「忘れない~震災犠牲者の行動記録」
首都大学東京 渡邉英徳研究室と岩手日報社は共同で、東日本大震災から5年を迎える2016年3月、岩手県における震災犠牲者の「地震発生時」から「津波襲来時」までの避難行動をまとめたデジタルアーカイブ「忘れない~震災犠牲者の行動記録」を制作しました。
中野秀一郎先生の葬儀ミサと告別式
■金曜日の研究部の会議中に、母校・関西学院大学社会学部の名誉教授である中野秀一郎先生がご逝去されたというe-mailが届きました。長年親しくさせていただいている、関西学院大学社会学部長の荻野昌弘先生からのe-mailでした。やはり母校の別の名誉教授の先生からいただいた年賀状で、中野先生のことが書いてありました。病院に入院されている中野先生をお見舞いしたとのことでした。その文面からは、かなり中野先生のご容態が悪い状況であることがわかっていましたが、年賀状をいただいてわずかな日しか経っていなかったので、とても驚くことになりました。
■中野先生を最後にお見かけしたのは、近鉄京都駅でした。中野先生は、関西学院大学を退職された後、奈良女子大学や京都文教大学に勤務されました。当時は、京都文教大学におられましたので、おそらくはご通勤の途中だったのではないかと思います。杖をついておられました。その時は、足をお悪くされていたのではないかと思います。2013年頃までは、ご自身のホームページに社会学的なエッセーもアップされていました。写真は、私が卒業した年の卒業アルバムに載っていた先生のお写真です。おそらくは、46歳頃のお写真ですね。
■昨日の午前中、中野先生の葬儀ミサと告別式が夙川カトリック教会で執り行われ、私も参列しました。中野先生からは、直接、何か学問的な指導を受けたわけではないのですが、今となれば笑い話しになるような、いろいろな出来事がありました。一つの思い出を書きます。大学院の修士課程当時(正確には、博士課程前期課程)、私は、大学の近くに学生下宿に暮らしていました。晩遅く、小腹が空いたので、下宿の近くの駐車場で、夜だけ営業していた屋台入っておでんを食べていたところ、突然、お酒を飲んでご機嫌の中野先生が入ってこられました。私の方は、挨拶をしてそのまま下宿に戻ろうとしたところ、引き止められました。そして、どういうわけか(本当はそのまま下宿に帰りたかったのですが)、最後は、先生のご自宅まで連れて行かれることになったのです。先生のご自宅は、大学から少し離れたところにありました。そこまで歩いて先生をお連れすることになりました。先生は酔っておられました。おそらくは、2時間近くかかったのではないかと思います。奥様は笑顔で迎えてくださいましたが、大変ご迷惑をおかけすることになったのではないかと思います。先生は、多くの人たちからダンディーと言われていました。髭をたくわえた大柄な方でした。そして、何よりもお酒がお好きな方でした。葬儀ミサや告別式の時に、先生の遺影を拝見しながら、そのような中野先生との個人的な出来事を、ひとつひとつ思い出すことになりました。
■奥様はキリスト教のカトリックを信仰されています。奥様の、そしてお元気だった時の先生のご意向もあるのかと思いますが、亡くなる少し前に、入院されていた病院の病室で洗礼をお受けになったとのことでした。そのことを、夙川教会の司祭である梅原彰神父が、葬儀ミサの中で、参列した皆さんにお話しになりました。梅原神父は、ご夫婦やご家族のこれまでの様々なエピソードとともに、キリスト教の信者にとっての死がどのような意味を持つのかを丁寧にお話しになりました。おそらくは、カトリックを含めたキリスト教一般なのでしょうが、人の死は終焉ではありません。寂しいことですが、神様のもとへ召される祝福されるべきことと考えるのです。ヨゼフ・中野秀一郎先生。天に召された中野先生の平安をお祈りいたします。
わたしは復活であり、命である。
わたしを信じる者は、死んでも生きる。
(ヨハネによる福音11ー25)
冬景色
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▪︎本日は、午前中、老母の介護の今後のことについて社会福祉士の方にご相談に伺いました。自分自身が、介護をしなくてはいけなくなったから特にそうなのですが、高齢者の福祉問題が大変に気になっています。社会福祉は自分の専門の分野ではありませかんが、私のような素人でも、トータルな意味で、国民を支える仕組み全体を、そしてその財源を考えなおさなくてはいけないのだろうなと思っています。そして、それらの制度の根本に置くべき考え方(社会思想といってもよいかもしれません)についても深く考え直す必要があると思っています。
▪︎自分の母親の介護を通してですが、将来、自分たち自身が後期高齢者になったときの福祉制度が、どのようになっているのかも非常に気になります。超高齢社会がますます「深刻化」していくわけですから。おそらくは、今の学生の皆さんは、関心をもって勉強をしている人たちは除いて、高齢者の福祉問題には関心がないのかなと思います。しかし、ご自分たちが高齢者になったときのことを、いろいろ想像してみる(今はお元気なご両親を介護する立場になったときのことも含めて)、そして今から積極的に政治に対して関心をもつ、そのようなことが、これからはより大切になってくるのではないかと思います。
▪︎毎日、様々なニュースを読んでいます。通勤時には、ネットでニュースを読みます。今日は、2つのニュースが気になりました。ひとつは、厚生労働省が保育士不足を解消するために、国の基準を緩和する方針を決めたというニュースです。これには、厳しい反論がすでに沸き起こっているようです。もうひとつは、フィンランドが世界で初めて全国民に毎月11万円を渡すベーシックインカムを導入するかも…というニュースです。ベーシックインカムに関するこのニュースでは、以下のようなところにも注目しました。「ベーシックインカムの実施には年間522億ユーロ(約7兆円)が掛かると試算されていますが、その代わりに全ての社会保障を停止する予定。Juha Sipila首相は『私にとってベーシックインカムは社会保障システムをシンプルなものにするということだ』と述べており、複雑化したシステムの維持にかかる費用を間接的に削減する効果もあると見込まれています」。国は、お金を渡すから、後は自己責任でやってください…ということなのでしょう。福祉の制度をスリム化することもできるでしょうが、私にはいろいろ疑問もあります。
▪︎午前中、社会福祉士の方にご相談をさせていただいた後、大隅書店の大隅直人さんのところによって情報交換をしました。夢や志しをもって頑張って良い仕事、素敵な仕事をされている方とお話しをさせていただくと、元気が出てきます。大隅さん、ありがとうございました。大隅さんの事務所をお暇した後は、総合地球環境学研究所に移動しました。来週、地球研では「フィリピン・ラグナ湖ワークショップ」が開催れさる予定になっており、そのための準備が必要だったからです。大隅書店のオフィスは大津市の堅田にあり、総合地球環境学研究所は京都岩倉にあります。堅田から岩倉までは、ひと山越えればすぐなのですが、電車で移動するしかありませんでした。本当は、精神的・時間的にも余裕があれば、ケーブルカーやロープウェイで、比叡山を越えてみたかったのですが…。そういう「余裕」が日々の生活のなかになくなってしまいました。
▪︎写真は、地球研の横にある林の写真です。すっかり落葉しました。付近も冬景色です。
ありがたい
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▪︎今時の若い方たちは、仕事とプライベートをきちんと分けて、職場の上司や先輩、そして仲間と「呑み」に行くことが減ってきているという話しをよく聞きます。私は「昭和のおじさん」だからでしょうか。そのような感覚がよくわかりません。職場のなかにも、地域のなかにも、楽しく時間を過ごすことのできる方たちがたくさんいます。昨日は、職場の方と仕事上のことで懇談をした後、「ちょっと行きますか」と大学の近くの中華屋へ。今日は、大学の地域連携でお世話になっている昔からの知り合いの方から、昼間に「ちょっとどうですか」とお誘いがあり、大津の街中での地域の皆さんとの会議が終わったあと、夕方から大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」へ。自分のまわりに広がるたくさんの知り合いの方たちとのネットワークを、有難いことだと、いつも思っています。
カマキリ
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▪︎母が先週の金曜日から1週間程、体調を悪くして入院していました。昨日、土曜日、なんとか退院することができしまた。妹と一緒に介助をして、自宅に連れ帰りました。退院にあたっては、病院のメディカルソーシャルワーカーやケアマネージャーの皆さんにお世話になりました。ありがとうございました。介護保険のおかげで、母の生活は、なんとかなっているというのが実情です。ヘルパーさんによる生活のサポート、本当にありがたいです。もし、これを自分一人でやることになったら、とてもではありませんが無理です。
▪︎母は急に入院することになりました。この手配もケアマネージャーさんがやってくださいました。あわてていたものですから、母の入院にあたって冷蔵庫の中をきちんと処理していませんでした。ということで、妹がその傷んだ食料品の処理をして、私の方は、近所のスーパーに買い物に出かけました。スーバーの駐車場で、ふと左のミラーをみると、どこからやってきたのか1匹のカマキリがしがみついているではありませんか。そばに寄って写真を撮ってみました。何か、秋を感じました。
【追記】▪︎このカマキリですが、「ハラビロカマキリ♀」なのだそうです。昆虫に詳しい方が教えてくださいました。カマキリにも、いろいろ種類があるんですね。
Türk Hava Yolları | Hayal Edince (Dream)
▪︎トルコ航空のCM宣伝のようです。子役の演技がとても素晴らしく、何度も、この動画をみてしまいました。最後、旅客機が着陸した先に見える高い山はなんという山なんでしょうね。おそらくは、アララット山(アウリ・ダウ山)ではないでしょうか。「旧約聖書」に出てくるノアの方舟伝説の山として有名らしいですね。この動画の山、実際のところ、どうなんだろう…。
「鳥越晧之先生を囲む会」
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▪︎昨日は、早稲田大学の横にある東京リーガロイヤルホテルで、恩師である鳥越皓之先生の退職記念パーティーが開催されました。鳥越先生は、仏教大学、桃山学院大学、関西学院大学、筑波大学、早稲田大学と、5つの大学に勤務されましが、この日は、大学院での教育をご担当された関西学院大学以降の教え子たちが集まりました。また、鳥越先生といえば「生活環境主義」ということになりますが、その最初の著書である『水と人の環境史』(御茶の水書房)が出版された頃の研究仲間の皆さん、そして筑波大学や早稲田大学の親しい同僚の方たちが集まりました。
▪︎「生活環境主義」のお仲間のお1人は、昨年まで滋賀県知事であった嘉田由紀子さんです。個人的な考えですが、30数年前、嘉田さんが鳥越先生に琵琶湖の環境問題に関して相談をして一緒に研究を始めることがなければ、「生活環境主義」は生まれていなかったのではないかと思います。この日集まった多くの教え子の皆さんも、鳥越先生のもとで環境社会学を学ぶことはなかったでしょう。そうなると、それぞれの人生は、もっと別のものになっていただろうと思います。さらに、日本の環境社会学ももっと違う展開になっていたかもしれません。私自身も、おそらくは環境の研究をしていなかっただろうと思います。私は、この日集まった教え子のなかでは最初の頃の教え子になります。一番若い方は、早稲田大学のFさんです。最近、修士論文を提出して学位を取得できることになった方です。教え子とはいっても、私とは一世代ほどのひらきがあります。
▪︎この日の様子を、嘉田さんがfacebookに記事をアップされているのでご本人の承諾を得て、写真と文章を転載させていただくことにいたします。嘉田さん、ありがとうございました。以下が、嘉田さんの投稿です。最後に私の名前が出てきますが、この日の私の役割は司会でした。この会の準備にあたってきたしっかり者の後輩からは、「会の準備を何も手伝っていないのだから、脇田さんはご飯を食べずに司会をしてください」と言われたのです。
「鳥越晧之先生を囲む会」、2月15日午後、東京で開催。
いわゆる「退官記念祝賀会」ですが、形式ばった会にはして欲しくないというご本人の強い希望で、関西学院大学、筑波大学、早稲田大学という、3つの大学の大学院の「環境社会学」や「社会学」の教え子を中心に、集まりました。
全員が一言ずつ「鳥越先生からの心に残った言葉」として、それぞれの学生の苦しいとき、迷った時に、ふわっと「それはたいしたことないよ」と軽く支え、また時には「私を信用しなさい」と重く支え、時として、体力が落ちていそうな学生の下宿に食べ物を差し入れしたり、時として、見込みのありそうな学生には崖っぷちまで追い込んで実力を引っ張り出したり、というようなやりとりを披露下さいました。
私自身、かなり深く鳥越イズムにはまった人間ですが、今日の教え子さんたちの言葉をきいて、見事な指導というにはもったいないほどの人間味あふれるやりとりに感動しました。これも、柳田國男以来の日本民俗学、本居宣長にたどる国学や、有賀喜左エ門などから広がる日本社会学の長い、深い系譜に根ざし、かつ沖縄、ハワイ、モンゴルなど海外の現地研究も取り込みながらの学識ゆえ、と感じ入りました。
振り返ってみれば、琵琶湖研究所が滋賀県立で開所されて直後の1982年の「湖畔集落研究会」からはじまった鳥越さんをリーダーとする地道な環境社会学研究があったからこそ、「生活環境主義」という領域をひらき環境政策にも応用できました。環境研究に「居住者の視点・住民の視点」を明示化できた琵琶湖政策にとっての恩人でもあります。
でも鳥越イズムの根っこは「それおもろいか?」「遊べるか?」という知的好奇心だ、というも今日のみなさんの共通理解だったようです。
鳥越さん、この4月からは、関西の大学でまた次世代育てに関わって下さいます。ますますお元気でご活躍ください。
脇田さん、全体進行、ご苦労さまでした!
▪︎先月、鳥越先生の最終講義が早稲田大学で開催されました。先生の話しぶりは、いつものように笑顔と柔らかな雰囲気ではありましたが、私自身はその背後にある重いメッセージを受け取りました。そして、嘉田さんの投稿にもありますが、昨日、若い教え子の皆さんのスピーチをお聞きしたとき、かつて鳥越先生から厳しく指導された当時のことを改めて省みることになり、身が引き締まる思いがしました。
▪︎32年前、関西学院大学の社会学部の校舎2階にある「合同研究室」のコピー機の前で、鳥越先生から言われたことを今でも思い出します。「脇田くん、今のままではダメだから、私のところにいらっしゃい」と声をかけてくださいました。先生はまだお若く(41歳)、大学院は担当されていませんでしたが、京大大学院の農業経済を学ぶ院生なども関学に呼んで、農村社会学に関して、個人的にゼミをされていたのです。また、『水と人の環境史』を出版されたばかりの頃でした。現在、先生は日本社会学会の会長であり、様々な学会の役職をつとめてこられましたが、当時は新進気鋭の若々しい環境社会学者だったように思います。日本の社会学のなかに、環境社会学会が誕生する少し前のことでもありました。そのような研究者として勢いのある先生から指導を受けることができたこと、私にとってはとても幸せなことでもありました。いつか、修行時代のことをもう少し詳しく書くことになるかもしれません。
▪︎「鳥越先生を囲む会」のことに戻りましょう。昨日は、参加者の誰もが、とても良い雰囲気の会だと言っていました。いわゆる「学閥的」なものがなかったからです。先生と教え子や仲間の皆さんとの、純粋に学問を通した関係と先生への感謝の気持ちが基盤になっているからです。鳥越先生は70歳になられました。早稲田を退職されたあとは、ご自身の研究に専念されるのかなと思っていましたが、どうもそうではないようです。これも嘉田さんの投稿のなかに書いてありますが、関西のある大学に異動されます。こんどは、学生を直接的に教育されるのではなく、大学経営という重責を担われるようです。
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▪︎写真についても、少し説明をしておきましょう。トップの集合写真。鳥越先生の教え子以外の方たちについて少しご紹介しておきましょう。中央の鳥越先生の向かって右側。嘉田由紀子さん、桜井厚さん、松田素二さん、秋津元輝さん。向かって左側は、古川彰さん、好井裕明さん、柏雅之さん、ひとりおいて松村和則さん。
▪︎すぐ上左の写真。鳥越先生、嘉田由紀子さん、松田素二さん、古川彰さん。上右の写真、スピーチをされる鳥越先生。左の写真は、会場のホテルから見えた庭園。大隈庭園です。大隈重信の邸宅があった場所です。
複雑系のあやとり
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▪︎自宅近くの風景の一部を切り取りました。本来の複雑系の意味とは違うけど…。まあ、そこのことろは、よろしく。関西電力とNTTのコラボ…でしょうかね。こういう写真を撮った後で、亡くなった赤瀬川原平さんのことを思い出します。街中の面白い風景を写真に切り取り、文章を添えた著書があったように記憶しています。たしか、『路上の神々』(佼成出版社、2002)だったかな…。
▪︎その赤瀬川さんのご自宅に、一度だけですが、取材にいかせてもらったことがあります。赤瀬川さんのご自宅は、建築史を専門とする藤森照信さんが設計した住宅です。屋根にニラを植えたポットが埋め込まれているので、「ニラハウス」です。「えっ?」と思う方は、ちょっと調べてみてください。「嬉しがり」になってしまい、話が脱線してしまいました。
▪︎赤瀬川さんの『路上の神々』のなかには、この電線のような写真がたしかあったように思うのですが…。私も「老人力」がついてしまって。
【追記】▪︎まあ、日本だとこの程度ですが、海外にいくともっとすごい状態に…。以下の写真は、ハノイです。左側は、3年前のベトナム旅行の際に撮ったもの。右側は、ゼミの卒業生のIくんが「もっとすごいのがある」と教えてくれたものです。こちらもハノイです。ハノイの方たち、これで大丈夫なんでしょうか…不思議です。
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