来年度からのゼミの選択について 社会学科2回生の学生の皆さんへ(その1)
■龍谷大学社会学部社会学科では、現在、2回生の学生の皆さんが学科教員の研究室を訪問して、ゼミの方針やテーマ等について教員から直接話しを聞くことができるようにしています。私は、現在、国内長期研究員ということもあり、ゼミや授業の担当が免除されていることから、研究室を不在にしていることが多く、学生の皆さんにはご不便をおかけしています。幸いなことに、昨日の午後は、研究室に待機することを告知していたことから、学生の皆さんが研究室を訪問してくれました。明日、水曜日の昼休みにも1人の学生の方とお話しをする予定になっています。
■この私のホームページは、日々の出来事について記録を残しているブログが中心になっていますが、ホームページタイトルの下にある青い列の中の、「ゼミナール」をクリックしていただけば、私のゼミに対する考え方がご理解いただけると思います。できるだけ丁寧に説明しているつもりですので、参考にしていただければと思います。また、脇田がどのような経歴を持っているのかについては、同じく青い列の中の「ABOUT-A」を、どのような仕事をしてきたのかについては「研究」をクリックしてお読みいただければと思います。ゼミの志望理由書の提出は、12月13日の13時半までです。どうぞ、よろしくお願いいたします。
■写真は、私です。こんな顔の人です。今年の夏、琵琶湖の西にある比良山山頂にある「びわ湖バレイ」に行った時に撮ったものです。背景は、琵琶湖です。「びわ湖バレイ」にある「びわ湖テラス」からは、琵琶湖の南湖の大津の街から北湖の竹生島や奥琵琶湖を全て眺めることができました。
学長のツイート
■2015年4月から2017年3月までの2年間、研究部長を務めていました。龍谷大学の研究部で教員部長として、事務職員の皆さんと一緒に働いていました。その2年間、「研究広報をもっとやろう!! 組織的に展開して、頑張って研究に取り組んでいる人(この場合は、非常に広い意味での研究で、龍大らしさを具現化しているような研究)に光をあてて、龍大の持っている可能性を顕在化させ、評価を高めよう!!」と言い続けてきました。しかし、現実は、なかなかそのような私の思いのようにはいきませんでした。外部資金の獲得とその会計処理のことばかりの2年間でした。加えて、研究倫理に関する制度を整備したり、そして長期・短期研究員の制度を再編したりと、様々な課題がありました。
■新たに研究部の目標を提示しても、マンパワーが足らないこともあるのでしょうが、実現に向けて動き始めることはほとんどありませんでした。非常に残念でした。研究部は研究経理部ではありません。その辺りのことを、きちんと考えないといけないわけです。部長としての私の力が及びませんでした。昨年のことになりますが、このことに関連したこと、学長に就任される前に入澤先生にお話しいたしました。確か、大学の第5期長期計画の2期中期計画のヒアリングの時でした。
■さて、今朝のことになりますが、Twitterで情報発信をされている入澤学長が、以下のようにツイートされていました。このような情報発信をされることのないように、昨年までに研究部長としてきちんと情報発信の事業で成果を出すことができていればよかったのですが。入澤先生のかなり厳しい雰囲気のツイートを読んで、申し訳ない気持ちとともに深く反省いたしました。
龍谷大学ならではの研究プロジェクトがいくつかありながらも、それらを社会に向けて発信することができていない。昨日他大学の先生からも、どうして発信しないのかと質問を受けた。大学のブランディングということを言っているけれど、建学の精神と研究の中身に対する関心があまりに低い。
■Twitterを通して、入澤先生からは、「先生のお気持ち、十分にくみとっております。早急に、広報・研究部と話し合いの場をもち、いい方向に進めてまいります」とのお返事をいただきました。関係される皆さんのご努力で、頑張って取り組んでいただきたいと思います。どうか、よろしくお願いいたします。では、どうすれば良いのか。まずは、研究広報の必要性を深いところから理解することが前提です。ここでは具体的には書けませんが、対案があります。もっとも、関係部署の方達が、「何で、そんなことをしなくてはいけないのだ」と思っている限りは実現しません。このような内容をあえてこのブログに書くことの意図を、どうかご理解いただければと思います。
■ところで、入澤先生のTwitterを読んでいる人たち、非常にたくさんおられます。私の知り合いも入澤先生のTwitterのファンで、「いつもハッとさせられています」と言っています。ぜひ、ご覧ください。
「猟師と一緒にジビエ料理を囲み語らう夕べ」(高島ワニカフェ)
■昨晩は、高島市にある「高島ワニカフェ」で開催されたイベント「猟師と一緒にジビエ料理を囲み語らう夕べ」に参加しました。ジビエ料理、狩猟、獣害の問題、農業、環境…等々に関心を持った20名ほどの方達が参加されました。講師は、地元の猟友会で狩猟をされているIさんとKさん。ジビエ料理をいただく前に、Iさんがご自身でYouTubeにアップされた動画をもとに、参加者の皆さんといろいろ学ばさせていただきました。
■狩猟の昔と今。増えすぎた獣と森林のこと。狩猟の実際。狩猟だけでなく増やすこともやっていること。駆除した獣を大切にいただくこと。ジビエ料理のこと。ジビエ料理は、個体によって成長過程に差があるかことから味に違いがあること。それがジビエ料理の醍醐味であること。子どもたちを対象とした「湖地考知」プロジェクトでのワークショップ(フィールドワーク)のこと。そのワークショップでは、子どもの中には、罠にかかった鹿が可哀想だから「逃がしてやって」と言いながらも、解体する時から少しずつ子ども達の考え方がかわり、料理された鹿肉を美味しいと思うこと。命をいただくことを学ぶ子どものこと…。
■岡野さんご夫妻が経営されている「ワニカフェ」は、つくる(生産者)と食べる(消費者)2つの「ワ」をつなぐカフェを目指しておられます。様々な活動を展開されていますが、今回もそのようなお店の取り組みの一環として行われました。岡野さんご夫妻は、上記の「湖地考知」プロジェクト以外にも、高島市で盛んに生産されている有機野菜を地元で消費するための新しい流通の仕組みも作っておられます。「高島マーケット」といいます。
■さてお料理の方ですが、イタリアン料理を修行されてきた岡野さんによるジビエ料理、お腹いっぱいになりました。昨晩は家人も一緒でした。ジビエ料理が苦手と思い込んでいたようですが、その思い込みがひっくりかえったようでした。テーブルでは、猟師のKさんからさらにいろいろ詳しいお話しを伺うことができました。猟師になったきっかけから始まり、猟犬のことや、さらに詳しい狩猟の実際についてもいろいろお話しくださいました。ありがとうございました。ワニカフェの岡野ご夫妻には、とても素敵なチャンスをいただくことができました。心より感謝いたします。また、「湖地考知」プロジェクトのワークショップが開催される時は、ぜひお知らせください。よろしくお願いいたします。
【追記】■上記のワークショップのこと、YouTubeにアップされています。
湖地考知プロジェクト 第3回 ジビエフィールドワーク 2015.3.22
琵琶湖の水草問題に取り組むプロジェクト(その7)
■今日の午前中、琵琶湖・南湖の水草問題のプロジェクトの活動に取り組みました。分野やセクターを超えた協働のネットワークを創出するために、いろいろな方達に相談をする日々が続いています。今日、まずは、大津市役所の企画調整課を訪問しました。大津市役所には、水草問題にストレートに対応する課はありません。それぞれの担当エリアに発生する水草問題を、それぞれが別々に予算要求して対応にあたっておられるのです。環境政策課、廃棄物減量推進課、公園緑地化、道路・河川管理課、観光振興課。いろんな課にまたがっているのです。ということで、企画調整課にはいろいろお世話になっています。将来は、大津市役所内部だけでなく、滋賀県庁琵琶湖環境部、さらには農政水産部との連携も必要になると思っています。連携すれば創造的な取り組みができるはずです。例えば、南湖水草問題協議会のような連絡調整組織があればいいのにな〜とも思っています。
■晩は、真野浜に隣接する自治会の会長さんたちに、プロジェクトの取り組み内容についてご説明するとともに、連携・協働のお願いをさせていただくことになりました。この「晩の部」の会場は、大津市の真野市民センターでした。家人がチェロのハードケースを車に乗せて市民オーケストラの練習に行ったので、車が使えません。移動手段は、「電車と徒歩」、あるいは「ランニング」ということになります。ということで、当然(⁈)、後者のランニングを選択しました。とはいっても、ランニングウェアではないので、汗をあまりかかない程度のゆる〜いスピードでのジョギング。というのも、会議資料を入れたショルダーバッグを袈裟懸していたし…。自宅から真野市民センターまでは、4.5kmぐらいでしょうか。ゆっくりしたジョギングでしたが、それでもやはり汗は出てしまいました。
■市民センターには、プロジェクトの仲間であり、真野浜で民宿「きよみ荘」を経営されている山田さんがお越しくだいました。そして真野学区、真野北学区の自治連の会長さん、真野学区の地域の方、それから支所長さんや市会議員の藤井さんもお越しくださいました。私たちが取り組む水草プロジェクトの取り組みの内容についてご説明させていただきました。
■みなさん、とても丁寧に耳を傾けてくださり、非常に前向きに受け止めていただいたように思いました。感謝です‼︎ 今日は、真野と真野北の皆さんだけですが、近日中に堅田学区の方にもご説明とお願いに上がる予定です。来年の2月には、葛川から真野、堅田、仰木までを含む西北部地区のゴミ問題に関する市民会議で、水草問題のお話しもさせてもらうことになりました。地域社会での水草の有効利用の仕組み(小さな循環)が、単なる有効利用を超えて、もっと別の価値を生み出し、地域の共助の仕組みをさらに豊かにしていくことにつながれば…と一生懸命説明させていただきました。気持ちが通じたと思います。嬉しいです。今は詳しくは書けませんが、いつかこのブログでも説明させてもらいます。
■琵琶湖に関わるようになって27年。龍谷大学瀬田キャンパスに勤務して14年。滋賀県民・大津市民になって1年9ヵ月。龍谷大学に勤務するようになってから、地域社会での活動や行政の仕事を通していただいたご縁の中で、このような水草問題の取り組みもスムーズに進んできているような気がします。ありがとうございます。今、私は、この水草のプロジェクトを研究者として取り組んでいるのか、地域住民ないしは市民として取り組んでいるのか、そのあたりの境目も曖昧で微妙になってきた。それが心地よいです。これは菊地さんがいうところの、「レジデント型研究者」というやつなんでしょうか。まあ、そうかどうかは別にして、少しずつ着実に前進しています。人生の第4コーナーを回って、いよいよ残りは直線100mです。
『異界を旅する能 ワキという存在』(安田登)
■龍谷大学の入澤学長がtwitterで、以下のようなツイートをされていました。
誤解されている世阿弥の「初心忘るべからず」。「初めの気持ちを忘れるな」という意味ではありません。真の意味は「折あるごとに古い自己を裁ち切り、新たな自己として生まれ変わらなければならない。そのことを忘れるな」。この「初心」の精神が「能」を存続させた。必読、安田登『能』(新潮新書)
古い自己イメージをバッサリ裁ち切り、次なるステージに上り、そして新しい身の丈に合った自分に立ち返るー世阿弥はこれを「時々の初心」とも呼びました。世阿弥の云う「初心」に学生諸君は学ぶべし。必読、安田登『能』(新潮新書)
■学生の皆さんに宛てたツイートかと思いますが、年寄りの私も反応しました。この安田さんという方の本を読んでみたいと思いました。ということで、安田さんの『能』ともう一冊、『異界を旅する能 ワキという存在』という本を入手しました。偶然ですが、入澤学長が勧められた方ではなく、関連して自分で見つけた後者の方から読み始めました。たまたま。偶然です。読んで始めてみると、大変面白いのです。
■『異界を旅する能 ワキという存在』を面白いと思ったからといって、私が何か能に関して見識を持っている訳ではありません。能のことなど何も知らないに等しいのです。序章で、筆者はこのように解説しておられます。能にはシテとワキという役がある。これは、私でも知っています。しかし、この両者の役割や両者の間のコミュニケーションに関する説明を読んでいると、なんだかワキは精神分析や臨床心理の専門家の様だと直感的に思えたのでした。読み進めていくと、筆者もその話しをされていました。やっぱりそうなんだ。ワキの役割は、シテの『残恨の思ひ』=トラウマを意識化させ、シテの思いを無意識の暗闇から意識の明るみに引き出すことにあるのです。シテの中にあるぐちゃぐちゃの「思ひ」を、ワキは整理して再統合する。ワキの役割は、シテの姿を観客に「分からせる」ことと、もうひとつは、シテの「残恨の思ひ」を分節して、思ひを晴らす=祓う手助けをすることにあるのです。ワキは「分ける」なのです。このワキの役割、すごく気になります。仕事上のヒントになるように思いました。
水草のこと、世界農業遺産のこと
■今日は、午前中、大津市の皇子山にある大津市公園緑地協会と、堅田の真野浜の「きよみ荘」を訪問しました。両方とも、琵琶湖・南湖の「水草問題」関連での訪問です。民間の力を主体に琵琶湖・南湖の水草問題を解決するための取り組み、少しずつでしかありませんが前進しています。写真は、その真野浜から撮ったものです。普段は対岸や比良山系が美しく見えるわけですが、今日のように湖と空の境目がわからない様な、こういう「水墨画」ような風景も素敵だなと思います。
■午後からは滋賀県庁に移動しました。滋賀県は、現在、世界農業遺産に向けて申請準備を進めています。私は、その申請準備のアドバイザーを務めています。今日は、その申請書の作成をアドバイザーとしてサポートさせていただきました。午後は県庁にこもって仕事をしました。職員の方達とじっくりディスカッションもできました。職員の皆さんは、様々な分野の専門家から、申請に必要な情報や視点に関していろいろヒアリングをされています。そのような、ヒアリングから得られた情報についても考慮しながら、ディスカッションの中で浮かび上がってきた難しい課題を、なんとか乗り越える道筋が見えてきました。安心しました。集中し過ぎて首や背中が凝ってしまいました。結局、今日は「水草問題」と「世界農業遺産」で1日を終えることになりました。両方とも、琵琶湖に関わる事柄です。人生の最後のコーナーで、なかなか愉快です。400mトラックでいえば、300m超えたあたりです。あとは残りは、直線100m。頑張ります。
8ミリフィルム映像上映会at大津歴博 「私の大津~昭和初期から平成まで~」
■今は誰でも簡単にスマートフォンを使って動画を撮ることができます。また、その場でYouTubeやSNSにその動画をアップすることができます。学生の皆さんには当たり前のことでしょうが、私が子どもの頃はそうではありませんでした。動画はフィルムで撮影しなくてはいけませんでした。富士フィルムが、1965年に「フジカシングル-8」という、誰でも簡単に動画を撮影できる一般家庭向けの小型の撮影カメラを販売し始めました。私の家では、とてもそんなものを買う経済的余裕はありませんでしたが、爆発的な人気を博しました。フィルムの扱いも、フィルムがあらかじめセットされたマガジンと呼ばれる部品を、撮影機本体にポンと入れるだけでした。とても簡単でした。以下は、そのテレビCMです。この CMに登場されている女優さんは扇千景さんです。後には、国会議員にもなり、大臣や長官、最後は参議院議長になった方です。といてっも、若い学生のみなさんはわかりませんね。すみません。
■というわけで…というわけではありませんが、次の日曜日に、大津市歴史博物館で、以下のようなイベントが開催されます。大津市在住の個人の方が撮影された8ミリフィルムや16ミリフィルムなど、貴重なプライベート映像を大津市歴史博物館では貴重な歴史資料として保管されています。今回のイベントは、その歴史資料を鑑賞して、みんなで語り合おうという企画です。
おうみ映像ラボは、滋賀県内の伝統行事や生活記録が収められた「記録映像」を発掘・上映し、古来より引き継がれてきた滋賀の「くらし・わざ・ちえ」について考える場を創出する活動をぼちぼちしています。
「情報収集・情報発信」「見聞会」「遠足」「上映会」等活動の中で、地域の人・技・文化・景観をアーカイブ化して、滋賀の恵みを再認識し、次世代に繋いでいこうと考えています。
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今年度は、大津市博物館様との共催で、博物館が保有される滋賀県内で撮影された昭和初期から平成までのフィルム映像を上映します。
8ミリフィルムが撮られた高度経済成長期の暮らしの変革期に滋賀の家族の暮らしはどのようなものだったでしょうか?
大津市在住の個人の方が撮影された8ミリフィルムや16ミリフィルムなど、貴重なプライベート映像を中心に、そのご家族・関係者をゲストに迎え、参加者のみなさまとワイワイ鑑賞したいと思っています。この日はなんと、5時間連続耐久上映です。
ぜひふらっとお越しください。2017年12月3日(日) 11:00~16:00
大津市歴史博物館 講座室
=参加無料・申込み不要・当日参加OK=【上映予定作品】
「大津まつり」
16 ミリフィルム 昭和7 年 16 分38 秒
撮影・編集:竹内鸚亮さん
戦前の大津祭の様子を記録したもの。曳山の巡
行や神事行列の往時の姿などとともに、祭礼で
賑わう町の様子や人々の服装など、当時の大津
町の有様も写されており、町の景観を知る上に
おいても貴重な映像。「増田家」
16 ミリフィルム 昭和初期 54 分
撮影・編集 増田さん
増田さんが撮られたプライベートフィルム
日々の旅行の様子を子どもの成長と共に撮影さ
れている。「懐かしの江若鉄道1969」
8 ミリフィルム 昭和44 年 22 分30 秒
廃線間際の江若鉄道の様子を撮影したもの。
運転台からの映像やお別れのセレモニーの様子
などが収録されている「大津まつり」
8 ミリフィルム 昭和50 年代か 33 分31 秒
撮影・編集:竹内鸚亮さん
山建てから本番までの一連の大津祭の様子が丁
寧に撮影されている。
撮影者本人の解説入り。大津市歴史博物館所蔵未公開フィルム など
☆ゲストトーク 13:30~15:00ころ
増田信明さん(フィルム提供関係者)
木津 勝さん(大津市歴史博物館学芸員)
谷本 研さん(成安造形大学助教)
柳 斎生さん(映像作家)主催:おうみ映像ラボ
共催:大津市歴史博物館
協力:株式会社 吉岡映像平成29年度 滋賀県 地域の元気創造・暮らしアート事業
平成29年度 文化庁 文化芸術創造活用プラットフォーム形成事業
上記の補助を受けて実施しています。
佐川美術館「百花繚乱 浮世絵十人絵師展」
いつもお世話になっている方から、佐川美術館で開催されている「百花繚乱 浮世絵十人絵師展」の観覧券をいただきました。うっかりしていて、今日が最終日でした。昼から時間があったので、車で行って鑑賞してきました。最終日ということもあり、かなりの人出でした。この展覧会の概要は以下の通りです。佐川美術館の公式サイトからの引用です。
日本が世界に誇る芸術作品といえば「浮世絵」。ゴッホやモネといった名立たる画家たちに影響を与え、現代においても国内外で高く評価されている浮世絵は、江戸の生活や流行の風俗をはじめ、人気の役者や名所旧跡を描き多くの人に親しまれています。
本展では、錦絵が誕生した江戸時代中期から爛熟の黄金期を経て、幕末の隆盛期までの全時代に焦点を当て、江戸文化の象徴として時代を牽引してきた人気の浮世絵師十人を紹介します。
錦絵創始期の第一人者で、ロマンチックな女性像で知られた鈴木春信をはじめ、清楚な八頭身美人像を描いた鳥居清長。ベラスケスやレンブラントとともに世界三大肖像画家と讃えられた東洲斎写楽。美人画の神様とまでいわれた喜多川歌麿。赤富士や波富士で新たな風景画を確立した葛飾北斎。情緒的な風景画を描き、ゴッホを魅了した歌川広重。これら六大巨匠に加えて、あらゆるジャンルで人気浮世絵師を輩出した歌川派の総帥で一門の隆盛に生涯をかけた初代・歌川豊国。その門人で役者絵や美人画に長け、三代豊国を襲名した歌川国貞。パワフルな武者絵やユニークな妖怪画で大衆を魅了した歌川国芳。そして、武士でありながら遊女の情念を追及し、妖艶な美人画を描いた溪斎英泉ら、多彩な天才浮世絵師をクローズアップして、浮世絵の真髄と醍醐味に迫ります。
■浮世絵は、サイズが小さいのでそばに寄らなければなりません。すると、後ろに沢山の方達が並ぶことになります。まあ、お互いに仕方のないことですけど。混み合ってはいましたが、今日は有名な浮世絵をいくつも拝見することができました。見応えがありました。満足です。トップの写真は、浮世絵とは何も関係がありません。佐川美術館のある守山市側の湖岸から反対側の大津市を撮ったものです。左側、尖って見える山は比叡山です。このあたりから草津市の北あたりにかけて、比叡山の形は尖って見えるのです。右側の方に高めの山が連なっていますが、これは比良山系です。これで天気が良ければもっと良かったのですが。
ひさしぶりの歯科
■今日は歯科にいってきました。子どもの頃は、虫歯の治療で歯医者さんに度々お世話になりました。しかし、大人になってからは、どういうわけか歯科に行くことがあまりなくなりました。どうしてでしょうか。ブラッシングができるようになったからでしょうか。今日は、本当にひさしぶりに歯科にいってきたことになりました。
■今回受診したのは、昔、奥歯に詰めた金属が取れてしまったからです。この奥歯の治療をしたのは、おそらく30年ほど前ではないでしょうか。この奥歯、その後一度詰めた金属が取れてしまいました。再び、詰めなおしてもらったのですが、なんだか具合が悪く、奥歯の隙間に食べ物がつまるようになりました。困ったことになったのですが、歯科には行かずに、詰まるたびにケアをして過ごしてきました。そのような状態が10年以上続いていました。今回は、歯磨きをしていると、再びその詰めた金属が取れてしまったのです。これは、いけません。きちんと治療しなおしてもらうことになりました。久しぶりに、「キュイーン」「ガリガリ」と削ってもらいました。
■個人的な推測でしかないのですが、しばらく歯科にいっていないので、以前とは治療の方法も進化しているように感じました。びっくりしたのは、レントゲン。レントゲン室があって、おそらくはX線を防ぐためでしょうが、重いベストを着せられました。そして、顎をレントゲンの機械の上に乗せて、きちんと撮影できるようにレントゲンの機械から飛び出た細い棒を前歯で噛んだ上で、歯科医が頭を固定しました。すると、レントゲンの機械は、頭の周りをぐるりと回って歯を撮影するのです。もちろん、昔のようにフィルムではなくてデジタル撮影。撮影された画像は、すぐに歯科医の手元にあるタブレットに写しだ避けます。びっくりです。私が遅れているだけなのかもしれませんが(説明がひどいので、何をいっているのかわからないかもしれませんが、まあ、そんな具合なのです)。これは初めての経験でした。
■もうひとつ。左上の犬歯の裏側に小さな丸い穴があいているので、虫歯かなと思い治療をお願いしました。しかし、これは虫歯ではありませんでした。治療はしなくて良いとのことでした。以前と比較して噛み合わせが深くなったせいで、下の犬歯で、上の犬歯の裏側削ってしまっているのだそうです。年齢のせいだそうです。いやはや…。それ以外は、特に問題もなく、予想したよりも歯は良い状態でした。安心しました。来週は、再び金属を詰めてもらい。それ以降は、歯石を取ってもらうことになります。歯は、大事ですね。歯はきちんと磨いるつもりですが、よりオーラルケアに注意するようにします。歳を取っても、自分の歯で食べ続けられるようでありたいです。
■ネットで調べてみました。ある歯科クリニックのホームページでは、次のように説明していました。
45~55歳ぐらいまでの間に2~3本失って、55歳の時に残っている歯の平均本数は23.6本です。ここから加速度的に歯を失っていきます。その後10年の間に5本程度の歯を失い、65歳で残っている歯は18.3本、70歳では15本程度となってしまいます。そして80歳の時には9本となってしまいます。これは平均的な数字なので、場合によってはもっと歯を失っていることもあります。
■では、今私は何本歯があるのか。数えてみました。上は24本、下は23本。下の方は、生まれつきなのでしょうが永久歯の奥歯が1本生えてきませんでした。ですので、乳歯の臼歯が高校生の頃まで残っていました。しかし、その歯もボロボロになったので、前後の歯を削ってそこにブリッジをかける治療をしてもらいました。40年以上前のことです。当時は、そういう治療だったのでしょう。親知らずの歯の方は、結局、1本しか生えてきませんでしたが、それは抜きました。ということで、一応、それなりに歯は残っているのかなと思います。来年は還暦です。おそらく、今からのオーラルケアが大切なのでしょうね。丁寧なブラッシングや定期的な歯石の除去等を行い、歯周病等のに注意する必要があります。
■「8020運動」という言い方があります。80歳になっても20本歯が残っていれば、「生涯、自分の歯で食べる楽しみを味わえる」ということのようです。なるほどです。しかし、それだけでなく、歯が20本以上残っている人と比べて、歯がないのに治療をされていない方は、認知症の発症リスク、転倒リスク、要介護認定を受けやすい確率が大きくなるとのことです。歯は、全身の健康とも深く関係しているのですね。