来年度のことでそわそわ
▪️今日は大学に来ています。1年間、特別研究員で研究専念ということになっているので、大学に来る日は限られているのです。今日は留年している学生さんの卒業論文の対応をおこないました。それから来年度に再び担当する社会共生実習「地域エンパワねっと・大津中央」に関する学生さんからの相談を受ける日でもありました。昼休みに、4人の学生さんがやってこられました。昼休み中、いろいろお話をすることができました。楽しかったですね~。
▪️やってこられた皆さんは、大学の4年間にしっかり自分の成長を実感できる経験をしたいと思っておられるようです。でも、所属されている課外活動(サークル)との兼ね合いとか、所属している学科の時間割との兼ね合いだとか、いろいろ考えなければならないことがありますからね。ともあれ、今日は学生さんや事務職員の皆さんと話をすることができました。あと、パソコンのパスワードのこと情報メディアセンターに相談に行きました。前期高齢者は、ネットのセキュリティの強化に追いつくだけで精一杯です。これから、どうなるんでしょうね。
▪️そうそう、社会学科の助手さんのところに行って、来年度のゼミの人数も確認してきました。今、決定しているのは22名。退職するまた退職予定の教員、研究に専念する教員がおられるため、担当する学生さんの人数も増えてきています。もう少し増えるかもしれません。来年度は、上限が24名なのだそうです。これだけの学生さんたちにきちんと卒業論文を書いてもらおうと思うとなかなか大変です。前期高齢者のおじいさんは、耐えられるでしょうか。いろいろ対策を考えねばなりません。
▪️それから来年度の深草キャンパスで開講される新カリキュラムの「基礎ゼミナール」に関する会議がありました。来年4月から入学されてくる学生の皆さんは、新しいカリキュラムで学ぶことになります。そのため、担当者が集まって、シラバスの最後の詰めの議論を行いました。もっとも、用事があって途中で退席。というのも、深草キャンパスに移転するにあたり、研究室の書籍や物品を専門の引っ越し業者さんに運んでもらうのですが、今日は、その業者さんからのヒアリングが予定に入っていたのです。全教員の研究室のものを新しい校舎の研究室に運んでもらうので、その打ち合わせです。
▪️私は、龍谷大学社会学部に勤務して21年になりますが、21年の間に蓄積した研究室の「澱(おり)」をこの機会になんとか処分しなければなりません。前向きに引越し作業に取り組もうと思っています。私の研究室は、たくさんの研究室の中でも荷物の量が「重量級」のようですね。作業困難研究室なのか…。
業者さんには私自身の引っ越し作業に時間がかかるので、業者さん詰め込み作業については後の方にしてほしいとお願いをしておきました。さて、どうなるでしょうね。
▪️というわけで、もう来年度のことでそわそわしてきました。
【追記】▪️引越し業者さんのことで、わざわざこのブログに残しておくことでもないのでしょうが、こんなこともありしまた。私の研究室の書架の本を見渡して「ご専門は環境社会学ですか?」とお聞きになり、「わたし、⚪︎ ⚪︎大学の社会学部の出身なんです」とおっしゃいました。「であれば、⚪︎ ⚪︎先生がおられたでしょう」と反応したら、「ああ、懐かしいですね〜」と。まあ、それだけのことなんですが、ここに書き留めておきます。
同窓会とヴォーリズ
▪️昨日は、母校、関西学院大学同窓会滋賀支部の新年会でした。お昼は、近江八幡市安土町常楽寺にある「料理 魚石」さんで宴会を開きました。参加者は、全員で18人。一番年長の方は、1965年卒。今年で83歳になるのだそうです。とてもお元気です。午前中は、長命寺さんにお参りしましたが、あの808段の石段も副支部長に付き添われてご自身の脚で登られました。素晴らしいです。
▪️その次の方は、1973年卒。お話をすることはできませんでしたが、学生運動の時代にキャンパスにおられたことになります。いや、バリケート封鎖でキャンパスに入れないときもあったと思います。その次は1975年卒がお2人。そのうちのお1人は向かいに座っておられた方です。私とは卒業年次が8年違うわけですが、その年代の方だと、キャンパスの記憶が重なるところがあります。Nさんは放送部に所属されていました。「ああ、そういえば、学生食堂の向かい、銀座通りを挟んで向かいに部室がありましたね」というような話をさせていただきました。今のキャンパスは、私たちの頃とは相当違っていますし、とても懐かしいお話ができました。
▪️次は1980年代の卒業生の皆さんになります。1981年卒から1989年卒までの6人。私は1983年卒ですから、この世代になります。サークルの部室があった木造の建物の1階から出火して、私が入学した時の部室は、2階建ての仮設のプレハブでした。建築現場に臨時に事務所として使われているあの類の建物です。今の学生会館は、私たちが卒業して2年後にできあがったのではないかと思います。所属していた交響楽団も、専用の練習場を与えられました。私たちの頃は、体育館の軒下で、暑い日も寒い日も外で練習をしていました。楽器には、特に木製の管楽器や弦楽器には相当まずい環境なのですが、仕方がありませんでした。1980年代は、そういうキャンパスの風景を共有できる年代になります。
▪️この年代の卒業生のお1人は、1年後輩のKさんです。Kさんは、大学にある3つの学生寮のひとつに入っておられました。そこには、交響楽団の親しい後輩も入っていて、そういう関係でKさんとは学生時代から面識がありました。大学院時代の指導教授が同じだった方は、某銀行の頭取になっておられます。大変なお仕事のようですね。
▪️その次は、1990年代の卒業生の皆さんになります。6名おられます。同窓会滋賀支部の支部長、そして副支部長のお2人も、この年代の方達になります。この3人の皆さんのおかげで、同窓会滋賀支部の活動はけっこう活発になってきているのではないかと思います。年に何回かの食事会、それから見学ツアー、そして年1回の総会、自営業のお仕事の傍で、とても熱心に同窓会支部の運営をしてくださっています。本当にありがたいことです。
▪️この年代の方達のうち1995年以降に卒業された方達は、1995年に発生した阪神・淡路大震災の影響を受けておられます。お話はできませんでしたが、お1人は1995年に卒業されています。関学では、在学生15名、理事1名、現・元教職員7名が倒壊した家屋や土砂崩れの下敷きとなって生命を奪われました。当時の状況について、大学が公表している情報から知ることができます。1999年に卒業された方は、1995年の4月に入学されたわけですが、大学の近くで下宿することはできなかったそうです。学生向けの下宿は、倒壊したり、入居できる状況ではなかったのでしょう。
▪️そして、2000年代はお1人、その次は2020年代がお1人。一番若い方は、2020年卒です。とてもお若いのですが、すでにご自身で行政書士の事務所を開業されています。すごいですね。いわゆる世襲ではなくて、ご自身で開業されたのです。バイタリティがあります。それぞれの年代の方達の中に、それぞれのキャンパスライフの記憶があります。しかし、それらの記憶を貫いているのが時計台と中央芝生なのかなと思います。ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計です。母校には、ヴォーリズ研究センターが設置されています。ヴォーリズに関する様々な研究が進められているようです。同窓会滋賀支部では、昨年に引き続き、今年も、滋賀県内のヴォーリズに関する建築について学ぶ講演会やツアーを企画されているようです。楽しみにしています。
参詣曼荼羅
▪️ひとつ前の投稿にも書いたように、昨日は、母校、関西学院大学同窓会滋賀支部の新年会でした。午前中は近江八幡市にある長命寺さんにお参りしました。その際、ご住職と息子さんの副住職さんから、長命寺に関すたくさんのご説明をいただきました。ありがとうございました。
▪️長命寺は、西国三十三カ所第31番札所です。たくさんの参詣者が808段の石段を登ってこられます。上段の左と右の写真は、「参詣曼荼羅」です。もちろん、実物ではなく撮影してパネルにしたものです。かつて、各地でこの参詣曼荼羅で絵説き(描かれていることをひとつひとつ丁寧に説明していく)をしながら、参詣者の勧誘と霊場案内、そして勧進(寄付を募る)を行ったのだそうです。写真を撮っても良いということで、撮らせていただきました。どうでしょう、雰囲気、伝わりますでしょうか。たくさんの方達が、陸路や船でやってこられている様子が描かれています。
▪️中断の2枚は、人間の心を仏教から説明したもの…なのだそうです。きちんと説明しているかどうか自信がないのですが…。人が抱える業の結果として輪廻転生する6つの世界(天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道)を表現してあります。この絵図の上半分には、人が誕生して成長し、老いて、最後は死んで骨になるまでの様子が描かれています。そのあとは、6つの世界に輪廻転生していくわけです。仏教的には、ここからどう解脱していくのかということになります。
▪️長命寺は、特定の宗派に属する寺院ではありませんが、天台宗系の単立の寺院です。境内からは、比叡山がよく見えます。比叡山延暦寺は、京都の鬼門の方角に位置するわけですが、長命寺さんはその延暦寺のさらに鬼門の方角に位置しています。偶然なんでしょうけれど。目の良い方だと、びわ湖ホールも見えるようです。私には無理でしたが。そのかわり、琵琶湖大橋、堅田の街並み、三上山(近江富士)についてははっきり確認することができました。
▪️西国三十三カ所第31番札所である長命寺は、日本遺産「琵琶湖とその水辺景観-祈りと暮らしの水遺産-」の「構成文化財」のひとつでもあります。今日は、お話をお聞かせいただき、深く納得しました。
長命寺を参拝しました。
▪️昨日は、母校、関西学院大学同窓会滋賀支部の新年会でした。午前中は近江八幡市にある長命寺さんにお参りしました。関学は、サザンメソジスト派のプロテスタントの大学なのですが、長命寺のご住職と副住職(ご子息)のお2人は、同窓生なのです(同窓会には、キリスト教、仏教、神道、様々な宗教家がおられます)。そのようなご縁もあり、同窓会滋賀支部ではここ3年ほど、毎年の新年会ではお参りさせていただいています。
▪️長命寺さんの石段は808段。毎年、「びわ100」に出場してきて脚力にはそれなりの自信がありましたが、808段はなかなか大変でした〜。上りは心臓に負担がかかり、下りは腿の筋肉に負担がかかりました。今日は、少し腿が筋肉痛です。長命寺さんの石段は、お寺の歴史の古さを感じさせる石段です。通常の階段のように、高さが揃っているわけではありません。高さも様々。古道を歩いているかのようです。そのため、ゆっくり気をつけて歩かないと捻挫、最悪の場合転倒して骨折してしまうような怖さが少しありました。いやほんまに、年々歳をとっていますね〜。まあ、あたりまえのことなんですが。
▪️今回、最高齢の方は、今年で83歳になる先輩でした。その先輩も、参道の入り口に用意された太めの杖を手に持ち、同窓会の副支部長にサポートされながら自力で歩いて登ってこられました。すごいことですね。この先輩のように、80歳代になってもしっかり歩ける体力と脚力を持ち続けることができたらいいなと思いますが、どうなるでしょうね。気をつけようと思います。
▪️長命寺さんでは、同じく同窓生のご住職と副住職さんから丁寧なご説明をいただきました。参拝の後は安土に移り、新年会を楽しみました。
仰木での農作業、ホウレンソウの収穫
▪️今日の午前中は、仰木の畑で農作業に取り組みました。農家と隣接地域の住民とが協働することで、耕作放棄地を農地に復活させ、有機農業に取り組んでいくプロジェクトの農作業です。12月11日の投稿にも書きましたが、もうじき、理事長を務めている特定非営利活動法人「琵琶故知新」からも理事を出して「(仮称)仰木地区地域共生協議会準備委員会」が立ち上げられる予定です。その前に、耕作放棄地の草刈りをして、畑を復活させ、野菜の種や苗を植えて野菜作りを始めているのです。今日で5回目でした。これまでの農作業ですが、以下のとおりです。
⚫︎10月22日:耕作放棄地の除草作業を行いました。
「農業体験プレイベント」
⚫︎ 11月13日:玉ねぎの苗を植えました。野菜の種も植えました。
仰木の野菜畑で農作業
⚫︎ 12月11日: 葉っぱが伸びてきた小カブと大カブ(聖護院大根)の間引き、ホウレンソウの種まき、それから寒さから守るためにシートで覆いました。
仰木の畑で冬の準備
⚫︎ 12月25日:種から育てた、キャベツとケールの苗を植えました。
仰木の畑でキャベツとケールを植えました。
⚫︎そして今日、1月12日:ニンジン畑の除草作業を行いました。そして、育ったホウレンソウを少し収穫しました。これは、お土産です。
▪️写真について説明しておきます。上段左は、今日、除草作業を行なったニンジン畑です。この写真を撮った時は、まだ手前のところしか除草できていませんが、5人がかりで綺麗にしました。ニンジン畑の右側、黒いマルチシートを被せてある畝が2列並んでいます。左の畝、これはキャベツとケールの畑です。右の畝、タマネギ畑です。両方ともまだ大きな変化は見られませんが、春になるとこれが立派なキャベツやケール、そしてタマネギになるのだそうです。上段右は、今日、収穫したホウレンソウ畑です。下段は、畑から写した比叡山横川中堂方面になります。仰木は比叡山の麓にある集落なのです。
▪️しばらく前に降雪がありましたが、おおかたはもう融けてしまっています。今日の農作業は、ニンジンの畑に生えた雑草を取り除く除草作業です。JAŚ有機の登録はまだしていませんが、認証されるのと同じやり方で野菜を生産しています。今日は保温用のシートを外して、5人の皆さんと一緒にニンジン畑の草を取り除きました。う〜ん、なかなか難しかったですね。根から引き抜かないといけないので、右腕の筋を少し痛めてしまいました。まあ、腱鞘炎にはなっていないとは思いますが…。それから、中腰、あるいはしゃがんで草を抜くので、少々疲れたのですが、まあ、足腰はそれなりにしっかりしているので、大丈夫です。
▪️この畑、もともと水田なので、土の粘り気が強く、雪解けの水で畝と畝の間がぬかるんでいました。畑に足を取られてけっこう大変です。指導してくださっている農家の方のお話によれば、落ち葉等を入れていくと、もう少しサラッとした畑になっていくとのことでした。それと、畝と畝の間のスペースが狭いこともあって、歩きにくいのです。特に、私のように足のサイドが大きい者にとっては辛いところがあります。今日は農家の方ともその話もしました。次にトラクターを使う際には、もう少し畝と畝の間を広げてもらうことにしました。
▪️ニンジン畑ですが、種まきの時期が遅かったので、ニンジン自体はまだあまり成長はしていません。草を抜くときに、気をつけなければニンジンも一緒に引き抜いてしまいそうでした。まだ、そんな感じなんですが、これが立派なニンジンに成長していくのですね。楽しみです。ニンジン畑の除草作業のあとは、成長したホウレンソウを少し収穫しました。この畝の端まで収穫すると相当な量になると思います。今日は、畝の端っこの方を、自宅で消費できる程度をいただいてきました。これは、お土産です。お土産のホウレンソウ、自宅に戻ってから、冷蔵庫のベーコンと炒めてスパゲティにしていただきました。やわらかくてとても美味しかったです。ちなみに、スパゲティといっても、小麦の麺ではなくて豆を原料にした糖質の少ない麺です。糖質、気にしていますから。お土産のホウレンソウはけっこうな量になったので、ホウレンソウのレシピをいろいろ検討しなくてはいけませんね。
大江千里さんのこと
▪️現在、ジャズピアニストとしてニューヨークで活躍されている大江千里さん。かつては、日本でシンガーソングライターとして活躍されてました。でも、2007年にニューヨークに行って、ジャズに転向されました。
▪️大江さんは、母校、関西学院大学の少し学年が下の後輩になります。彼は軽音学部で、私は関西学院交響楽団だったので、学生会館のどこかですれ違っているかもしれませんね。今日は、その大江千里さんに関連する話題を、偶然、同窓会サンフランシスコ・シリコンバレー支部の投稿で拝見することができました。彼も64歳になったんですね。そらそうだ、私が66歳だからね。今は、ジャズピアニストになってどんな演奏をしておられのでしょうね。
▪️YouTubeに最近の演奏がアップされていました。
北雪・中雪・南雪
▪️滋賀県は雪国です。NHKのこちらにニュースでは、山に囲まれた盆地の中に琵琶湖がある滋賀県だからこその大雪のパターンがあると解説しています。1500m上空の風がどちらから吹いてくるかによって大雪のパターンは、北雪型、中雪型、南雪型の3つになるとのことです。以下は、記事からの引用です。
▼はじめに北雪型です。
上空1500メートルの風が西風のとき、主に長浜市の北部で雪が降ります。
▽西風から北西の風のときは、少し南に下って高島市や米原市でも大雪になるおそれがあります。▼次に中雪型です。
北西から北北西の風のときで、高島市からびわ湖をまたいで彦根市、近江八幡市、東近江市などで大雪になるおそれがあります。
▽さらに北よりの風になれば、甲賀市でも大雪のおそれがあります。▼そして南雪型です。
北北西から北風のときで、大津市北部や守山市など湖南地域で大雪になるおそれがあります。
▪️今日は、私の住んでいる大津市の湖西地域でも雪が降りました。積もるほどではありませんでしたが。今日は、上のパターンのどの型だったんでしょうね。冬の間に、どかっと雪が降りそうな気がします。毎年、雪かきをしているような気がします。まあ、雪かきといっても大したことはないのですが。ということで、南雪型の場合は、大津北部まで大雪になるというのはよくわかります。私が暮らしているところは、「大津市北部」の「南限」なのかなと思います。
無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ
▪️ヴァイオリンを弾く人たちは、J.S.バッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」(ソナタ第1番・第2番・第3番、パルティータ第1番・第2番、第3番)を、必ず弾くことになると思います。私は、中学生の時に、その当時のレッスンの先生からこの作品の譜面を渡されました。当時の拙い技量でも弾ける曲から始めましたが、難曲もとても多く、思うようには弾けませんでした。無伴奏ですから、ヴァイオリンひとつで演奏するのですが、二声や四声の旋律や和音を演奏しなければならないからです。
▪️中学生の時は、まだ子どもなので、この作品が作曲された時代的背景等も何もわからず、先生の指導に従ってただ弾いていました。自分自身では、どのように弾くべきかの根拠となる音楽理論や歴史的知識が、何もわかっていなかったのです。中学生の時は、良くわからないまま、先生の演奏を見本に、時々LPレコードを聞きながら練習をしていました。今の方達は、最初から、CDはもちろんのことと、YouTubeにたくさんの演奏がアップされていますから、それらを参考に練習できるのでしょうね。ちょっと隔世の感があります。
▪️初めて「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」の練習を始めた時から、半世紀ちょっとの時間が経過しました。老人になりました。定年退職を2年後に控えて、またこのバッハの作品を弾いてみたいと思うようになりました。定年後、時間ができたら、きちんと作品の背景も理解した上で、どう演奏するべきなのかを学びたいなと、きんちとレッスンを受けたいなと、そんなふうに思っています。ということで、その予習として、この本を購入してみました。これから勉強します。そうそう、退職したら、ヴィオラも習いたいと思っています。退職の記念に楽器も思い切って購入しましょうかね。
3回目の新年会
▪️昨晩は、3回目の新年会でした。場所は大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」です。お相手してくださったのは、雨森 鼎さんと安孫子邦夫さんです。お2人には、社会学部で長年取り組んできた地域連携型の教育プログラム「大津エンパワねっと」や、その「大津エンパワねっと」の発展系である「社会共生実習」のひとつ「地域エンパワねっと・大津中央」で、大変お世話になってきました。履修した学生さんたちを丁寧にご指導くださいました。ということもあり、お2人とは時々、酒席をご一緒させていただいています。
▪️雨森さんも安孫子さんも後期高齢者、前期高齢者の私からすると人生の大先輩です。前期後期の違いはありますが、そのような高齢者同士の酒席での話題というと、かなりの確率で健康のことになってしまいます。昨晩は、歩くスピードが以前と比較して遅くなっている…ということが話題になりました。100kmウォーキングの大会に出場したりしていますが、自宅近くの坂道で、高校生に追い抜かされることがあります。普通に歩いているつもりなのですが、女子高生にも追い抜かされることもあります。以前は、私が追い抜いていく側だったのですが…。
▪️そのような昨晩の話題が記憶に残っていたものですから、このようなネットの記事が目に止まりました。「人生100年時代でも、健康寿命は非常に短い。延ばすためには、脚力と血管力の両方が必要。歩行速度の低下が、動脈硬化の増加に」という記事です。医師が執筆した新書『百歳まで歩ける人の習慣 脚力と血管力を強くする 』(PHP新書)の内容を要約した記事のようです。ですから、本当は、元々の新書の方を確認しないといけないのでしょうが、記事によれば…
・健康寿命は、「食事を自分でとれる」「トイレが自分で使える」「お風呂に自分で入れる」など、日常生活ができる期間と言い換えることができる。
・歩かないと、年をとると歩けないことに直結する。
・普段から脚力を鍛えて、生活のなかでつまずいたり転倒したりすることを防ぐことが大切。
・そのような脚力と血管力(=血管年齢:おもに血管の柔軟性や弾力性を示す指標)は深く関係している。
・血管年齢が高い場合には、脚力が弱い=太ももの筋面積が小さい。
・歩行速度の低下が、とくに下肢の動脈硬化の増加と関連している。
▪️なるほどと思う記事でした。このネットの記事の内容は、この新書の序章を要約したもののようですね。amazonで少し目次を眺めてみましたが、おもしろそうです。役にも立ちそうです。ということ『百歳まで歩ける人の習慣 脚力と血管力を強くする 』(PHP新書)を読んでみようと思います。以下は、amazonでのこの新書の紹介です。
「人生100年時代」には、介護が不要な状態を保つ「健康寿命」を延ばすことが人生を楽しむ鍵になる。それには自分でしっかり歩けることが肝要だ。
抗加齢医学研究に長年携わってきた著者は、歩くための力には「脚力」と「血管力」があるという。本書は、百歳まで歩ける人になるために、脚力と血管力を鍛えるエクササイズや、ウォーキング事例を紹介する。
脚力を鍛えるためには、「かかと上げ下げエクササイズ」「片足立ちエクササイズ」「ゆるジャンプ」「座ろうかなスクワット」などがおすすめ。
血管力については、ヒハツ、シナモン、ルイボス茶などを摂って毛細血管を強くすること、ニンニク、ナッツなどを摂ったり、ウォーキングや軽いサイクリング、エアロビクスなどの有酸素運動をしたりして大血管を強くすること、などを推奨している。
ウォーキングについては、著者が考案した「ニコニコ歩き」のほか、「インターバル速歩」「パワーウォーキング」「俳句ウォーキング」などを解説している。
日々の心がけ一つで、いつまでも歩ける人になれる。
BIWA100 ENDURANCE WALK
▪️昨年の10月に第10回「びわ湖チャリティー100km歩行大会」が開催されました。この第10回が最後の大会になりました。とても残念なのですが、仕方がありません。ところが、「びわ湖チャリティー100km歩行大会実行委員会」からこの「びわ100」の大会運営を引き継いでくださる団体が現れました。一般社団法人「HAYA-ASHI」です。こちらの中山博識さんは、「びわ100」の運営にも関わっておられましたが、ご自身が設立された一般社団法人で引き継ぐことにされたようです。
▪️今年からの大会名は「BIWA100 ENDURANCE WALK」になります。「BIWA100」はこれまでと同じですが、後半の「ENDURANCE WALK」は耐久歩行という意味になりますね。私は、過去6回「びわ100」を完歩してきましたが、達人レベルの方達は別格にして、私のような普通のウォーキングのレベルの人であれば、まさに「耐久歩行」なんです。辛いです。辛いけれど、また出場したくなるのが「びわ100」→「BIWA100」なんだと思います。100km完歩できたということは、自信にもつながりますしね。
▪️以下は、中山さんがFacebookに投稿されたものです。開催予定日は2025年11月初旬の予定のようです。これまでは10月の中旬あたりでしたが、もう少し気温が下がってくるでしょうね。こういう時期に、雨が降る中歩くことになると、辛いだろうな〜と想像しながら、次回も申し込んでいることと思います。
【関連投稿】▪️過去、「びわ100」に関連した投稿です。カテゴリーの欄にある「びわ100」のリストになります。