「SDGs x 仏教」
■ネットで「『SDGs x 仏教』の秘めたる可能性 日本はイニシアチブをとれる」(Forbes Japan)という記事を読みました。
「びわ湖チャリティー100km歩行大会(びわ100)」の打ち上げ&「琵琶湖と共生する滋賀の農林水産業の世界農業遺産認定を目指す決起集会」
◾️先週の木曜日のことになりますが、先日開催された「びわ湖チャリティー100km歩行大会」の打ち上げと、世界農業遺産認定を目指す「琵琶湖と共生する滋賀の農林水産業の世界農業遺産認定を目指す決起集会」が、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」で開催されました。滋賀県庁の農政水産部の皆さんとよく飲みました。最後、何か話したような気がするけど何を話したか忘れてしまいました。まあ、聞いた皆さんも忘れているでしょうがwww。
◾️写真は、飲んだ後の集合写真です。私は4月生まれで既に還暦になりましたが、私の左右におられるお2人も同級生です。年度内には還暦に。ちなみに向かって左は、農政水産部を率いておられる部長さんです。若い方達に囲まれて、我らアラ還は幸せです。しかし、スーツの皆さんの中で、1人私は…浮いてるような。でも、とりあえず我らはチームです!!
◾️さて、滋賀県が世界農業遺産に向けて行った申請、まずは国内の一次審査は突破しました。しかし、審査はまだまだ続きます。今回の決起集会という飲み会が、ローマでの世界農業遺産認定につながる一歩となるように、引き続きアドバイザーとして、頑張っておられる職員の皆さんのお手伝いをさせていただきます。頑張った成果が実を結び「世界農業遺産」に認定されると、来年の「びわ100」では「祝・世界農業遺産認定」を祝って100kmを歩くことになります。しかし、重要なことは、むしろ認定の後の取り組みの方ですね。ローマへ通ずる道の向こうには、まだまだ次の道が伸びています。
◾️木曜日は、この打ち上げ&決起集会、そして金曜日は昨日のエントリーにも書きましたが、鉄道ファンとの交流会。飲み会が続きました。
ブルーギルの激減
▪️先日、ショックな報道がありました。ネットのニュース、産経新聞の「琵琶湖の外来魚が謎の半減、大半はブルーギル…生態系に変化か 滋賀県が実態調査へ」です。「問題視されていた外来魚が減るんだから、いいんじゃないの」という意見もあると思いますが、外来魚とはいえ、急に特定の魚種が減少してしまうことの背景に、どのような原因があるのか、大変気になるところです。琵琶湖の生態系に何か変化があるのか、その点も気になります。何かよくないことの予兆ではないことを祈りたいです。
▪️いろんな方達のネット上での意見や考えにも注目しています。釣り人の方達の意見が気になります。このような激減の兆候を、もっと早い段階から気づいておられた方が結構おられるようです。南湖の水草の減少とブルーギルなどの産卵床の関係についての指摘もありました。
市民団体「水草は宝の山」公式サイト
◾️市民グループ「水草は宝の山」の公式サイトです。「水草は宝の山」、略して「水宝山」。このグループでは、琵琶湖の南湖の湖底に繁茂する水草、湖岸に流れ着く水草、これらの水草の有効利用を目指して活動をしています。私は、大津市民、滋賀県民としてこのグループに参加しています。公式サイト、これから充実させていきます。右上に「三」のようなマーク(ハンバーガーメニュー)がありますが、ここからこの公式サイトのコンテンツをご覧いただけます。
◾️これまでの「水草は宝の山」の取り組みに関連したエントリーについては、こちらをクリックとしてご覧ください。
孫と過ごしながら考えたこと
◾️一昨日と昨日、娘夫婦と孫娘のひなちゃんが、滋賀の我が家にやってきました。孫は1歳5ヶ月になり、いろんなことができるようになってきました。言葉も少しだけですが、話せるようになってきました。大人の言っていることも、ある程度わかっているようです。昼から保育園に通っていますが、保育園に通い、近い年齢の園児さんたちと一緒に過ごすことで、成長に加速度がついてきたように思います。単なる「ジジ馬鹿」と笑われるかもしれませんが。
◾️普段、大阪に暮らしている孫とは、たまにしか会うことができません。ということで、会うと必ずと言って良いほど、孫は人見知りをして泣くのでした。加えて、私は年寄りの男性で、眼鏡をかけて、しかも髭を生やして髪の毛も長い…。小さな子どもからすると「異形の人」なのかもしれません。今回も、また泣かれるのかな…と用心をしながら、少しずつ距離を縮めていきました。そのことが良かったのか、少しずつ慣れてきてくれました。写真のように一緒に歩くことも許してくれるようになりました(^^;;。こうやって孫と過ごしていると、本当に心が癒されますね。孫のことをとても愛おしく思います。自分の子どもを育てているときとは、やはりどこか気持ちのあり方に違いがある様に思います。自分の子どものときは、育てることに必死でした。自分自身のことについても必死でした。若い頃は、あまり余裕がありませんでした。
◾️孫たちが滋賀に滞在している間に、滋賀の老人ホームに入所している老母のところにも連れて行きました。母は寝たきりの状態で、認知的にも問題を抱えていますが、曽孫がやってきたことはわかる様でした。韓国の映画に、『祝祭』という映画があります(この映画のストーリーを紹介することはしませんが)>
この映画の中に、心身ともに弱り「小さく」なっていく祖母のことを心配する孫娘に、「それはおばあちゃんが、あなたに歳と知恵を分かち与えているからなのよ」と両親が説明するシーンがあります。私の目の前でも、曽孫は少しずついろんなことができる様になり、曽祖母は弱っていっています。母は、自分の曽孫に歳と知恵を少しずつ分かち与えているのでしょうかね。この映画「祝祭」のことは、韓国社会を研究されている方に教えていただきました。素敵な話しですね。では、祖父である私は、孫に何をわかち与えることができるのでしょうか。
◾️自分が子どもを育てている時には、心配しなかったことがあります。それは、「孫が大人になった時、どんな社会になっているのだろうか。その時、日本の環境は、地球の環境どんな状況になっているのだろうか」ということです。もちろん、私はもうこの世には存在していません。そういう点では、この様な心配については、「世代間倫理」という言葉とも関連しているのかもしれません。「世代間倫理」とは、子孫(将来世代も含む)の利益を保護するために現世代が一方的に負うべき義務について論じる倫理」のことで、特に環境問題との関連で使われる言葉です。孫が大人になった時のために、私たちはどの様な義務を背負っているのか。孫の時代のために、自分は何ができるのか。孫と楽しい時間を過ごすと同時に、その様なことを考えることが増えてきました。ただし、「世代間倫理」で言われるところの「現世代が一方的に負うべき義務」という表現よりも、「将来世代のために、何を贈ることができるのか」といったほうが適切かもしません。「義務」ではなく「贈与」です。世代を超えた義務関係に現世代が縛られるのではなく、将来世代のためにポジティブに何ができるのかという点に両者の違いがある様に思います。義務ではなく、贈与に基づく世代間倫理を構想することは可能でしょうか。私は、可能だと思います。
「そだね〜♪」な研究集会
■平昌オリンピック、日本女子カーリングチームの「そだね〜♪」は、共感をベースにしているように思います。共感の上で議論やコミュニケーションが展開していくわけですね。一方、何かにつけ「でもねー」で始まるパターンの場合、相手を否定し、シュンとさせたりガックリさせることで、自己の存在価値を誇示し、そのことで自己の承認欲求を満たそうとしているように思います。意識的に無意識のうちにの違いはありますが、相手を支配することに、優位に立つことに隠れた目的があるので(さらには搾取することに)、建設的な議論やコミュニケーションは展開しにくいわけです。その場合は、得てして権威主義的に振舞うことにもなります。どこか自信の無さやコンプレックスの現れでもあるわけですが、もちろんご本人はそのような自覚はありません。
■「そだね〜♪」と「でもねー」は、大きな分かれ道になると思います。以前に、朝日新聞のコラム(折々のことば)で哲学者の鷲田清一さんが、作家の高橋源一郎さんの言葉を引用されていました。「誰かを論破しようとしている時の人間の顔つきは、自分の正しさに酔ってるみたいで、すごく卑しい感じがするから」というものです。これはツイッターのツイートらしいのですが、このツイートとも関係しているように思います。この「すごく卑しい感じ」は「でもねー」と親和的です。ただし、自分で自分の卑しい顔は見ることはできません。自分以外の他人であれば、そういう卑しい顔を嫌という程見てきましたが…。「でもねー」に対抗するために、自分も「でもねー」に陥ってしまう危険性があります。
■「そだね〜♪」から始まるコミュニケーションを心掛けることは、「和顔愛語、先意承問」とつながっています。仏教の「大無量寿経」というお経には、「無有虚偽諂曲之心、和顔愛語、先意承問」とあることを学びました。「媚び諂いのような嘘偽りの心でなく、和やかな笑顔と思いやりのある話し方で人に接して、相手の気持ちを先に察して、その望みを受け取り、自分が満たしてあげる」という意味とのこと。お互いが「そだね〜♪」であれば、「和顔愛語、先意承問」なのかもしれない。しかし、相手を否定し相手を支配しようとする「でもねー」相手に、「和顔愛語、先意承問」だとどうなるのでしょう。仏教の教えは、こういう場合には、どう答えるのでしょうね。
■先週の金曜日のことになりますが、東京に向かいました。「地方創生時代の地域コミュニティ・観光資源管理を考える研究集会(第3回)」に参加するためです。前回、第2回に参加し、自分とは異なる見解や立場からの発言を聞いて、改めて自分自身の立ち位置を確認できました。「ミネルヴァの梟は迫り来る黄昏に飛び立つ」とは哲学者ヘーゲルの言葉です。哲学は現実の後に遅れてやってくるという意味です。その哲学の末裔である社会学も、遅れてやってくる上に、実証主義(ポジティビズム)の足枷の中で、現実と関わろうとします。そういう前提を持つ「知」が果たす役割、大いにあるとは思いますが、それとは違う形で現実と関わりたいと思います。前置きが長くなったけど、この研究集会にはそういう方も集まっています。
■第3回は、国立歴史民俗博物館の柴崎茂光さんから世界自然遺産に認定された後の屋久島のことについてお話しを伺いました。「地域に根差した地域研究・観光学の可能性について-フィールドでの違和感から-」というタイトルです。この地域の関係者であり研究者である柴崎さんがフィールドで心を痛めて悩まれてきたことに共感しました。外からの観光の眼差しに一方的に消費されていくかのような状況や、世界自然遺産となった結果、それ以外の価値が見えなくなったり失われていく過程、そしてそれらを時間をかけながらどう改善していけば良いのか、決して雄弁には語らない(偉そうに、賢そうには語らない)、むしろ自分の悩みを告白するかのような柴崎さんの語り口調にも共感しました。地域の関係者である柴崎さんのお話しは、世代を超えて将来世代にまで及びました。研究会の後は懇親会。そして二次会と続きましたが、司会進行の土屋俊幸さん(東京農工大学大学院)の進行も素敵なこともあって、基本的に「でもねー」ではなく参加者の「そだね〜♪」で柴崎さんの話題がいろいろ展開していくことになりました。こういう展開は素敵ですよね。この研究集会、当初3回は継続しようということになっていましたが、参加者の皆さんの意見で、現在のメンバーでさらに3回継続することになりました。
■翌日は、寄り道をせずにさっさと帰宅しました。新幹線の中でのお供は、宇野重規さんの『民主主義のつくり方』と、宮下直さんの『生物多様性の仕組みを解く』。宇野さんの本は再再読になります。そういえば、先週の「チャレンジ!オープンガバナンス2017」の審査員をされていたので、少しだけお話しをするチャンスがありました。宮下さんの本は、私のような素人にはわかりやすいものです。この2冊、私の中ではつながっているし、昨日の柴崎さんのお話しもつながってくるように感じられました。ふと気がつくと、新幹線は関ヶ原を越えて近江・湖東を走っていました。その風景に、強く春を感じました。
琵琶湖の全循環(2018年)
■「琵琶湖の深呼吸」とも言われる全循環が、1月22日に確認されたようです。一昨年の琵琶湖の全循環はとても遅れました。3月になってやっと確認されました。琵琶湖の環境に関心を持つ多くの人びとが気を揉みました。なぜ全循環が確認されないといけないのか、「琵琶湖の全循環(2016年)」をお読みいただければと思います。ちなみに、昨年、2017年は1月26日でした。今年も、通常通りの時期に全循環が確認されました。寒さが厳しいからです。しかしながら、地球全体からすれば温暖化の傾向にあるわけですから、記録的…といわれるような暖冬になると、全循環は遅れてしまいます。
■私は、以前、岩手県盛岡市に暮らしていました。盛岡では、秋になると市内を流れる北上川、その支流の中津川に鮭が遡上していました。鮭が遡上する様子を、多くの市民の皆さんが橋の上から眺めておられました。そして、高松の池にやってくる白鳥のことも気にかけておられました。「今年も鮭が遡上したね」とか、「白鳥が飛んできたね」とか、そういう気持ちで身近な自然環境を感じ取っていたわけですね。毎年、繰り返しておこる自然の出来事。それが今年も再びやってきたことで、安心するわけです。琵琶湖の全循環には、そのような生き物の姿は見えません。全循環自体は、物理的な現象になります。しかし、「今年も鮭が遡上したね」とか「白鳥が飛んできたね」とか、お互いに語り合って安心した気持ちになるのと、「今年も全循環が確認されたね」と語り合って安心した気持ちになるのとは、気持ち的にはかなり近いように思います。もちろん、私の個人的な思いかもしれませんが。
ツシマヤマネコと農業(その1)
■先月、長崎県の対馬市に出張した時のことを、まだエントリーしていませんでした。対馬には、12月16日から19日まで、3泊5日の日程で行ってきました。
■対馬には、対馬の里山の象徴とも言われるツシマヤマネコが生息しています。しかし、近年、農家の高齢化により耕作放棄地が増加したことにより、ツシマヤマネコにとって生息好適地である人の手の加わった里山環境が減少し、生息数も減少の一途を辿っています。今回の出張(調査)では、このツシマヤマネコの保護と地域活性化に取り組んでこられた一般社団法人MIT(みっと)、佐護ヤマネコ稲作研究会、そして対馬市役所を訪問し、現地視察とともに聞き取り調査を行ってきました。このフィールドは、長年、滋賀県琵琶湖環境科学研究所の淺野悟史さんが調査をされてきたところです。今回は、淺野さんに色々現地でのコーディネートをお願いし、ご案内いただきました。淺野さん、ありがとうございました。
■対馬空港に到着したあとですが、レンタカーを借りて、まずは対馬野生生物保護センターを訪問しました。ツシマヤマネコに関する基本情報を確認するためです。ここは、対馬の野生生物の保護の拠点となる環境省の施設で、ツシマヤマネコなど野生生物の生態や現状についての解説、野生生物保護への理解を深めていくための普及啓発活動や気象野生生物の保護事業等を実施しています。また、全国の動物園と連携しながら、ツシマヤマネコの繁殖に取り組んできました。背景には、1994年に制定された「種の保存法」の存在があります。この法律にもとづき、ツシマヤマネコは国内希少野生動植物種に指定されており、対馬以外のところでは、福岡市動物園で人工飼育と繁殖が行われることになりました。リスク分散という意味でしょうが、福岡以外の全国各地の動物園とも連携して事業を進めているようです(ちなみに、私がツシマヤマネコのことを知ったのは、京都市の岡崎にある京都市動物園の中の展示でした)。また、対馬市にはツシマヤマネコ野生順化ステーションが設置されています。ここでは、島外の動物園で生まれたヤマネコが対馬の自然の中で生きていけるように、つまり野生復帰できるように訓練が行われているとのことです。
■さて、対馬野生生物保護センターでは、実際に生きているツシマヤマネコを拝見することができました。生きたツシマヤマネコとの対面は、これが初めてでした。人生初ということになりました。お名前は「福馬」くんと言います。「福」岡の動物園で生まれて、対「馬」で育ったことから「福馬」と名付けられているのです。イエネコとは微妙に形が違いますね。胴長短足で尾は太くて長いですね。耳の後の白い斑点があります。額には縦縞があり、耳の先が丸いことも特徴です。展示の解説を読んでいると、氷河時代、朝鮮半島と日本列島が陸続きだったときに渡ってきたアムールヤマネコの末裔がツシマヤマネコで、もともとは、ベンガルヤマネコから別れてきた種類なんだそうです。西表島のイリオモテヤマネコの先祖も、ベンガルヤマネコとのことです。
■ツシマヤマネコの現状については、対馬野生生物保護センターのこのページにコンパクトにまとめられています。そこでは、生息数について、以下のように解説しています。「1960年代の調査では、推定生息数頭数は250~300頭と報告されていますが、1994~1996年度に環境庁が行った調査では、70~90頭という結果が得られました。 ずいぶん生息数が減ったことがわかります。また、以前は対馬全島に分布していましたが、現在は狭い地域に分断されてしまっています」。生息数が減少した原因としては、冒頭に述べたように、まずはツシマヤマネコにとって生息好適地である人の手の加わった里山環境が減少したことが大きいわけですが、それ以外にも、イエネコからの病気(ネコエイズ)の感染、鶏をイタチなどから守るトラバサミで死んでしまったり、犬に噛まれたり、自動車に轢かれたり…といった理由が挙げられています。
■少しずつになりますが、時間かけて、このツシマヤマネコと農業のことをエントリーしていきたいと思います。
「猟師と一緒にジビエ料理を囲み語らう夕べ」(高島ワニカフェ)
■昨晩は、高島市にある「高島ワニカフェ」で開催されたイベント「猟師と一緒にジビエ料理を囲み語らう夕べ」に参加しました。ジビエ料理、狩猟、獣害の問題、農業、環境…等々に関心を持った20名ほどの方達が参加されました。講師は、地元の猟友会で狩猟をされているIさんとKさん。ジビエ料理をいただく前に、Iさんがご自身でYouTubeにアップされた動画をもとに、参加者の皆さんといろいろ学ばさせていただきました。
■狩猟の昔と今。増えすぎた獣と森林のこと。狩猟の実際。狩猟だけでなく増やすこともやっていること。駆除した獣を大切にいただくこと。ジビエ料理のこと。ジビエ料理は、個体によって成長過程に差があるかことから味に違いがあること。それがジビエ料理の醍醐味であること。子どもたちを対象とした「湖地考知」プロジェクトでのワークショップ(フィールドワーク)のこと。そのワークショップでは、子どもの中には、罠にかかった鹿が可哀想だから「逃がしてやって」と言いながらも、解体する時から少しずつ子ども達の考え方がかわり、料理された鹿肉を美味しいと思うこと。命をいただくことを学ぶ子どものこと…。
■岡野さんご夫妻が経営されている「ワニカフェ」は、つくる(生産者)と食べる(消費者)2つの「ワ」をつなぐカフェを目指しておられます。様々な活動を展開されていますが、今回もそのようなお店の取り組みの一環として行われました。岡野さんご夫妻は、上記の「湖地考知」プロジェクト以外にも、高島市で盛んに生産されている有機野菜を地元で消費するための新しい流通の仕組みも作っておられます。「高島マーケット」といいます。
■さてお料理の方ですが、イタリアン料理を修行されてきた岡野さんによるジビエ料理、お腹いっぱいになりました。昨晩は家人も一緒でした。ジビエ料理が苦手と思い込んでいたようですが、その思い込みがひっくりかえったようでした。テーブルでは、猟師のKさんからさらにいろいろ詳しいお話しを伺うことができました。猟師になったきっかけから始まり、猟犬のことや、さらに詳しい狩猟の実際についてもいろいろお話しくださいました。ありがとうございました。ワニカフェの岡野ご夫妻には、とても素敵なチャンスをいただくことができました。心より感謝いたします。また、「湖地考知」プロジェクトのワークショップが開催される時は、ぜひお知らせください。よろしくお願いいたします。
【追記】■上記のワークショップのこと、YouTubeにアップされています。
湖地考知プロジェクト 第3回 ジビエフィールドワーク 2015.3.22
水草のこと、世界農業遺産のこと
■今日は、午前中、大津市の皇子山にある大津市公園緑地協会と、堅田の真野浜の「きよみ荘」を訪問しました。両方とも、琵琶湖・南湖の「水草問題」関連での訪問です。民間の力を主体に琵琶湖・南湖の水草問題を解決するための取り組み、少しずつでしかありませんが前進しています。写真は、その真野浜から撮ったものです。普段は対岸や比良山系が美しく見えるわけですが、今日のように湖と空の境目がわからない様な、こういう「水墨画」ような風景も素敵だなと思います。
■午後からは滋賀県庁に移動しました。滋賀県は、現在、世界農業遺産に向けて申請準備を進めています。私は、その申請準備のアドバイザーを務めています。今日は、その申請書の作成をアドバイザーとしてサポートさせていただきました。午後は県庁にこもって仕事をしました。職員の方達とじっくりディスカッションもできました。職員の皆さんは、様々な分野の専門家から、申請に必要な情報や視点に関していろいろヒアリングをされています。そのような、ヒアリングから得られた情報についても考慮しながら、ディスカッションの中で浮かび上がってきた難しい課題を、なんとか乗り越える道筋が見えてきました。安心しました。集中し過ぎて首や背中が凝ってしまいました。結局、今日は「水草問題」と「世界農業遺産」で1日を終えることになりました。両方とも、琵琶湖に関わる事柄です。人生の最後のコーナーで、なかなか愉快です。400mトラックでいえば、300m超えたあたりです。あとは残りは、直線100m。頑張ります。