「星の巡礼ツアー」・「楽香」コンサート

20220912iwakirieko.jpg■土曜日、この写真のお2人にお会いしてきました。右がアコーディオンの岩城里江子さん、左がおはなしのさわきょうこさん。つくば、松戸、旭、鴨川、我孫子、沼津、丹波山、京都、玉野、柏と続く「星の巡礼」ツアーの、今日は京都「アートスペース二条城前・アルバ」。アコーディオンの岩城里江子、おはなしのさわきょうこさん、マリンバの藤本亮平さん、笙の伊藤えりさん、4人のコラボによるライブコンサートでした。長くなりますが、SNSを通して仲良くしていただいてきた岩城さんのこと、頭に浮かんできたことを書き残しておきます。

■アコーディオンの岩城里江子さんと初めて出会ったのは、2007年3月31日のあるイベントでした。当時、私はブログを通して、東京の住宅設計を専門されている建築家の皆さんと交流していました。そもそもそのようなネットワークにつながったのは、写真家の村田賢比古さんのブログを通してなのですが、それはそれで、また長い長い話になってしまうので、15年前の3月31日のイベントから始めますね。

■このイベントについては、このイベントの企画を提案された五十嵐進さんのブログの投稿をご覧いただければと思います。当時、私は、この建築家の皆さんのネットワークの中で企画される「アースダイビング」という地理や地形と歴史に注目した大人の散策に夢中になっていました。3月31日は「第5回アースダイビング」でした。このイベントに、岩城里江子さんも参加されていました。普段、ブログを通して交流している建築家の皆さんとは違って、岩城さんとはこの時が初対面でした。

■岩城さんは、このイベントで訪問した「阿佐ヶ谷団地」に小学生の頃にお住まいでした。阿佐ヶ谷団地とは、昭和33年(1958)に竣工した日本住宅公団によって造成開発された団地です。15年前、私たちが訪問したときは、近いうちに解体されることになっていて、ちょうど若いアーティストの人たちが作品展示会を開催している最中でした。この時だったか、その後にうかがったのかは忘れましたが、岩城さんはお父様の転勤に伴って5つの小学校を転校された経験をお持ちでした。私も、やはり父の転勤で3つの小学校に通った経験があります(3つの幼稚園、3つの小学校、2つの高校に通いました)。東京と福岡と場所は違っていますが、転校生と高度経済成長期の都市郊外にある団地の経験は共通していました。そのようなこともあり団地の話題で岩城さんとは盛り上がったように思います。今や、岩城さんはCDも発売されアコーディオン奏者として活躍されているのですが、私としては、「団地仲間」ということの方が印象としては強いのかも知れません。

■この日のコンサートは、京都の二条城に近いビルの地下にあるスペースでした。いろんなアーティストが利用されているようですね。私は、ぎりぎり開演に間に合ったのですが、席はほぼ満席でした。しかし、どういうわけか「遠慮の塊」のように最前列の真ん中にポカッと空席がありました。まるで、かぶりつきのS席のようです。そこに座って、岩城さんのアコーディオン、さわきょうこさんのおはなし、藤本亮平さんのマリンバ(&いろんなパーカッション)、伊藤えりさんの笙のコラボによる演奏を堪能しました。とっても感動するコンサートでした。そうそう、岩城さんとさわさんは、「楽京(らっきょ)」というユニットを作って活動されています。元々、同じ職場の社員(教育係と新入社員)だったそうです。ええと、そのことも長くなるので横に置いておくとして、今回の「星の巡礼ツアー」というタイトルからも分かるように、昨日のコンサートのコンセプトはホロスコープと深く関係していました。まだ深く理解できていないのですが…(^^;;。

■ホロスコープということからもわかるように、全部で12カ月に合わせた12曲が演奏されました。それぞれの曲に十二星座と結びついた意味があります。岩城さん、サンティアゴ・デ・コンポステーらの巡礼路を歩いた経験をお持ちです。何かスピリチュアルなことに敏感な方のように思います。12曲を演奏し終っあとは、アンコールでも2曲演奏されました。そのうちの1曲が「阿佐ヶ谷団地」という曲でした。岩城さんが最初のCDにも入っている曲です。私がやってきたからというわけでもないのでしょうが、岩城さんと「団地仲間」である私としてはとても嬉しく思いました。

■岩城さんとは、9年ぶりの再会でした。普段は、関西にお越しになるチャンスも少ないし、私も関東圏に出かけることがめっきり減ってしまいました。来年から私は前期高齢者ですし、「いつかまたお会いできるよね」と思っていると、思っているまま時間だけが経過してしまいそうな気がして…。こういうチャンスを大切にしたいと思ったのでした。ということで、「再会するなら、今日でしょ」と出かけることにしたのです。

第27回全国棚田(千枚田)サミット2022in高島市

20220908tanada_summit.jpg■来月、10月1・2日の両日、高島市で「第27回全国棚田(千枚田)サミット2022in高島市」が開催されます。テーマは、「棚田をつなぐ人のかけ橋~びわ湖を育む清流の輪~」。1日目の午後は分科会が開催されます。私は、第2分科会「棚田に根付く”価値”を繋げる~地域産業の振興と次世代への継承~」のコーディネーターを務めます。このテーマにある地域産業とは、高度経済成長期に入った頃まで続いていた炭焼きのことです。この炭焼きをどう継承していくのか、落葉広葉樹の森をどう活かしていくのか、後継者はどうするのか、外部の人びととの関係(移住者、関係人口等)はどのように関わることができるのか…この辺りのことをご報告いただく予定です。充実したディスカッションになるようにコーディネーターとして努力いたします。

■実は、昨晩、この第2分科会でご報告いただく皆様と事前の打ち合わせをいたしました。私は、吹奏楽部の演奏旅行と重なってしまったため、演奏旅行先の名古屋から急いで自宅に戻り、オンラインで参加させいただきました。分科会で報告いただく皆様には夜や遅くからの会議になりご迷惑をおかけしてしまいました。すみませんでした。打ち合わにご出席いただいた皆様は、昨年、高島市の委託研究でヒアリングをさせて頂いたこともあり、スムースに話が進みました。当日が楽しみです。

■今日の午前中は、滋賀県の「ヨシ群落保全審議会」でした。ヨシ群落の保全も、面積を増やしていく時代から、すなわち「量」を問題にする時代から、ヨシ群落多くのステークホルダーの皆さんと、どのように維持していくのか、活用していくのか、すなわち「質」を問題する時代に移行しています。明日は、そのような新しい時代の問題について話し合うことになりそうです。こちらもこれからの展開が楽しみです。

■さて、今日はこの「ヨシ群落保全審議会」の後、演奏旅行中の龍谷大学吹奏楽部に合流し、岐阜県羽島市で開催されるコンサートで演奏を聴かせていただくはずだったのですが、残念ながらコンサートは中止になりました。演奏旅行中の部員の中から、新型コロナウイルの陽性者が出たからです。このことは、すでにfacebookやTwitterで広く広報するとともに、コンサートを予約していただいた皆様には、部員が分担して中止になったお詫びの連絡をしました。以上のことをまずはこの拙ブログでもお知らせしておこうと思います。

2022年度 集中講義「びわ湖・滋賀学」

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■来週月曜日から金曜日まで、滋賀県立琵琶湖博物館の学芸員の先生方と「びわ湖・滋賀学」の集中講義の授業を行います。私自身は、コーデイネーターで授業を担当しません。裏方の仕事です。

■琵琶湖博物館は、「湖と人間」をテーマとする博物館です。滋賀県草津市の琵琶湖に突き出した烏丸半島にあります。6年の歳月をかけて展示をリニューアルを行い、一昨年の10月にグランドオープンしました。この集中講義では、8月29日〜8月31日の3日間をオンライン講義で、9月1日〜2日の2日間は琵琶湖博物館の展示を用いて講義を行う予定になっています。

■講義のねらいは、滋賀県の特徴について、「琵琶湖」と人の関わりという視点から理解を深めることにあります。この地域で暮らしてきた人々の産業(農林水産業が中心です)や日常の文化のありかたを見つめ直し、それらと琵琶湖集水域という環境との密接な関わりについて学びます。
具体的なトピックとしては、琵琶湖の自然と生い立ち、自然と暮らしの歴史、暮らしとつながる自然、水の生き物と暮らしを取り上げ、琵琶湖博物館の新しい調査研究の成果をまじえて講義していただく予定になっています。具体的には、こんな感じです。

【オンライン授業 8月29日・30日・31日】
1.オリエンテーション
2.琵琶湖の魚と水田利用魚類
3.琵琶湖・河川の漁業
4.魚のゆりかご水田・滋賀の水田農業
5.近江のふなずし
6.琵琶湖の漁具・人々の暮らし
7.水辺の暮らし・森の暮らし
8.気候変動と人の利用による植生変遷
9.琵琶湖の固有魚の進化

【展示による授業 9月1日・2日】
10.A展示室見学・課題学習
11.B展示室見学・課題学習
12.C展示室見学・課題学習
13.水族展示室見学・課題学習
14.企画展示見学・課題学習
15.まとめと課題レポート作成

■ひょっとすると、「これ、世界農業遺産に認定された琵琶湖システムの内容とちゃうの?」とお気づきの方がおられるかもしれませんね。琵琶湖博物館の学芸員の先生方が、特に世界農業遺産を意識しているというわけではないのですが、そうなんです、内容はかなり重なっています。というか、世界農業遺産の琵琶湖システムも、琵琶湖博物館も、共にこの滋賀県固有の地学・地理、生態、生業、文化、社会…そのような要素が40万年の歴史の中で順番につながり構造化されてきたシステムに焦点を合わせているからです。まあ、琵琶湖博物館の方がちょっと先輩ではありますが。

■このような内容だと、学生さん以外にも、一般の皆さんの中にも、講義を受けてみたいという方がおられるかもしれませんね。その気になれば、龍谷大学のREC等でも同様の市民向けの講義ができるはずです。まあ、その辺りは将来の可能性ということにしておきます。とはいえ、大学の学外連携部門の担当者の職員さんからは、ぜひ進めたいとのご意見も頂いています。私がこの授業を担当しているわけではないのですが、今後の展開が楽しみになってきました。

■最後になりますが、この「びわ湖・滋賀学」を履修した皆さんが、この集中講義をきっかけに、実際の琵琶湖・滋賀県のフィールドへと足を運んでくださることを期待しています。滋賀県に暮らしてみたい、滋賀県で働いてみたい、滋賀県に移住したい、何度も滋賀県に来てみたい、そのような若者が増えたらいいなあと妄想しています。(トップの写真は、昨年の「びわ湖・滋賀学」で琵琶湖博物館を訪問した際、近くの湖岸が撮影したものです。)

琵琶湖の水草問題が

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■最近、水草の大量繁茂の話題がすーっと消えてしまったかのようです。もちろん、きちんと、滋賀県が、適切、計画的に、刈り取って除去しているせいかと思います。ある研究者は、もはや水草は琵琶湖の重要な環境問題ではなくなっているという見解をお持ちのように記憶していますが、そうなのかもしれません。社会的な費用はかかっていることに変わりはないと思いますが、とりあえず水草繁茂はコントロールできているからです。水草の刈り取りが、現在、どのように行われているのかについては、滋賀県の「水草の刈取り・除去予定」をご覧ください。

■私たちが立ち上げたNPO法人「琵琶故知新」、当初は浜に漂着する水草をなんとか有効利用できないか…というところから始まりました。そのような水草がゴミ処理場で焼却処分されているのを、昔のように、土壌改良剤=水草堆肥として再利用・有効利用できないだろうか、というのが私たちNPOの出発点だったのです。ところが、浜に漂着する水草自体が、ここ数年相当量減少しているのです。嬉しいような、ちょっと空振りみたいになってしまって困っているような…。

■それはともかく、一昨日のことです。近所を車で運転しているとこんなトラックが走っていました。助手席の妻にとってもらいました。刈り取った水草らしきものを大量に積んでおられたからです。初めて拝見しました。こんな感じなんだ〜とちょっと興奮しました。こんな様子を見て興奮するのは、私ぐらいでしょうかね(^^;;。この水草、確か近江八幡市だったと思いますが、休耕田に野積みにして自然発酵させて、数年後に水草堆肥として無料配布されていたと思います。

■ところで、水草で空振りした私たちのNPO法人「琵琶故知新」では、今、食物残渣を地域社会で循環させていくための仕組みができないかということを、地域の様々な方達(事業者の方達を含みます)と相談を始めました。高い社会的な志しを持たれた事業者の皆さんとお話しできるようになり、少し前進している実感があります。「食物残渣→堆肥化→農業→直売所→消費者・観光業者→食物残差→堆肥化…」という循環をできるだけ太くしていくためには、どうしたら良いのか、どのような仕組みが必要なのか、いろいろ検討しています。

■こういうSDGsにもつながる地域課題を少しでも解決していきたいのですが、頭が痛いことが多々あります。社会の制度や法律が、根本のところで、大量生産・大量消費型の一方通行に適応した形になっていることです。この一方通行を、どれだけ循環型に切り替えていくことができるのか。とても大切なことだと思っていまするのですが…。大量生産・大量消費=安い・便利・簡単…ということから、地域循環=大切だ・おもしろい・やりがいがある・かっこいい…という方向に少しずつ替わっていったらよいなあと思っています

今日のTV番組「新移住時代」「流転!足利義満が愛した秘宝」

20220817ijyushinjidai.png■本日、個人的にはですが、興味深い番組が放送されます。「地域再生・地域づくり」、「琵琶湖」に関連しています。

■ひとつめは、見逃してしまい視たかった番組「クローズアップ現代」の「移住新時代 過疎地域にチャンスあり」です。関西では、今日の夕方に再放送するようです。NHKBS1で17時半からです。

今、都市から過疎地へ移住する若者が増えている。最新の国勢調査によると過疎市町村の半数近くで20代後半から30代の転入者が転出者を超えた。リモートワークを活用し転職せずに移住したり、町の支援策を使って資金150万でパン屋を開業したり、農業で売り上げ1千万を目指す若者が現れたりと、新たなトレンドが。チャンスの少ない都市を脱し、人手の足りない過疎地で暮らし始める若者たち。可能性と価値観の変化を見つめる。

■昨年度に引き続き、今年度も滋賀県高島市で受託研究に取り組むことになっています。取り組むテーマは、関係人口、人口、移住者、移住者の定着過程と受け入れの仕組み等々です。参考になる部分があるかもしれません。期待しています。

20220817syousouhakkei.png■もうひとつの番組は、今晩20時からBSプレミアムで放送される「英雄たちの選択」です。今晩は、「流転!足利義満が愛した秘宝」です。滋賀の「近江八景」は、中国の「瀟湘八景」に倣ったもの。その「瀟湘八景」が、足利義満、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康といった時の権力者に深く関係していたことを知りませんでした。「瀟湘八景」については、京都国立博物館の解説をお読みください。

今回の番組の主人公は、歴史上の人物ではなく、水墨画の最高傑作といわれる「瀟湘(しょうしょう)八景図」。室町将軍足利義満が愛した秘宝の数奇な運命をたどる。

絵巻は、その後切断され、流転していく。信長や秀吉、家康といった天下人の手に渡り、茶道の大名物(おおめいぶつ)として珍重された。江戸期にはいると、将軍吉宗が、江戸ルネサンスの文化の象徴として、各藩に分散しているこの絵巻を一堂に集めようとした。絵巻の流転の歴史から見えてくるのは、一枚の絵巻に託された権力者の飽くなき欲望とそれに振り回された悲喜こもごもの物語である。

■「近江八景」のもとになった「瀟湘八景」、現在の中国ではどのような状況になっているのでしょうね。状況というのは、実際の景観がどのようなものなのか、加えて、「瀟湘八景」のひとつであることをそこに暮らしている人たちがどのように捉えているのか…ということです。気になってネット上で調べてみましたが、まあわかりませんね。

朽木の河原仏

■2011年の春に卒業した坂本昂弘くんのルーツは、現在の高島市朽木にあります。その坂本くんの叔父様である坂本Kyojiさんがfacebookに投稿されました。お名前がローマ字になっているのは、漢字を存じ上げないからです。すみません。今度、お会いしたらお聞きしておきます。坂本くんや坂本家のことについては、こちらをお読みいただければと思います。スマホやタブレットでは、おそらくご覧いただけないかと思います。坂本さんは公開されておられますので、リンクを貼り付けておきます

朽木古屋「六斎念仏踊り」の復活

■坂本家は今も朽木にある先祖伝来のお宅を大切に維持されて、お盆の行事もなさっておられます。そのようなお盆の行事のひとつがこの河原仏です。こうやって、各家の男たちが川辺で精霊送りのための河原仏を作ることになっているのです。雨が降ったら、石を積んだだけの河原仏は流されていくことになります。

■以下は、「朽木古屋の六斎念仏踊り 滋賀県選択無形民俗文化財」というタイトルのついた動画です。この動画には、以下の説明が付けられています。この動画の最後に、河原仏を作っている様子をご覧いただけます。

「滋賀県高島市、朽木古屋地区にて受け継がれてきた念仏踊り。かつては集落のそれぞれの家を廻って踊られていたものの、過疎化によって2012年を境に途絶えた。2016年、途絶えていたこの芸能を、武田力、タカハシ’タカカーン’セイジなど7名のアーティストが習い、地元の高齢者とともに復活させた。
翌15日朝には河原に六地蔵を設える「河原仏」という儀式が行われる。」

作田祥介くんとの再会

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20220803sakuata3.jpg ■ずいぶん昔に、私の大学院のゼミにモグリ院生で来ていた作田祥介くんが、徳島県の神山町から会いに来てくれました。京都に来る予定があったらしく、そのついでに会いたいと大津までやってきてくれたのでした。一昨日の晩、作田くんと一緒に、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」で夕食をとりました。作田くんとの出会いについては、このブログの記事をお読みいただければと思います。

■作田くん、以前は、東京の「青山ブックセンター」に勤務されていましたが、その後は徳島に移って「一般社団法人神山つなぐ公社」に勤務されていました。現在は、フリーランスの立場で地域づくりの活動に取り組まれています。「大切なことだな〜」と共感する素敵なお話しをたくさん聞かせていただきました。ありがとう。頑張っていますね。話を聞いていて楽しかったな。作田くんの活動の拠点になっている神山町に、ますます行ってみたくなりました。また、作田くんと会ったことを、共通の知り合い(長谷川くん、遠藤くん、末松くん)にfacebookのメッセンジャーで知らせてみました。作田くんと同級生の皆さんです。彼らが、作田くんとの出会いを作ってくれたのでした。彼らともずっと会っていませんね。ということで、今度は彼らも一緒に「呑もう」ということになりました。楽しみです。

■2枚目の写真ですけど、作田くんが私のゼミにやってきていた頃のものです。2007年に、社会人院生の皆さんと一緒に「利やん」で宴会をした時のものです。おそらく、作田くんが京都大学大学院で修士号の学位を取得したお祝いかな。この時も、焼酎の一升瓶をキープしたので、記念に写真を撮ったわけなんです。写真を見ると、作田くんはあまり変わっていませんが、私は、15年間でずいぶん変化して完全に老人になってしまいました。ちなみに、一昨日の晩も、新しい一升瓶をキープすることができました。良いタイミングでした。ということで、1枚目の写真が一升瓶にぶら下がることになります。

エンパワねっとでまち歩き

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■土曜日は朝から、「社会共生実習」の「地域エンパワねっと・大津中央」。大津中心市街地のまち歩きを実施しました。
今年履修している学生は9名。最近のこの界隈の地域課題を理解しながら、高齢者をテーマにしたグループと、子どもをテーマにしたグループ、2つのグループに分かれて、これから街中で地域の皆さんと活動に取り組んでいきます。

■学生の皆さんが、地域の皆さんといろいろ相談をする場所は中央市民センターになります。中央学区の公民館です。今日、中央市民センターを訪問すると乳幼児が親子で遊ぶことのできるおもちゃライブラリー「めだか」が開催されていました。お世話されている下清水さんに、学生の皆さんとご挨拶に伺いました。「めだか」の様子も拝見させていただきました。ありがとうございました。街中にマンションが続々と建設され、お子さんのおられるご家族が転入されているせいか、大変盛況でした。

■玉屋町に着いた時、偶然に岩崎博さんにお会いして、大津祭の曳山・湯立山の蔵を見学させていただくことができました。貴重なカラクリの人形も間近に拝見できました。トップの写真が、カラクリの人形です。岩崎さんありがとうございました。2枚目の写真は、岩崎さんとエンパワの学生の皆さん。YouTubeに湯立山のカラクリの様子がわかる動画がありました。以下のものです。

■ 「大津祭曳山展示館」にもお邪魔しました。事務長の加藤さんから大津祭の解説をしていただきました。ありがとうございました。エンパワの学生たち、今年の大津祭を楽しみにしています。「大津百町館」では、野口さんにお世話いただきました。学生の皆さんは、町家の雰囲気を、若者の感性で味わっていました。野口さん、ありがとうございました。

■今日は、中央学区のたくさんのみなさんのお世話になりながら、3時間半ほど歩きました。今日は、学生の皆さんの活動エリアからは離れますが、長等商店街や、かつて遊郭のあった柴屋町の界隈も歩いてみました。歩数にして7,000歩ほど。距離にしても大したことないのですが、普段あまり歩いていない人たちには、けっこうキツく感じられたようです。仕方ないな〜。大津の中心市街地には、どんどん変化して行く部分と街の履歴を持続させようとする部分、その両方が混在しているわけですが、学生の皆さんは、そこから何を感じ取ったでしょうね。この後は、深草キャンパスに移動して、龍谷大学吹奏楽部のOB総会に出席いたしました。

夏の琵琶湖


■ああ!これ琵琶湖なんだ。日本ではない、どこかアジアの南国のようです。雰囲気としては台湾…かな。

お寺の掲示板

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■先週の土曜日、地域連携型教育プログラム「社会共生実習」の「地域エンパワねっと・大津中央」の学生2人と、午後から大津の中心市街地をまち歩きしました。まち歩きのことについては、ひとつ前の「『地域エンパワねっと・大津中央』でまち歩き」に投稿しましたが、そのまち歩きの途中で見かけたこのお寺の掲示板のことについて、投稿させてください。

■掲示板には、「『努力の賜』か『努力は賜』か」という、この掲示板のお寺、永順寺のご住職が書かれた言葉が掲示してありました。これは、奥が深いと思いました。一見、似ているのですが、前者と後者では、真逆ですね。前者「努力の賜」は、「この成果は、自分が努力したからだ」という意味になります。ここで、メリトクラシーという概念が頭に浮かんできます。前近代の社会では、どういう家に生まれたのかとか、どういう社会的出身なのかということによって、その人の地位は自動的に決定されていました。ところが、近代社会になると個人の努力によって獲得された業績(メリット)により自分自身の地位が決まってくるようになります。また、そのようなことが近代社会を形作る上での原理として機能するようになります。社会の多くの人びとが、そのような業績に基づいて地位が決まっていくことを正しいこととして受け入れるようになります。

■でも、そのようなメリトクラシーに多くの人びとが疑問を感じるような状況が生まれてきます。特に大人にまるまでの学校の中で、どのよな家の生まれだとか、どういう社会的出身だとか、そういうことに関係なく努力で地位を獲得できるのではなく、そのような意味で社会がより平等になっていくことではなく、逆に、社会的不平等や格差の世代が超えて生み出されていくという再生産理論が登場することになりました。

■このお寺の掲示板の後者、「努力は賜」は、「自分が努力して、そのことにより業績をあげられと思っているかもしれないけれど、それはあなたが周りの皆さん、そしてすでに亡くなった人たちにに支えられてきたからだ」という意味で書いておられるのかなと思います。でも、そういった「感謝」の気持ちとして理解するだけでなく、「努力できるって、結局、親から子どもへの教育投資、金があるかどうかできまってくる」ということになると、それは教育格差の問題になります。再生産理論が社会を批判的に捉えるのと同じような意味で、この「努力は賜」を解釈することが可能になるのかもしれません。「『努力は賜』であって、あなたがもし努力できたとしても(=努力の賜)、それはあなた自身の能力というよりも、経済的・文化資本的を背景に、上の世代から努力できる環境や条件をたまたま与えられたからなのですよ」ということになります。そう気がついた時に、その人は、次にどのように振る舞うべきなのか。掲示板にはそのように書いてありませんが、暗に、人びとに問うているような気がするのです。

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