総合地球環境学研究所で打合わせ

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20150618chikyu1.jpg▪︎今日も、深草キャンバスに直行。午前中は例によって研究部の仕事で…いろいろ…ありました。協議、打合せ、会議。事務職員の皆さんには申し訳ありませんでしたが、午後からは、溜まりに溜まっている、研究プロジェクトの仕事をするために、総合地球環境学研究所に移動しました。深草キャンバスの最寄りの駅は、市営地下鉄の「くいな橋」駅。そこから終点の「国際会館」駅まで移動し、そこからはバスになります。京都の南から北に移動するわけですが、地下鉄のおかげでスムースに移動できます。

▪︎地球研では、PD研究員の浅野さんと、溜まりに溜まっていた案件の打合せをしました。浅野さんは、6月から奥田プロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会─生態システムの健全性」に雇用されることになった若手研究者です。とても優秀な人で、「打てば響く」ような感じで打合せが進みました。プロジェクトの重点サイトである甲賀市甲賀町小佐治での調査の進め方、社会科学系担当者の研究会の日程調整、さらには8月に滋賀県が主催して開催される「マザーレイクフォーラム」への参加…いろいろ仕事を進めることができました。午前中は大学の「研究部」の仕事でしたが、午後からは自分の「研究プロジェクト」の仕事に集中できました。なんだか、本来の自分を取り戻したような気分です。

▪︎写真は打合せ中の様子です。リーダーの奥田さんは、この日開催されていた国際シンポジウムに出席されていましたが、休憩時間にやってきてくれました。テーブルの中央に広げてあるのは、小佐治の地図です。すでに、この地図は、地理情報システムに取り込まれています。これから調査で得られる様々なデータを、地理情報システムの上で整理していくことになります。地域の住民や農家の皆さんとの協働作業でもあります。そのような協働作業から、予想もしない「発見」が生まれてくることを期待しています。楽しみです。

▪︎浅野さんは、この地理情報システムに詳しい方です。昨日はいろいろ教えてもらいました。ずいぶん昔、当時参加していたプロジェクトで地理情報システムを使っていたことがあるのですが、技術はどんどん進歩しています。専門家だけの技術ではなく、多くの人びとがスマートフォン等を使って気軽に利用することができるようになってきています。たとえば、多くの皆さんが参加して自らの記憶や体験を、地理情報システムに保存していくと、それはアーカイブとして機能するようになります。そのようなアーカイブに多くの人びとが参加することで、様々な多様な記憶や体験が蓄積されていきます。そして、相互に連関していくことのなかで、新しい「社会的価値」がその内側から生み出されていくように思います。浅野さんからは、まず「Hiroshima Archive」のことを教えてもらいました。
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▪︎まずは、イメージを掴むために、以下の動画をご覧ください。

▪︎「Hiroshima Archive」の公式サイトには、以下のように説明されています。

はじめに
被爆から66年が経ち、あと数十年のうちに、被爆者のいない未来がやってきます。それは、最も強く平和を願い、核兵器のない世界を切望した人々がいなくなることを意味しています。「ヒロシマ・アーカイブ」は、2010年に公開された「ナガサキ・アーカイブ」のミッションを受け継ぎ、被爆者の体験と想いを未来の地球に遺していくために、66年間にわたって蓄積されてきた大量の資料と、最先端のインターネット技術を融合して制作されました。

多元的デジタルアーカイブズ
「ヒロシマ・アーカイブ」は、広島平和記念資料館、広島女学院同窓会、八王子被爆者の会をはじめとする提供元から得られたすべての資料を、デジタル地球儀「Google Earth」上に重層表示した「多元的デジタル・アーカイブズ」です。1945年当時の体験談、写真、地図、その他の資料を、2010年の航空写真、立体地形、そして建物モデルと重ねあわせ、時空を越えて俯瞰的に閲覧することができます。このことにより、被爆の実相に対する多面的・総合的な理解を促すことを企図しています。

記憶のコミュニティ
私たちは、地元の高校生や全国のボランティアと連携して証言の収集活動をすすめ、集合的記憶の醸成をとおした「記録のコミュニティ」を生成しました。さらに、Twitterなどのソーシャルメディアを用いてオンラインコミュニティを形成し、平和と核廃絶に向けたメッセージを世界中から募り、デジタルアーカイブズに包含していきます。このようにして、過去の記憶と現在のメッセージを実空間/Web空間で共有し、未来の物語を紡いでいくためのプラットフォームとなることを目指しています。

311を越えて
2011年3月11日、東日本大震災が発生し、「ヒロシマ・アーカイブ」制作メンバーのうちひとりは仙台で被災しました。人々が住みなれたまちを地震と津波が破壊しつくし、原子力発電所事故が放射性物質禍を引きおこし、これまで過ごしてきた日常は終わりを告げました。311以降、66年前のヒロシマを語り継ぐこのプロジェクトのミッションも変容しています。過去の悲劇を当事者として学び、自らのことばで未来に伝える。私たちが制作したアーカイブズが、多くの人々に利用していただけることを願っています。

▪︎今から15年ほど前のことになりますが、以下の論文を書きました。「『体験と記憶』のなかにある『場所』-『弱い語り』を支える調査」『社会学年報』No.30(東北社会学会)。この論文に書いたことを、進歩した地理情報システムの技術を念頭に、再考する時期にきているように思いました。基本の発想は変わっていないと思いますが、現段階においてさらに深めて考えてみたいと思っています。

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▪︎打合せが終了した後、地球研の別のプロジェクト(「地域環境知形成による新たなコモンズの創生と持続可能な管理」)の共同リーダーである菊池直樹さん、PD研究員の浅野さんと私の3人で、夕食を一緒にとることにしました。府立植物園に隣接しているイタリアンレストランです。とても素敵なレストランでした。研究のこと、環境社会学会のこと、様々な(?!)議論をすることができました。有意義な時間を過ごすことができました。若い浅野さんも、いろいろ勉強になったのではないかと思います。写真は、デザートのケーキを写す菊池さんです。なんだか、かわいらしい〜。私の方は、バーボンウイスキーを楽しみました。

総合地球環境学研究所での会議

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▪︎4月29日、祭日ですが、朝から仕事に出かけました。京都の上加茂にある総合地球環境学研究所に向かいます。いつものように、奥田プロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会─生態システムの健全性」の社会科学系の班での打ち合わせです。この班のメンバーは、山陰、北陸、東北にも分散していることもあり、今回は、関西在住のメンバーが集まりました。左から京都大学の篭橋一輝さん、プロジェクトリーダー・地球研の奥田昇さん、京都大学生態学研究センターの谷内茂雄さん、それと私です。社会科学系の班、じつは「人間社会班」というなんでもありのネーミングなのですが、この班の今年度の予算執行と細かな研究計画、そして来年度以降の研究ロードマップについて議論を行いました。篭橋さんが、事務局的な役割をこの会議で果たしてくださったこともあり、議論は無事に終了。これで、ひとまずは安心です。あとは粛々と研究調査を進めるだけです。もちろん、粛々とはいっても、山あり谷あり…だと思います。

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20150429chikyuken4.jpg ▪︎総合地球環境学研究所の建物はずいぶん変わった形をしています。たくさんのプロジェクトがありますが、プロジェクトごとの部屋はありません。オープンな空間のなかに、プロジェクトのエリアがあるだけです。上・左の写真は、奥田プロジェクトのエリアです。まだ、プロジェクトが動き始めたばかりであり、今日は休日ということもあり、ちょっと閑散とした雰囲気です。まあ、そのうちに賑やかな雰囲気になってくるのではないかと思います。よくわかっていないのですが、大漁旗は、奥田さんが持ち込んだものです。愛媛大学に勤務されているときのもののようです。漁船が大漁旗を掲げながら漁港に帰ってくるように、私たちの研究プロジェクトも成果が「大漁」になればいいなと思います。上・右の写真は、会議や打ち合わせを行うスペースです。環境的には非常に恵まれているように思います。そして左ですが、総合地球環境学研究所のマスコットキャラクターのようです。「地球研」だからでしょうかね、「地球犬」というようです。「上賀茂名産の京野菜「すぐき菜」と犬が仲良くなって生まれた、うさぎみたいな犬」という設定らしいです。歌と踊りもあるようです…。この「地球犬」についてのコメントは控えたいと思います(^^;;。

▪︎総合地球環境学研究所での会議は、13時過ぎに終了。そのあと、深草キャンパスに移動しました。緊急に対応すべき出来事がおきたものですから。なかなかハードな日でした…といいますか、現在、まだ大学で出来事に対応しています。できた隙間の時間でこのエントリーを書いて気分転換しています。引き続き、頑張ります。

小佐治での説明

20150420kosazi.jpg ▪︎14日、総合地球環境学研究所・奥田プロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会─生態システムの健全性」のメンバーと、プロジェクトの調査地のひとつである、滋賀県甲賀市小佐治集落を訪問し、集落の環境保全部会の皆さんと一緒に、現地での協議を行いました。何度も報告してきたように、小佐治では、集落の環境保全部会の皆さんを中心に、「豊かな生きものを育む水田づくり」のブロジェクトに取り組んでおられます。村の水田や周辺の環境に、生き物の賑わいをつくるためのプロジェクトです。

▪︎昨晩は、再び、小佐治を訪問しました。晩の8時半から、小佐治の農事改良組合の皆様の会合があり、そこで私たちの調査のことをご説明させていただけることになったからです。この日は、総合地球環境学研究所を紹介した冊子と、リーフレットを持参し、さらには私たちの調査をわかりやすく説明したパワーポイントのスライドを印刷したものを持参し、説明させていただきました。お忙しいなか、私たちのために時間をお取りいただき、ありがとうございました。今後も、集落の各種団体の皆様と連携をはかりながら、小佐治の「むらづくり」に貢献できる調査にしていくよう、努力をいたします。

総合地球環境学研究所・「奥田プロ」のコアメンバー会議

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▪︎滋賀県野洲市須原で「魚のゆりかご水田」の魚道設置をしたあとは、京都の上賀茂にある総合地球環境学研究所に戻りました。ここで「奥田プロジェクト」(「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会─生態システムの健全性」)のコアメンバー会議が開催されることになっていたからです。滋賀からは、地球研の上原佳敏さんの運転でいわゆる「途中越え」して京都に戻りました。コアメンバー会議では、予算、人事、研究計画と進捗状況、前日にいった小佐治での調査を具体的にどう進めていくか…やるべきことは山ほどあります。いやはや、とってもとってもハードです。頑張ります。来週の月曜日20日は、小佐治の土地改良組合の会合にお邪魔して、ご挨拶と調査の概要についてのご説明をさせていただく予定です。

野洲市須原の「魚のゆりかご水田」プロジェクト

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20150415suhara6.jpg ▪︎朝7時40分に、総合地球環境学研究所の上原佳敏さんにJR山科駅で拾っていただき、野洲市の須原に向かいました。「須原魚のゆりかご水田」で、今年も魚道の設置作業が行われたからです。

▪︎この「魚のゆりかご水田」に関しては、昨年のエントリー「野洲市のゆりかご水田」で説明しました。そのエントリーのときに書いた説明を、ここに再掲しておこうと思います。

■滋賀県には日本一大きな湖である琵琶湖があります。琵琶湖は約400万年前に現在の三重県伊賀上野市あたりに誕生し、その後大地の運動とともに、約40万年前に現在の位置に移動してきました。当時の様子を想像してください。まだ、人間は住んでいません。梅雨時に雨がふり琵琶湖の水位が上昇すると、陸地であったところも水没してしまっていたはずです。現在、琵琶湖では、瀬田川にある瀬田川洗堰(せたがわあらいぜき)や、琵琶湖に流入する河川の水量を人工的に調整されていますので、水没するということはありません。かつては、「陸の世界」と「水の世界」のあいだに、両者の「グラデーションのような世界」が存在していたのです。たとえば、琵琶湖の周囲にある水田です。かつては魚が水田の水路を遡上し、水田のなかに産卵していました(魚にとって、人間が住み始める前の草原の湿地と水田に違いはありませんから・・・)。特に、大雨が降ったあと、かつては魚が水田のなかを背びれをたてて泳いでいたという話しを、あちこちで聞くことができます。ところが、上記の「魚のゆりかご水田プロジェクト」の概要にあるように、水田を土木工事(圃場整備、土地改良等)によって整備してからは、魚が水田に遡上できなくなりました。というのも、水田の水がぬけやすいよう(転作しやすいように)に排水路を深くしたため、水田の水面と排水路の水面のおあいだに大きな落差が生まれてしまったらかです。

■「魚のゆりかご水田プロジェクト」では、水面と水田のあいだを「魚道」でつなぎ、魚が水田に遡上できるようにします。魚が復活することで、以下のような良い点があげられています。滋賀県の近江商人で有名な「三方によし」(売り手よし、買い手よし、世間よし)をもじって「五方によし」といっています。(1)生き物によし、(2)地域によし、(3)子どもによし、(4)琵琶湖によし、(5)農家によし・・・です。以下は、その「五方によし」を解説した図です。「魚のゆりかご水田プロジェクト」のページの中から引用させていただきました
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▪︎この説明からご理解いただけたと思いますが、須原の魚道については、少し説明を加えておきます。須原では、魚道が設置しやすいように、水田と排水路との間の法面から水田の底にまで、コンクリートで魚道が設置しやすい工事をしてあります。このコンクリート部分にはスリットがあり、そこに合板でできた板を、小さなものから順番にはめ込んでいくので。すると、魚が遡上しやすい魚道が短時間で完成するわけです。水漏れを防ぐための工夫もされています。水道管が凍結するのを防ぐために水道管をくるパイプカバーを、魚道の水漏れを防ぐためのパッキンのかわりに使っておられるのです。従来の土嚢を積む魚道の設置と比較して、かなり作業時間が短くなり、労力が軽減されるようです。この日は、滋賀県立大学環境科学部生月資源管理学科の学生さんと助教の皆川明子先生が来られて、須原の農家の皆さんと一緒に作業をされていました。私はもっぱら見学するだけなのですが、総合地球環境学研究所の上原佳敏さんは、学生さんたちと一緒に長靴を履いて作業をされました。上原さん、お疲れさまでした。須原の皆さん、魚道設置の作業風景を見学させていただき、ありがとうございました。

甲賀市小佐治での協議

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20150414kosazi3.jpg20150414kosazi4.jpg
20150414kosazi5.jpg▪︎昨日、14日、総合地球環境学研究所・奥田プロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会─生態システムの健全性」のメンバーと、プロジェクトの調査地のひとつである、滋賀県甲賀市小佐治集落を訪問しました。集落の環境保全部会の皆さんと一緒に、現地での協議を行いました。小佐治では、集落の環境保全部会の皆さんを中心に、「豊かな生きものを育む水田づくり」のブロジェクトに取り組んでおられます。村の水田や周辺の環境に、生き物の賑わいをつくるためのプロジェクトです。

▪︎もともと小佐治は、美味しい米やもち米が生産されることで有名な集落です。水田が重粘土の古琵琶湖層群の土でできているからです。そのような美味しい米やもち米が、さらに生き物が賑わう水田で生産されたということになれば、食の安心・安全に強い関心をもつ消費者の皆さんに、人気が出ないはずがありません。実際、小佐治では、めだかが成長する水田で生産した米を、「めだか米」として販売しています。それでは、そういった経済的な付加価値だけを動機付けとして小佐治の皆さんは「豊かな生き物を育む水田づくり」に取り組んでおられるのかといえば、それだけではないと思います。この点については、いずれ詳しく説明いたします。

▪︎私たち奥田プロジェクトでは、昨年から、この小佐治の「豊かな生きものを育む水田づくり」の活動をお手伝いしてきました。そして今年度からは、地域の皆さんの活動が、具体的に、環境面でどのような効果を生み出しているのか、科学的な測定をさせていただき、村づくり活動を側面から支援させていただくことになっています。そのようなこともあり、昨日は、どの水田で水質や生物多様性に関する測定をさせていただけるのかを検討するために、小佐治の環境保全部会の皆さんと一緒に現場を回りながら候補となる水田を視察させていただきました。当然のことながら、私たちが頭のなかで考えていたのとは異なります。現場はなかなか複雑で曖昧です。しかし、その複雑さや曖昧さに、できるだけぴったりと向き合いながら、小佐治の皆さんがさらにエンパワーメントされるような形で支援をさせていただければと思っています。そして相互に学びあうことのできる形に、小佐治の皆さんとのコラボレーションが進んでいけばよいなあと思っています。

▪︎その詳細については、またこのブログでご報告させていただければと思います。写真について少し説明します。上段の2枚は、「甲賀もち ふるさと館」で環境保全部会の皆さんと一緒に協議を行っているところです。この日、初めてお会いする方たちも何名かいらっしゃり、最初は少し堅苦しい雰囲気でしたが、お話しが進むうちに、笑い声が出てくるような打ち解けた雰囲気になってきました。協議の後は、測定の候補地と思われる水田を視察しているところです。そして、最後は、「甲賀もちふるさと館」に併設されている「もちもちハウス」(直売所)前にある「たいやき」コーナーです。ここで、小麦粉ではなく米粉で焼いたたたい焼きが食べられます。美味しいんです、この米粉のたい焼き。

地球研・日比国際ワークショッブ(9)

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▪︎総合地球環境学研究所・奥田プロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会─生態システムの健全性」が主催した日比国際ワークショップ。先週の木曜日から始まりましたが、今日が最終日になりました。私は、コアメンバーとしてすべての日程に参加する予定でしたが、副学長の退職記念パーティや平和堂財団「夏原グラント」の審査会等があり、すべての参加はできませんでした。とても残念ですが、年度末ゆえ、仕方ありません。

▪︎さて、最終日のワークショップの会場は総合地球環境学研究所になりました。「Data camp for Nutrient Spacial Metrix」。山梨大学の岩田智也さんが講師となり、フィリピンの共同研究メンバーを対象にした講習会を開催されました。岩田さんは、流域の栄養循環を評価する手法を開発されています。陸上・河川・湖沼生態系および人間社会における栄養循環を「見える化」するための自然科学の解析手法を確立されているのです。岩田さんは、栄養循環評価の理論や手法について丁寧に時間をかけて解説されあと、分析のためのソフト(エクセルに組み込まれています)を講習会の参加者に配布し、データ解析の実際を指導されました。岩田さんによれば、学生に3ヶ月かけて教える内容を、この日は、半日の急ぎ足の講習会で詰め込むことになってしまっようです。しかし、さすがにプロの研究者の皆さんですから、この分析手法のポイントはきちんと把握されたようです。

▪︎午後からは、最後の〆のミーティングが開催されましたが、私自身は、4月からの仕事の関係で大学の会議に出席しなくてはなりませんでした。私のかわりに、秋田県立大学の谷口さんが、人間社会班のワークショップでの成果をまとめて報告してくださいました。参加者の1人からは、素晴らしい報告であったとのメールによる報告が、会議中の私のスマホに届きました。谷口さん。ありがとうございました。

【追記】▪︎ワークショップ終了後も、プロジェクトの人間社会班で、メールを使ってディスカッションを続けています。プロジェクトでは、近いうちに、クラウド型コラボレーションツールの利用を始めます。国内の比較対象地は、宍道湖、手賀沼、八郎湖になりますが、それぞれでワークショップといくスカーションを実施することになりそうです。

地球研・日比国際ワークショッブ(8)

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▪︎総合地球環境学研究所・奥田昇さんを代表とするプロジェクトの「日比国際ワークショップ」の2日目、さらにさらに続きます。

▪︎野洲市須原の「せせらぎの郷 須原」を訪問したあとは、甲賀市の小佐治に移動しました。この小佐治は、私たちの研究ブロジェクトにとってとても重要な調査地になります。来月から、いよいよ本格的にこの小佐治集落との連携が始まります。ここはもち米の生産で有名です。そのことを活かして農村レストランの経営にも成功されています。野洲市の須原での「魚のゆりかご水田」と同様に、生物多様性に配慮した環境保全型農業と、コミュニティの活性化やこの地域のhuman well-beingとがどのような形で結びつくのか、それをどのように評価してフィードバックし、この地域を支援できるのか…その辺りのことがプロジェクトとしては重要になってきます。これまでのことは、小佐治については、以下のエントリーをご覧いただければと思います。

小佐治での生き物調査
甲賀市の小佐治を訪問
「豊かな生き物を育む水田プロジェクト」
甲賀市の農村で調査
甲賀の農村で

▪︎小佐治では、まず「もちふる里館」を訪問しました。ここは、もち米や米湖をつかった料理が楽しめる農村レストランや直売所、そして集会室や会議室等がセットになった建物です。ここで、地域の概況を伺いながら、米粉でつくったうどんをいただきました。写真はありませんが(写真を撮る前に食べてしまった…)、小麦粉のうどんとはまた違った食感の麺でした。美味しくいただきました。そのあとは、加工工場である「甲賀もち工房」を見学させていただき、そして小佐治の環境保全部会の皆様が取り組んでおられる「豊かな生きものを育む水田づくり」の現場を訪問しました。

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▪︎ここの水田の特徴については、過去のエントリーに書きましたが、再度、説明します。小佐治は、古琵琶湖層群の地層が隆起した丘陵地帯にあり、水田も大変細かな重粘土からできています。そのため、大変、水はけが悪いのです。きちんと水がぬけていないと、稲刈りのときに使うコンバインのキャタピラが埋まって動かなくなります。そこで、水はけをよくするために、水田の周囲に、といっても水田の内側なのですが、水田内水路をつくっています。営農のための工夫なのですが、そこが水田の生き物の生息場所になっているのです。水田の水を引いたあとも、その水路には水が残ります。集落では、そこに塩ビのパイプ等を設置して、生き物たちのシェルターにされておられます。このような取り組みの成果が少しずつ生まれています。写真の説明も少し。上段右は、「豊かな生きものを育む水田づくり」の活動をしている圃場の前で、説明を受けているところです。下段左。水田内水路を見学しているところです。越冬したメダカ、ドジョウ、水性昆虫等が確認できました。小佐治では、「メダカが成長する水田で生産した米=生物に配慮した営農で生産した米=安心・安全の米」ということを強調して、「メダカ米」を販売されています。ただし、「豊かな生きものを育む水田づくり」の活動は、経済以外にも、もっとローカルな社会・文化の文脈に依存していて外部からは「見えにくい」効果があるのです。それについては、また別のエントリーで説明しようと思います。

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▪︎小佐治での見学を終えたあとは、大原貯水池に移動しました。そこで、大原財産区の関係者に、いろいろ説明をしていただきました。ありがとうございました。大原財産区については、「甲賀市の大原財産区を訪ねる」をご覧いただければと思います。

▪︎2日間にわたって野洲川流域の各地を訪問しました。どの地域の皆さんも、大変暖かく私たちを歓迎してくださいました。非常にお世話になりました。ありがとうございました。翌日3日めは、実際に野洲川の支流で、水質観測のデモンストレーションが行われ、午後からは琵琶湖に浮かぶ沖島を訪問したようです。ようです…と書いたのも、私自身は、3日目は参加できなかったからです。平和堂財団の「夏原グラント」の審査会があったからです。「夏原グラント」は、滋賀・京都で取り組まれている環境保全活動を支援する事業です。私は、2014年度からこの「夏原グラント」の審査員をしています。これについては、別途エントリーしようと思います。

地球研・日比国際ワークショッブ(7)

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▪︎総合地球環境学研究所・奥田昇さんを代表とするプロジェクトの「日比国際ワークショップ」の2日目、さらに続きます。

▪︎野洲市の幸津川の大水口神社のあとは、同じく野洲市の須原に移動しました。ここでは、「せせらぎの郷 須原」という農業団体が組織され、「魚のゆりかご水田」の取り組みが行われています。「魚のゆりかご水田」に関しては、以前のエントリー「野洲市のゆりかご水田」をご覧ください。今回、須原の「せせらぎの郷 須原」を訪問したのには理由があります。私たちのプロジェクトが、この須原での取り組みに強い関心をもっていること同時に、フィリピンの共同研究者の皆さんに、日本の環境保全型の農業とコミュニテイビジネスとの関係について知っていただきたかったからです。私たちがフィリピンで比較研究を進める予定の農村では、アグロエコツーリズムと農産物のブランド化を進めようとしておられます。この須原での取り組みが大きなヒントになればとの思いから訪問することにしたのでした。
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▪︎現場では、代表の堀彰男さんが、フリップボードを使って「魚のゆりかご水田」についてご説明くださいました。また、ワークショップに参加された方達は、「せせらぎの郷 須原」で生産した「魚のゆりかご水田米」や、食米から生産した吟醸純米酒「月夜のゆりかご」を購入させていただきました。「月夜のゆりかご」については、試飲もさせていただきました。ありがとうございました。こちらの「せせらぎの郷 須原」には、じつにたくさんの人びとがやってこられます。全国的にも高く評価されている取り組みです。公式サイトをお持ちですが、そこに「台湾・フィリピンより視察」という記事をアップしてくださいました。少しだけ、写真について説明します。中断の左。白く見えるものは、魚道を設置しやすいようにつくられたコンクリートの土台です。この土台をもとに、魚道を毎年設置するのです。トップの写真は、湖西の比良山系です。この日は大変天気が良く、くっきり比良山系が確認できました。

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20150329workshop13.jpg ▪︎総合地球環境学研究所・奥田昇さんを代表とするプロジェクトの「日比国際ワークショップ」の2日目です。1日目の宿泊、守山市にあるビジネスホテルでした。前日に続きこの日の天候もよく、ホテルの部屋からは、湖西の山々が実によくみえました。左の方(南側)には比叡山が、右の方(北側)にはまだ山頂に雪を残す比良山系がはっきりと見えました。本当は、ここで琵琶湖も見えればよいのですが、このホテルの部屋の高さからでは、琵琶湖の湖面は見えません。

▪︎2日目、私たちがまず向かったのは、野洲川河口近くにある、幸津川(さずかわ)の大水口神社です。境内には、明治29年の大洪水の際に、野洲川が決壊したことを伝える「川切れ100周年」の石碑が建てられています。横を見ると1本の筋が刻まれていました。明治29年の大洪水の際には、ここまで水位があがった…ということを示しているのです。現在、琵琶湖の水位は人工的にコントロールされています。また、かつては2匹の蛇がうねるような形をしていた野洲川の河口域(南流と北流)も、直線的な放水路につけかえられています。かつてのような水害はなくなりました。大水口神社の前、以前は田舟が通るクリーク(水路)でした。この地域は、水郷地帯だったのです。もちろん、現在では、クリークも埋め立てられ、周囲の水田も圃場整備が行われ、もはやかつての風景を想像することはなかなか難しい状況です。

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