全日本吹奏楽コンクール(大学の部)で金賞受賞!!
■26日(土)、青森市にある「リンクステーションホール青森」で開催された「全日本吹奏楽コンクール」(大学の部)で、龍谷大学吹奏楽部は、ゴールド金賞を受賞しました。個人的な感想になりますし、手前味噌だとお叱りを受けるかもしれませんが、他大学と比較しても、圧倒的に素晴らしい演奏だったと思います。演奏を終えた直後の観衆の歓声と拍手の大きさに驚きました。コンクールには審査員は9名おられます。それぞれの審査員が各大学の演奏に関してA・B・Cの判定をします。龍谷大学は「オールA」。全ての審査員に高く評価していただきました。心の底から感動しました。部員の皆さん、素晴らしい演奏、ありがとう。また、龍谷大学吹奏楽部の活動をご支援くださった龍谷大学の関係者の皆様、応援してくださった全ての皆様、本当にありがとうございました。春に部長に就任してから、時々、部員の皆さんの練習の様子を時々拝見してきました。私自身は、吹奏楽に関しては全くの素人ですし、ただ見学させていただいているだけなのですが、それでも、若林音楽監督や児玉コーチ、多くの指導者の皆さんにご指導いただき、部員の皆さんがしっかりと音楽に集中して曲づくりをされてきプロセスを知ることができました。そのようなわけで、コンクールでの感動もひとしおでした。この歳で、これだけ感動させていただくこともあまりないわけで、大変ありがたいことだと思っています。
■コンクールは、26日(土)に開催されましたが、コンクールに出場する部員の皆さんと部員の代表である幹事長Uくん56名は、24日(木)に新幹線で青森に向けて出発しました。私は、2名の副部長の皆さんと一緒に25日(金)に出発しました。朝4時に起床し、最寄りの駅の始発の電車に乗って伊丹空港から青森に飛びました。25日から26日の午前中にかけては、隣の秋田県大館市にある「ほくしか鹿鳴ホール」(大館市民文化会館)で最終の調整を行いました。このホールで、非常に細かな点を最終調整しました。たとえば、普段の練習場ではわからない音の響きを、ホールで実際に演奏して確認しながら、楽器を演奏する位置の修正を行いました。そのほかにも、重要なポイントとなる部分に関しては非常に細かな音楽的な調整を行いました。部員の皆さんが、音楽監督・コーチ・指導者の皆さんの指導のもとで、集中される雰囲気の中で、少しドキドキしながら調整の様子を拝見しました。
■普通、コンクールに出場するとなると緊張したりあがってしまうように思うのですが、全国コンクールに出場するようなレベルになると、そのようなことは全く無いようです。ある部員の方に聞いてみましたが、いつもの練習時の演奏をきちんとやるだけ…とのことでした。いつも通りにきちん演奏する。そして、集中して力をきちんと出し切る。自分たちの音楽表現を行う。すごいなと思います。個人的な考えですが、音楽はスポーツと違って直接的に対戦する相手がいるわけではありませんが、優れたスポーツチームも優れた吹奏楽のバンドも平常心で臨むという点では同じではないかと思います。なかには、満面の笑みで演奏している部員もいました。パーカッションの部員です。どうして満面の笑みだったのかと聞いてみたところ、「楽しくてしょうがなかった」と答えてくれました。自分たちが時間をかけて形作ってきた音楽を、晴れの舞台で披露できることの喜びでしょうか。素晴らしいと思います。
■26日の最終調整の後には、ちょっと感動的なシーンもありました。部員の皆さんが、お世話になった音楽監督・コーチ・指導者の皆さんに感謝の気持ちを込めてメッセージを書いた色紙を送ったのですが、その際、コンクールメンバーに一緒に付き添い、懸命にサポートしてきた幹事長のUくんにも、仲間の部員から色紙が送られました。とても素敵な光景でした。Uくんも感動していた様子でした。このような気持ち、大切ですね。
■龍谷大学吹奏楽部の部訓は「音楽」「感謝」です。浄土真宗本願寺派の宗門校らしい部訓だと思います。自分たちが大好きな音楽に取り組んで感動して燃える演奏ができるのも、多くの皆さんに支えていただいたからです。音楽監督・コーチ・指導者の皆さんはもちろんのこと、部員のご家族や恩師、仲間や友人、様々な支援をしてくださった大学関係者、さらには吹奏楽部の繁栄の礎を築いて来られた遠い過去の先輩方や、さらには、たとえば20年後に入部してこられるまだみぬ未来の後輩の方達。「現在・過去・未来、様々な方達とのつながりがあったからこそ、自分たちは全国コンクールでも金賞を受賞できるような演奏ができたんだ」と自分たち自身で納得できた時、吹奏楽部は組織としてさらに発展できるのではないかと思います。
■次の吹奏楽部としての大きな演奏会は、12月26日に開催される「第46回定期演奏会」になります。全国コンクールは、コンクールならでは縛り(演奏時間等)があります。定期演奏会には、そのような縛りがありません。次の定期演奏会では、龍大サウンドとも呼ばれる龍大ならではの演奏で、多くの皆さんに感動していただけるように頑張って欲しいと思います。
【追記】■大学のホームページに、金賞受賞の記事が掲載されました。幹事長の上野右京くんがインタビューで語っているように、「拍手や歓声は1番」だったと本当に思います。
2019.10.30
吹奏楽部 全国大会金賞受賞 日本一に輝く【スポーツ・文化活動強化センター】第67回全日本吹奏楽コンクール(全日本吹奏楽連盟、朝日新聞社主催)の大学の部が10月26日、青森県のリンクステーションホール青森で開催され、3年ぶりに関西代表として出場した本学が11回目の金賞に輝きました。
課題曲はⅤ「ビスマス・サイケデリアⅠ」、自由曲はB.アッペルモント作曲の「ブリュセル・レクイエム」。
約180名の部員からメンバーに選出された55名が演奏し、圧倒的なスケールと高度な音楽表現により奏でられた11分1秒の演奏は、会場全体を包み込み、審査員9名全員から最高位であるA評価をいただくことができ、金賞を受賞することができました。上野 右京幹事長(経済学部4回生)のコメント
「本番はとにかく楽しんで演奏するように」と部員に伝えました。のびのびと演奏をすることで、龍谷大学吹奏楽部らしい音楽ができると思っていました。本番の演奏は、一人一人が輝き、聴衆も息をするのを忘れていたかのような圧倒的な演奏をすることができ、拍手や歓声は1番だったと思います。結果は全国大会で金賞、そして審査員全員が最高評価である「A」評価をいただくことができ、目標としていた「日本一」を得ることができました。この結果が出せたのは最後まで諦めずに追求していける環境があったからこそだと感じています。また、日頃からご指導をいただいている先生方、ご支援していただいている方々のおかげです。本当にありがとうございました。今回の大会で、部のモットーである「音楽」「感謝」を部員全員が体感することができ、これからもより大切にし、年末の集大成である定期演奏会に向けて更に頑張ってまいります。今後とも龍谷大学吹奏楽部の応援をよろしくお願いいたします。 」
「第67回全日本吹奏楽コンクール」(大学の部)
■10月26日(土)、「第67回全日本吹奏楽コンクール」(大学の部)が、青森市の「リンクステーションホール青森」で開催されます。龍谷大学吹奏楽部は、関西代表としてこのコンクールで演奏します。そして金賞受賞を目指します。本日の朝、コンクールで演奏するメンバーが、新幹線で東北に向かいました。東海道新幹線と東北新幹線を乗り継いで新青森駅まで。全員一緒に行きたいということで、あえて新幹線を利用しています。今回は、学生の代表である幹事長とコンクールのステージで演奏するメンバーが先に向かいます。今日の宿泊は隣県である秋田県の大館市です。そして、大館市にあるホールで最終調整を行います。もう、やるべきことは全てやり尽くしてきたので、後は、本当に微細なところの調整ということになります。
■指導者である音楽監督、コーチの皆さんは本日の夕刻、部長である私と4人の副部長のうちの2人は、明日の午後に大館市に入ります。コンクールで演奏をしない部員たちも、応援のために土曜日朝早く、京都発の新幹線に乗って青森入りします。今日の京都駅、修学旅行生、海外からの団体客でいっぱいでした。そのような混雑の中、素敵な笑顔で部員の皆さんは出発しました。
■龍谷大学吹奏楽部が全国吹奏楽コンクールへ出場するのは、2016年以来ということになります。2017年と2018年は近畿大学が出場しました。関西大会から全国大会へと推薦される数が1校ということになり、このようなことになっています。私と同世代のベテランの吹奏楽経験者から、次のようなことを教えてもらいました。それは、「何年か続けて全国コンクールへの出場を逃して、最後に経験した部員が卒業してしまうと気をつけなければならない」ということでした。なるほどと思いました。おそらく、これは音楽以外のスポーツでも同じかなと思います。龍谷大学吹奏楽部の場合は、現在の4回生が1回生の時の2016年に全国大会に出場しています。部長としては、少し胸をなで下ろしています。コンクールの演奏については、定期演奏会などの通常の演奏とはまた異なる独特の世界や評価の判断基準があります。多くの吹奏楽関係者からお聞きしたことですが、人に感動を与える素晴らしい演奏をすることと、コンクールで良い成績をおさめることとは、必ずしもぴったり重なりあっているわけではないのです。私のような素人にはなかなか難しいことなのですが…。というわけでいろいろ難しい問題があるのですが、龍谷大学吹奏楽部は、全国大会でも素晴らしい演奏を聞かせてくれるものと信じています。
急に…
■今日は急にブログへのアクセス数が上がりました。普段は、60前後のアクセスなのですが、今日は、この投稿をした段階で115近くまでにアクセス数が伸びました。ありがたいというベキなのですが、やはり普段と違うわけで、少々違和感があります。何かあったのかな…。普段からそれぐらいアクセス数が伸びていれば問題ないのですが…。日々の出来事や経験を記録に残しているだけで、多くの皆さんに役立つ話が書かれているわけではありません。どうぞ、よろしくお願いいたします。
第6回「びわ湖チャリティー100km歩行大会」
■この前の土曜日から日曜日にかけて、「びわ湖チャリティー100km歩行大会」に参加してきました。最初は雨も降り、多少コンディションが良くなかったところもありますが、何とか100km歩き完歩しました。いろいろな思いを抱えて歩きました。まずは世界農業遺産に認定されることを祈って。1周忌を迎えた大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」のマスター光山幸宏くんのことを偲んで。台風で被害に遭われた地域の復旧を願って。全日本吹奏楽コンクール(26日)で龍谷大学吹奏楽部が素晴らしい演奏で金賞を獲得することを願って。市民団体「水草は宝の山」(水宝山)の活動、NPO法人「琵琶故知新」が運営する「びわぽいんと」がうまく動き始めることを祈って。孫の健やかな成長を願って。そして、琵琶湖と共に仕事ができることを感謝して。いろいろ、あります。ちょっと厚かましいですが、いろいろ抱えて歩きました。なんとか、100kmを完歩したことに安堵しています。応援してくださった皆様、ありがとうございました。
■世界農業遺産をアピールするために、多くの滋賀県庁職員の皆さんと一緒に歩いているわけですが、今日は若い職員さんに支えていただきながら、なんとかゴールすることができました。若い職員の皆さん、ウォーキングのスピードが早いですね。引っ張ってもらいました。結果、23時間19分27秒でゴールすることができました。ちなみに歩数ですが、初日は95,629歩(自宅を出てからの歩数です)。2日目は58,679歩でした。合計154,308歩です。よく歩きました。ゴールしたらすぐに生ビールを飲み、帰宅してからもビールを飲みました。徹夜で歩いたので、そのまま昼寝に突入しました。
■この「びわ湖チャリティー100km歩行大会」、大会当日のコンディションもありますが、きちんと準備すれば完歩できると思います。ちなみに、今回は、 931名のうち完歩者は660名でした。完歩率は70.9% 。今大会では、facebookの1人のお友達とスタート地点でお会いしました。昨年の私の「びわ100」の投稿を読んで、参加を決意されたとおっしゃっていました。ちょっと、うれしかったです。今年も、何人かの方から「私も参加したい」とのお話を伺っています。是非ご参加ください。さて、今回も、100kmの道中のこと、記録しておこうと思います。時間を見つけて書き足していきます。
■1回目の参加の時と違って、4回目ともなるとずいぶん舐めてかかっていたなあと思います。昨年、たいした練習をせずになんとか完歩できたので、今年もなんとかなるだろう…と、ほとんど練習をしてきませんでした。唯一、約2週間前に、琵琶湖の南湖をぐるりと1周、42kmほどを滋賀県の職員の皆さんと一緒に歩いただけです。本当は、きちんと積み上げて「脚」を作り上げていくべきだったと反省しています。おそらくは、そのほうが、楽に歩けたのではないかと思います。これが一番の反省点です。
■2つめの反省点ですが、前日に、よく眠れなかったことです。昨年の大会でもやはりそうでした。そのため、夜中に非常に眠くなってしまい、これは危ないと自分でも思い、我慢せずに、チェックポイントのあった南郷の洗堰で仮眠を取りました。今年は、頑張って仮眠はとりませんでしたが、歩きながら非常に強い眠気が襲ってくることが何度かありました。南郷の洗堰を出発して、次のチェックポイントであるびわ湖ホールまで移動すると、その途中には湖岸沿いに公園があります。朝早くから散歩をしたりジョギングをされている方達がたくさんおられます。そういう方達とすれ違う時、不審な目でジロリと見られることが何度かありました。おそらくは、ふらついて歩いていたのですね。これ、危険です。前日に、十分な睡眠が取れるようになんとかしなければなりません。なんだか、明日が遠足で興奮して眠られない子どものようです…。
■今回の第6回の大会では、大会にエントリーした時期が遅めだったからだと思いますが、私はABCという3つのグループのCによるスタートでした。Aグループから出発するので、最後の方からの出発と言うことになります。この大会ではタイムを競うわけではないので、それで困ることは何もないのですが、あえて困ったといえば、私の場合、自分のペースで歩こうとすると前が詰まってしまうということでした。ウォーキングの大会では、できるだけ自分のペースとリズムで歩いていくことが大切かと思いますので、やはり早めにエントリーして快適に歩けるようにした方が良いかなと思いました。
■スタートした後、しばらくすると雨が降り始めました。今回の雨には、本当に難儀しました。ずっと振り続けるよりはマシなのですが、ゴアテックスのレインウェアを着たり脱いだり…を繰り返さなければなりませんでした。大会事務局からの案内では、雨具についてはポンチョが便利と書いてありましたが、今回の程度の雨であれば、確かにそうですね。ポンチョの良いところは、リュックを背負ったままでも着ることができることでしょうか。ポンチョだとリュックは濡れません。下の方がオープンなので、蒸れにくいというのも良い点かと思います。ただし、下半身はオープンなので、強い雨になると濡れてしまうでしょうね、やはり。難しいですね〜。雨の問題ですが、足裏にも関係してきます。シューズにカバーをかけない限り、靴や靴下に雨がしみ込んできます。蒸れると足に肉刺ができてしまいます。ということで、今回、トレイルランニングに取り組んでいる友人に、肉刺ができにくい良いソックスはないかと尋ねみました。
■友人からは、「ドライマックス」というメーカーのソックスが良いと教えてもらいました。そして「いつも行くトレランの店に、トレイルランナーが嫌がる厚めのドライマックスのソックスが余って残っている」とのことで、私の代わりに購入してくれました(ありがとう、Oさん)。この「ドライマックス 」のソックス、大変優れています。感心しました。「ドライマックス」という名前の通り、足裏が蒸れません。実際、肉刺ができませんでした(もっとも、利き足の右親指の爪の下が指内出血してしまいました。これは毎年ですね)。もうひとつその友人から教えてもらったものは、「Protect S1 スポーツ摩擦皮膚保護クリーム」です。これも優れものです。今までは、足裏にワセリンを塗っていましたが、このクリーム、ワセリンのようなべとつき感がありません。また、肉刺対策という点ではワセリンよりも優れているかもしれません。今回は、新しいソックスとクリームが大活躍でした。結局、一度も別の靴下に履き替えることはありませんでした。「ドライマックス」のソックスの予備を2つリュックに入れていたのですが、使わずじまいでした。
■雨は降ったり止んだりと面倒臭い天候でしたが、彦根をすぎたあたりからは雨も止みました。いつもの通り、大中の第1チェックポイント(32km)までは、順調に進みました。そこにたどり少し前に、知り合いの社会学者とも出会いました。同志社大学の鵜飼孝造さんでした。後ろから歩きながら、これは鵜飼さんに違いないと確信し、すれ違いざまにお声がけさせていただきました。歩くスピードやリズムはそれぞれの人にあったものがあります。私は、健脚の滋賀県職員の方と一緒でした。そのスピードに合わせて自分のペースとリズムを維持していました。鵜飼さんからは、「先に行ってくださいね」と言っていただき、簡単な挨拶を済ませて先に進むことにしました。今回、滋賀県職員の皆さんのチームと一緒にスタートしましたが、チームといっても途中からはばらけてきます。その際に、自分のペースにあう方が自然と見つかっていきます。おそらくは、単独で参加される場合でも、そのような方が見つかるのではないでしょうか。特に、第2チェックポイント(53km)を超えるあたりからは、前後にあまり人がいません。暗い夜道を一人で歩くのは、やはり辛いものがあります。元気なうちは、ペースが同じ方とおしゃべりを歩くとずいぶん気が紛れます。おそらく1人だと、どんどんペーズが落ちていくのではないかと思います。だって、しんどいですもの。
■今年は、第3チェックポイントが、昨年よりも少し手前の66km地点になりました。第2チェックポイントからは、ここまで13km。次の第4チェックポイント(79.9km)までは14km。昨年は、第3チェックポイントがさらに4kmほど先でしたので、少し長く感じて精神的にしんどかった記憶があります。今回は、ちょうど良い距離かもしれません。このあたりからは、残りの距離のことはあまり考えるべきではないと思います。「ああ、まだ34kmも残っている」と考えるのではなく、「もう、66km歩いてきた」と考えるようにするべきかと思います。そして、第3チェックポイント以降は、「とりあえず次は14km」、第4チェックポイントからは「とりあえず次は10km」と考えるようにしています。先のことは考えません。そしてだい5チェックポイントにたどり着いたら、「ああ、もう90kmも歩いたのか、すごい。残りは、たった10kmやん」と考えるようにしています。自分で自分を騙す…という感じでしょうか。ただし、最後の区間は、実は10km以上あります。坂本の町の旧道は美しい歴史的な街並みが続きます。美しいのですが、変化する印象がないので、とても長く感じます。おまけに旧道が終わったところには陸橋があり、これを疲れ切った脚で渡らねばなりません…。でも、ここまでくればあとは、勢いだけで歩いて行けます。
■まあ、今年もこんな感じでゴールすることができました。ただし、練習不足と睡眠不足は大反省です。これから「びわ100」に挑戦しようと考えておられる皆さんの何かの参考になれば幸いです。
真野浜で水草の清掃
■16日(水)のことになりますが、先週末の台風で、真野浜(大津市)に漂着した水草を取り除く作業を、山田英二さんと2人で楽しみました。山田さんは、けして「大変だ」とはおっしゃいません。「浜を綺麗にすることが楽しい」とおっしゃいます。いつも浜の清掃活動を楽しんでおられる山田さんから、この日、私もその楽しさを学びました。
◼︎水曜日は2限に「地域再生の社会学」という講義があり、午後からは、隔週で教授会等の会議が入ります。しかし、今日は会議が無い週なので、講義が終わった後すぐに帰宅し、「マイ熊手」を持って真野浜に車で出かけました。山田さんがfacebookに投稿された動画で、真野浜にものすごい量の水草が漂着しているのかわかっていました。山田さんお1人だと1週間はかかるとのことでした。ということで、市民団体「水草は宝の山」(水宝山)のメンバーとして駆けつけることにしたのです(もちろん、山田さんもメンバーです。しかも、象徴的な存在。)
◼︎ところが、山田さんは長年にわたってこの真野浜で民宿を経営し、この真野浜を常に美しくキープされてきただけあって、すでにかなりの量の水草を処理されていました。とはいえ、次から次へと、切れた水草が漂着します。そのままにしておくと腐敗するので、陸側の乾燥した浜の方に熊手で移動させます。この際、ちょっとしたテクニックが必要です。できるだけ砂と水草が分離するようにして、なおかつ水草が乾燥しやすいように広げるのです。こうやって、少しずつ琵琶湖から水草を遠ざけていきます。そうするうちに、水草からは砂がパラパラと落ちるようになり、乾燥して重さも減ります。
◼︎それらの乾燥した水草は、近くの市民農園に軽トラックで運ばれます。そこでは、10数軒の市民の方達が、それぞれに家庭菜園を楽しんでおられます。市民の皆さんは、水草をまずは雑草を抑えるマルチシートの代わりに使用されます。マルチシートの役目を終えると、畑の中に漉き込みます。山田さんによれば、ちょっと砂がまじっているくらいが野菜を育てるには良いのだそうです。家庭菜園を楽しんでいる皆さんの経験知から、そのことがわかっています。というのも、もともとここは水田だったこともあり、土壌が粘土質なので、砂が入ることで土質が良くなる…ということのようです(その辺りの、農学的、科学的な理屈については、現在のところ私にはよくわかりませんが…)。ただし、真野浜の乾燥した砂には芝生が生えているのですが、それが乾燥させた水草に混じると畑で増えしまって困るので、できるだけ芝は混じらないようにしてほしいとの要望があるようです。なかなか難しいものです。
◼︎今は、畑で利用していますが、この水草を誰にでもできる技術でうまく肥料化して、幼稚園、保育園、小学校、それから市民センターの花壇や菜園で利用できるようになればと思っています。この肥料化や地域での水草を利用していく仕組みについては、龍谷大学農学部の教員の皆さんと共同研究を行っていくことになっています。この真野浜の水草を媒介に、多くの方達が繋がっていくと素敵だなと思っています。
龍谷大学吹奏楽部 第46回 定期演奏会
「『激減した赤トンボ』が見事復活した地域の秘密」という記事
■ネットで「『激減した赤トンボ』が見事復活した地域の秘密」という記事を読みました。ジャーナリストの河野博子さんの記事です。記事を読んでいると、仲良くしていただいている宮城県大崎市の齋藤肇さんが記事の冒頭に登場されていました。こういうのって、嬉しくなりますね。記事では、8ヘクタールの田んぼで無農薬栽培に挑戦している齋藤さんの喜びのコメントが掲載されていました。
「落水とは、稲が成長したときに、あえて水を落として乾燥させて根を張らせること。7月の上旬に行います。だいたい、それにあっているんですよ、生きもののサイクルは。(トンボは)落水する時期を見込んで、その時期にあわせて羽化する」
■落水のことを、滋賀県では中干しというと思いますが、いったん水田から水を抜くころ、つまり水田から水がなくなり幼虫(ヤゴ)として生きていけなくなる頃に成虫のトンボになるというわけです。大変興味深いです。私は生物学者でも生態学者でもありませんが、人間の営農のサイクルと、トンボの生活史がシンクロしているように思います。しかも、成虫になったトンボの数が半端ない。それらのトンボは、齋藤さんの無農薬の水田でウンカなどの害虫を食べるのです。
■齋藤さんは、とっても面白い人で、彼の家で話を聞いていると聴き飽きることがありません。非常にユニークな方です。私は、ご自宅の中二階にある民俗資料館で館長の齋藤さんからいつも話を聞きます。様々な民具や古文書の研究もされているのです。記事の中では、「江戸時代の古文書も読み込んで、自然の中での農業技術を磨いている」とありますが、これは本当のことです。どうして齋藤さんが、このような生き方をされているのか、それは記事をお読みいただきたいのですが、自然保護活動をされている方たちとの交流があったからです。その内のお一人、お知り合いになった舩橋玲二も記事に登場されます。齋藤さんが農業を営む蕪栗沼は、世界農業遺産に認定されている「大崎耕土」の一部ですが、舩橋さんたちは、生き物の多様性を調査することの中で、世界農業遺産に認定された農業の支援する活動もされています。以下は記事からの引用です。
今年秋から、世界農業遺産というシールが貼られたブランド認証米もデビューする。その認証を得る必須要件の1つとなっているのが、トンボ類からカエル類まで9つの指標生物群をそれぞれの農家が調べる「田んぼの生きものモニタリング」だ。
NPO法人・田んぼをはじめとする農家や市民の活動が、地域全体を「底上げ」する礎を築いた格好だ。
■舩橋さんとは、滋賀県でも世界農業遺産を申請しているけれど、認定されたらこちらの「田んぼの生きものモニタリング」のようなことが滋賀できたらいいのに…というお話をしていました。すっかり、そのことを忘れていましたが、この記事で思い出しました(情けない…)。また、蕪栗沼に遊びに行って、勉強させてもらわねば。
■さて、記事では、いろいろ批判されているネオニコチノイド系農薬と昆虫との関係について説明が行われています。加えて、水田の圃場整備による大きな環境変化についても。記事には、こう説明されています。
国立研究開発法人森林研究・整備機構の主任研究員、滝久智さん(43歳)(森林昆虫研究領域)らが茨城県のそば畑で2007~2008年に調査を行った結果、畑から100メートルの範囲内に森林と草地があるかどうか、3キロメートル圏内に森林があるかどうかで、そばの実の付き方に差が出た。
そばは、「他家受粉生物」で、花に来る昆虫の手助けにより受粉する。畑周辺の土地利用の変化が、管理されたミツバチや野生の昆虫の生息や活動に影響し、ひいては収穫量に影響することがわかった。
■そばの収穫量は、そば畑だけでなく、周囲の自然環境の土地利用状況、そして生態系と大きく関係しているという研究結果があるようです。人間にとって関心のある一部の環境を切り取って論じてもダメだということになりますね。自然の摂理の中で展開している関係性の総体を視野に入れる必要があるということになります。
グレタ・トゥンベリさんへの中傷や揶揄について
■米ニューヨークで開かれた国連気候行動サミットで、各国の指導者たちに対して、怒りと涙で訴えたスウェーデンのグレタ・トゥンベリさんのことは、多くの皆さんがご承知でしょう。また、ネットで、彼女のことを批判したり中傷する記事も見かけます。ましてtwitterでは、ものすごい数のtweetが…。とても残念です。
■このことについて、社会学者の上野千鶴子さんが、雑誌『AERA』のインタビューに答えて、次のように説明されています。
「女性、子どもの声を『無力化』『無効化』する対抗メッセージはいつでも登場します。それをやればやるほど、そういうことをやる人の権力性と品性のなさが暴露されるだけです」
上野さんは4月の東大入学式の祝辞で、痛烈な性差別批判をした。祝辞では「しょせん女の子だから」と足を引っ張ることは「意欲の冷却効果」と説明し、ノーベル平和賞を受けたマララ・ユスフザイさんの父が「娘の翼を折らないようにしてきた」との発言を紹介した。
「同じメッセージを権威のある男性が言えば、聞かれるでしょうか? 繰り返されてきたメッセージに『またか』の反応があるだけでしょう。グレタさんのスピーチは、世界の要人が集まっても、いつまでたっても、何の進展もない現状に対するまともな怒りをぶつけたものです」
上野さんはこうも指摘する。
「環境問題は『未来世代との連帯』と言われてきました、が、その『未来世代』は死者と同じく見えない、声のない人びとでした。その『未来世代』が当事者として人格を伴って登場したことに、世界は衝撃を受けたのでしょう」
■上野さんの指摘は、ジェンダーの問題と環境倫理の問題に関連したご指摘です。以前、滋賀県で展開された合成洗剤に替えて石鹸を使おうという運動、石けん運動の研究をしていたことがあります。運動の中心は、主婦や母親という役割を担う女性たちでした。インタビューで明らかになりましたが、この石けん運動の現場においても、女性の声を「無力化」「無効化」する対抗メッセージは多数ありました。そのような対抗メッセージは、時には、男性のパターナリズムとともになされることもありました。私はそのことを思い出します。環境倫理の問題については、これは面白いご指摘ですね。子どもは存在していても「声のない人びと」でしか扱われてこなかったのに、グレタさんは世界に対して怒りをぶつけた、それは指導者と言われる人たちには想定外の出来事だったのでしょう。このことに関連して、ネット上で面白い記事を見つけました。「グレタ・トゥーンベリ『大人は世界観を脅かされると子供をばかにする』」という記事です。
トランプ大統領をはじめ、グレタさんを嘲笑してきた大人について尋ねられると、「おそらく、気候変動対策を求める積極的な行動によって、自分たちの世界観や利益が脅かされると感じているのでしょう」と16歳の活動家は言う。
カナダのトルドー首相との面会を終えたグレタさんは、「私たちの声がとても大きくなり、扱いにくくなってきたのでしょう。私たちを黙らせたいと思っているのです。批判の声も賛辞だと受け取ろうと思います」とモントリオールで開催された抗議集会で話している。
■グレタさんが私と同じ年齢になった時、私はこの世にいません。確実に。もし生きていても、私は100歳を超えています。ほとんどあり得ない話です。私の孫はグレタさんよりも14歳幼い2歳ですが、孫が後期高齢者、84歳になった時、世界は22世紀を迎えます。最近、気候変動や生物多様性の劣化等の問題、さらには世界各地での社会紛争・国際紛争を見ていると、その時、本当に人類は生き残れているのか…最近、すごく不安になります。グレタさんの怒りは、私の孫の怒りでもあります。グレタさんがいうように、私たちは約束を守らねばならない。一人一人にできることは限られているけれど、「自分には関係ない」と「他人事」でスルーするのではなく、「自分事」として受け止める方たちと連帯することはできます。小さいことでも、「一隅を照らす」ように活動をすることはできます。歳をとり、環境問題は語ったり説明したりするものではなく、取り組むものだと一層思うようになりました。孫が老人になった時に、「ちゃんと」生きていけるように。
NPO法人「琵琶故知新」の総会
■先週火曜日、10月1日に投稿しましたが、天台宗の最澄の「一燈照隅万燈照国」(いっとうしょうぐうばんとうしょうこう)=「一隅を照らす光が集まれば、その光は国全体をも照らすことになる…」という言葉に励まされるように、琵琶湖のまわりで実践されている「小さな自然再生」を支援するNPO「琵琶故知新」を設立することになりました。IT技術を使った「びわぽいんと」という新しい仕組みをこのNPOで運営していきます。
■今日、10月7月(月)は、このNPO設立のために必要な最初の総会を「コラボしが21」で開催しました。市民団体「水草は宝の山」(水宝山)の会合の中で提案された「びわぽいんと」が、やっと実現しそうな段階にまでになりました。「水宝山」の方は、現在のところ法人化する予定はありませんが、こちらはこちらで地道に水草問題に取り組んでいこうと思います。また、「水宝山」のなかから、この「びわぽいんと」のようなアイデアがいろいろ生まれてくると素敵だなと思っています。
「びわ湖チャリティー100km歩行大会」の練習会
◼︎昨日、「第6回びわ湖チャリティー100km歩行大会」=「びわ100」の練習会が開催されました。この「びわ100」には、国連FAOによる「世界農業遺産」の申請に取り組んできた滋賀県職員の皆さんと、4回目の参加になります。ありがとうございます。「世界農業遺産を県民の皆さんにアピールするために、このウォーキングの大会に出よう」と言ったのは私なんですが、ここまで農政水産部の職員の皆さんが、頑張って参加していただけるとは思ってもいませんでした。最初は、申請準備を進めていた核になるメンバー3人に一緒に「100km歩こう」と言っていたのですが、いつの間にか管理職の方達も含めて大所帯での参加ということなります。今年は、30人ほどの滋賀県職員のみなさんとともに歩きます。
◼︎昨日歩いた跡を地図上に示してみました。南湖の東岸は、本番の「びわ湖チャリティー100km歩行大会」の本番のコースの通りに歩きました。ですから、かなり内陸部を歩くことになりました。本番は、さらに南郷の洗堰まで行って折り返すのですが、そうすると時間がかかって宴会(慰労会)の開始が遅くなるので、今回は近江大橋を渡って県庁にゴールしました。昨日、歩きながら忘れ物をしていたことに気がつきました。銭湯に入り、宴会で交流したあとは、電車で帰宅するわけですが、その時にはくズボンを忘れていたのです。仕方がないので帰りはランニングパンツで帰宅する羽目に…。
◼︎琵琶湖大橋の展望台に辿りついた時に撮ったものです。私も含めて9名で朝7時に滋賀県庁をスタートしました。湖東や湖北にお住いの皆さんは、近江八幡からスタートして湖岸を南下、昼食を摂る守山市内の「餃子の王将」で合流しました。このお店で昼食を摂ることが、毎年の恒例になっています。この段階で、すでに予定の半分以上歩いていることになります。おそらく23kmぐいでしょうか。皆さん、がっつり昼食を摂っておられました。
◼︎17時52分頃にゴールの滋賀県庁にゴールしました。歩数は、「59904歩」。6万歩弱ですね。時間は、朝7時にスタートしましたから、休憩時間もたっぷりとって11時間でゴールということになります。ゴールした後は、県庁近くの銭湯に入り汗を流し、慰労会(本来は壮行会)を大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」で開くことができました。これも毎年恒例ですね。「利やん」は県庁の方もよく利用されます。正式名称は「としやん」なんですが、県庁の皆さんは伝統的?!に「りーやん」といつも呼んでおられます。この「りーやん」の宴会に農政水産部の次長さんもご参加くださいました。ありがとうございました。
◼︎本番は、100kmです。これまで3回参加しましたが、その時のことも、かなり詳細に記録に残しました。これから「びわ100」に参加しようと思っておられる方達が、参考にしてくださっていると聞いています。拙い記録ですが、何かの役に立てば幸いです。
「第3回びわ湖チャリティー100km歩行大会」
第4回「びわ湖チャリティー100km歩行大会」
第5回「びわ湖チャリティー100km歩行大会」