循環型コミュニティポイント「DOMO」
https://yamap.com/magazine/22766
■特定非営利活動法人「琵琶故知新」が運営を目指している「びわぽいんと」と、根底にある考え方がかなり似ているなと思いました。最後の表ですが、価値規範、関係性、役割、目的ついては、かなり共通しているのでは無いかと思います。すごい!!と思ったことは、ポイントの使用期限です。ポイントを貯めても、3ヶ月経過すると腐ってしまうというのです。ポイントを贈ることを促す(無駄にしない)ために、このようにされているのだと思います。
第27回全国棚田(千枚田)サミット(2)
■この写真は、昨日開催された第27回全国棚田(千枚田)サミットの第2分科会の様子を、参議院議員の嘉田由紀子さんが写真に撮ってくださったものです。滋賀県庁の農政水産部の部長さんや次長さんもお越し下さいました。ありがとうございました。第2分科会ですが、パネリストの皆さんからは、「とても楽しかった」、「もっと話しがしたかったです」という感想をいただきました。集落を超えて、志を持った方たちが集まって、ヒントを出し合い、愚痴をこぼしあい、支え合える場ができたら素敵だと思います。ぜひ、そういう集会が定期的にできたら良いなあと思っています。
「全国棚田(千枚田)サミット)の2日目は、朝から3つに分かれてエクスコーションを実施されました。私は、全国各地の棚田からお越しの皆さんと一緒に、高島市の一番南にある鵜川を訪問するエクスカーションにしました。琵琶湖に面する棚田です。一般には、棚田自身が生み出す風景に評価が集まりますが、鵜川の棚田は、棚田からの琵琶湖の風景が素晴らしいと思います。棚田、JR湖西線、琵琶湖、沖島、湖東…それらが重なる風景に感動します。集落では、この棚田を保全するために、様々な活動に取り組んでおられます。詳しくは、以下をご覧ください。
https://www.pref.shiga.lg.jp/…/nousonshinkou/317821.html
http://www.ukawama-to.com/tanada-2.html
https://smout.jp/plans/5779
■本日の正午に、2日にわたって開催された「第27回 全国棚田(千枚田)サミット」が閉会しました。閉会式典では、まずは分科会のコーディネーターを担当された、龍谷大学社会学部の坂本清彦先生(第1分科会)、経済学部の西川芳昭先生(第3分科会)とともに、私も第2分科会の報告を行いました。最後は、特別分科会のコーディネーターをおつめになった中島峰広先生が報告をされました。
■第2分科会からは、およそ以下のような報告をさせていただきました。テーマは、市役所の事務局の方で決められたものです。
第2分科会のテーマは「棚田に根付く”価値”を繋げる〜地域産業の振興と次世代への継承〜」です。高度経済成長期の燃料革命により、地域の大切な副業であった炭焼きは途絶えることになりました。ところが、高齢化や過疎がすすむ中山間地域の集落や地域の中から、炭焼きをもう一度復活させて活性化につなげていこうという動きが出てきました。今日、お越しの皆さんは、そのような炭焼きに関わって来られた皆さんです。
パネリストは全員で5名の皆さんになりますが、地元の方は1名で、残りの4名の皆様は外から移住された方達です。それぞれの皆さんにお話いただいたことから浮かび上がってくることは、次のようなことでした。移住がスムースに進んでいるところでは、地元の側に、移住者の皆さんを受け入れ支える人たち、見守る人たちがきちんといるということです。また、移住者の人たちも、地元の暮らしの仕組み、習慣、文化、そして技術に対する尊敬の気持ちを持ち、地元の人たちに謙虚な気持ちで接しておられるのです。この地元の人たちの内からの支えと、移住者の外からの力がうまく調和してハーモニーを醸し出されてくることが大切だということです。また、地元の皆さんは、”地元の様々な事情”という「制約」の中で暮らしておられて、自由に発言や行動ができないことがあるわけですが、移住者の皆さんはそのような「制約」から相対的に自由なことから、移住者だからこそできることを地元の皆さんから期待されているというお話もありました。
ただし、こういった内(地元)と移住者(外)とをつなぐことを、個々人や集落の力だけに頼ることには限界があるという指摘もありました。内と外とを繋ぐシステムが必要だというわけです。これは、「人」だけの話ではなく、炭焼きで生産された炭、炭の原料となる落葉広葉樹の木材という地域の中で生み出された”価値”を、外でそれらを求めている人たち(潜在的な需要)と繋いでいくような仕組みも必要との指摘もありました。
高島市の中山間地域に限ったことではありませんが、高齢化と過疎化が加速を増して進んできています。しかし、逆に、そのようなピンチはチャンス。危機意識を共有することで、新しい地域の持続可能性を高めるための新しいアイデアが生み出されるのではないでしょうか。
■分科会会の報告の後は、「サミット共同宣言」、「次期開催地挨拶」、そして「協議会旗引き継ぎ」と続きました。来年度は、和歌山県那智勝浦町で開催されます。長年にわたってIターンの方たちを受け入れてきた那智勝浦町には、那智勝浦町ならではの魅力や棚田地域の課題を克服するための工夫や仕組みがあるのではないかと思います。そのことについてぜひ知りたいなと思いました。
■もうひとつ、「棚田(千枚田)サミット」は今回で27回目。約ひと世代にわたって全国各地の棚田地域で開催されてきました。その間に、どのような議論が行われてきたのか、どのような知見が蓄積してきたのか、棚田をめぐる人びとの関心はどのように推移してきたのか、そのようなことについても知りたいなと思いました。
■さて、今回、高島市での開催にあたっては、全国の皆様をお迎えするために、地域の皆様、市役所の職員の皆様は、大変なご努力で開催に向けての準備をされてこられました。お疲れ様でした。また、いろいろお世話になりました。2日とも天候も良く、無事に閉会できて本当によかったです。
第27回全国棚田(千枚田)サミット(1)
■今日から明日まで、高島市で開催されている「第27回 全国棚田(千枚田)サミット」に参加しています。全国から、多くの皆さんがお集まりになっておられます。とはいえ、まだ新型コロナ感染の第7波が収束したわけではありませんので、過去のサミットと比較するとやや参加者は少ないようで。それでも、厳しい状況の中で、第27回を開催された高島市役所の職員の皆さんには、心より感謝したいと思います。私は、今回の棚田サミットについては、2019年からお手伝いをしてまいりました。本日、初日はとても良い天気の中でした。無事に開催できて本当に良かったと思っています。
■今日の午後は、第 2分科会「棚田に根付く”価値”を繋げる〜地域産業の振興と次世代への継承〜」に参加しました。コーディネーターとして、皆さんのお話をお聞きしながら分科会をまとめる仕事をさせていただきました。パネリストの皆さんには、昨年度、それぞれの方にインタビューをさせていただいたこともあり、本日の分科会は大変スムーズに進みました。あらかじめ打ち合わせをしたということもありますが、パネリストにお話いただいた内容が相互にうまく噛み合あい、コーディネーターの仕事もなんとか終えることができました。パネリストの皆様にも、心より感謝したいと思います。第2分科会では、炭焼きによる集落や地域の活性化、落葉広葉樹の里山の保全、移住者、関係人口…その辺りがキーワードになりました。詳しいことは、できれば別途、このブログで報告できればと思います。
■ところで、お昼のお弁当、高島の材料を使った豪華なお弁当でした。美味しかったです。
【追記】■今回の「第27回棚田サミット」については、多数の動画作品が製作されています。社会学部の岸本文利先生が製作された動画です。この動画に登場される市役所職員の平山さんは、今日の第2分科会でお世話になった平山さんが登場されています。
夏原グラント活動報告書(2021年度)
■ 2014年から、公益財団法人 … 原グラント」の選考委員を務めています。平和堂は、滋賀県を中心に近畿地方、そして北陸地方や東海地方にまで総合スーパーとスーパーマーケットを展開する企業ですが、この平和堂の創業者である夏原平次郎さんが、「平和堂をここまでに育てていただいた地域の皆様に感謝し、そのご恩に報いるため」に、私財を寄付して平成元年に設立した財団です。
■こちらの財団では、2011年度の公益財団法人への移行を機に環境保全活動や環境学習活動への助成も始められました。「夏原グラント」です。「びわ湖およびその流域の自然環境の保全」に取り組むさまざまな実践活動、教育活動、研究活動に対して、その活動資金を助成されています。2022年度は61団体へ総額17,508,000円を助成しています。
■毎年、年度末が近づいてくると、審査が始まります。まず書類での選考が行われ、その次に選考に残った団体からプレゼンテーションを聞かせていただきます。審査をさせていただきながらも、地域の困った課題に気づき、有志とその課題を共有し、具体的な活動を少しずつ展開されていくプロジェクトのプロセスから、大切なことを学ばせていただいています。ありがとうございます。
■昨日は、平和堂財団から2021年度の活動報告書が送られてきました。こちらの財団の事務局は、しがNPOセンターのスタッフの皆さんになりますが、丁寧に各団体にヒアリングをされています。私も、審査するより、現場でのヒアリングに出かけたいな〜と思うのですが、立場上、そのようなことは難しいのでしょうね。
■審査員も9年目になりますが、審査員として希望することは、助成を受けた団体の間での交流がもっと活発になってほしいということです。そのような思いもあり、2021年度は助成を受けた団体に集まっていただき、ワールドカフェ方式のワークショップに取り組んでいただきました。すごく手応えを感じました。助成をするだけでなく、環境保全活動に取り組む人たちの間で、悩みを聞き合ったり、知恵を出し合ったり、アドバイスをしあったりする「場」を作っていくことも財団の大切な役目だと思っています。
第27回全国棚田(千枚田)サミット2022in高島市
■来月、10月1・2日の両日、高島市で「第27回全国棚田(千枚田)サミット2022in高島市」が開催されます。テーマは、「棚田をつなぐ人のかけ橋~びわ湖を育む清流の輪~」。1日目の午後は分科会が開催されます。私は、第2分科会「棚田に根付く”価値”を繋げる~地域産業の振興と次世代への継承~」のコーディネーターを務めます。このテーマにある地域産業とは、高度経済成長期に入った頃まで続いていた炭焼きのことです。この炭焼きをどう継承していくのか、落葉広葉樹の森をどう活かしていくのか、後継者はどうするのか、外部の人びととの関係(移住者、関係人口等)はどのように関わることができるのか…この辺りのことをご報告いただく予定です。充実したディスカッションになるようにコーディネーターとして努力いたします。
■実は、昨晩、この第2分科会でご報告いただく皆様と事前の打ち合わせをいたしました。私は、吹奏楽部の演奏旅行と重なってしまったため、演奏旅行先の名古屋から急いで自宅に戻り、オンラインで参加させいただきました。分科会で報告いただく皆様には夜や遅くからの会議になりご迷惑をおかけしてしまいました。すみませんでした。打ち合わにご出席いただいた皆様は、昨年、高島市の委託研究でヒアリングをさせて頂いたこともあり、スムースに話が進みました。当日が楽しみです。
■今日の午前中は、滋賀県の「ヨシ群落保全審議会」でした。ヨシ群落の保全も、面積を増やしていく時代から、すなわち「量」を問題にする時代から、ヨシ群落多くのステークホルダーの皆さんと、どのように維持していくのか、活用していくのか、すなわち「質」を問題する時代に移行しています。明日は、そのような新しい時代の問題について話し合うことになりそうです。こちらもこれからの展開が楽しみです。
■さて、今日はこの「ヨシ群落保全審議会」の後、演奏旅行中の龍谷大学吹奏楽部に合流し、岐阜県羽島市で開催されるコンサートで演奏を聴かせていただくはずだったのですが、残念ながらコンサートは中止になりました。演奏旅行中の部員の中から、新型コロナウイルの陽性者が出たからです。このことは、すでにfacebookやTwitterで広く広報するとともに、コンサートを予約していただいた皆様には、部員が分担して中止になったお詫びの連絡をしました。以上のことをまずはこの拙ブログでもお知らせしておこうと思います。
「琵琶湖システム」が世界農業遺産に認定されました。
■国連のFAO(国際連合食糧農業機関)に申請していた「琵琶湖システム」が、世界農業遺産に認定されました。申請実務を担当されてきた滋賀県庁の担当・関連職員の皆さんや、「琵琶湖と共生する滋賀の農林水産業推進協議会」の会員の皆さんのご努力と連帯が、今回の認定という形になって結実しました。おめでとうございます。2016年から申請作業のお手伝いをしてきましたので、私も大変嬉しいです‼︎
■実は、今回認定されたこと、昨日の段階でFAOの公式サイトに発表されていました。そのことを、前の農政水産部長の西川忠雄さんからご連絡いただいて知りました。また、世界農業遺産農業遺産申請に取り組み始めた際の農政水産部長の安田全男さんからも、そろそろらしいですねとご連絡をいただいていました。そして昨日の夕方あたりから、認定に関する報道が始まりました。しかし、本日、滋賀県公館ゲストルームで「世界農業遺産」認定報告会が開催されることから、県が公式に発表されるまではと、SNSに情報発信することを控えておりました。やっと解禁になりました。
■今日の「世界農業遺産」認定報告会には、私も参加して、多くの関係者の皆様と喜びを共有したかったのですが、大雨のため電車が動かず、仕方がないと乗った大津駅行きの直通バスも、トラック横転の事故のために名神高速道路が大渋滞、結局、報告会が終わる時間になっても辿り着くことができませんでした。ちょっと残念です。とはいえ、与えていただいた仕事を通して、申請のお手伝いをして、認定までのプロセスを見守ることができたことは、私にとってもとても貴重な経験となりました。改めて、関係者の皆様に御礼を申し上げます。
■これまでも繰り返し発言してきましたが、今回、認定されましたことは「ゴール」ではなく、あくまで「スタート」だと思っています。滋賀県の皆さんは、これまでも琵琶湖や琵琶湖とのつながりを大切にされてきましたが、今回の世界農業遺産認定を契機に、さらに多くの皆様との連帯の中で「琵琶湖システム」に磨きをかけ、その価値を共に再認識し、次世代に継承していくことになります。それがFAOに認定していただく上での約束ですから。私も1人の滋賀県民として、微力ながら、引き続き頑張っていければと思っています。
魔の川/死の谷/ダーウィンの海
■知り合いの建築家、古川泰司さんのfacebookへの投稿を拝見して、いろいろ考えるところがありました。古川さんは建築家ですが、建物を設計するだけでなく、林業-製材-職人をつないだ、地域の木を生かした建物の設計を行っておられます。そこが、古川さんのお仕事のユニークにところなのかなと思います。高島市や東近江市の林業関係者に会うために滋賀県にも来られるようで、その時に、ついでに大津でお会いするこもありました(右はその時の写真です)。
■古川さんとのお付き合いは、東京の建築家の皆さんのブログを通したネットワークに、全然関係のない私が紛れ込んでしまったことから始まります。また、その話は別に投稿できればと思います。今ではfacebookは生活の一部になっているほど、私はヘビーユーザーですが、私にfacebookを強く勧めてくれたのも古川さんでした。
■なかなか本題に入りません。古川さんのfacebookへの投稿でしたね。何を投稿されていたのかといえぱ、「林業と建築の間にも、死の谷が存在している」という投稿でした。「死の谷」ってなんだろう…と思いました。古川さんは、そのような人たちのために用語解説のリンクを貼り付けてくれていました。以下がそうです。技術経営の世界でよくいわれる表現のようです。
魔の川
「魔の川」は研究段階と開発段階を分かつ障壁で、基礎技術の研究成果を元に、新技術が市場のどのようなニーズを満たすことができるのかを探り、具体的な新製品、新サービスの開発プロジェクトとして立ち上げる困難さを表している。死の谷
「死の谷」は開発段階と製品化、事業化段階を分かつ障壁で、製品開発から実際に製品発売やサービス開始に漕ぎ着けるまでの困難さを表している。製品であれば調達や生産、流通の手配を整えなければならず、巨額の資金が必要となる。失敗したときの痛手の大きさを深い谷になぞらえている。ダーウィンの海
「ダーウィンの海」は市場に投入された新製品や新サービスが既存製品や競合他社との競争、消費者や想定顧客の認知や購入の壁、顧客の評価などに晒されながら、市場に定着する困難さを表している。市場で行われる製品や企業間の生存競争や淘汰、環境への適応といった過程をダーウィンの進化論に重ね合わせた表現である。
■これを読んで、古川さんが林業と建築の間には「死の谷」があるということの意味がわかりました。たぶん、地域社会の中で建築資材になる木材の調達や生産、流通の手配を整えなければならず、巨額の資金が必要となる…ということなのでしょう。せっかく地域の建築に適した森林があっても、それらは地域で適切に加工されて建築資材に至らない、山で木を育てるところから住宅の建築までが一体となっていて欲しいけれど、そうはなっていない…ということなのだと思います。この古川さんのfacebookへの投稿を拝見しながら、いろいろ考えるところがありました。それは、理事長をしている特定非営利活動法人「琵琶故知新」についてです。私たちのNPOが運営する「びわぽいんと」を社会実装して運用していくことについて、この「魔の川」、「死の谷」、「ダーウィンの道」が、自分たちの場合ではどういうことになるのだろうと思ったからです。
■私は社会学を仕事にしています。で、思うのですが、多くの社会学者は、自分の仕事の関連で、このような「魔の川」、「死の谷」、「ダーウィンの道」のことを考えることはありません。「死の谷」、あるいは「魔の川」の手前のところで自分の仕事は終わりと思っておられると思います。全ての社会学者にお聞きしたわけではないので、よくわかりませんが、少なくと私の周りの同業者は皆そうです。社会学の業界の世界にとどまっています。建築家の古川さんの場合は、林業と建築との間に橋を架けようとされますが、おそらく多くの社会学者は自ら橋を架けるようなことはしないと思います。社会学は、「こういう橋を架けるべきだ」と、現状に対する批判的な指摘はされるでしょうが…。なぜかといえば、社会学は技術経営の分野の当事者であることはないからです。そのようなことは社会学では評価されないし、社会学という学問自体の目的ではないからです。ですから、通常、「魔の川」も「死の谷」も考える必要はありません。ただし、「魔の川」も「死の谷」に直面する当事者の人たちを調査研究の対象にすることはあるのかもしれません。
■ということで、結果としてですが、多くの社会学者とはずいぶん異なる方向に私は進んで行っていることになります。現在に至っては、確信を持ってその方向に進んでいますけど。おそらく、建築家の場合もそうなのではないかと思います。多くの建築家は、林業のことに多少は関心があっても、通常は設計に専念されているのではないか…と想像するのです。建築の世界をよく知っているわけではありませんので、間違っていたことを言っていたらすみません。
■古川さんは、林業と建築つなぎ、「死の谷」に橋を架けることが大切だと考えておられます。私たち「琵琶故知新」の場合はどうでしょうか。私たちは、ICTの技術と地域社会の課題の現場(特に、環境問題や農業問題)とを架橋していきたいのです。「琵琶故知新」の中には、ICTの技術者の理事の方達がおられます。その方達の技術と、同じく理事で企業の経営者であった方のアイデアが合体し、さらに私のような社会学を研究する者の発想がさらに結合することによって、「びわぽいんと」は生まれました。いろいろ議論をしてきましたが、まずは「魔の川」を超えたか超えつつあるのかなという感じがします。しかし、その次、「死の谷」。ここは難しい。地域社会自体がコロナ禍で動きが取れなくなっていますし、いろんな法律等の制約条件の中で、橋を架けることがうまくできていません。「ダーウィンの海」については、そもそも商品を市場に出すわけではなく、目標が地域社会の課題を解決なので、この点については語る資格はないのかなと思います。もっと技術的にあるいは発想的に優れたものが出てくれば、そちらででも構わないわけですから。でも、「死の谷」については、ここが踏ん張りどころかなと思っています。
【関連記事】■「魔の川/死の谷/ダーウィンの海」で検索してみると、「iPS研究に迫る「死の谷」 山中伸弥氏ら新財団で支援」がヒットしました。
https://www.asahi.com/articles/ASMCC52NRMCCULBJ00S.html
世界農業遺産の現地調査(4)
■この写真、2016年2月19日の、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」での写真です。世界農業遺産を目指して頑張っていこうと、滋賀県庁職員の皆さんと決起集会を開いたときのものです。あれからコロナ禍もあり6年が経過しました。もうご退職された方、人事異動で世界農業遺産申請作業(その前に日本農業遺産)の仕事から離れた方…いろいろおられます。この時のことを思い出し、写真をひっ張り出してみました。何かちょっと感慨深いものがあります。もし「琵琶湖システム」が世界農業遺産に認定されたら、申請作業に関わった皆さんと喜びを分かち合いたいものです。そして、次のステップに向けて知恵を出し合いたいです。
■知恵を出し合うのも、行政だけではなくて、民間の知恵を大切にする取り組みがたくさん生まれたら良いなあと思います。県庁に何かやってもらうのではなく、世界農業遺産のブランドを民間で上手に適切に使いこなしていくようになればと思います。ええと、これは個人的な意見ですけど。
■1枚目の写真の中央、当時の農政水産部長の安田全男さんです。その少し前のことについても、ここに書いておきます。あくまで、私の個人的な経験ですけど。
■2016年の正月明け頃だったかな…。いつもの大津駅前の居酒屋「利やん」で、部長の安田さん、そして琵琶湖博物館に私が勤務していた当時の上司で、副知事もされたことのある田口宇一郎さん、このお二人がご機嫌に呑んでおられたところに、私が偶然にやってきて、田口さんに安田さんを紹介されました。安田さんからは「世界農業遺産認定をこれから目指そうと思っている」という話を聞かせてもらい、飲んだ勢いもあってとても話しが盛り上がって、さらに安田さんからは「滋賀県内で唯一農学部のある龍谷大学にも支援してほしい」と言われて、お安い御用とすぐに学長室とつなぎ…という展開の中で、私も世界農業遺産申請のお手伝いをするようになりました。その頃は、すでに庁内で職員の皆さんが申請のための研究や準備を着々と進めておられたと思います。私も、その議論に参加させてもらい、いろいろ意見を述べさせてもらいました。今から思うに、やはり琵琶湖博物館に勤務していた当時の経験がとても役に立ったように思います。
■その後の農政水産部長の高橋滝治郎さんの時代に、東京の農水省までいって日本農業遺産に認定していただくためのプレゼンに同行し、まずは日本農業遺産認定まで辿り着きました。高橋さん、そして他の職員の皆さんたちとは、世界農業遺産の広報を兼ねて100kmウォーキングを4回歩きました。その後の部長、西川忠雄さんの時代は、コロナ感染の時代でした。世界農業遺産に申請したものの、審査がストップしている時代でした。残念でしたが、仕方がありません。そしてこの春からは宇野良彦さんが部長に就任されのですが、FAOが突然審査を再開したのでした。コロナ感染が以前と比較してマシになってきたからでしょう。そして、今回の現地調査が行われたわけです。
■もし、安田さんが直接、龍谷大学に支援の要請に行かれたら、どうだったでしょうね〜…、社会学部にいる私が世界農業遺産に関わることはなかったように思います。そういう意味でも、「利やん」は、安田さんとの出会いを作ってくれたわけです。なんとも、不思議なお店です。
■2枚目の写真。手前のグループ。ひょっとして、佐々木和之くんと近藤紀章くんかな…。2人も知り合いです。君たちいたっけね??
世界農業遺産の現地調査(3)
■世界農業遺産現地調査の続きです。沖島の次は、野洲市で「魚のゆりかご水田」に取り組む「せせらぎの郷須原」を訪問しました。ここの「魚のゆりかご水田」には滋賀銀行中主支店の皆さんがボランティアとして関わっておられるようですが、今日はまず支店長さんが、次にJAレーク滋賀代表理事理事長さん、そして県会議員で地元の農家さんがスピーチをされました。その後、調査員のブスタマンテさんは、堰板で水位が上がった「魚のゆりかご水田」の水路を見学されました。この「せせらぎの郷須原」には、知り合いの女性がボランティアとして関わっておられて、その方とひさしぶりにゆっくりお話をすることができました。彼女は、この地域で生産される麦の茎を使って昔な懐かしいストローを生産されています。今日は、そのストローで、やはり地元で生産された麦を使った麦茶をいただきました。
■最後に、この地域の若者を代表して、女子高校生がスピーチをしました。通訳の方が同行されているのですが、彼女は英語でスピーチをされました。あえて英語でスピーチをしたことも含めて、彼女のこの地域に対する誇りの気持ちはブスタマンテさんにきちんと伝わったと思います。
■調査員ブスタマンテさんは、現地調査の最後に、滋賀県立琵琶湖博物館を訪問されました。特にC展示室の「田んぼ」の展示を見学し、学芸員の方から説明を受けました。水田は、たくさんの生き物たちの生活の場にもなっていますが、この展示では、琵琶湖の周囲に広がっている水田に生息する生物のことについて解説してあります。小さなジオラマでは、世界農業遺産認定に向けて審査を受ける「琵琶湖システム」の四季の変化をわかりやすく伝えています。
■ブスタマンテさんには、全ての展示をゆっくり観覧していただきたかったのですが、残念ながらこの日は時間がありません。もし再来日され、滋賀をまた訪問してくださるのならば、ぜひじっくり時間をかけて楽しんでいただきたいと思います(かつて、この博物館に勤務していた者=私のおもいです)。
■展示を見学した後は、博物館のセミナー室で、調査員のブスタマンテさんから一日を振り返っての質問が行われました。ちょっと、はらはらするところもありましたが、最後は、なんとかご理解いただけたのではないかと思います。
■若い高校生からは、自分達ご取り組んできた環境学習に関する報告が、若い漁業者や農家からのスピーチもありました。若い漁業者の方は知り合いの若者です。もともとは大学院で建築を学んでおられたのですが、漁師の親方さんに弟子入りして独り立ちされました。スピーチでは、琵琶湖の水産業の6次産業化の必要性を語っておられました。そのことに調査員のブスタマンテさんも大いに共感されていました。うまくいけば、来月、ローマのFAO(国際連合食糧農業機関)で、「琵琶湖システム」も最終的な審査を受けることになります。楽しみです。
世界農業遺産の現地調査(2)
■世界農業遺産の現地調査の続きです。三和漁協でエリの視察ほをしたあと、琵琶湖汽船の高速船MEGMIで沖島に移動することになりました。船中でも3人の方が、調査員のブスタマンテさんにプレゼンテーションを行いました。
■まず最初に、水源の森の大切さを伝える活動をされている「巨木と水源の郷を守る会」の小松明美さん。そして、モンドリ漁やカバタ、ヨシ帯保全等の取組を針江地区で取り組まれている「針江有機米生産グループ」の石津文雄さん。最後は、食文化・食品学を専門とし、「しがの食文化研究会」の代表を務めておられる滋賀大学名誉教授の堀越昌子さん。船内では、滋賀県の食材で作った美味しい「魚治」さんのお弁当もいただきました。しかも、ひとつひとつの料理について、堀越先生が丁寧に解説をしてくださいました。とても、美味しかったです。
■途中、沖の白石にも立ち寄りました。以前、沖の白石を間近に見たのは、随分、昔のことになります。確か、比良山系が雪で白くなっている真冬の時期に、浜大津から長浜に向かう琵琶湖汽船の「雪見船」に乗船した時かと思います。この沖の白石、大岩1つ・小岩3つで形成されています。この辺りの水深は約80mですし、岩礁が水面から約20m飛び出しているので、全長では役100もの岩が湖底から伸びているということになります。なぜ、このような角のような岩が残っているのか、とても不思議です。この沖の白石だけでなく、多景島や沖島も含めて、火成岩という固い岩石からできていると聞いたことがあります。きちんと調べて理解しないと…。
■「MEGUMI」を降りて 沖島に上陸しました。ちょうどその時、沖島の前を環境学習戦「うみのこ」が通過しました。滋賀県の全ての小学校5年生が、この「うみのこ」に乗船し、琵琶湖の環境学習を行います。沖島では、ブスタマンテさんの来島を、島の小学生の皆さんが歓迎してくれました。ブスタマンテさんは、子どもたちのひとりひとりの前で立ち止まり、お名前と年齢を聞いておられました。お子さんがとってもお好きな方のようです。
■その後、ブスタマンテさんは、沖島漁業協同組合女性部である「湖島婦貴の会」(ことぶきのかい)の皆さんから歓迎を受け、漁業協同組合長や沖島の水産業に島外から新規参入された(漁師に弟子入りした)若者から話を丁寧に聞かれていました。船でいただいたお弁当でお腹はかなりいっぱいでしたが、沖島のお母さんたちの湖魚料理でさらに胃袋は満足しました。