花のある生活

■家族専用のSNSがあります。いろんなサービスがありますが、我が家もあるSNSを利用しています。そのSNSには孫の様子がよく投稿されます。投稿をしてくれているのは娘です。そして、その孫たちの成長を、孫の曽祖父母(私からすると義理の父母)も楽しみにしています。自分たちがとても可愛がった孫(娘)が産んだひ孫。そのひ孫の日々の成長から、“元気”をもらっているようです。今の私は、そのことをリアルに想像できます。曽祖父母は、iPadを使ってSNSを楽しんでいますが、家に篭りがちな生活の中でも、iPadを使うことが良い刺激にもなっているようです。

■ところで、昨日、このSNSにほとんど反応しない息子が(読んではいるらしい…)、珍しく投稿していました。しかも、「ささやかながら、花のある生活を始めました」という文章とともに、水仙を小さな花瓶に生けた写真もアップしていました。ちょっと驚きました。娘が姉で、息子は弟。2人の子どもたちは、私がいつのまにか還暦を超えてしまったように、いつのまにか三十路に突入しています。息子は大学院を出て就職してからは、趣味でアルチメット、ランニング、ボルダリングといったスポーツを楽しんではいましたが、花にも興味を持つようになったんだとちょっと驚きました。まあ、父親も還暦前からガーデニングにハマってしまったわけですけどね。

■花(植物)は暮らしに潤いを与えてくれます。世話をすればするほど、潤いが出てくるように思います。世話に応えてくれるのです。息子は都会のマンション暮らし、工夫をして、日々の暮らしに潤いを与えることを楽しんでほしいなと思っています。

「通信技術の発展と環境保全活動」

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■月曜日の夕方、特定非営利活動法人「琵琶故知新」の理事会が開催されました。いろいろ議題があったのですが、最後の方の「通信技術の発展と環境保全活動」というテーマでのディスカッションが楽しかったし、とても妄想しました。妄想って書きましたが、とても刺激を受けていろいろアイデアが頭の中に湧いてきたということです。

■「通信技術の発展と環境保全活動」に関する私個人の経験といえば、まず思い出すことがあります。それは、参議院議員をされている嘉田由紀子さんが、かつて滋賀県琵琶湖研究所に在籍されていた頃に、仲間と一緒にパソコン通信を使って取り組んでおられた「ホタルダス」という参加型による蛍の市民研究です。当時、私はそれを横から眺めていました。参加型調査といえば、高度経済成長期の時代に乱開発と戦うために編み出された「タンポポ調査」が有名ですが、嘉田さんたちの「ホタルダス」は、そのような「タンポポ調査」とはまた別の切り口を持つ参加型調査でした。

■パソコン通信といえば、あの頃は、通信モデムから聞こえてくる「ピーヒョロロロ〜」という音を聞くだけでも、「おお凄いなあ!」と思っていました。しかし、それから約35年の年月が経過しました。スマホを使った通信は、5Gになるようですね。隔世の感があります。さてさて、この「通信技術の発展と環境保全活動」というテーマ、今後はどのような展開していくのかなあと楽しみにしています。これからの通信インフラを利用しながら、どうやって様々な環境保全団体が相互に連携しあっていけるのか、また行政や専門家と連携していけるのか、また環境保全団体を支援できるのか…その辺りのことを、通信インフラの会社の社員の方達と、環境保全に取り組む市民団体や環境科学の研究者が集まって、お互いに刺激を与えながら妄想するようなワークショップができたらいいなと思っています。

■ところで、トップの写真、投稿のテーマとは何も関係がありません。すみません。庭の片隅に生えてきた苔です。最初は、図鑑と見比べながら「うーん、コバノチョウチンゴケ…かな」と思っていましたが、Twitterで苔に詳しい方が教えてくださいました。ノミハニワゴケかコメバキヌゴケあたり…とのことです。苔、難しいです。胞子体が伸びている。その先端の蒴(さく)と呼ばれる部分に胞子が詰まっていて、成熟すると風に飛ばされて広がっていくようです。何か健気さを感じました(人間の側の勝手な思い込みでしかありませんが)。特定非営利活動法人「琵琶故知新」、小さなNPOですが、私たちも頑張らねば。

春がやってきた

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■毎週、自宅のある地域に隣接する農村、仰木にある直売所「わさいなー」に出かけています。新鮮で安心・安全な野菜が手に入るので、大変助かっています。仰木という生産者が暮らす農村コミュニティと、私たち消費者が暮らす新興住宅地のコミュニティが隣接しているわけです。いろんな交流や連携があると素敵だなあと思います。直売所だけでなく、私たち消費者も参加できるように様々な「地産地消」の仕組みが増えていったらいいなと思っています。先日は、そういう話を直売所のお世話をされている方達と、立ち話程度ですが、少し意見交換をさせていただきました。

■仰木では、地元の地主さんと新興住宅地の皆さんとが「棚田のオーナー制度」に取り組んでおられるようです。また、グループで棚田を借りて米の栽培をされている方達もおられます。そういう活動は、仰木の農家の皆さんの農作業の手が入りにくい農地で取り組まれています。先日は、直売所で買い物をした後、そのような活動が行われている、山と山の間の谷筋に連なる棚田を見学してきました。きちんと道は整備されています。ただ、谷筋の棚田は獣害柵に取り囲まれていました。その様子からは、獣害被害もかなりあるのかなと想像しました。棚田がなくなるところまで車で登っていくと、桜がたくさん植えてある場所にたどり着きました。桜広場というようです。地元の皆さんが植樹されたのでしょう。来月は、美しく桜が咲くのでしょうね。

■帰りは、写真のような風景が谷筋から見えました。春がゆっくりやってきていることを感じました。ここはそれなりの高度があります。そのため、琵琶湖はもちろんのこと、湖東の八幡山(近江八幡市)、さらには鈴鹿山脈の山々まで確認できました。

「環境保全活動助成事業夏原グラント」の審査会

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■先週の土曜日になりますが、朝から、公益財団法人 平和堂財団 「環境保全活動助成事業夏原グラント」の審査会が開催されました。私は2014年からこの夏原グラントを審査員としてお手伝いをしてきました。もう8年目、来年は9年目になります。ずいぶん長いですね。それはともかく、この日は、一般助成2年目の審査でした。今年も、それぞれの団体が興味深い活動報告をしてくださいました。ありがとうございました。また、来年度の計画についても書類で拝見させていただきました。もちろん、プレゼンテーションや申請書の書類の書き方などについては、きちんとできておられる団体と、そうでない団体とがいらっしゃるわけですが、それはそれとして、私自身にとっては、毎年、この審査は毎回大変勉強になっています。ひとつひとつの団体の報告は短いものですが、他の地域で環境保全の活動に取り組んでいる皆さん、これから取り組もうとしている皆さんにとっては、いろいろヒントがあるように思います。地域の課題をなんとかしようと賢明に取り組まれるプロセスに「現場の知恵」があります。

「龍谷大学東京オフィス」のTweet

■学生の皆さんに向けて書きます。

■朝起きて、ボーッとした頭で布団の中でTwitterを眺めていました。すると、龍谷大学東京オフィスのTweetが目に入りました。

■私自身は、大学院に進学したので、学部生時代に就職活動というものをしていません。そなるとあまりで偉そうなことを言えないのですが、このTweetにある「私は〜」ではなくて、「会社で〜」「社会に〜」が大切だという点に共感しました。もちろん、東京オフィスの職員の方、そして私も、「自分は〜」を否定しているわけではありません。しかし、就活で出会う企業の採用担当の方達は、そういうことだけを聞きたいわけではないのです。就職活動とは、端的に言えば、自分を企業に売り込むことなのですから。相手は、「君が入社したら会社にどう貢献できるの」、「企業活動を通してどう社会に貢献できるのか」を知りたいのです。

■私は、長らく、大学で地域連携に関する仕事をしてきました。大学の地域連携の活動は教育の一環として取り組まれています。「大学に外に出て活動したい」、「自分をもっとこんな風に変えていきたい」…そういう動機があっても、もちろん良いと思います。しかし、「自分」から一歩踏み出して「地域社会」に重心を移して「地域社会に対して何ができるのか」「どんな貢献ができるのか」ということも同時に考えなければなりません。このあたりのことができるのかどうか。学生ひとりひとりが問われることになります。学外で活動していたら、予定調和的に、自分に素敵な変化が生まれるわけではありません。地域社会の中で生まれる他者(多様な地域住民の皆さん)とのつながりや関係を通して、初めて自分の変化を感じ取れるようになるのではないかと思います。もっと言えば、感じ取れるように自分自身が変化していくこと、それが成長なのだと思います。もっとも、そのような変化は、そういった他者とのつながりや関係の中に埋め込まれているので、なかなか自覚しにくいわけですけど。

■話は少し変わります。数年前、3年生のゼミで(前期)、ボランティアに関する文献を全員で講読しました。今時は少し古典的かもしれないそのような講読をあえてやってみました。すると、次のような意見が出てきました。「中学生の時にクラブ活動でボランティアをさせられましたが、もう二度と、やりたくありません」(←それは、そもそもボランティアなのか…語源的にも間違っているような)。「若者は、みんな自分の損得しか考えていないので、ボランティアとか関心がないと思います」(←龍谷大学のボランティア・NPO活動センターでは、皆さんと同じ学生が頑張って取り組んでいますよ)。そのような意見を聞いて、学生の正直でストレートな本音なのだと思いましたが、心がちょっとシュンとしてしまいました。しかし、そのような意見を述べたゼミ生も、個々の卒論の調査でいろんな方達にお世話になり、いろいろインタビューをさせていただくことになりました。自分の得になるわけでもないのに、わざわざ時間を作って丁寧に話をしてくださることを経験するわけです。卒論という個人的な取り組みではありますが、地域社会の他者と関わること中で、意識に変化が生まれていたように思います。これは、とても大切な変化かなと思います。

■学生の皆さんは、こういう変化も含めて、ご自身の成長ということについて考えて欲しいと思います。

博士論文(学位請求論文)のこと

■退職された同僚の教員から指導を引き継いだ博士課程社会人院生のTさんが、昨年の秋、博士論文(学位請求論文)を提出されました。龍谷大学大学院社会学研究科では、提出された博士論文に対してまず草稿審査を行います。そして、社会学研究科委員会で審査報告を行い、本審査に進めるかどうかを判断します。通常、どなたも、複数の改善すべき点を指摘されることになります。そのような改善を指摘した上で、審査に値する課程博士論文提出に至る可能性が高いとの了解が得られれば、本審査に進めことになります。本審査でも草稿審査と同様に、研究科委員会で審査報告を行い、その上で投票を行うことになっています。Tさんの場合も、以上の全てのプロセスを経て、問題なく合格となりました。もちろん、今後の課題は残りますが。それはともかく、社会人として勤務しながらの博士論文の執筆、なかなか大変だったと思います。最後は、力を振り絞ってくださいました。私自身は、同僚だった教員の院生をお預かりしていたわけですから、無事合格となり、肩の荷がおりました。ほっとしています。

■もちろん、博士論文の元になっている論文はきちんとあります。博士課程に在籍中に、書き溜めてきたものです。その中には、全国学会誌に査読付き論文として掲載されたものも含まれています。龍谷大学大学院社会学研究科では、そのような査読付き論文が最低1本あること、それが博士論文執筆資格が認められるための条件のひとつになっています(他にも、論文の本数や何回学界発表を行ったかなと、複数の条件があります)。というわけで、Tさんはきちんと実力をお持ちの方なのです。しかし、それらの論文をつなぎ合わせれば自動的に博士論文になるのかといえば、そうではありません。全体としてきちんと構造化されていなければなりません。「○○論」、「△△論」、「□□論」とタイトルをつけてもっともらしく並べたとしても、そしてひとつひとつが意味のある論文であっても、全体としては博士論文にはなりません。博士論文は論文集ではありませんから。「大きな問い」(深い問い)を「小さな問い」に分割して、それぞれの章で「小さな問い」を検討していかねばなりません。そして、最後には「大きな問い」を明らかにすることに論理的につながっていかねばなりません。「大きな問い」と「小さな問い」とがきちんと論理的に連関していて、各章で検討してきた複数の「小さな問い」の結論が、最後には「大きな問い」のところで意味のある連関のもとで整理され、まとめられなければなりません。

■そのようなことを、毎年開催される博士課程の中間発表の時に、Tさんにはずっと指摘してきました。解決の方策についてもアドバイスをしてきました。ですが、なかなかうまく伝わらなかったと思います。どうなるかなあと気を揉んでいたのです。でも最後は、なんとか理解してもらえたようで、そこからフル操業で加筆修正に取り組まれました。そして、全体がきちんと理解できるようにまとまりました。こういうのって、比喩的にいえば自転車の漕ぎ方や泳ぎ方…のように、ある日ふっとわかるものなのかな。そんなふうに思います。

■自分の執筆した論文をまとめて博士論文にしていくためには、他の方の優れた博士論文をしっかり読むことも必要です。そこからヒントを得られると思います。良い博士論文の構造(骨格)をきちんと理解できることで、博士論文にまとめることが、どのようなことなのかが理解できるようになるからです。今回の場合もそうでした。ところで、社会人院生ですから、それなりの年齢になっておられます。私よりはお若いですが、ひとまわりも違いません。とはいえ、学位取得はゴールではなく、さらに研究を次のステップに進めていくためのスタートラインです。引き続き頑張っていただきたいと思います。

「1年越しに「晴れの日」 コロナで中止の入学式実施へ―明治や青学、阪大など」

■時事通信ドットコムニュースで、「1年越しに「晴れの日」 コロナで中止の入学式実施へ―明治や青学、阪大など」という記事を読みました。

■2020年度、多くの大学で入学式が中止になりました。そしてキャンパスに一度も入ることがないまま、オンラインで授業が始まりました。これは困ったことだなと思っています。人は人生において、何度も通過儀礼を経験します。通過儀礼とは、出生、成人、結婚、死といった人が生まれてから亡くなるまでの間に、次のステージに進むために行われます。かつて成人式は元服と呼ばれましたが、元服式のあとは、一人前として地域コミュニティで扱われることになります。元服式の前の自分と元服式の後の自分とでは、中身はほとんど変わっていないにもかかわらず、人生の新しいステージに進むことで別人になったような気持ちになります。本人にも自覚が生まれます。これが、通過儀礼の持つはたらきです。ですから、入学式も、広い意味で通過儀礼といっても間違いがないと思います。龍谷大学では仏式の入学式と卒業式が、本部のある深草キャンパスと瀬田キャンパスの体育館で挙行されます。式場の前には、「南無阿弥陀仏」の六文字の名号が掲げられます。仏式の式典に身を置くことで、浄土真宗の宗門校である龍谷大学の学生になったことを深く自覚する場になります。そのような意味で、入学式はイニシエーションでもあります。イニシエーションとは、地域コミュニティや団体の正式な成員として認めるための儀式のことです。それぞれの学生は、人によって受け止め方には濃淡があるでしょうが、「今日から自分は龍谷大学の学生になった」と自覚することになるわけです。

■しかし、2020年度は、通過儀礼そしてイニシエーションとしての入学式が中止になりました。キャンパスに行くことがないままに、なんとなく、ずるずると大学生になっていったわけです。一人一人に聞いたわけではありませんが、これは学生の皆さんにとってはもちろん、大学にとっても、大変居心地の悪い状況のまま現在に至っているということになります。少なくとも、私はそうです。

■ですから、記事のように、すでに入学して勉学に取り組んでいるけれども、やはり入学式を実施しようという大学が複数出てくることにとても納得がいきます。記事の中では、明治大学の関係者が、「1年遅れになるが、入学式という晴れの日を祝い、明治大学生としての自覚と誇りを持てる式典を目指す」と意気込んでおられること、とてもよく理解できます。青山学院大学では、3月末に1年生(関西だと1回生)の入学式を行います。副学長は、「学生同士や教員らとの生身のやりとりで得られるものこそ大学での学び。改めておめでとうの気持ちと、一緒に学ぼうとのメッセージを伝えたい」と話されています。そのお気持ちも、すごく共感します。ただ、記事を読んでいると、学内外の大きな施設で入学式を実施されるようです。日本の全ての大学がこのような形で入学式を行っているわけではありません。龍谷大学の場合だと、2日に分けて各学部ごとに入学式が実施されます。龍谷大学には、9つの学部と短期学部があります。コロナ感染に十分に配慮しながら、1年遅れの入学式を行うことは、空間的にも時間的にもかなり無理があるように思います。では、どうするのか。ここからが問題ですね。大学全体として、1年遅れの入学式のことは聞いていません。学部ではどうでしょうか。さらに学科では…。入学式に替わることを1回生の皆さんが経験することは可能でしょうか。

ポトフ

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■なかなかブログが更新できずにいます。日々の出来事や日常のことばかり、日記のように書いているブログですが、毎日、50人から70人ほどの方達にご覧いただいています。そういう方達には申し訳ないです。

■一週間以上も前のことになりますが、ひさしぶりに夕食に「ポトフ」を作りました。ポトフはフランスの家庭料理です。鍋に肉と野菜を入れて煮込みます。単純です。火にかけた鍋という意味のようです。普通は牛肉を使うことが多いようですが、牛肉は高いので豚肉ということになります。豚バラ肉の塊を2cmほどに切って塩胡椒を揉み込み、軽くソテーします。そして、豚バラ肉の塊とベーコン、タマネギとセロリとニンジン、ジャガイモとキャベツと、圧力鍋に順番に加えて煮込んでいきました。最後はパセリほ振りかけます。我が家では、冬の間、何度もこのポトフを作ります。キャベツをはじめとして野菜をしっかり食べられるのが嬉しいですね。写真のキャベツですが、1玉の1/4ほどの量です。

■「もっと役に立つ投稿をすれば良いのにな…」、「全然、環境社会学は関係ないじゃないの…」と自分でも思います。

関西学院交響楽団「第136回定期演奏会」

20191112dousoukai2.jpg■昨晩は、学生時代に所属していた関西学院交響楽団の第136回定期演奏会でした。ただし、コロナ禍により無観客での演奏会でした。YouTubeでLIVE配信されました。部員の皆さんは、さぞやお辛かったことでしょうね。でも、このような状況でも頑張って定期演奏会を実現されたことに誇りを持っていただきたいとも思います。素晴らしいです。私はといえば、今日は自宅でずっとパソコンにへばりついて仕事をしていました。そのようなこともあり、逆に、LIVE配信だから後輩の皆さんの演奏を聞かせていただくことができました。ありがとうございました。

■ただし、仕事をひと段落させYouTubeを拝見した時には、すでにメインの曲であるシベリウスの交響曲第2番の第3楽章が始まるところでした。私自身も遠い昔、今から42年前の1979年、現役の学生だった頃にこのシベリウスの第2番を弾いたことがあります。ということもあって、学生時代のことを思い出しながら聴かせていただきました(スクリーンショットをSNSにアップすることが禁止になっているので、雰囲気をお伝えできませんけど…)。YouTubeの画面に顔を近寄せてみると、存じ上げている方たちがおられました。ファゴット、フルート、オーボエを吹いておられる女子部員の皆さんです。昨年の関西学院同窓会滋賀支部の総会で、3人で木管三重奏を演奏してくださった皆さんです(当時は3回生)。写真はその時のものです。この時は、世界中がコロナで苦しむなんて、だれも想像できませんでした。コロナ禍の中でも、4回生最後の定期演奏会で演奏できて本当によかったね。

■ところで、昨晩、親しい後輩から、この3人のうちのファゴットの部員のお母様が、私よりも学年が7つ下でファゴット吹いていた方だということを教えてもらいました。冷静に考えれば、そういうことは当然あり得るわけですが、やはり「へー‼︎」と驚くことになります。それから、これも後輩からの情報ですが、本番までに弦楽器も管楽器もそろって練習できる機会は2回しかなかったこと、全員揃ったのは今日が初めてだったのだそうです。これ、びっくりです。本当に大変でしたね。関学は、コロナ感染拡大に対応するために、大学当局の課外活動への制限が大変厳しいと聞いています。課外活動への姿勢は、大学間でかなりの差があるのです。そのような厳しい制限の中でも、なんとしても定期演奏会を実現させようとされた現役の部員の皆さんの熱意に、心より敬意を表したいと思います。こういう時だからこそ、十分に注意を払いながら、音楽を続けて欲しいと思っています。

「隣の人と協力して社会問題を解決する」(オードリー・タン氏)ことと、「地域エンパワねっと」での経験

■2020年は、世界中に新型コロナウイルスが感染拡大しました。感染を防ぐために、学生は大学に通学することも、友達に会うことができなくなり、自宅に籠る生活が続きました。「地域エンパワねっと」を履修した13期生のみならず、龍谷大学社会学部の社会共生実習の全てのプロジェクトの学生にとっても、前期はとても辛い時期であっただろうと思います。学外で活動するはずが、できなくなってしまったのですから。

■具体的な学外での活動は後期からになってしまいました。しかし、短期間であるにもかかわらず、「課題発見型×課題解決型」のプロジェクトでもある「地域エンパワねっと」の理念の通り、学生たちは地域の皆さんへのインタビューにより課題を発見し、その課題解決に向けて活動に取り組み始めることができました。ここまで頑張ってきた13期生の努力を高く評価したいと思います。また、新型コロナウイルス感染拡大により地域の自治活動が滞る中でも、きちんと学生を支えくださった地域の方々には心よりお礼を申し上げたい。と思います。

■ところで、この新型コロナウイルス感染を台湾で封じ込めた中心人物のことをご存知でしょうか。昨年から、日本でもよく知られるようになりました。台湾政府の行政院政務委員のオードリー・タン氏です。彼女は、自著の中で次のようなことを述べています。「隣の人よりも少し上手にできたことに達成感を求めるよりも、隣の人と協力して社会問題を解決することのほうが、私は喜びの度合いが大きいと思います」。他者との比較や競争ではなく、自分と他者を含めた「私たち」=「公共の利益」のために他者と共に協働することの方が、より大きな喜びが得られるというのです。

■私は、このような指摘に、人が幸せに生きていくためのヒントが簡潔に述べられているように思います。そして「地域エンパワねっと」の活動とは、オードリー・タン氏のいう「隣の人と協力して社会問題を解決する」活動そのものなのではないかと思います。小さな課題解決に向けての、ささやかな活動であるかもしれないけれど、そこでの経験は個々の学生の将来に必ずつながっていくはずだと思っています。

■この「隣の人と協力して社会問題を解決する」ということに関連して、大変個人的なことですが、もう少しだけ書いておきたいことがあります。最近、「エンパワ4期生」のHさんから近況報告が届きました。Hさんたちが「エンパワねっと」で取り組んでいた「まちづくりカフェ」の活動のことを、たまたま懐かしく思って私がfacebookに投稿したのを読んで、ご本人が連絡をしてきてくれたのです。

■ Hさんは、昨年、まちづくり関連の企業に転職しました。念願であったまちづくりの仕事に関われているので日々充実していると私に伝えてくれました。また、今の仕事に「地域エンパワねっと」の時の経験がつながっていると感じているとも伝えてくれました。時々、「地域エンパワねっと」の活動を思い出すそうです。少しお世辞が入っているのかもしれませんが、おそらく、ぼんやりとではあるにしろ、学生時代に「地域エンパワねっと」の活動に取り組みながら、「隣の人と協力して社会問題を解決する」ことが自分の幸せにもつながっているということにHさんは気がついていたのだと思います。13期生の諸君はどうでしょうか。Hさんのような気づきを実感してくれているでしょうか。

■このようなこと↑をfacebookにも投稿したのですが、facebookでは、すぐに反応して2人の方がコメントをくださいました。お2人とも「地域エンパワねっと」のOBです。Hさんと同期、4期生のNくんと、5期生のSくんです。ちょっと驚きました。お2人ともfacebookを熱心にやっているわけではありません。今日は、たまたま私の投稿を読んでくださっただけなのかもしれませんが、それでも、きちんとコメントをくださったので、とても嬉しく思いました。Hさんと同期のNくんは、ご自身が卒業した後も「地域エンパワねっと」がずっと継続していることを喜んでくれました。同窓会のようなことをしてはと提案してくれました。5期生のSくんは、「楽しい思い出+多くの学びのある実習でした」とコメントしてくれました。OBとして「地域エンパワねっと」を盛り上げるために協力してくださるそうです。とても有難い事です。嬉しいな〜。

■facebookへのコメント、「地域エンパワねっと」のOBの方達以外に、職員の方からもいただきました。OBの方たちからすぐにコメントが入ったことから、学生にとって印象に残るプロジェクトなのだなあとの印象を持たれたようです。ただ、コメントをくださったOBの皆さんと現役生では、8〜9年時間が経過しています。カリキュラムも、学生たちの平均的な気質や傾向、学生のライフスタイル自体も変化しているように思います。以前よりもアルバイトの比重が学生生活の中で高まっているように思います。変化するのは当然で、社会の影響を強く受けているわけですから。しかも、コロナウイルス感染拡大の影響も大きいように思います。さて、来年度はどうなるでしょう。おそらく、「地域エンパワねっと」での経験は、卒業後、社会人となった時にじんわりと効いてくるのでないか…と思っています。このことについては、また別の投稿に書いてみたいと思います。

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