかっていたことから、東京に向かう新幹線の中から、「東京に行くことになったんですけど、仕事が終わったらお会いできますか?」と無理なお願いをメールでしたら、このお2人が受けとめてくださいました。ありがとうございます。トップの写真が、そのお2人。10数年前からブログを通して交流を重ねてきた写真家の村田賢比古=masaさんと建築家の玉井一匡さんです。
■会議が終わった後に、まずは写真家のmasaさんと合流。新大久保を散策しました。masaさんのブログは、「Kai-Wai散策」というタイトルです。東京の街の散策に関する数々のブログの中では、とても有名なブログかと思います。どのようなブログなのか、一度ご覧いただければと思います。この日は、masaさんと新大久保をまさに「Kai-Wai散策」したわけです。さて、今回の新大久保、いろいろ話しには聞いていましたが、実に勉強になりました。コリアタウンから少しずつアジアンタウンに移行しつつあることがわかりました。そのような変化の中に、島状というかパッチワーク状に「昭和の日本」と住宅がある…そのような感じでしょうか。これはよく知られていることですが、新大久保には、韓国人アーティストのライブ・イベントを開催するライブホールがあります。そのホールにつながる横丁の通りでは、これから韓国の芸能界でデビューする男の子たちと、その男の子たちを応援する日本人の女性たちとのやりとりを参与観察。その通りにあるお店の中の様子も含めて、初めてのことでしたのでとても勉強になりました。
■散策の中では、masaさんの案内で、小泉八雲(パトリック・ラフカディオ・ハーン 、Patrick Lafcadio Hearn)が1904年に狭心症で亡くなった自宅があった場所=終焉の地と、近くにある記念公園を「聖地巡礼」した。はい、聖地です。私は、小泉八雲のファンなのです。この終焉の地と記念公園が、コリアタウンとも、アジアンタウンとも呼ばれる東京の新大久保の街中にあるのです。私は、島根県の松江でも、小泉八雲をテーマに散策しました。しかし、昭和の雰囲気をプンプン発しているいわゆるラブホテルがあるエリアでしたので、ちょっと不思議な感じがしました。でも、小泉八雲が住んでいた当時は「東京府豊多摩郡大久保村西大久保」。今とはまったく状況は異なっていました。
■小泉八雲は、今回出張した早稲田大学の講師もしていました。この日、私は、出張先の早稲田大学から新大久保まで歩いたのですが、小泉八雲も同じように歩いて通勤していたのかもしれません。いや、人力車かな…。それはともかくです。Google Mapsのナビで、早稲田大学から新大久保まで歩いたのです。途中、都営住宅の敷地内を歩くことになり、団地マニアとしては、ちょっと嬉しかったりした。小泉八雲の時代は、このエリアはどんな感じだったのでしょうね。明治以降、この辺りが、どのように変化しきたのか。おそらく、どなたか調べてまとめておられるでしょう。その文献がわかれば、読んでみたいなとも思いました。今回は、ずっと気になっている小泉八雲の終焉の地を訪れることができて、大変満足でした。次回は、小泉八雲が埋葬されている「雑司ヶ谷霊園」を訪れてみたいと思います。
■ところで、小泉八雲に関心を持つようになったのには、2つのきっかけがあります。一つは、死生観の研究の関連です。小泉八雲が、日本人の祖霊観を深く理解した時のエピソードをエッセーの中に書いているのです。このことは有名な話しなのですが、そのとを私はある研究者の文献で知りました。それから、小泉八雲のことが気になり始めました。もう一つは、義理の父から、「中学校の時の国語の教科書に、小泉八雲の『松江の朝から』という文章が載っていたのだが、どうしたらそれを読めるのか調べてもらえないか」と頼まれたことです。この2つがきっかけとなり、松江で小泉八雲をテーマに(偲んで)散策もしてみました。今回は、そのようなことも思い出しながらの新大久保での「聖地巡礼」でした。
■新大久保「Kai-Wai散策」した後は、建築家の玉井一匡さんも合流して、アジアンタウンに移行しつつある現場を見学ということで、ネパール料理店で夕食をとりました。お客さんの8割ほどがおそらくネパールの方達だったと思います。リトル・ネパール…まではいかないけれど、自分が海外にいるような感じがありました。masaさんと玉井さんは、お酒をお飲みになりませんが、私は生ビールをいただきながら、ちょっと辛いネパール料理を堪能しました。ネパールの餃子を、momoというそうです。その餃子と、蕎麦がき&3種類のカレーをいただきました。数時間ほどの間でしたが、新大久保を楽しむことができました。昔は、こうやって東京のあちこちを歩いていたんですけどね。歳をとって、忙しくなって、そんなことはできなくなりました。料理の写真ですが、「写真欲」よりも「食欲」が優先してしまったので…ご容赦を。
■最後は、ちょっとオマケです。新大久保にある「ドンキホーテ」。カタカナよりもハングルの方が大きいことに注目です。この辺り、新大久保らしい。もう一つは軍艦アパートと呼ばれるマンションです。渡邊洋治さん設計です。現在の正式の名称は「GUNKAN東新宿ビル」というようです。渡邊洋治さんは陸軍船舶兵出身だからでしょうか、全体が軍艦のイメージです。1970年竣工ということで、老朽化し解体…という話しもあったようですが、現在はリノベーションされています。こちらのブログ、内部の状況がわかります。ご覧いただければと思います。
5歳児が値段を決める美術館
■毎日、Yahooニュースを読む習慣があります。今日は、「5歳児の工作が「百億円」!話題のECサイト 始めた理由は?「息子の成長」見守る父の愛がスゴい」という記事が目にとまりました。まずは、「5歳児が値段を決める美術館」をご覧いただきたいと思います。そこには、以下の説明があります。
このサイトは、とある1人の子供が4歳から5歳にかけて作ってきた作品の一部を販売する「ECサイト」です。アートにおいて「表現」や「コンセプト」以外にも「値段」は欠かせない要素です。もし5歳児がアーティストを名乗り、自分の作品の「値段」を決めると、どんな世界観になるのでしょうか。
ここでは実際に5歳児自身に「作品名・コメント・値段」を全て決めてもらいました。それ故に日本円では支払うことのできない「19千億円」などの単位も生まれてしまいました。作品は全て販売していますが、払えない値段のものは、支払いが不可能なため実際に購入をすることはできません。他にも数兆円など現実的には買えない値段もありますが、実際に販売はしております。
■「とある1人の子供」とありますが、これはこのサイトを製作したアートディレクターの佐藤ねじさんの息子のことです。息子さんが作った工作の作品の数々が、このサイトで購入することができるのです。いや、本当に。実際に売れているようです。で、売れないものもあります。それは、息子さんは息子さんなりのルールに基づいて値段をつけているようなのですが、きちんと値段が付いているものだけでなく、「無量大数円」とか「不可説不可説転円」のように大人には値段が判別できないものがあります。その場合は、「値段がおかしいので買うことができません」となります。おもしろい!!
■アートディレクターであるお父さんが、ご自身のプロの技やアイデアを使って、息子さんと、息子さんの作品をこのようなアートに構成することで、息子さんの成長記録を残しておられるのでしょう。お父さんの佐藤ねじさんの目線は、あくまで息子さんと対等の目線です。佐藤さんは、「自分は普段から面白いものを作ろうと思っているが、子どもの行動や感性の方がよっぽど面白いときがある」と感じておられるのことからもわかるように、息子さんの感性を大切にされているのです。その様子は、トップのYoutubeの動画をご覧いただければ、よくわかります。
■佐藤ねじさんは、いろいろ「面白い」作品を製作されています。その数々の作品については、佐藤さんのサイトでご覧いただけます。その中で見つけた息子さんも関係してくる作品が、これ、「顔はめ絵本」です。笑ってしまいました。顔出し看板と絵本が合体しています!! YouTubeの動画で顔を出しておられるのは、お母さんですね。ご夫婦で、こうやって息子さんの成長を楽しんでおられるのですね。いいな〜、素敵だな〜。
今年2回目の甲子園球場、美しい夕焼け
■昨日は、甲子園球場で阪神対中日の試合を感染しまた。ちょっと息抜きです。今年2回目になります。1回目は、「龍谷大学兵庫県人会」の皆さんとの観戦でした。今回は、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」のご常連の皆さんとの観戦になりました。ここしばらく、急に涼しくなってきました。甲子園にもとても良い風が吹いいました。この風に吹かれながらビールをグビグビと飲むと、幸せな気持ちになります。試合を観戦に行っているわけですが、この球場の雰囲気も素敵なんですよね。昨日は、球場の上の方に秋空のような雲が浮かんでいたことから、きれいな夕焼けになりました。
■試合の方ですが、最初は阪神が2点リードしていたものの、7回には中日に3点が入り逆転されてしまいます。これはピンチなのですが、8回に、この日一番の見せ場がやってきました。中谷選手が17号逆転2ランを打ったからです。私は、ちょうどその時に、トイレに行っていました…。決定的な瞬間を見ることができませんでした。トイレから戻った時は、鳥谷の4号ソロを打った時。惜しいことをしたな〜。まあ、でも勝ちましたのでOKです。気持ちよく「六甲おろし」を歌うことができました。
■ところで、甲子園球場の最寄駅、阪神甲子園駅の自動改札機が、阪神タイガースのユニホームと同じ縦縞になっていることに気がつきました。調べて見ると、今年の4月からこのデザインになっているようです。前回は気がつきませんでした。なかなか素敵ですよね。
【追記】■昨日、見逃した感動のシーン。
「六斎念仏踊り継承発表会」(滋賀県高島市朽木古屋)
■8月14日、「六斎念仏踊り継承発表会」(高島文化遺産活用委員会、朽木の知恵と技発見・復活プロジェクト)を見学するために、高島市朽木針畑の古屋を訪れました。私のゼミを2011年の春に卒業した坂本昂弘くんのお祖父様が、この「六斎念仏踊り」の継承者のお1人として踊られました。80歳を超えておられますが、足腰に負担の大きい、この「六斎念仏踊り」を踊っておられるので驚きました。
■この「六斎念仏踊り」を見学するのは昨年に続いて2度目になります。この念仏踊りは、その起源が『空也上人絵詞伝』の空也に始まるという伝説もあります。先祖の霊が戻ってくるお盆の時期に、太鼓をもった踊り手3名、鉦が2名、笛が2名の計7名が演奏とともに念仏を唄い踊る、そのような民俗芸能なのです。かつては20軒ほどの家々を順番に回って踊っていましたが、過疎と高齢化のためにできなくなり、お寺で踊るようになっていました。
■伝統的なお盆の行事ではありますが、2013年より高齢化や過疎により人が揃わず、中断していました。ところが、昨年からは、行政(高島市教育委員会)や地域活性化のNPOによる支援のもと、都市のアーティストたちが、高齢の継承者の皆さんから「六斎念仏踊り」を習得し、継承者の方達と一緒に、再開することができるようになりました。今年は、さらに、この古屋にルーツを持つ若者2名も新たに参加して、「継承発表会」という形で実現することになりました。また、「継承発表会」の後、晩には、かつて家々を回って順番に踊っていた頃の様子を再現して、映像記録に取ることも行われました。
■上の動画は、宗教民俗学の研究者である山中崇裕さんという方が撮影されたものです。YouTubeに公開されているものを共有させていただきました。このような貴重な動画を公開してくださったことに、心より感謝いたします。
■以下は、このブログの「六斎念仏踊り」関連のエントリーです。あわせてお読みいただければと思います。
朽木古屋「六斎念仏踊り」の復活