フィリピン到着

20140709manila1.jpg20140709manila2.jpg
20140709manila3.jpg20140709manila4.jpg
■7月4日(金)から7日(月)まで、3泊4日で、フィリピンに出張してきました。現地のLLDA(Laguna Lake Development Authority =ラグナ湖開発公社)の研究者にご支援いただき、総合地球環境学研究所のプロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会─生態システムの健全性」のリーダーやコアメンバーと一緒に、ラグナ湖(現地では、バエ湖といいます)に流入する流域の視察に行ってきました。詳しい報告は、これからのエントリーで順番にしていきます。

■4日は、午前中10時頃のフィリピン航空の便に乗り、マニラに向かいました。関空からマニラのニノイ・アキノ国際空港まで4時間程かかります。それなりに近いのですが、フィリピンについてからが大変でした。ホテルのあるケソン市までは、マニラ市内の大渋滞のなかを車で走らなければならなかったからです。もっとも、こちらの感覚では、このような大渋滞も日常的なことのようです。けっきょく、2時間近くかかりました(土曜日など空いている日だと、タクシーで30分ほどの距離らしいのですが…)。もっともフィリピンは、今回が初めての訪問だったので、渋滞のおかげで(?!)街中の様子をじっくり眺めることができました。高層ビルや高層マンションの立つエリアと、パラックが集まるエリア。経済成長の恩恵を受けることができた人たちとそうでない人たちとのギャップ。景観のなかに、フィリピンの今を感じ取ることができるように思いました。

■4枚の写真。最初の2枚は、旅客機のなかから撮ったものです。左側。マニラのあるルソン島は全体に山がちで、2000mを超える山や火山もあるようです。旅客機からは、それらの山・火山は確認できませんでしたが、山深い景観は、とても印象的なものでした。右側。着陸直前になるとマニラ市が見えてきました。メトロ・マニラ (Metro Manila) =メトロ首都圏です。マニラや旧首都ケソンを含む16市と1町により構成されており、近郊も含めると人口は2,000万人を超えるようです。大都市ですね。さきほども書いたように、マニラの大渋滞、とても大変なんですが、目に付くのが乗り合いバスのジプニーです。こちらでは、単にジープと呼ぶようですが、私のように初めてフィリピンに来た者には、かなり気になる存在でした。形は、いわゆる普通のジープとバスを一緒にしたような感じなのですが、車体に描かれている絵(広告?)がとても面白いのです。wikipediaですが、次のような説明がありました。

各ジープニーは決まったルートを往復し、車体にそのルートの出発地・主な経由地・終点が掲示されている。バス停に当たるような停留所もあるが、それ以外の場所でも自由に乗り降りできる。また、かなり細い道にまで網の目のように走っており、何回か乗り継げばほとんどの場所に行くことができる極めて便利な交通機関である。

初乗りは8ペソ(2013年11月現在)。運賃は運転手に直接支払うが、満席等で直接手が届かないときは運転席寄りの乗客にお金を渡し、手から手へと運転手までリレーされる。お釣りがある場合には逆のルートできちんと返ってくる。

日本では、大阪府吹田市の国立民族学博物館の東南アジアコーナーに常設展示されている。

■そういえば、民博に展示してありましたね! さて、これから何度となくフィリピンに行く予定ですが、次回あたりに、現地の方たちの案内で、一度ぐらいは乗車してみようかなと思っています。

内湖の原風景

20140704matunoki1.jpg
20140704matunoki2.jpg

■7月1日(火)、午前中の授業をすませた後、大津駅に向かいました。大津駅からは、県庁の公用車で、琵琶湖環境部琵琶湖政策課の職員の皆さんと一緒に、湖西の松ノ木内湖という内湖のある農村にむかいました。県の「つながり再生モデル検討会」の仕事です。今回は、滋賀県立琵琶湖環境科学研究センターのSさんにも同行してくださいました。トップの写真は、松の木内湖から大津に戻る途中、比良山系を撮ったものです。いよいよ、iPh0ne5で撮った写真ですが、これから夏本番がやってくるぞ…という雰囲気が濃厚です。その下は、iPhone5のパノラマ機能を使って撮った松の木内湖です。一見、美しい内湖のように見えますが、地元の方たちからするといろいろ困った問題が生じています。

20140704matunoki3.jpg 20140704matunoki4.jpg
■かつての松ノ木内湖は、現在よりももっと広い面積をもっていました。周りの河川から内湖に流入する泥や、内湖に生える水草は、この地域の人びとがどんどん陸にあげられていました。周囲の田んぼの肥料にするためです。また、田舟を使って漁業も盛んに行われていました。エリ、投網、ツツ、モンドリ、タツベ、柴漬け…よく知られる伝統的な漁法で様々な魚種を対象に漁労活動が行われていました。半農半漁の暮らしがここにはあったのです。子どもたちにとっても、内湖は遊びの場でした。上級生が下級生や小さい子どもを田舟に乗せて櫓を漕ぎ内湖に出ました。そして、水泳や水遊びをしました。内湖は、人びとの暮らしにとって大切な場所だったのです。暮らしに必要な様々な「価値」を生み出す、大切な場所だったのです。

■ところが、高度経済成長期に入ると、そのような人びとの暮らしと内湖の関係は一変します。まず、化学肥料が登場することにより、内湖の泥や水草を肥料として使うことはなくなりました。一部を除いて、漁労活動も行われなくなりました。人びとの暮らしと内湖との関係は、「切れて」しまったのです。現在、内湖には泥(ヘドロ)が溜まり、面積がどんどん小さくなってきています。そして、泥(ヘドロ)が溜まったところには葦原ができています。また、葦原の背後には大きな樹さえ生えています。私たち、何も知らない外部の人間の眼からすれば、美しい内湖の風景のように思えるのですが、地元の方たちからすればそうではありません。地元の人たちの内湖の「原風景」は、そのようなものではなく、泥や水草を取り、漁業を行い、子どもが遊び…人びとの暮らしとつながることのなかで生み出された風景だったからです。

20140704matunoki5.jpg 20140704matunoki6.jpg
20140704matunoki7.jpg 20140704matunoki8.jpg
20140704matunoki9.jpg 20140704matunoki10.jpg

■高度経済成長期以降の、圃場整備事業や河川改修、そして国の大規模開開発である琵琶湖総合開発により、この内湖を含む地域の水の流れは大きく変化することになりました。かつてと比較して、内湖に流れ込む水量が減っているというのです。河川事業からすれば、内湖は遊水池ということになります。内湖の役目は、大雨で川からあふれそうな水を受け止めることにあります。しかし、地元の人たちは、そのような状況を困ったことだと考えています。水量がないから泥がたまる。そのため、内湖の出口のあたりでも、水草が茂った場所ができてしまい、ますます水の流れが悪くなっている。そのように考えておられます。

■もちろん、地元の方たちも、そっくりそのまま元の昔の内湖に戻すことは無理だと考えています。現在の暮らしや生業のあり方からすれば、それは難しいと地元の方たちも考えておられます。しかし、同時に、せめて現在残っている内湖だけでもきちんと守っていきたいとも考えておられます。ただし、そのばあいの守るとは、都市公園のように整備していくことではありません。高度経済成長期以前とは異なる形ではあるけれど、人びとの暮らしと内湖のつながりを少しずつ復活できないかと考えておられるのです。関わることで、守っていきたいのです。これは、一般的に言えることですが、人びとの身近にある環境は、いくら身近にあっても、人びとが関心を失ってしまう途端に劣化していく可能性が高まります。高度経済成長期の前後を通して地元の人びとは経験済みなのです。そのようなこともあり、ゴミをとったり葦を刈ったりすること以外にも、内湖の際に電信柱を建ててワイヤーを張り、5月にはそこに鯉のぼりを泳がすようなイベントを開催されています。地元はもちろんですが、大阪などからも、この鯉のぼりを楽しみにやってこられる方たちがおられるそうです。

松の木内湖の鯉のぼり

■内湖周辺の視察のあと、地元の集会所に集まり、暮らしと内湖のつながりを少しずつ復活するための活動(「地域再生型の地域づくり」活動)を、今後、どのように展開していくのか、私たちも参加して、地図を広げてみんなで話し合いました。たとえば、地域の子どもたちにどのように参加してもらうのか、またその保護者になる親の世代にも子どもを通してどのように参加してもらうのか。みんなでアイデアを出し合いました。抽象的な「つながり」ではなく、実際に魚を取ったり、それを食べてみる。具体的な「つながり」が大切だと考えておられます。内湖という自然との「つながり」が新たな形で復活するとき、おそらくは副産物として、地域の人と人の「つながり」もより強いものになっていくのではないかと思います。今後、こちらの地域の活動が「つながり再生モデル」に相応しいものになっていくように、いろいろお手伝いをさせていただければと思っています。

■充実した時間を地元の方たちと共有したあと、県庁の職員の皆さんや琵琶湖環境科学センターのSさんとともに、車で大津に戻りました。白鬚神社の鳥居の前を通りました。神社の鳥居が夕日に染まっていました。

フィリピンにいってきます。

20140627laguna.jpg ■今週の金曜日、7/4(金)から7/7(月)まで、フィリピンのラグナ湖の視察と、現地の研究機関と協議をしにいってきます。総合地球環境学研究所のプロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会─生態システムの健全性」のメンバーと現地に向かいます。短期間だし、どうしても週末をはさんでしか日程がとれなかったので、現地の皆さんにはご苦労をおかけしています。フィリピンはカトリックの国だから、皆さん、週末はきちんとお休みになるのです。7月4日は、Laguna Lake Development Authority でキックオフミーティングを行い、翌日5日から6日までラグナ湖周辺流域の現地視察をします。7日は午前中にラップアップミーティングを終えて晩に帰国します。

魚の賑わい

20140623naiko1.jpg
20140623naiko2.jpg
20140623naiko3.jpg
■土曜日は野洲市で開催された「魚のゆりかご水田プロジェクト」を見学、日曜日は岐阜県の中津川市で「地域づくり型生涯学習の交流会」、そして昨日は、学生指導と授業の合間をぬって、草津市の湖岸に位置する内湖のある集落にでかけました。県庁琵琶湖環境部環境政策課の「つながり再生モデル検討会」の現場での打合せです。この日は、魚の賑わいを取り戻すために、琵琶湖と内湖をつなぐ水路にある水門に魚道をつくる相談をしました。参加したのは、集落の自治会関係者の皆さん、琵琶湖政策室と土木部の職員さん、そして委員会のメンバーで魚道の専門家である浜野龍夫さん(徳島大学)と委員長の私でした。

■いろんな立場からの意見をお互いに聞きあい、調整しなあいがら、そこから課題解決の可能性を見出していくことって、とても重要なことだと思います。今回は、内湖のことになりますが、内湖だけでなく、内湖の接合している小河川や集落内の水路にまで視野を広げていくことも必要でしょう。そして、内発的に解決策が「醸される」ようになることが重要かなと思います。「醸す」とは、麹に水を加えて発酵させて酒や醤油などを醸造することをいいますが、議論というかコミュニケーションを行うばあいでも、お互いの主張に耳を傾け学びあい、知恵を出していくと、相互作用のなかで発酵してくるってことがあるんですよね。そして、そういう「場」を、意図的につくっていくことも大切なんじゃないかと思うんですよね〜。

■少し固い言い方をすれば、地域環境に対する「状況の定義の多様性」を保持することが、時間はかかりますが、結果として地域環境の「レジリエンス」を強めていくことにつながると思うのです。何らかの権力作用の磁場のなかで、特定の「状況の定義」に収斂していくことは、その逆、すなわち「レジリエンス」を弱めていくことになると思うのです。

■ところで、この写真をご覧になってどうお思いになったでしょう。じつは、内湖に入る入り口のあたりには、たくさんの在来魚が泳いでいました。地元の人のお話しでは、ハスではないかとのことでした。肉眼では泳いでいるのが確認できたのですが、写真では無理でした。

野洲市のゆりかご水田

20140621yurikago2.jpg
20140621yurikago3.jpg
20140621yurikago1.jpg 20140621yurikago4.jpg
■「魚のゆりかご水田プロジェクト」ってご存知ですか?ご存知ないばあいは、まずは以下の、滋賀県庁農林水産部・農村振興課の「魚のゆりかご水田プロジェクト~湖魚が産卵・成育できる水田環境を取り戻そう!~」というページをお読みいただければと思いますが、概要だけ、以下に引用しておきます。

こんな光景が今、復活しようとしています。
農家、地域、そして何より生きものにとって大切な「魚のゆりかご水田」。
人や生きものが安心して暮らせる田んぼの環境を取り戻すプロジェクトです。
戦後の農地整備は生産性に重点を絞った整備方針を推し進めたため、田んぼから魚や水生昆虫といった生物が閉め出されてしまいました。 そのため、メダカのように身近な生きものであった種ですら希少種となり、地域特産物であったニゴロブナなどが減少してしまいました。
そこで近年、環境配慮型の農地づくりが注目され、これまで注目されてこなかった環境・生きもの・景観といったものを取り戻そうという動きが広まっています。
「魚のゆりかご水田」とは、田んぼや排水路を魚が行き来できるようにし、かつての命溢れる田園環境を再生し、生きものと人が共生できる農業・農村の創造を目指しています。

■滋賀県には日本一大きな湖である琵琶湖があります。琵琶湖は約400万年前に現在の三重県伊賀上野市あたりに誕生し、その後大地の運動とともに、約40万年前に現在の位置に移動してきました。当時の様子を想像してください。まだ、人間は住んでいません。梅雨時に雨がふり琵琶湖の水位が上昇すると、陸地であったところも水没してしまっていたはずです。現在、琵琶湖では、瀬田川にある瀬田川洗堰(せたがわあらいぜき)や、琵琶湖に流入する河川の水量を人工的に調整されていますので、水没するということはありません。かつては、「陸の世界」と「水の世界」のあいだに、両者の「グラデーションのような世界」が存在していたのです。たとえば、琵琶湖の周囲にある水田です。かつては魚が水田の水路を遡上し、水田のなかに産卵していました(魚にとって、人間が住み始める前の草原の湿地と水田に違いはありませんから・・・)。特に、大雨が降ったあと、かつては魚が水田のなかを背びれをたてて泳いでいたという話しを、あちこちで聞くことができます。ところが、上記の「魚のゆりかご水田プロジェクト」の概要にあるように、水田を土木工事(圃場整備、土地改良等)によって整備してからは、魚が水田に遡上できなくなりました。というのも、水田の水がぬけやすいよう(転作しやすいように)に排水路を深くしたため、水田の水面と排水路の水面のおあいだに大きな落差が生まれてしまったらかです。

■「魚のゆりかご水田プロジェクト」では、水面と水田のあいだを「魚道」でつなぎ、魚が水田に遡上できるようにします。魚が復活することで、以下のような良い点があげられています。滋賀県の近江商人で有名な「三方によし」(売り手よし、買い手よし、世間よし)をもじって「五方によし」といっています。(1)生き物によし、(2)地域によし、(3)子どもによし、(4)琵琶湖によし、(5)農家によし・・・です。以下は、その「五方によし」を解説した図です。「魚のゆりかご水田プロジェクト」のページの中から引用させていただきました
20140624yurikago.jpg

■ということで、ここからが本題。21日(土)、総合地球環境学研究所のプロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会─生態システムの健全性」の関係で、プロジェクトリーダーの奥田昇さん(京都大学生態学研究センター)と一緒に、滋賀県野洲市須原と安治(あわじ)の2集落で実施された生き物観察会を見学させていただきました。須原は、全国的にも有名なので、ネットで検索していただければ様々な情報を知ることができます。地域外、県外からもたくさんの方たちが参加されています。また、マスコミの取材も行われていました。ということで、このエントリーではお隣の集落である安治の生き物観察会の様子をご紹介したいと思います。

■安治(あわじ)の生き物観察会は、須原とは違って、村人による村人のための観察会のように感じました。観察会のお手伝いをしているのは、「ぼてじゃこの会」の専門家の皆さんですが、あとはすべて村人ばかりです。この地域でもお子さんの数が減っているそうですが、それでも、保育園の園児さんや小学生の皆さん、そして保護者の皆さん、さらにはおじいちゃん・おばあちゃんたちが多数参加されていました。農家の方にうかがいましたが、上記の「五方によし」のうち、最後の「農家によし」を強く意識されていました。付加価値のついた米として農協に買ってもらえるという経済的理由が、「魚のゆりかご水田プロジェクト」に取り組む大きな動機だとのことです。しかし、それと同時に、「地域によし」や「子どもによし」という副次的な効果があることも認めておられました。「昔は結婚するにしても、近くの人が嫁に来ていたが、最近は遠方から嫁いでくる。自分がどういう地域に暮らしているのかも、よく知らない。そういう意味で、子供会のお母さんたちに参加してもらうことは意味がある」ということもおっしゃっていました。このあたり、プロジェクトを始める農村の側の論理は微妙に複雑です。「五方によし」だけで整理できないものがあります。そのあたりのことも、きちんとお話しをうかがわせていただかねばと思っています。

■この日の安治の生き物観察会で印象深かったのは、おばあちゃんと呼ばれる高齢の女性の方たちが多数参加されていたことです。おばあちゃんが、タモ網をもって一生懸命魚を採っておられました。孫のために・・・というよりも、ご自身の好奇心や関心にもとづいて熱心に採っておられるのです。生き物観察会のあとは、「ぼてじゃこの会」の皆さんの撤収作業をお手伝いさせていただきました。また、こちらの活動に参加させていただければと思っています。

琵琶湖岸の水郷地帯

20140618suigo1.jpg
20140618suigo2.jpg20140618suigo3.jpg
■16日(月)の晩、滋賀県庁琵琶湖環境部・琵琶湖政策課の職員の皆さん、そして「川づくり・まぢつくりコンサルタント水色舎」の佐々木さんと一緒に、草津市の琵琶湖のそばの集落に行ってきました。ここは、もともといわゆる水郷地帯だったところです。田舟が大切な移動手段でした。現在では、圃場整備事業を行った結果、広々とした水田が広がっていますが、かつての風景は消えてしまいました。

■写真は、この集落のかつての風景を写したものです。「昔は、家の窓から魚がつれた」と地元の方がおっしゃる通りの風景です。下の2枚の写真には、田んぼのあいだにクリーク(水路)と田舟が写っています。先日、訪問した近江八幡の水郷地帯では、田舟は竿で操作しましたが、こちらは櫓でこぐとのことです。その技術がかわれて、近江八幡の水郷めぐりの櫓こぎの仕事をしていた人もおられたのだとか。草津から通勤されていたのです。なるほど〜と思います。

甲賀市の農村で調査

20140617kosaji1.jpg
20130528kouka.png
20140617kosaji2.jpg 20140617kosaji3.jpg
20140617kosaji5.jpg ■滋賀県甲賀市にある農村で、調査をしました。午前中は、滋賀県庁農政水産部の農村振興課や農政関連の職員の皆さん、そして甲賀市の集落・小佐治の農家の皆さんと一緒に、田んぼの水路で「生き物調査」を行いました。この調査に参加させていただいたのは、この小佐治が、私が参加している「総合地球環境学研究所」のプロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会─生態システムの健全性」の重要なフィールドのひとつであるからです。小佐治の集落では、古琵琶湖層群の丘陵にできた谷筋に、田んぼが順番に並んでいます。そして、田んぼの奥には無数のため池があり、この周りは里山になっています。ここは、関東で言うところの谷津田なのです。

■私たちの研究プロジェクトでは、この地域の生物多様性と村づくりに焦点を合わせて、地域の皆さんと活動を行っていく予定にしています。そして、トランスディシプリナリーな研究プロジェクトも進めていきます。もちろん、ここは複数のサイトのひとつなのですが、かなり面白い展開になりそうです。

【追記】
■こちらの村では、生き物の賑わいを取り戻し、そのことを村の農産物の付加価値としてアピールしたいと考えておられます。滋賀県内でいえば、琵琶湖湖岸地域で生産されている「魚のゆりかご水田米」や、兵庫県の豊岡市の「コウノトリ育むお米」などが有名ですが、その山里版という感じでしょうか。しかし、お話しをうかがっていると、経済的価値を生み出すことも重要ですが、こういった生き物の賑わいを取り戻す活動の中で、実際に生き物が戻ってくること自体が楽しくて仕方がない…という感じでもあるのです。嫌々、渋々、仕方なしに…ではなくて、生物の賑わいを生み出すこと自体が楽しいということ、これはとても重要なことかと思います。ただし、それは生き物がたくさんいたこの地域の「原風景」をよくご存知だから…でもあります。

■もともと、谷筋の周りには、環境の多様性がありました。田んぼ、ため池、雑木林…。かなり人の手が入っていましたし、利用もされていました。ため池では、半分は養魚のようなこともされていました。いわゆる「半栽培」の魚バージョンのような感じでしょうか。ですから、谷筋によって、多い魚の種類も違っていたといいます。

■高度経済成長期、集落の中央を流れる川の河川改修が行われました。洪水は無くなりました。しかし、同時に川は深くなり、魚は谷筋に登れなくなってしまいました。また、農業用ダムから用水が送られてくるようになって、大中小、無数にあったため池が使われなくなりました。使われないため池の世話は誰もしません。堤も崩れてしまい、水が溜まらなくなります。そういうため池は、山に戻ってしまいました。また、雑木林が針葉樹に植え替えられました。現在では森林組合が世話をされているそうですが、なかなか大変なようです。素人目にも、世話ができていない森林があります。簡単にいってしまえば、人の関わりが減少し(アンダーユース)、谷筋の環境の多様度も減少してしまっているのです。そのことが、生物にも影響を与えたと考えられます。

■雑木林の話しをしましたが、最近、この地域ではマキストーブ仲間が増えています。マキストーブの良さや楽しさを知って家に置く人が増えているようです。燃料は、身近な山から採ってくるのだそうです。スローライフを楽しんでおられるのですね。楽しみの一環として、人の手の入らなくなった里山の世話をされているのです。「楽しみ」、大切なキーワードだと思います。

流域における栄養循環(1)-リンの問題-

20140428asahi-p.png
■いつもは、教育や地域連携の話題ばかりなのですが、今日は、研究に関連してエントリーします。少し以前のことになりますが、私がコアメンバーとして参加している総合地球環境学研究所(大学共同利用機関法人/人間文化研究機構)の研究プロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会─生態システムの健全性」が、FS(予備研究 Feasibility Study)からPR(プレリサーチ Pre-Research)に「駒を進めた」ということをお伝えしました。このプロジェクトとも大きく関連する記事が、先月の朝日新聞に掲載されました。「人に欠かせないリン 輸入頼み 安定的確保が課題」です。

■この記事のなかでは、3月に東大で開催された「第1回持続的リン利用シンポジウム」での報告にもとづいて書かれているようです。記事のタイトルにもあるようにリンは、あらゆる生物にとってリンは必須な栄養ですが、記事のなかにはこういう記述があります。「牛肉250キロを得るためには与える資料の生産に、肥料として15.8キロのリンが必要」。「バーチャルリン」といいます。外国から牛肉を輸入すると、結果として、リンを消費していることになるのです。リンの不足の備えとしは、肥料の節約や食利用を無駄にしないこと、下水汚泥からの回収循環の促進、鉄を作った時に出る鉄鋼スラグに含まれるリンの活用等が考えられているようです。もっとも、今後の世界の人口がどれだけ増えるのかで、問題のあり方も違ってくるようです。

■私たちの研究プロジェクトでは、リンだけに特化しているわけではありませんが、リンも含めた栄養元素の循環に注目します。その理由は以下の通りです(総合地球環境学研究所のページからの引用)。

物質的に豊かな現代社会では、モノを大量に生産・消費する過程で、窒素やリンなど特定の栄養分が自然生態系に過剰に排出されます。これによって生じる「栄養バランスの不均衡」は、世界中の流域生態系において富栄養化や生物多様性の減少などの問題を引き起こしています。「地球規模生物多様性概況第3版(GBO3:生物多様性条約事務局 編)」によると、地球上の生物多様性の消失は急速に進み、生態系の劣化とともにさまざまな生態系サービス(自然の恩恵)が失われつつあります。問題の根本的な解決には、私たちの社会経済活動のなかに、生態系や生物多様性の保全と持続可能な利用を組み込むこと(生物多様性の主流化)が必要とされ、地域の実情に即した多様なステークホルダー(利害関係者)との協働が提唱されています(Future Earth)。しかし、具体的にどうすれば協働作業がうまくいくのかはこれからの課題です。

私たちは、「順応的流域ガバナンス」(図1)という考え方に立って、地域社会が抱える問題の解決を通じて、生態系や生物多様性問題の解決に取り組むことが有効だと考えています。本FS では、流域の栄養バランスの不均衡が引き起こす問題に焦点を当て、流域住民が行政や科学者との対話を通じて地域再生に取り組むことで、流域全体の再生も促されるようなガバナンスのしくみの解明をめざしています。

■また、私たちのプロジェクトがこれから取り組むことは、以下のことになります。

私たちは、「順応的流域ガバナンス」という考え方に立って、地域社会が抱える問題の解決を通じて、生態系や生物多様性問題の解決に取り組むことが有効だと考えています。本FS では、流域の栄養バランスの不均衡が引き起こす問題に焦点を当て、流域住民が行政や科学者との対話を通じて地域再生に取り組むことで、流域全体の再生も促されるようなガバナンスのしくみの解明をめざしています。

順応的流域ガバナンスは、流域住民が地域の自然に多様な価値を見いだし、流域の再生に取り組むことから始まります。他方、私たち科学者は、流域の窒素やリンの循環を可視化する指標や生態系サービスを評価するツールを用いて、保全や再生活動にともなう栄養循環・バランスの回復過程を評価します。同時に、住民・行政との対話を通じて、生物多様性のもつ公益的価値の社会評価を行ない、地域社会の自律的再生を支援します。多様な主体による対話と相互学習によるガバナンスを通じて、流域生態系の栄養循環と流域社会の幸せ(Human-wellbeing)がともに高まっていくための社会的条件を明らかにすることを目標とします。

20140521fs.jpg■この図は、生物多様性が駆動する流域生態系の栄養循環を示したものです。黄色の矢印は、生態系における炭素(C)・窒素(N)・リン(P)など栄養元素の代謝回転を表しています。また、赤色の矢印は、生き物による物質循環経路を示しています。生物多様性が豊かであれば、栄養元素は、それら多くの生物に取り込まれることになります。また、下流に流れていった栄養元素をもう一度上流に返していくような社会的な仕組みが必要です。そのような社会的な仕組みだけでなく、たとえば魚が上流に遡上し、その魚が利用されることなども重要になります。

■中途半端なエントリーですが、この続きは、また書きます。

地球研の研究会議in町家キャンパス「龍龍」

20140426ronron.jpg
■26日(土)の午後、大津駅近くにある龍谷大学町家キャンパス「龍龍」を会場に、総合地球環境学研究所の研究プロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会─生態システムの健全性」のコアメンバー会議を開催しました。参加したのは、リーダーの奥田昇さん(京都大学生態学研究センター)と、谷内茂雄さん(京都大学生態学研究センター)、岩田智也さん(山梨大学生命環境学部)、伴修平さん(滋賀県立大学環境科学部)、大園享司さん(京都大学生態学研究センター)、陀安一郎さん(京都大学生態学研究センター)、そして私を含めた6名のコアメンバーコアメンバー、さらにコアメンバーではありませんがオブザーバーとして京都大学生態学研究センター長の中野伸一さんも参加されました。

■私たちのプロジェクトでは、厳しい評価をなんとか通って、フルリサーチ=本研究(3〜5年)の準備期間にあたるプレリサーチの段階に移行することができました。もちろん、評価委員会からは厳しいコメントがたくさんついています。心が折れそうになります…が、来年からのフルリサーチの準備を着々と国内外で進めていかねばなりません。国内は滋賀県の野洲川流域、海外はフィリピンのラング湖。この両地域で、地域の皆さんや関係者の皆さんと協力しながら、準備の作業に入っていきます。

■コアメンバー会議は、13時〜18時過ぎまで5時間連続で行い、そのあとはいつもの駅前の居酒屋「利やん」で慰労会・懇親会を行いました。

地球研のプレリサーチが始まります

20140320preresearch.png ■出張で、中国・浙江省の寧波市にある寧波大学外語学院に来ています。ということで、このエントリーは中国からのものです。昨晩は、外語学院(日本でいえば学部)の院長・副院長、そして日本語学科の教員の皆さんが歓迎会を開催してくださいました。「中国的な意味において」とても素晴らしい宴会になりました。中国的に意味においてとは、どういうことなのか…。50℃の強い焼酎であるパイチュ(白酒)の乾杯合戦でノックアウトされてしまいました。まいりました。今日の午前中は、留学生受け入れのための協定書に関してミーティングをもちましたが、午後からはホテルで休憩中です。今回中国に一緒に中国来ている原田達先生と大塩まゆみ先生は、寧波訪問が初めてということもあり、学科主任の先生の案内で寧波市内を見学されています。

■さて、ホテルでメールを確認していると、日本から重要かつ嬉しいメールが届いていました。大学共同利用機関法人・人間文化研究機構「総合地球環境学研究所」で、私たちの研究プロジェクトがプレリサーチに採択され、研究所のホームページにもそのことが掲載されていたというメールです。プロジェクトリーダーの奥田昇さんからのメールでした。上の画像が、その通知の掲載です。なんともそっけない通知ですね…。

■総合地球環境学研究所では、研究プロジェクトを次のように説明しています。

■地球研では、既存の学問分野や領域で研究活動を区分せず、「研究プロジェクト方式」によって総合的な研究の展開を図っています。

●研究プロジェクト方式は段階を経て研究を積み重ねていく方式です。全国の研究者コミュニティに公募された研究を、IS(インキュベーション研究 Incubation Study)、FS(予備研究 Feasibility Study)、PR(プレリサーチ Pre-Research)、FR(本研究 Full Research)という段階を経て実施することで、研究内容を進化させ、練り上げることを目標としています。

●国内外の研究者などで構成される研究プロジェクト評価委員会の評価をFS 以降の各段階の対象年度に実施し、それぞれの研究プロジェクトの自主性を重んじつつも、研究内容が平板な積み重ねにならないように配慮しています。また、IS を除くすべての研究プロジェクトが、研究の進捗状況や今後の研究計画について発表を行なう場として、研究プロジェクト発表会を開催しています。

●終了した研究プロジェクトに関しては、研究の終了後2 年間はCR(終了プロジェクト Completed Research)として、成果の社会への発信や次世代の研究プロジェクトの立ち上げなどさらなる研究の展開を図っています。

■上の引用にもありますが、「プレリサーチ」を通過するためにあたっては審査があります。この審査は、今後も続きます。また、「FS」から「プレリサーチ」にすべてのプロジェクトが駒を進められるわけではありません。審査の結果、「FS」の段階を継続しなければならないプロジェクトや、プロジェクトが打ち切りになるばあいもあります。プロジェクトを通して良い成果をあげていかなければ、「プレリサーチ」に駒を進められなかったプロジェクトの皆さんに、申し訳が立たない…そんな気持ちにもなります。通常「プレリサーチ」は「本研究」に入る前の1年間があてられます。このあと、本研究が3〜5年間続きます。長い道のりですが、頑張って取り組んでいこうと思います。

■プロジェクトのフィールドは、琵琶湖に流入する野洲川、そしてフィリピンのラグナ湖が中心になりますが、比較研究するために、国内では八郎潟、手賀沼、宍道湖なども視野に入れて研究に取り組んでいきます。

【追記】■関連エントリーです。
これからの研究プロジェクト
地球研プロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会ー生態システムの健全性」
地球研プロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会ー生態システムの健全性」 のその後
公開シンポジウム「自然共生社会を拓くプロジェクトデザイン」
研究会
人間・社会班で研究会議
甲賀の農村で
研究会議

カテゴリ

管理者用