二人めの孫が生まれました。

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■すみませんが、大変個人的なことを投稿します。14日、2人めの孫が生まれました。娘夫婦の2人めの子ども、なな望(ななみ)といいます。ななちゃんです。コロナ禍の中、無事に誕生してくれました。ありがとう。1人めの孫、ひなちゃんが誕生したときはあまりにも嬉しすぎて、両親よりも早くfacebookに投稿してしまい後で叱られましたが、今回は「じっと我慢の子」、両親のお許しも出たのでfacebookで友達にお知らせしました。姉のひなちゃんが誕生した時、こんな投稿をしました。「おじいさんになりました」。この投稿の中にもありますが、ひなちゃんの時は、おとうさんやおばあさんが出産に立ち会いました。私は仕事の関係でひなちゃんが生まれる時は大学にいました。そのため、出産時の様子を動画で見せてもらいました。大変感動しました。生まれそうになってからもかなり時間がかかったこともあり、仕事をしながらもハラハラ、ドキドキしていました。今回のななちゃんの誕生では、コロナ禍ということで、おとうさん以外立ち会うことができませんでした。姉のひなちゃんと比較してですが、ななちゃんは短い時間で生まれてきました。生まれたとLINEで私の方にも連絡がありホッとしましたが、少し呆気ない感じもありました。

■姉のひなちゃんは、おかあさんの応援にやってきたおばあさんと一緒に自宅で待機していました。ひなちゃんは自宅で妹を迎える準備と練習をしていました。BGM付き電動ゆりかごを使い、ひなちゃんが大切にしている人形を妹に見立て、寝かしつける練習をしていました。きちんと安全ベルトもしてあげて、コンセントを刺して、BGMのスイッチも入れることがで切るようになりました。もう完璧ですね。どこまで理解しているのかどうかわかりませんが、そういうふうに練習をしながら、おかあさんと妹のななちゃんが病院から一緒に帰ってくることをずっと賢く待っていました。心の中では「いつになったら帰ってくるのかな」と思いながらも、そんなことはあまり口に出さずおとなしく待っていました。とはいえ、こんなにおかあさんと離れて暮らすことは初めてなので、おばあさんがいても、時々メソメソすることもあったようです。まだ3歳ですが、その寂しさを心の奥にしまって頑張って過ごしていたのですね。

■先週の金曜日、ひなちゃんは、おとうさんのスマホのLINEで、病院にいるおかあさんや妹のななちゃんとお話しをすることができました。ええと、ななちゃんは眠っていましたね…。ひなちゃん、とっても嬉しくて自然にピョンピョン飛び跳ねていました。おかあさんは、LINE電話の向こうで嬉しくて涙を流していました。そして、翌日の土曜日、おかあさんとななちゃんがお家に帰ってきました。私もお祝いに駆けつけました。生まれたてのななちゃんを抱っこさせてもらいました。ひなちゃんの時も思いましたが、小さいですね〜。姉のひなちゃんも、まだ3歳ながら、ミルクや沐浴等のお手伝いをしているようです。仲の良い姉妹になってほしいと思います。

■姉のひなちゃんが成人した時に、一緒に飲みに行くことにしています。ひなちゃんが20歳のとき、私は後期高齢者の79歳です。そして妹のななちゃんが20歳のとき、82歳になります。82歳まで、孫と飲みに行けるだけの体力が残っているかな、少し心配なこともありますが、頑張って健康でいようと思います。世間では100歳まで元気にとよく言っていますが、とてもそのような気持ちになりません。3年前に孫が生まれ、さらに今回は孫が2人になったことから、職場では、若い同僚の皆さんを応援することに自分の立ち位置を本格的にシフトさせ、定年に向かっていろんな局面で静かにフェイドアウトしていくべきなのかなと思っています。そして少しずつ、大学の外部、地域社会の様々な活動で頑張るようにしていこうと思っています。

農学部植物生命科学科スペシャルムービー 2020


■瀬田キャンパスのお隣の学部、農学部の入試広報用の動画です。素敵な動画ですね。登場されるのは自然界の酵母を使ってビールの醸造について研究している女子学生です。将来は、自分のビール醸造所を経営したいとの夢もお持ちです。夢を抱いて研究している学生。高校生に、すごくアピールするだろうと思います。ではこの発想で社会学部の学生に焦点を当てると、どんな動画になるんだろう。こういうストレートな「わかりやすさ」が、うちの学部ではなかな難しいなあと思うわけです。知恵が必要だな。

1000年を超える樹齢の御神木が…

■NHKのニュースをTwitterでリツーイトしました。

社会共生実習「地域エンパワねっと」まち歩き

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20200711sate3.jpg■一昨日は地域エンパワねっと(龍谷大学社会学部・社会共生実習)で「まち歩き」を実施しました。この日は、JR瀬田駅を中心に一里山や月輪界隈を歩きました。月輪は、1667年に京都の六人衆によって新田開発が行われて誕生した地域です。京都の経済力を持った方達が膳所藩の許しをえて開発したわけですね。新しい農地と集落が誕生したところで、京都から氏神様をお迎えしました。分社ですね。分社とは新たに別の場所へ分霊(ぶんれい・わけみたま)を祀る神社のことです。京都の六人衆には大切な神社であった八坂神社の神様を分霊して、現在の月輪にお祀りされたわけですね。この八坂神社は、国道1号線沿いの森の中にあります。道路からは、少しわかりにくい感じですが、境内に入ると大きな樹木に囲まれた森の中(鎮守の森)にお社がありました。国道1号線を渡り月輪の集落の方に移動すると、この六人衆を讃える「新田開発発祥之地」の立派な石碑が建てられています。

■下の左写真。マンションが立ち並ぶエリアに墓地が広がっています。でも、これは逆です。元々、近くの農村(大萱)の墓地だった周りにマンションが建設されているのです。1969年に国鉄瀬田駅が開業しました。当時はJRではなく国鉄です。地元の皆さんが長年にわたって希望されていた駅がやって開業したわけです。そのことをきっかけにこの瀬田の地域は、住宅地として開発されていくことになりました。ただし、きちんと都市計画があらかじめ定められて、それに基づいて住宅地が開発されたわけではなく、水田や畑であった農地が少しずつ住宅地になっていきました。スプロール的開発と言います。そのため、住宅地に入ると道が曲がりくねっているところがたくさんあります。家々が込み入ってはいても、その向きはバラバラであったりします。また、道が行き止まりになっていたりもします。きちんと区画整理ができないまま、水田や畑であったところが住宅地になっていったためです。

■下の右の写真。道標です。これは、旧東海道と瀬田駅から龍谷大学瀬田キャンパスに向かう学園通りが交差するところの角にあります。寿司店の敷地の中にあります。おそらく店主さんが設置されたものだと思います。この道標にはこう書かれています。「三條大橋迄で五里余り」、「膳所藩札場より大萱港常夜灯に至る」、「江戸日本橋迄で百二十里余り」、「旧朝倉道信楽より伊勢・桑名に至る」。京都と江戸をつなぐ旧東海道沿いにあるお寿司屋さんの、この地域に対する誇りのようなものを感じます。

■今回のまち歩きのテーマは「1969年瀬田駅開業以降、開発により変化してきた瀬田の歴史を風景の中に読み取る」でした。ひとつの風景の中に、この地域の「履歴」が、まるで地層の積み重ねを見るような感じで感じとることが目的でした。万歩計の数字は10,000歩を超えていました。
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映画「マルモイ」


■ぜひ観てみたいのですが、時間あるかな。以下は、公式サイトから。

1940年代・京城(日本統治時代の韓国・ソウルの呼称)― 
盗みなどで生計をたてていたお調子者のパンス(ユ・へジン)は、ある日、息子の授業料を払うためにジョンファン(ユン・ゲサン)のバッグを盗む。
ジョンファンは親日派の父親を持つ裕福な家庭の息子でしたが、彼は父に秘密で、失われていく朝鮮語(韓国語)を守るために朝鮮語の辞書を作ろうと各地の方言などあらゆることばを集めていました。

日本統治下の朝鮮半島では、自分たちの言語から日本語を話すことへ、名前すらも日本式となっていく時代だったのです。
その一方で、パンスはそもそも学校に通ったことがなく、母国語である朝鮮語の読み方や書き方すら知らない。

パンスは盗んだバッグをめぐってジョンファンと出会い、そしてジョンファンの辞書作りを通して、自分の話す母国の言葉の大切さを知り・・・・。

第32回地球研地域連携セミナー「びわ湖の水草 市民がはじめる環境自治」


Part 1


Part 2
■第32回地球研地域連携セミナー「びわ湖の水草 市民がはじめる環境自治」の動画です。Part 2.の最後の方で特定非営利活動法人「琵琶故知新」からお話をさせていただいます。30分過ぎあたりですかね。私、好き放題話していますね。どうかご容赦を。でも、自分の気持ちをストレートに話させていただきました。「他人事を自分事として考えられる人たちが、少しずつ横につながって、支えあって…」。ありがとうございました。

ナガエツルノゲイトウ

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■今日は、大津市の真野浜に行きました。真野浜は、市民団体「水草は宝の山」(「水宝山」)の活動の拠点となる浜であり、まだ大ぴらっにはしていませんが、特定非営利活動法人「琵琶故知新」の「マイビーチプロジェクト」でも関わっていくことになっている浜でもあります。今日は、特定外来生物(植物)であるナガエツルノゲイトウが真野浜にも侵入してきたことから、その駆除について、真野浜で民宿を経営されているる山田英二さん、琵琶湖博物館の中井克樹さん(兼・滋賀県庁琵琶湖環境部自然保全課主幹)、県庁自然環境保全課の職員の皆さんと、現場を観察しながら相談してきました。ありがとうございました。中井さんや職員の皆さんから丁寧なご説明をいただきました。およそ駆除の方向性は確認できました。ただ、駆除はとても大変ですね。大変ではあるのですが、山田さんが代表を務める市民団体「水草は宝の山」の活動、特定非営利活動法人「琵琶故知新」の「マイビーチプロジェクト」の中で、ナガエツルノゲイトウの駆除に取り組んでいくことにしました。水際だけでなく、砂浜にも小さな矮性のものがけっこう根付いているんです。駆除というと、何か辛い気持ちしか湧いてこないように思われるでしょうが、前向きな気持ちになる工夫をしながら、取り組んでいこうと思っています。

■滋賀県庁琵琶湖環境部自然保全課では、毎年、琵琶湖の湖岸のオオバナ水キンバイやナガエツルノゲイトウ等の特定外来生物(植物)のモニタリングと駆除をされています。中井さんからは、これまでは緊急度の高い、水路、運河、河口、内湖等に繁茂する特定外来生物(植物)の対応に追われてきたけれど、やっとこの真野浜のように陸地に生えているものにも対応できるようになってきたとお聞きしました。ただ、行政だけで駆除できることなど不可能で、活動地域住民や市民と連携しながら力を合わせて駆除ができればとのご意見をいただきました。私たち「水草は宝の山」(「水宝山」)や特定非営利活動法人「琵琶故知新」の活動が、そのような連携のモデル的な活動になればと思っています。

■また、とても面白いことにも気がつきました。滋賀県庁琵琶湖環境部自然保全課のモニタリングによれば、山田英二さんが丁寧に熊手で掃除をされている浜からは、ナガエツルノゲイトウは見当たらないのです。ひょっとして、因果関係があるのではないかと思い、中井さんにお聞きしたとろ、熊手で撹乱していることが、結果として特定外来生物(植物)を定着させないようにしている可能性はあるというお話でした。里山が適度に人が手を入れることで保全されるように、浜も人が適度に手をいれることで(熊手による漂着した水草の掃除して撹乱すことで)保全されているのかもしれません。

MY HOMETOWN ~みんなに知って欲しい滋賀の魅力~


■素晴らしい動画ですね〜。

「 龍谷大学まちラボfan」の活動

■「龍谷大学まちラボfan」の活動を応援しています。龍谷大学の様々な学部の学生たちが参加しています。大津市の湖西にある新興住宅地「仰木の里」の皆さん、そしてそこにある2つの小学校の先生方と連携しながら、新たな活動を始めようとしています。ぜひ、この投稿をお読みください。

■この取り組み、元々は大津市からの呼びかけによって始まりました。昨年度までの2年間は、市からの助成がありました。また学内の地域連携を担当する部署(REC)が、学生研究員を募集し活動を支援してきました。しかし、市からの助成も終わり、今年度からは完全に自立した学生団体として活動を行うことになりました。元々学生研究員だったOBの皆さんのサポートもあり、順調に活動が進んでいます。今年度はコロナ禍で活動が思ったようにできないわけですが、Zoomを使ってミーティングや研究活動を積み重ねてきました。新たなメンバーも増えました。順調に進んでいます。

■facebookの投稿、転載します。

皆さま元気にお過ごしでしょうか??
龍谷大学まちラボFANのとんDです😁😁
久しぶりの投稿でワクワクしてます(^。^)
コロナ禍でなかなか外に出れず苦しい日々が続きましたね😢
4月から本学でもオンライン授業が始まり、
慣れない授業スタイルに日々困惑しておりました💦
これからの時代はアフターコロナとして生活様式や仕事のスタイルに変化がもたらされそうですね!
さてこのコロナ渦の状況ではありましたが
現在✨『9名』✨の新メンバーを迎え
週2回のzoomを用いてのオンラインミーティングを重ねておりました💻
そこで7月3日に
以前からお伝えしていたエディブル教育を基にした食育菜園を小学校で実現しようという取り組みについて
・仰木の里小学校校長先生
・仰木の里東小学校校長先生
・龍谷大学社会学部教授
・FANのメンバー数名
※自治連合会の方はご多忙のため後日議事録の共有という形で参加
を交えたオンラインでの合同zoomミーティングを自治連合会の協力のもとに開催致しました‼️
そこでFANのメンバーから両校長先生に向けて
これからのエディブル教育をもとにした食育菜園についてのプレゼンテーションをさせて頂きました🙇‍♂️
このエディブル教育をもとにした食育菜園を実現することにより、地域に『開かれたガーデン』を作ることができます😀
そうすることで
地域✖️学校✖️児童
の仕組みを作ることができ
地域と学校は子供たちと共に学びながら
地域のつながりを今より更に深いものにすることが期待できます✨✨
この食で学ぶ食育から
命の大切さや主体的に学ぶ力が養えると
とても質の高い教育を実現できるのではないかと思います‼️
世界を持続可能なものにしていくSDGsの
■目標4「質の高い教育をみんなに」
というところにも繋がっていますね😎
このプレゼンテーションから
両校長先生から質問や意見交換を頂き
これからのエディブル教育をもとにした食育菜園を実施する上での方向性や考えも共有することができました🤲
この実現に向けて両校長先生が興味を持たれ、真剣にお話を聞かれている様子がFANのメンバーとして非常に嬉しい思いでした😭😭
ご多忙の中ご参加頂いた両校長先生には
本当に感謝の気持ちでいっぱいです🙇‍♂️🙇‍♂️
今後のFANの役割は
エディブル教育をもとにした食育菜園について
保護者の方や児童、教員の方に向けて
この活動を普及していき
学生の若さとフットワークの軽さを生かし
菜園活動のお手伝いをすることで
地域に貢献していきたいと考えております!
何か一つでもFANに出来ることが有れば全力でお手伝いさせて頂きたいです😀😀
長くなりましたが
これからも仰木の里に対して
私たちが出来る一つ一つのことに取り組んで貢献していきたいと思っております🙇‍♂️
コロナに負けずに明るい未来に向けて
頑張りましょう💪
とんD

小谷みどりさんにお話を伺いました。

■今日は、 高橋卓志先生の「社会実践特殊研究(D)」(実践真宗学研究科)に「もぐり院生」として参加させていただきました。今日はゲストをお呼びしての授業でした。ゲストは、小谷みどりさん。とても刺激的な講義でした。小谷さんは大阪出身です。語るうちに、関西弁も入り、少し巻き舌にもなり、大阪のイタリア人のような感じで僧籍を持つ院生たちに厳しく問いかけられました。私には院生たちを崖に追い詰めるような雰囲気に感じられました。言い換えれば、若い僧侶である院生の皆さんたちに対して、大変厳しかったということです。もちろん、これは私の印象や解釈で、院生の皆さんがどう感じたかは別にして…です。

■実践真宗学のカリキュラムがどのようなものかまったく知りません。知らないにもかかわらず、ちょっと意見をさせていただければ、現代社会がどのように変動しつつあるのか、もっと知っておいた方がよいのではないかなと思いました。今日の小谷さんのお話、私の乱暴になりますが、次のような内容でした。超高齢社会と人口減少社会、そして多死社会へと急激に向かう日本の社会状況のなかで、宗教や葬儀の世界にも個人化と市場化がじわじわと浸透している。そのような状況のなかで、一般の人びとは仏教をどう捉えているのか、葬儀に対して何を考えているのか、若い院生の皆さんは、もっと現実を勉強した方がいいですよ。そして、実際の苦悩の現実、現場から、「発心」なさってください。そのようなお話に理解できました。院生の皆さん、頑張ってください。

■小谷さんご自身は、信仰をお持ちではありません。信仰はご自身の関心外ということになります。葬儀の市場化(サービス化)についても、現実問題として避けられないし、普通の人びとは、信仰や親鸞の教えなど別に求めていないとお考えかと思います。私は「もぐり」ですので、控えめにしていましたが、おそらく死後のことについても、小谷さんにとっては関心外なのではないでしょう。終末期の実存をどのように支えるのかという点に私は関心を持っていますが、そのような話は出てきませんでした。あえて、小谷さんは、リアリストで唯物論的なスタンスに立って発言されているように思いますが、その上で、目の前の人びとの苦悩にどう向き合うのか、「発心」するのか、そういうことについては大いに共感するところがありました。立場は違うけれど、エンパシーを感じました。もちろん、これは私の印象でしかないので、どこまで正確かはわかりません。「リアリストで唯物論的なスタンス」についても、私には、小谷さんはあえてそのようなスタンスで闘ってこられたのではないのかなと思いました。ここでは、闘ってこられた相手はどういう考え方なのか、どういう人なのか、書きませんけどね。

■今日の講義はもちろんオンライン。いろんなゲストに参加していただく時、オンラインは非常に役立つなあ。高橋先生、ありがとうございました。

■ところで、授業が始まるまえに、オンライン上で小谷さんにご挨拶をさせていただきました。その時、小谷さんから「没イチ」という言葉をお聞きしました。不勉強で知らなかったのですが、小谷さんの造語だそうです。パートナーを亡くした人のことを指します。小谷さんには『没イチ パートナーを亡くしてからの生き方』という著作もあります。小谷さんご自身が「没イチ」でいらっしゃることも知りませんでした。失礼しました。勉強不足です。

■「没イチ」の小谷さんは、長年勤務された第一生命経済研究所を退職されて、今はカンボジアで、私財を元にパン屋を経営しながら貧困問題の支援に取り組んでおられます。そのような貧困問題の現場で、カンボジアの僧侶たちがどのような動き方をされているのかも教えていただきました。小谷さんがお会いになったカンボジアの僧侶の皆さんは、いろんな能力や経済力を持った人たちをつないで、貧困に苦しむ人びとを支える活動をされているらしいのです。貧困という人びとの苦に向き合い、その苦しみを抜苦するためにまざまな力を持った人びとの力を、そして関係をデザインされているわけです。「人間ハブ空港」のような感じでしょうか。普段から、いろんな方たちとの関係をきちんと作り、磨いておられるように思います。また、この辺りのことをお聞きしたいなと思いました。

アジアで会う】小谷 みどりさん 『没イチ』著者 第292回 夫の突然死が導いた貧困支援(カンボジア)

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