後期の出勤時間
▪️後期の授業は、火曜日、木曜日、金曜日が1限から授業があります。9時15分スタートだけど、少し早めに到着しようと思うと、自宅を7時45分に出発しないといけないのかな。水曜日は2限に授業があるので、その準備もあるし、水曜日も含めて毎日7時45分に出勤できるように調整します。まあ、世の中一般からすれば、これ普通のことですよね。いやいや、うちの近所から大阪まで出勤される方たちは、7時すぎの電車に乗っておられます。でも、私としてはちょっと辛い感じです。風呂を掃除したり、庭に水を撒いたり、弁当を作ったり、朝食作って後片付けしたり、6時に起床しないと間に合わないようなきがします。身体の感覚を変えないと…。
▪️さて、そういうわけで後期から火曜日1限に授業があるのですが、自覚が足らないので、その時間帯に定期健康診断を申し込んでしまいました。今日、慌てて、保険管理センターに電話をして2限に変更してもらいました。後期の授業は、9月19日(金)からスタートします。
関西学生アメリカンフットボール
▪️関西アメリカンフットボール第2節。同志社大学ワイルドローバーズvs 関西学院大学ファイターズの試合です。母校ファイターズが快勝しました。動画はハイライトですが、安心して視聴できました。力強さを感じました。ところが、力強さを感じた…というのは素人の思いで、監督や主力選手はそうは思っていないようですね。厳しいのですね。この「スポーツ報知」の「関学大、6TDで45得点の快勝も大村和輝監督『準備の仕方が甘いなと私は痛感した』」という記事です。
▪️昨年は、母校ファイターズは、関西学生アメリカンフットボールリーグでは、立命館とともに優勝し、関学、立命館、関大が、その後の「全日本大学アメリカンフットボール選手権」に出場しました。母校は準決勝で法政大学に敗れて、決勝の「毎日甲子園ボウル」にコマを進めることができませんでした。昨年の甲子園ボウルは、法政大学と立命館の対戦になりました。結果、立命館大学が優勝しました。ここ四半世紀は、西高東低の傾向があり、関西の大学が優勝することが多いわけですが、今年はどうなるでしょうか。
深草キャンパスの図書館
▪️一昨日は、すでに台風は関西を通り過ぎていましたが、自宅で仕事をすることにしました。そして、昨日は出勤。瀬田キャンパスの図書館から取り寄せていた琵琶湖総合開発関連の書籍を受け取りに行きました。禁帯出なので、必要なところを必死になってコピーしました。夏期休暇中ですので、館内の利用者はちらほら程度。図書館の公式サイトに出てくる混雑状況は3%でした。この混雑状況ってどうやって調べるのでしょうね。図書館内にある全部の座席数と利用者の割合なのかな(知らんけど…)。
▪️昨日は、閉架書庫にもずいぶん昔に出版された書籍を探しに行きました。すると、閉架書庫に入る少し前のテーブルに座っている方がおられました。私よりも年上の男性です。Tシャツに半袖のシャツを羽織って、下は半ズボン。夏らしいスタイルです。あまりジロジロ見るわけにはいかないのですが、机の上には辞書も置いてありました。勉強されています。以前、閉架書庫に入る前に、同じ場所に座っておられました。定年退職された元教員の方でしょうか。確か、名誉教授は図書館が利用できたと思いますので。
▪️もうじき、定年退職ですけど、定年後は私もこうやって図書館を利用するのかなと…ふとそんなことを思いました。でも、私はそんなに勉強家ではないので、どうでしょうかね。
来年4月から自転車のルールが変わります。
▪️来年の4月から、自転車の交通ルールが厳しくなるようです。全国都道府県の警察が、ネットでその情報を発信しています。勤務先のある京都市、自転車の台数が多いように思っています。歩道をビュンビュン走る自転車も多いように思うのですが、どうなるでしょうね。原則、自転車は車道を走らなければなりません。歩行者は助かりますが、自転車に乗る立場であれば、歩道が走れなくなると、車道で走らなければならないので怖いでしょうね。自動車を運転する立場であっても、自転車が前をふらふら走っていたりすると怖いでしょうね。この交通ルールが社会の中で常識化するまで、いろいろ混乱があるのではないかと思います。
▪️それぞれの大学は、どう対応していくのでしょうか。学生個々人の自己責任で対応してくださいとするのか、大学としても啓発や講習会等の開催をしていくのか。個人的には、地域社会との関係もありますし、大学としても対応していただきたいと思います。京都市は学生さんが多い街ですし、自転車を利用されている方たちも多いので。どうなっていくのでしょうね。市内の大学が、お互いに協力しあって、何か対応した方が良いと思うのですが。あくまで個人的な意見ですが。ひょっとして、すでに対応されていたりして。
びわ湖の日 滋賀県提供 公開講座
▪️「びわ湖の日(7月1日)」にちなみ、滋賀県と龍谷大学の提携による参加無料の公開講座を3回実施されます。その最終回の担当をご指名いただきました。講演のタイトル、主催者側からご提案いただいたものを少しだけ修正させていただきました。場所は、深草キャンパス。研究室のある聞思館の東側にある慧光館になります。対面とオンラインの両方です。
▪️この日は、ちょうど龍谷祭という大学祭をやっている日なんですよね。まあ、教員で大学祭を楽しんだという経験はありませんが。以前は、この公開講座で、これもリクエストがあったからだと思いますが、「世界農業遺産」についてお話をさせていただきました。今回の講演にも、少しだけ世界農業遺産の話をさせて頂こうと思っています。
津田松苗さんの『汚水生物学』
▪️古本で入手しました。昨日投稿した津田松苗さんの『汚水生物学』(1964年)。もともとは、財団法人日本醤油研究所の蔵書だったようですね。この日本醤油研究所って、醤油製造等に関する技術の研究・指導を主目的としている財団法人だったようです。設立は、1958年11月7日。今は、財団法人日本醤油検査協会と統合して財団法人日本醤油技術センターになっています。どうしてこの『汚水生物学』が日本醤油研究所の蔵書だったのか、なんとなく想像できます。まあ、想像でしかないのですが…。
▪️下水道が普及していない頃、工場廃水は河川にながされていました。もちろん、家庭排水もです。『汚水生物学』の「はしがき」には、こう書かれています。
近年年の膨張、工業の発展とともに河川の汚濁はまことにいちじるしい。水質汚濁の研究、汚水処理の研究がさかんになってきたのももっともである。
ところがこれらの問題には生物学的な知識がきわめて必要なのである。この点徐々に理解されてききているが、まだまだ不十分である。
▪️汚水と生物、どのような関係にあるのかといえば、水域にいる生物の種類によって水質がどの程度なのかだいたい検討をつけることができるのです。環境学習で勉強する指標生物も、同じことなのだと思います。2つめは、汚濁した水も川を流れていくうちにきれいになっていきます。三尺流れれば水清しといいますよね。でも、その過程では、有機物を無機化する時に生物が関与しています。3つめは、下水処理で汚水を浄化するのも生物です。(1)生物学的水質判定、(2)自然浄化、(3)汚水処理にとって、生物の存在や働きが重要だと津田さんは述べておられます。汚水生物学は、下水道などのインフラが整備される以前の、高度経済成長の社会状況にぴったりの分野ということになります。
▪️『汚水生物学』のなかでは、家庭排水に含まれる合成洗剤が下水処理場を通過したあとも、分解されずに下流で泡立ちが起こる(泡公害)ということも書かれています。また生物学的水質判定の事例として、龍谷大学のある伏見区の河川(琵琶湖疏水と新高瀬川)のことも書かれています。「その流域は人家密集し、大量の家庭下水が排出され、一方醸造工場、その他の工場も多数あって、主として有機排水を出す。したがって川はかなり汚染された様相を呈している」。いまでは想像しにくいかもしれませんが、私が子どもの時の、つまり高度経済成長期真っ只中の頃の川って最悪でしたからね。川のなかには、白いもやもやした塊がゆらいでいました。バクテリアです。『汚染生物学』の脚注に京都の街中や、山崎から枚方までのあいだで、このバクテリアがみられることが書かれています。
▪️で、話は財団法人日本醤油研究所に戻るのですが、全国の醤油工場からでる河川に流される廃水のことを気にしてこの本を購入されたのではないのかなと…まあ勝手に想像したのです。ちなみに、『汚染生物学』の第8章「湖の汚染と富栄養化」は、昨日投稿した『自然保護』(昭和38年(1963年)2月)に執筆された「湖の富栄養化を防ごう」と同じものでした。
酷暑のなかの出勤、琵琶湖の富栄養化に関す勉強メモ
▪️夏期休暇中ですが、昨日も出勤しました。今日は、まだましですが、昨日は本当に暑かったです。仕事に必要な資料は、そのほとんどを研究室に置いているため、超暑い日が続いていますが、毎日出勤しています。先週は集中講義でしたから、なんだか夏期休暇といっても、授業がないだけで休暇気分にはなりません。普通に事務仕事もありますし。昨日は、偶然、ひさしぶりに同僚と少し話をすることができました。嬉しかったです。でも、多くの同僚はこの暑さ中、大学までやってくることはないのかもしれません。
▪️そんな冴えない夏期休暇ですが、重装備で出勤しています。麦わら帽子をかぶって、メガネの上からオーバーサングラス(TALEX)をして、日傘(mont-bell)をさして、こうするとまあまあ安心ですかね。私は、症状は出ていませんが少し黄斑上膜らしく、定期的に検査を受けています。ということで、紫外線で悪化していかないようにメガネの上からオーバーサングラスをかけています。日傘も紫外線避けのやつだと思います。日差し対策ではありませんが、骨伝導のイヤフォン(shokz)もしています。これは、暑さをまぎらわすためですかね。
▪️以下は、今日、勉強していることのメモ…みたいなやつです。先週の集中講義で、琵琶湖博物館学芸員の芳賀さんから、講義でいろいろ教えてもらいました。そのひとつが、「琵琶湖の富栄養化に関して、いつ頃から研究者が気がついていたのか」ということです。芳賀さんから教えていただいた研究者は、津田松苗さん(1911-1975)でした。陸水学や水生昆虫の専門家なのだそうです。彼が日本自然保護協会の機関誌『自然保護』に「湖の富栄養化を防ごう」という短文を書いておられます。この機関誌は、昭和38年(1963年)の2月に発行されたものです。その頃に、琵琶湖の南湖の富栄養化の問題を指摘されているのです。スイスのチューリッヒ湖が富栄養化したという話の次に、琵琶湖の南湖の富栄養化を指摘されています。以下は、その部分です。
わが琵琶湖でも、堅田以南の副湖盆における最近十数年間の富栄養化は極めて激しい。湖南部周辺の人家、工場の激増による汚水流入のためである。湖底には腐泥が沈積し、いままでは極めてわずかであったユスリカ幼虫が大量に発生し(羽化した成虫は周辺の人家に集来する)、湖岸近くの岩石には汚水菌の集落がべっとりと着いている。水色ももちろん悪い。京都市の上水道取入口がその最も汚染の激しい地域にあるのも気にかかることである。
(副湖盆とは南湖のことです。北湖は主湖盆)
▪️湖は自然に放置しても徐々に富栄養化の道をたどります。浅い湖だと思いますが。ただ、そのスピードはかなりゆっくりで、数千年から数万年という長い時間になります。ところが、人間が汚水を流すとあっという間に富栄養化していくことになります。下水と工業廃水によってスイスのチューリッヒ湖のばあいだと50年のようです。このような人間が大きく影響している富栄養化対策として、津田さんは下水処理が必要だと主張されています。それも、「下水有機物の無機化よりさらに一歩進め、無機栄養塩類の除去までやらないと本物ではない」と主張されています。現在行われている三次処理・高度処理のことですね。
▪️津田さんはこう書いておられます。「そして突然湖水に水の華が生じるようになる。一般の人が『湖が変わった』ことに気づくのはこの時期である。あとは、わずかな年月のうちに、湖の爽やかさが失われていく」。津田さんは、1975年に63歳でお亡くなりになりました。その2年後、琵琶湖には淡水赤潮が大発生することになりました。もし、その時も津田さんがご健在だったらどのような発言をされたでしょうね。淡水赤潮が大発生することで、津田さんが書いておられるように、多くの県民も琵琶湖に異変が発生していることに気が付きました。ちなみに淡水赤潮も水の華の一種です。
▪️この淡水赤潮の大発生により、りんを含む合成洗剤に替えて粉石けんを使おうという「石けん運動」が県民運動として展開していきました。もともとは、合成界面活性剤による健康障害を問題視する消費者運動でした。ただし、滋賀県内でこの運動に懸命に取り組んだ女性たちは、富栄養化により淡水赤潮が大発生したのちは、健康障害と琵琶湖の富栄養化の問題は繋がっていると解釈していました。消費者運動ですから、まずは企業の販売戦略に乗せられて合成洗剤を使い続けて健康障害が起こす人たちがいることを問題視します。そして、加えて今度は潜在に入っているりんで富栄養化が進み、淡水赤潮が大発生した。そのように解釈されていたのです。運動で目指すのは、健康も琵琶湖も取り戻そうということになります。それに対して、県にとって問題なのは富栄養化です。スローガンは「多少不便でも石けんを使いましょう」。富栄養化を引き起こした洗濯用の有りん合成洗剤を使ってきたことを反省し、「多少不便を感じながらも石けんを使う」ということが強調されることになります。
▪️「石けん運動」の持つ消費者運動という側面と、富栄養化を防ぐという環境運動という側面との間でネジレが生じています。加えて、「石けん運動」には、県民が自ら頑張ったという部分と、行政が運動を背後から推進していったという部分の両方があります。このネジレと両方があるという点、私にとっては大変重要に感じるところなのですが、そのことは今は横に置いておきます。
▪️当時、洗剤メーカー側が猛烈な反対運動を滋賀県内で展開したわけですが、そのことが逆に「石けん運動」に火をつけることになりました。結果、石けんの使用率は高まっていきました。そのような世論の動きを背景に、「滋賀県琵琶湖の富栄養化の防止に関する条例」(琵琶湖条例)が制定されることになりました。また、間接的、あるいは結果としてかもしれませんが、その時点で進んでいた琵琶湖総合開発という国家プロジェクトにも影響を与えたのではないかと思います。1981年の改訂時に、水質保全に寄与する農業集落排水処理、畜産環境整備、ごみ処理、水質観測の4つの事業が追加されています。そもそも、1974年に滋賀県知事に当選した武村正義さんは、選挙中から、前知事の野崎欣一郎さんが進めてきた琵琶湖総合開発の見直しを公約にしていました。ということで、総点検していました。
▪️さて、そうなりますと、淡水赤潮を発生させた富栄養化に関して、行政はどのように認知していたのかが気になります。1971年に水質汚濁防止法の施行に伴い、県の水質審議会に、「水質汚濁にかかる排水基準等について」の諮問を行いました。1973年には答申が出され、「滋賀県公害防止条例」が制定されました。その答申のなかには、県の水質審議会は「琵琶湖の富栄養化が進行しつつある状況から、今後、窒素、りん等の規制について検討を行うべきである」との付言がありました。富栄養化を公害防止と同一レベルのやり方では対処できないということでしょう。答申の付言ではありますが、このあたりから、県としても富栄養化問題に取り組まねばと考えていたように思います。水質審議会に「言われたから」ではなくで、水質審議会に「言ってもらう」というのが実態に近いのではないかと思いますが、どうでしょうか。審議会とは事前相談を十分にしていると思いますし。
▪️そして1975年、1974年に知事に就任した武村正義さんは、県の水質審議会に対して、「窒素、燐および陰イオン界面活性剤の規制はいかにあるべきか」を諮問しています。その公文書では、りんや窒素だけでなく、陰イオン界面活性剤、つまり合成洗剤もとりあげられています。こう書いてあります。「また陰イオン界面活性剤についても近時毒性等の面からその影響が懸念されています」。ただ、この諮問に対して議論を行なった規制基準部会や専門小委員会では、りんや窒素に関して議論していますが、懸念されているという陰イオン界面活性剤そのものの毒性等については議論された形跡がみあたりません。もちろん、合成洗剤にビルダー(助剤)として入っていたりんについては議論の対象となっていますが。なぜなんだろう。
▪️そのことはともかく、この時の水質審議会の委員に岩井重久さん(1916-1996)という方がおられます。岩井さんは、社団法人土木学会が発行している『琵琶湖の将来水質に関する調査報告書』(昭和44・45・46・47年度、4冊)の委員長もされていました。初年度は、昭和44年ですから、1969年になります。これは、建設省近畿地方建設の委託研究です。委託されて土木学会衛生工学委員会として、琵琶湖の富栄養化に関する研究を進めることになったのです。岩井さんは、この委託研究の委員長です。
▪️45・46年度版の報告書では、「3.汚水および汚濁負荷(発生量の現況と将来予測)」のなかで、「家庭生活により窒素、リン負荷の発生量、原単位」、「合成洗剤によるリンについて」、「家庭下水による負荷量の計算」という記述があります(どういうわけか、まったく同じ内容と文章)。もちろん、家庭だけではなく、家畜や工業による窒素・りんの発生量、それから肥料に基づく窒素・りんの流出量に関する記述もあります。社会学しか勉強していないので、どこまでこの報告書を理解できているのか、できたとしても一部になりますから不安なんですが、全体として理解できることは、建設省は、琵琶湖についてもその富栄養化の対策が必要だとの判断をしていたということです。
▪️滋賀県も、1972年(昭和47年)に、琵琶湖環境保全対策を策定するなかで、合成洗剤の問題をとりあげています。界面活性剤が下水処理に及ぼす影響、さらには「添加剤として用いられるりんによる湖の富栄養化等」を問題視しています。そして、「家庭からの排水量そのものを減少させる意味で節水の思想の普及と合成洗剤使用削減運動を強力に展開する。一方、基本的には、りん含有量の規制、さらには全く新しい無害洗剤の開発を、国、製造業界に要請する」となっています。
▪️合成洗剤に替えて石けんを使おうという「石けん運動」と「合成洗剤使用削減運動」とでは同じ運動でもまったく中身が違っています。しかも「新しい無公害洗剤」とは無りんの合成洗剤のことだと思います。問題にしているのは、富栄養化なのですから。ただし、行政が「運動」ということを視野に入れて対策を考えているという点が気になっています。下水道という技術による解決を待っていては間に合わない。下水道が普及するのには時間とお金がかかる、ということなのでしょうか。国の問題意識と県の問題意識は、どう関係しているのかなと気になります。おそらく、琵琶湖の富栄養化が進行していることは認識は共有していたはずです。さて、琵琶湖博物館の芳賀さんは『淀川百年史』という本も勧めてくださいました。琵琶湖総合開発の考え方が書かれているということを教えてもらいました。瀬田キャンパスの図書館にあったので、取り寄せることにしました。今日、届きました。今日は、『淀川百年史』を確認しながら、読み進めました。琵琶湖総合開発に関して、次のような記述がありました。
琵琶湖総合開発の主な柱として、滋賀県により昭和43年8月に作られた「琵琶湖総合開発の基本的な考え方(第一次案)」においては治水、利水、地域開発の3つをあげていたが、46年2月に作られた「琵琶湖総合開発計画の基本方針(案)」では、保全、治水、利水の3本柱となり、琵琶湖の自然環境、水質の保全というものが表面に押し出されてきた。
その後も特に琵琶湖の水質悪化が大きな問題となり、ますます保全の重要性が強調されるようになって琵琶湖総合開発の基本方針になった。
▪️昭和46年は1971年です。野崎欣一郎知事の時代です。「その後も特に琵琶湖の水質悪化が大きな問題となり」というのは、淡水赤潮の大発生がその代表のように思います。武村正義知事の時代、昭和52年、1977年のことになります。でも、どういう経緯で、基本方針が変化したのか、そのあたりの国と県のやり取りを知りたいとおもいました。諏訪湖など浅い湖では、琵琶湖よりも先に富栄養化が進んでいましたし、湖沼の水質問題については保全を入れないわけにはいかない状況が生まれていたのだろうと思いますが…。琵琶湖総合開発は、下流の自治体が、琵琶湖の水を使うかわりに、滋賀県のために負担金を出すという仕組みになっていますし、「水量」だけでなく「水質」も維持しなければ…ということなのだと思います。もう少し勉強してみます。
ひさしぶりに亀甲さんと
▪️昨日の朝、近畿大学水産学部に勤務されている亀甲武志さんから、スマホのショートメールで連絡がありました。滋賀県庁で会議があるので、会議が終わった後「利やん」一緒に飲みませんかというお誘いでした。もちろん(^^)とお受けしました。亀甲さんは、以前、滋賀県庁で水産技師をされていました。水産試験場で研究をされていたのです。滋賀県が世界農業遺産にチャレンジされたときに、私は申請をサポートする仕事をしていたのですが、その時に、亀甲さんと知り合いになりました。申請チームのお1人でした。また、総合地球環境学研究所のプロジェクトでもご一緒しました。
▪️昨日はひさしぶりに亀甲さんとじっくりお話ができました。環境保全に向けての、私の基本的な考え方についても、環境ガバナンスについてお話させて頂きました。きちんとご理解、納得していただき、ありがたかったです。私は、亀甲さんの、地球温暖化とイワナの生息域に関するお話にとても関心を持ちました。こういう呑み会から、新しい研究プロジェクトが生まれてくるといいんですけどね。亀甲さんからは、今朝、や晴れショートメールでメッセージが届きました。「昨日はありがとうございました!とても楽しかったです!またよろしくお願いいたします!今度はIさんやOさんたちもお誘いします!」。IさんとOさんは、世界農業遺産関係の仲間です。で、昨晩、亀甲さんとはLINE交換すればよかったなと。また、今度ね。
420,000アクセス感謝
▪️本日の朝、アクセスカウンターが「420,000」を超えました。皆様、ありがとうございます。「410,000」を超えたのは今年の7月4日ですから、アクセスカウンターが10,000増えるのに、60日かかりました。予想よりも、少しだけ早く「420,000」に到達しました。
▪️アクセス数が10,000増えるたびに毎度毎度書いていますが、たまに社会学っぽいこと、環境っぽいことも書いてはいても、基本は身辺雑記でしかありません。人生の日々の記録です。ライフログ。また、facebookへの投稿とほぼ同じ内容です。ただ、一人の大学教員の日々の出来事や気になったことを書いているだけです。役に立つ情報はほとんどありません。それにも関わらず、ご覧いただけることをありがたいと思っています。心より感謝いたします。これまたいつもと同じような感謝のご挨拶になりますが、ご容赦ください
訃報
▪️勤務している龍谷大学の名誉教授のN先生。現役の教員時代は、親しくお話しをさせていただきました。今は休眠中ですが、職場に設立した「兵庫県人会」にもご参加いただいていました。写真を撮るのがお好きだったように記憶しています。facebookにも投稿されていたのですが、ひさしく投稿をお見かけしなくなっていました。今日、そのN先生が亡くなられたという訃報が届きました。先月亡くなられたのだそうです。まだ、71歳ですよ。早すぎますよ。
▪️とはいえ、同じ年齢の人びと、男性の場合ですが、75歳までに1/3がなくなるのだそうです。そして平均寿命までに1/2の方が亡くなるのだとか。私の同級生、高校時代の同級生ですが、先日も訃報を伝え聞きました。びっくりしました。少しずつ同級生は減っています。これが現実なのだと思います。私も、自分が知らないだけで、いつ人生を終えるのかわかりません。そのことを前提に、しっかり生きていくことが大切なのだろうなと思います。月1回、糖尿病のチェックをするために、血液検査をしています。一病息災と言いますが、自分の体調の変化に敏感であろうと思います。