日本の年次・性・年齢別人口ピラミッド
■「日本の年次・性・年齢別人口ピラミッド」という動画を偶然見つけました。1920年(大正9年)から2065年までの人口ピラミッドの変化がよく理解できます。こうやって刻々と変化していく人口ピラミッドを眺めていると、日本の将来に対してリアルな感覚を持つようになります。この動画がいつの時点でまとめられたものかわかりませんが、もちろん、将来のことは推計値になります。こうやって変化を見ていくと、日本の行末がどうなるのか、不安になります。
■動画の始まりである1920年(大正9年)頃は、人口ピラミッドは富士山のような形をしています。総人口は「55,963,000人」(5千5百96万3千人)。正確な数値はわかりませんが、戦前は平均余命が50歳以下になります。私は人口問題に関して深い知識をもっているわけではありませんが、衛生面での知識が普及する以前、水道や冷蔵庫が普及したり医療の発達する以前は、人は簡単に死んでいたのではないかと思います。子どが生まれたからといって、健やかに成長してくれるとは限りません。たくさん生まれるけれど、たくさん死んでいく…ということになるのかな。裾野の広がる人口ピラミッドの背景には、そのような社会の状況があります。私の母の場合、兄弟姉妹は4人生まれたわけですが、そのうち2人は小さい頃に亡くなっています。おそらくは、当時の一般の人びとの「死生観」も、今とは大きく異なっていたと思います。そのような「死生観」は、「人は簡単にあっという間に死んでいく」という感覚とともにあったと思います。
■1920年の大正時代から昭和時代に移行すると人口は増加していきます。人口ピラミッドも富士山のような形のまま増加していきます。しかし、その富士山が崩れる時があります。第二次世界大戦で、若い男性の国民が徴兵され戦死されたたからです。人口ピラミッドの男性の側、20歳から30歳までのところがえぐれるような形でへこみます。恐ろしいです。しかし、そのへこみも第二次世界大戦後には回復していきます。それと同時に、一番下の年齢層が急激に増加していきます。第一次ベビーブームです。
■この動画では、その後、1967年頃に総人口が1億人を超えます。1970年代に突入すると前半で再び一番下の年齢層が急激に増加します。第二次ベビーブームです。第一次ベビーブームの子どもの世代です。しかし、第一次ベビーブームほどではありません。第一次ベビーブームの頃、合計特殊出生率は「4.3」でしたが、第二次ベビーブームの頃は「2.14」になっています。とはいっても、このままいくと、次の世代で子どもが生まれると「第三次ベビーブーム」が起きてもおかしくありません。しかし、現実にはそうはなりませんでした。一貫して合計特殊出生率は減り続けました。第一次と第二次の間、高度経済成長の期間中で、一瞬ドスンと合計特殊出生率が減った年がありました。1966年です。合計特殊出生率は「1.58」になりました。なぜ減ったかというと、この年は歴でいう「丙午(ひのえうま)」にあたる年でした。「丙午に生まれた女性は気性が激しく夫の命を縮める」という迷信があったためです。今の学生の皆さんは信じられないかもしれませんが…。
■で、第三次ベビーブームについてですが、第三次ブームが起きてもおかしくない2000年になっても、やはり合計特殊出生率は減り続けました。2000年の合計特殊出生率は、「1.57」です。「丙午」の「1.58」よりも低くなってしまったのです。「1.57ショック」と呼ばれています。未婚・晩婚化だけでなく、その背景にあるのは経済問題が重要です。細かな違いまで視野に入れると様々な主張があるようですが、ここでは、教育社会学者の舞田敏彦さんの解説をご紹介しておきます。「来なかった第3次ベビーブーム」です。
■動画に戻りましょう。2008年の1億2,808万人をピークに、日本の人口は減少に転じていきます。そして、2020年になると、つまり来年ですが、第一次ベビーブームの人たちが「70歳〜74歳」になり、第二次ベビーブームの人たちは「45歳〜49歳」になります。このあたりからは推計値です。当たり前と言えば当たり前ですが、第一次ベビーブームの世代の皆さんは、少しずつ人口が減っていきます。そして、2030年頃には消えていきます。お亡くなりになると考えられるからです。私はこの第一次ベビーブームの人たちよりも約10歳若い世代ですが、私の世代もやがて消えていきます。第二次ベビーブームの世代の皆さんはどうかというえば、2050年頃を境にピークが曖昧になりやがて消えていきます。この頃の人口ピラミッドは、棺桶のようです。棺桶といっても、日本の葬儀の際に用いられる棺桶ではなく、欧米の棺桶の形ですね。ホラー映画で、ドラキュラが眠っている棺桶と言えばわかりやすいかもしれません。
■動画は2065年まで、その続きはわかりません。2065年の人口は、「88,077,000人」、「8千800億77万人」です。これは一定の前提に基づいて推計された数値だと思いますが、現実には、環境問題や大災害の発生、あるいは世界的な経済破綻により、人口はもっと減少していくかもしれません。経済破綻、財政破綻から福祉や医療に関する行政サービスがどんどん低下すれば、今後も寿命が伸びていくとは限りません。
■私の孫は来年3歳になります。2065年、孫は48歳です。私は生きていれば107歳ですが、もちろん生きているはずもなく、平均寿命まで生きるとすれば2040年までには死んでいることでしょう(病気でもっと早くに死ぬよな気がします)。孫が本格的な高齢になったときに、はたして日本はどのような社会になっているのでしょうか。そもそも日本は存在できているのか。そのあたりも不安です。学生の皆さんの年齢は、2065年には60歳代半ばになっていますね。そのような先のことを考えても仕方がない…そう思う人も多いかと思います。確かに、私が学生の頃を思い返しても、同じように考えていたかもしれません。しかし、社会の状況は大きく変わってしまいました。備える必要があると思います。
最近の体調と
■この前の日曜日の晩のことになりますが、まためまいが起きてしまいました。メニエール病です。例によって、です。ストレス→背中・肩の凝り→首の強い凝り→血行とリンパの流れが悪化→頭痛(頭蓋骨の外側)→内耳に影響→難聴→めまい…という流れになります。月曜日は、耳鼻科で診察を受けました。家族に車で送り迎えをしてもらいました。いやはや、困ったものです。もっとも、突然にめまいが起きるわけではなく、耳鳴りや難聴等の前兆がありますので、まだ対応できます。歳をとると、いろいろ出てきますね〜。耳鼻科のお医者さんも、これで3回目。「あっ、また来たん」という感じでした。毎回、聴力検査して、薬を処方してもらうだけです。血行を良くする薬とめまいを止める薬です。
■再発したメニエール病についてfacebookに投稿したところ、多くの皆さんに、励ましやアドバイスのコメント・メッセージをいただくことができました。ありがとうございました。もう、おじいさんの部類の入る年齢になりましたが、この年でメニエール病になるとは思いませんでした。また、メニエール病って女性に多いと思っていましたが、私のようなおじいさんもなるんだなと、ちょっと驚きました。いただいたコメントでは、「一病息災」(まったく健康な人よりも、何か一つくらい軽い病気を持っている人の方が健康に気を使うので、かえって長生きするものだ)というお言葉もいただきました。可愛がっている初孫が成人した時に、一緒に呑みに行くことが人生の大事な目標なので、そこまで、なんとしてもしっかり生きていたいと思います。facebookを通して、身近な方達から、有名な方達まで、いろんな方達がメニエール病に悩んでこられたことを知ることになりました。みんな、「メニエル友」ですね。頑張りましょう。
■さて、今日の出来事になります。メニエールの耳鳴りや目眩を薬で抑えていたけれど、京都の北にある総合地球環境学研究所で開催される会議はネット(zoomというやつ…)でなんとか対応させてもらいました。夕方はどうしてもリアルに会わないといけない会議があり、大津駅前の「カレンダー」へ。
現在申請中の特定非営利法人「琵琶故知新」の会議です。来年早々には、登記できるかなという段階になりました。公式サイトも立ち上げるので、いろいろ細かな事を打ち合わせ行いました。こういうことは、ネットではできないんです…私の場合。ということで、特定非営利法人「琵琶故知新」を設立するコアメンバーとは、リアルに月一で会って会議をすることになりました。また、毎週ネットの会議をするということにもなりました。情報弱者に成りかけているように思うので、果たしてついていけるかな…と心配です。
■まあそのようなこともあるのですが、写真を見ると、季節柄、サンタクロースのアルバイトができるような感じになっていますね。自分の様子を笑ってしまうな〜。
滋賀県連携龍谷講座 シリーズ:琵琶湖と人の様々な関わり 世界農業遺産認定を目指す「琵琶湖システム」
■今週の土曜日、滋賀県と龍谷大学の連携講座が龍谷大学大阪梅田キャンパスで開催されます。今年は、「琵琶湖と人の様々な関わり」というテーマで3つの講座が開講されています。私は、3回目、「世界農業遺産認定を目指す『琵琶湖システム』」の担当です。以前、滋賀県立琵琶湖博物館の設立に関わり、現在は、滋賀県による世界農業遺産申請のアドバイザーをさせていただいたことから、自分の経験も含めてお話をさせていただこうと思います。
■当日は、世界農業遺産申請の中心になって活躍された滋賀県職員の青田朋恵さんもお越しになります。私の話をフォローしていただく予定です。また、講演の最後には、滋賀県の世界農業遺産とも深く関係する滋賀県の郷土食「鮒寿司」を召し上がっていただこうと思います。一口ですけどね。ちょっとだけ、個人的にサプライズのことをするかも…。
滋賀県と龍谷大学との連携による連続講座 「びわ湖の日(※) 滋賀県提携龍谷講座in大阪」を開催 2019年10月19日(土)~12月7日(土)全3回
社会共生実習
■社会学部の地域連携事業の一環で、2007年度に文科省の「現代GP」に採択された「大津エンパワねっと」、その後は、社会学部独自の実習科目となり、現在に至っています。また、学部のカリキュラム改編の中では、この「大津エンパワねっと」を発展させる形で、2016年度から新たに地域連携型実習科目「社会共生実習」が始まりました。このカリキュラム改革の中で、「大津エンパワねっと」は「社会共生実習」という新たなプロジェクトの中でのひとつのプロジェクトになりました。この「社会共生実習」は、社会学部の全 3 学科、社会学科、コミュにマネジメント学科、現代福祉学科が共同で運営する共通科目の実習になります。3つの学科に所属する教員が多様なプロジェクトを提供しており、社会学部の学生は所属学科を問わず希望するプロジェクトに参加申し込みをすることができます。今年は、7つのプロジェクトが開設されています。「大津エンパワねっと」と同様に、「社会共生実習」でも他学科の教員に指導を受けるとともに、他学科の学生と一緒に学ぶことができます。
■このカリュラム改編により、少し遅くなりましたが、情報発信のやり方も変わりました。「大津エンパワねっと」の活動状況については、これまでの「大津エンパワねっと」のfacebook公式ページから新たに開設された「社会共生実習」公式ページに移管して情報発信を行うことになりました。また、twitterについても、これまでは私が個人的にアカウントをとって時折情報発信してきましたが、こちらも「社会共生実習」専用の公式アカウントを取得し7つのプロジェクトの活動状況をお知らせしています。トップの画像は、そのtwitterの画面です。最新のtweetも埋め込んでおきます。
2019年度「大学と地域をつなぐ特別講義Ⅱ」を開講しました!今年度の「特別講義Ⅱ」のポイントは、【 地域活動をされている方 × エンパワ生 】のコラボレーション。
↓詳細はこちら↓https://t.co/BiSONufoPZ#龍谷大学#龍谷大学社会学部#社会学部#地域連携#社会共生実習#大津市 #エンパワ pic.twitter.com/0CgMII06DF— 龍谷大学 社会共生実習|公式 (@r_coexistence) November 28, 2019
■「社会共生実習」の詳しい情報については、社会学部ホームページの中にあるページをご覧ください。このページから過年度の活動報告書をお読みいただけます。以下にもリンクを貼り付けておきます。
西日本代表校決定戦〜Western Japan Bowl〜立命館大学vs関西学院大学ゲームハイライト
■母校・関西学院大学アメリカンフットボール部ファイターズ、全日本大学選手権西日本代表決定戦ウエスタンジャパンボウルで、立命館大学パンサーズを21-10で破り、甲子園ボウル出場を決めました。ファィターズの皆さん、おめでとうございます。卒業生として、大変嬉しいです。
■関学は、立命館にリーグ戦では負けたわけですが、今回は、きちんと積み重ねたきた練習の成果を本番の試合でも発揮できたのではないかと思います。今年のリーグ戦では、鳥内監督はいつも自分のチームの試合内容に厳しいことを言っておられたように思いますが、最後は良い結果になりました。一方、立命館は、その逆なのかなと思いました。うまく発揮できなかったのではないかと思います。私はアメリカンフットボールについて全く素人なので、間違ったことを言っているかもしれませんが…。母校を応援していたわけですが、少し残念な気持ちもあります。立命館にもっと力を出してもらいたかった…というのが本音です。その時々の様々な事情があるとは思いますが、本番の試合で全力をきちんと出し切ることって本当に難しいですね。
■立命館大学は、この2015年から2度リーグ優勝していますが、全国8連盟のリーグ代表校によるトーナメント戦で東日本代表校と西日本代表校をそれぞれ決定する方式に仕組みが変わっていることから、2015年に甲子園ボウルに出場して以降は、毎年関学に破れています。つまり来年度は、チームの中に、甲子園ボウル経験者がいなくなるということです。これはチームにとって、とても大きな出来事かと思います。
■今年の関西アメリカンフットボールのリーグ戦、神戸大学の活躍がとても印象に残りました。神戸大学は、2017年には2部に降格しましたが、昨年は復活し、今年は大活躍しています。アメリカンフットボールに限らず、学生スポーツの記録を見ていると、様々な浮き沈みがありますね。ちなみに、我が龍谷大学は、これから入れ替え戦です。本当に頑張って欲しいと思います。おそらく、応援にいきます。12月14日(土)王子スタジアムで14時から、2部1位の大学との対戦になります。龍谷大学の関係者の皆さん、応援いたしましょう。
■大学スポーツにはそのような浮き沈みがあるわけですが、そのような中で、ずっと関学は優勝を争うポジションに居続けています。すごいことだと思います。その関学を率いてこられた鳥内秀晃監督は、今シーズンで監督を勇退されます。1992年に監督に就任されてから27年になります。私は浪人したので学年は違いますが、鳥内さんと同い年です。鳥内さんは、学生主体、学生本位でいつもチームのことを考えておられるわけではありますが、最後、甲子園ボウル優勝で勇退していただきたいと思います。鳥内監督に関連する記事は山のようにありますが、以下の記事は、学生スポーツだけでなく、全ての大学の課外活動に関わる人たちにとって、参考になる記事なのかと思います。私も大学の課外活動に関わっていますが、とても参考になるなと思いました。
【育てる】来季勇退の関学大アメフト部・鳥内秀晃監督「体罰がないから強い」
佐渡裕さんと龍大吹奏楽部のこと
前回の練習は佐渡裕先生の御来団でした!
世界で活躍される先生のご指導は本当に刺激が多く、本番がより一層楽しみになりました!
今日の練習を生かして更にレベルアップできるよう次の御来団に向けて練習していきます🎻🎺
チケット販売中です!ぜひお越しください! pic.twitter.com/awjpXU9awF— 【公式】関西学院交響楽団 (@kwanorche) November 29, 2019
■40年前に所属していた母校のオーケストラ、関西学院交響楽団に、佐渡裕さんが指導にこられたようです。次の定期演奏会のチケットは予約済みです。おそらくホールは満員になるでしょうね。ちなみに、部長をしている龍谷大学吹奏楽部が、初めて全日本吹奏楽コンクールに出場した時の指揮者も佐渡裕さんでした。1986年のことです。佐渡さんに、初めて関西学院交響楽団を指揮していただいたのは、その翌年、1987年になります。世界に飛躍する前、新進気鋭の指揮者として注目され始めた頃かな。
■昨年、龍谷大学吹奏楽部は50周年を迎えました。その記念誌に佐渡さんがメッセージを寄せておられます。その一部を以下に引用してみます。
龍大での1番の思い出は、やっとの思いで関西大会を勝ち上がったものの、初全国では全く歯がたたず、結果発表の後、尼崎のアルカイックホール横の川沿いで、みんなで抱き合って悔し涙を流したことでしょうか…。いや、あれは悔しさだけではなく、半年間自分達が持っていた最高の力を出し切ったことへの達成感でもありました。
■佐渡さんが指揮をされた全国吹奏楽コンクールは、1986年、尼崎のアルカイックホールで開催されました。この時にコンクールに出場された部員が、現在、4人いる吹奏楽部の副部長のお1人です。この後のことですが、龍谷大学吹奏楽部ではトレーナーをされていた若林義人先生が1988年から指揮をすることとなり、1992年には音楽監督に就任されました。そして、その年の全国コンクールで初の金賞を受賞しました。その後、着実に音楽的実力を蓄積しながら、全国コンクール21回出場、金賞を11回、銀賞を10回を受賞する大学吹奏楽界を代表する全国バンドのひとつになりました。
「環びわ湖大学地域交流フェスタ2019」(彦根市)
■滋賀県内の大学と自治体から構成される一般社団法人環びわ湖大学・地域コンソーシアムでは、毎年度、滋賀県内の地域の課題解決に大学と地域が連携して取り組む活動、および滋賀の魅力を学生が発信する活動を支援しており、今年度は16プロジェクトに取り組んでいます。昨日は、環びわ湖大学・地域コンソーシアムが主催して、それらの活動を報告する「環びわ湖大学地域交流フェスタ2019」が開催されました。私も、今年度は、コンソーシアムの「大学地域連携課題解決支援事業選考委員会委員」という仕事をさせていただいていることから、お誘いいただきました。
■午前中は、滋賀県内の学生の皆さんの15の活動報告が行われました。報告を行ったチームは、東近江市×びわこ学院大学(2チーム)、滋賀県×びわこ学院大学、甲賀市×立命館大学、草津市×立命館大学(2チーム)、東近江市×龍谷大学、大津市×龍谷大学、草津市×龍谷大学、彦根市×聖泉大学、東近江市×聖泉大学、彦根市×びわこ成蹊スポーツ大学、長浜市×長浜バイオ大学(2チーム)です。学生の皆さんたちは、それぞれ、大学での学びを活かした取り組みをされているように思いました。この15チームのうちの1チームに、昨年、社会学部の「大津エンパワねっと」を履修している知り合いの学生が参加していました。午前中の最後は、学生の皆さんが製作したSDG’sに関する動画を拝見しました。今年度、ンソーシアムでは、県内13大学から選出された学生によるSDGsや持続可能な社会を実現する活動をテーマにした動画コンテンツ制作事業を実施しました。今回は4つの動画を拝見しました。そのうちの1つの制作に関わった学生も知り合いでした。内容は、私も活動の支援に関わっている「学生まちづくりLAB(ラボラトリー)」に関連するものでした。印象にしかすぎないのかもしれませんが、こういった地域連携に熱心な学生は、大変意欲があり、複数のプロジェクトに関わる人がけっこう多いように思います。個人的な意見ですが、こういった志向を持った、地域課題に関心を持った学生がもっと増えて欲しいなあと思っています。
■午後は13時までポスターセッションがありました。複数の大学の学生の皆さんからお話を伺うことができました。1時間を挟んで14時からは、企業と学生の皆さんが本音で「働きやすい環境づくり」等のテーマについて、グループに分かれて意見交換するワークショップが行われました。彦根市の企画です。講師の方の講演の後、短い時間でしたがワークショップが行われました。時間が短かったせいか、私には、午前中の活動報告とのテーマ的なつながりがよくわからない感じもありましたし、学生の皆さんにも少し戸惑いがあるように感じましたが、能力の高い方達が集まっているせいでしょう、きちんとグループごとにワークショップの結果をまとめて報告されました。
■滋賀県内に14の大学・キャンパス・学舎があります。長浜バイオ大学、滋賀文教短期大学、滋賀大学(彦根キャンパス)、滋賀県立大学、聖泉大学、びわこ学院大学・短期大学部、立命館大学(びわこ・くさつキャンパス) 、滋賀医科大学、龍谷大学(瀬田学舎)、放送大学(滋賀学習センター)、滋賀大学(大津キャンパス)、滋賀短期大学、成安造形大学、びわこ成蹊スポーツ大学です。これだけの大学で、毎年、どれほどの学生が卒業していくのか私は正確な数字を知りません。しかし、かなりの学生が卒業していくわけです。おそらく、その多くは滋賀県外に就職していくのではないかと思います。私個人としては、今回のコンソーシアムの事業はもちろんのこと、それぞれの大学で取り組まれている地域連携の活動を通して滋賀県の地域社会のことを深く知り、滋賀で働き・活躍して、滋賀に暮らす、そのような学生がもっとたくさん生まれて欲しいと思っています。また、卒業時は県外に出ても、いずれ滋賀県に帰って活躍する人が増えて欲しいと思っています。
琵琶湖八珍と滋賀の地酒・純米吟醸「北船路」
■滋賀県民にとって地元のテレビ局は、BBCになります。「British Broadcasting Corporation」=「英国放送協会」ではなくて、「Biwako Broadcasting Co., Ltd.」=「びわ湖放送」です。この「ぴわ湖放送」の放送の中に短い番組があります。「あってくれてありがとう!」と言いたい小さな滋賀の企業やお店を応援する番組です。その中に、時々、寄せていただく「からっ風」が登場していました。琵琶湖八珍と呼ばれる琵琶湖の湖魚の料理が提供されています。この放送には登場しませんが、私のゼミの卒業生たちがプロデュースした純米吟醸「北船路」(平井商店・大津市)も飲むことができます。
■以前の投稿もご覧いただければと思います。「ビワマスと北船路」。
■琵琶湖八珍とは、琵琶湖で漁獲されるビワマス、コアユ、ハス、ホンモロコ、ニゴロブナ、スジエビ、ゴリ、イサザの8種類のことです。太文字アンダーラインのついたところを読んでみてください。「ビワコハホンニスゴイ」=「琵琶湖はほんに凄い」になります。
「全国棚田(千枚田)サミット」高島市実行委員会・第3回準備会
■昨晩は、再来年に高島市で開催される「全国棚田(千枚田)サミット」高島市実行委員会の第3回目の準備会が、高島市役所で開催されました。私もアドバイザーとして参加させていただきました。会の前半は、実行委員会や運営委員会といった組織体制に関して様々な説明が事務局から行われ了承されました。また、滋賀県の職員の方も出席されており、今年度に成立した棚田振興法の説明が行われました。
■会の後半ですが、それまでの少し堅い雰囲気の会議とは打って変わって楽しい雰囲気のなかで、参加者の皆さんとフリートークを行いました。事前に、市役所の方に、第1回、第2回の準備会で出た課題、地域資源、取り組み等を示した地図を用意していただくようにお願いをしていました。その地図を前に、2グループにわかれてフリートークを行ったのです。こういう形で、これまでの議論の中身を「見える化」すると、関心も高まるし、話も弾みます。
■高島市は、平成の大合併により、新旭町、マキノ町、今津町、朽木村、安曇川町、高島町が合併してできた自治体です。市の面積も滋賀県では二番目に広い自治体です。全市から人があつまると、必ずしもお互いに顔見知りというわけではないのです。しかし、地図を前に話を始めると、私のいたグループでは、前回の準備会で話題になった炭焼きの話、そしてそれに加えて薪の話で盛り上がることになりました。高島市内で炭焼きを復活させようと取り組みをされている団体が複数あっても、人のつながりがなければ、お互いにその存在に気がつくことはありません。知り合いになれば、お互いにいろいろ協力しあえることがあるのに、もったいない。集落やそれぞれの団体に閉じた形で活動をするよりも、もっとオープンにしたほうが、相互に補い合うような連携のネットワークが生まれる可能性が高まります。この準備会は、そのようなことに気がついていただく集まりになりました。
■もちろん、炭や薪は、自分自身で使ってもよいのですが、小さなビジネスにしていくためには、買ってもらわねばなりません。買って使ってもらわなければお金も生まれません。ただし、小さなビジネスは、赤字にはならないけれど、大儲けもできない、そこそこ利益があがって、活動自体が楽しい、知り合いができて楽しい、やりがいがある、充実感がある…そのような活動である必要があります。市内の商工業の現場で、あえて地元の炭や薪を使っていただくことで、何か付加価値のついた商品や製品を生み出すことができるかもしれません。地域の壁、団体間の壁、業種間の壁、セクターの壁を超えるような関係が、これから開催される予定の実行委員会で生まれれば良いなと思っています。お金が生まれることは大切なことですが、加えて大切なことは、「楽しさ」「面白さ」さらには「共感」かなと思っています。棚田サミットを契機に、地域の中にそのような動きが生まれてくると、素敵だなと思っています。その結果として、地域の中で、資源やお金が循環するようになって欲しいなと思います。
■以前、高島市の中山間地域では、炭焼きや薪づくりが、生活や生業の一部でした。冬の農閑期の仕事でした。昨晩、お聞きしたことですが、昔は、自分の持っている山に炭焼き窯を作り、周りの樹を切って炭焼きをしていたそうです。炭の材料になる樹がなくなったら、次の場所に移動します。もちろん移動は自分の山の範囲です。今まで使っていた窯は、放棄されます。新しいところに移動して、新しい窯を作ります。そうやって20年ほど移動していると、最初の窯の場所に戻ってきます。すると、そこにはまた炭焼きにちょうど良い太さに樹が成長しているのです。かつての窯は朽ち果てていますが、窯の後だともう一度窯を作ることは容易なのだそうです。こうやって、自分の山をローテーションで使いながら、炭を生産して自家消費とともに出荷されていたのです。
■「こんな炭焼き作業を、現代社会でできるわけがない…」と思われるでしょう。確かに、昔のようにはできないかもしれません。ただ、このような炭を欲しいという人が、もし地域の中にいれば…話は変わってきます。実際、楽しみで自分たちで炭焼きをしているグループがあります。あえて、炭焼きを経験してみたいという人がこの世の中にはおられるのです。自分で使う炭を自分で作ってみたい。そのことを楽しみたいという人たちに出会うことができれば…。私は、高島市であればそれが可能だと思っています。炭ではなく薪の話になりますが、薪と共に薪ストーブの販売、ストーブの設置と掃除をする小さな商店を経営されている若者がいると聞きました。高島市は、別荘が多い地域です。ニーズがあるのだと思います。面白いところに、目をつけられたなあと思います。別荘以外でも、もしストーブが静かな地域のブームになると、面白い展開になってくるなと思います。
■高島市って、都会とは違った意味で、とても「リッチ」です。素晴らしい。それはお金の力だけで生み出されるものではありません。人のつながりの中で、生み出されてくるものだと思います。まあ、そんなわけでして、昨日のフリートークの場は、そのような「妄想」を掻き立てられる大変刺激的な場でもありました。今後が楽しみだ〜。このような地域に関心のある大学関係者や学生の皆さんはおられませんか。連絡をください。地域の皆さんたちと一緒に、何か素敵なことを生み出せるように思っています。
【追記1】■次回からは、準備委員会ではなく、実行委員会がスタートするわけですが、できれば具体的な作業部会も開催するなどして、皆さんとグループワークなフリーディスカッションをしてみたいなと思っています。その時は、地域や団体の代表や役職者の皆さんだけでなく、女性、若い世代の方達、それから高島市に転入されてきた人たちにもご参加いただきたいと思います。
2019年度版「2回生のゼミ選択について…」
■毎年、後期になると2回生(2回生)の皆さんは、3回生からのゼミが気になることでしょう。2回生の皆さんが「ゼミ選択」されるにあたって、「脇田ゼミってどんなゼミ?」と思うようであれば、このホームページの以下をお読みいただければと思います。少しは参考になるのではないかと思います。
脇田という教員はどのような人物なのか…
■ホームページのタイトルの下に、メニューバーがあります。ここにある「ABOUT-A」と「ABOUT-B」をお読みいただければと思います。「ABOUT-A」は、ちょっと固い公式っぽいプロフィールです。「ABOUT-B」は、今や還暦をすぎたおじさん(おじいさん)の個人的な趣味等について書いてあります。脇田がどんな人物なのか、お読みいただければ少しは参考になるかもしれません。また、ホームページ内にあるブログの記事も参考にしていただけれはと思います(Categories(カテゴリー)から記事を選ぶこともできます)。
どのようなことが専門の教員なのか…
■少し面倒かもしれませんが、「研究」もお読みいただければと思います。また、もし気が向けば、業績のリストのなかに掲載されている論文や書籍を、図書館で検索してパラパラと中身を斜め読みしていただければと思います(私としては、じっくり読んでいただきたいとは思っていますが…(^^;)。
■授業としては、「地域社会論」と「地域再生の社会学」を担当しています。概要やねらいについては、シラバスをご覧ください。社会学部の社会共生実習「大津エンパワねっと」も長年担当しています。
■自分の専門性を活かして、地域社会の課題解決に貢献するため、滋賀県や大津市を中心に様々な社会的活動に取り組んでいます。詳しくは、「ABOUT-A」の「社会的活動」をご覧ください。
どのようなゼミなのか…
■ゼミ運営や指導の進めたか・考え方については、「ゼミナール」をご覧ください。「私のゼミについてのおもい…」「ゼミの進め方」「ゼミの最終目標」「研究テーマやフィールドの選択」「ゼミの選択にあたって」「ゼミの行事」「『北船路米づくり研究会』の活動」といった事について説明しています。
どのような研究ができるのか…
■脇田ゼミの過去の卒業論文のタイトルをご覧いただけます。「卒業論文」のページです。
■卒業生たちの卒論を振り返ってみると、「地域」・「環境」・「伝統芸能」・「過疎」・「食」・「農業」・「農村」・「グリーンツーリズム」・「高齢者」・「子ども」・「障害者」・「コミュニティビジネス」・「町並み保全」・「まちづくり」・「地域再生/活性化」・「商店街」…といったテーマが中心になっています。すべて学生個人が選択したテーマです。先輩達が取り組んできたようテーマと類似したものでもまったく構いません。また、これまでにないような斬新なテーマでももちろん構いません。自らのフィールドワークにもとづく実証的な事例研究(ケーススタディ)により、卒業論文を執筆していただければと思います。フィールドワークの進め方についは、個人面談で丁寧に指導します。
■龍谷大学社会学部社会学科では、毎年度、「優秀卒業論文集」を出しています。それぞれのゼミから1〜2名の卒業論文が、優秀論文として掲載されています。この論文集を読む事も、ゼミ選択のさいのヒントになろうかと思います。
研究室を訪れて話しを聞きたい…
■もちろん歓迎します。ただし、会議等もたくさんあり、研究室にいつもいるわけではありません。あらかじめ、メールでアポをとっていただけると嬉しいです。wakit##@##soc.ryukoku.ac.jp (左のメールアドレスから##を除いてください)まで、ご連絡をくださればと思います。オフィスアワー(学生からの質問や相談に応じるために、教員が必ず研究室にいる時間帯)を利用していただいてもけっこうです。
■最後に、適当に、雰囲気だけでゼミを選択することは良くありません。それぞれの教員には、得意とする分野があります。自分は何を研究したいのか、その研究するためにはどの教員に指導してもらうのが良いのか、しっかり考えて欲しいと思います。大学生活の残りの2年間、有意義に過ごすためには絶対に必要なことです。