関西学院ファイターズの初戦


▪️関西学生アメリカンフットボール、秋のシーズンが始まりました。母校の関西学院ファイターズ、初戦の甲南大学レッドギャング戦で、52-7で勝利しました。試合中の細かいプレーに関しては、いろいろ注文があるのかもしれませんが、大差で勝利しました。この勢いで、甲子園ボウルに行って欲しいです。去年は、なかなか大変でした。いつものように、ぶっちぎりというわけにはいきませんでした。結果として、甲子園ボウルには進めませんでした。今年こそはです。

集中講義「びわ湖・滋賀学」5日目・最終日

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20250831biwahaku9.jpg▪️昨日は、集中講義「びわ湖・滋賀学」の最終日でした。午前中は、歴史担当の学芸員である島本多敬先生に展示を使って講義をしていただきました。普通の講義とは違って、展示物やパネルがテキストになります。まずはB展示室での講義の後、現在開催されている企画展示「川を描く、川を作る—古地図で昔の堤(つつみ)をさぐる—」で、この企画展の担当者である島本先生ご本人に解説をしていただきました。なんという贅沢でしょう。どのような企画展なのか、以下をご覧ください。概要は以下のとおりです。私、この企画展に「はまり」ました。大変丁寧な研究蓄積もとにした素晴らしい企画展でした。素晴らしいです。

滋賀県(近江国)は日本国内でも有数の「天井川」が多い地域で、「はげ山」などと呼ばれる草木の少ない山々が広がっていた歴史があります。そして、人々は水害・土砂災害から地域をまもるため、「堤」(川の堤防や山の土砂流出をとめる堰堤など)をつくってきました。
 この企画展示では、17~19世紀の琵琶湖集水域・淀川流域を中心に、災害の状況や土木工事の計画を描いた地図、治水の歴史に関わる道具や文書などを展示します。また、古い地図から歴史を研究する方法を紹介します。川をつくる人々のそばにあった地図を眺めて、歴史に埋もれた堤を見つけにいきましょう。

▪️右上の写真は、「膳所藩領絵図」です。この企画展の図録には、「膳所藩が担当した範囲の土砂留め普請箇所と工種が描かれている」と説明されています。これも図録での説明ですが、江戸時代、燃料や肥料を求めて山の木を採り草を刈ってきた結果、木が少ない「草山や、土壌が流れ出て草も生えない「はげ山」が現れ、土砂の流出が生じてしまいました。滋賀県内の「はげ山」としては、田上山地と比良山地が有名です。この絵図には、龍谷大学瀬田キャンパスのある瀬田丘陵や田上山地が描かれています。丘陵や山地の谷筋には、現在でいえば砂防ダムの役割を果たす工事が行われましたが、ものすごくたくさんの場所で工事が行われていることが確認できます。絵図の中には、よく知る、瀬田付近の地名や川の名前が出てきます。この授業のコーディネーターを務めていただいている先端理工学部の横田岳人先生によれば、龍谷大学瀬田キャンパスに隣接する「龍谷の森」には、この土砂留め普請のあとがあるとのこと。そういえば、石垣を見かけた記憶があります。あれが、土砂留めだったんですか。なるほど。

▪️これほどの普請(工事)が行われたということは、土砂が琵琶湖の南湖の南側や瀬田川に土砂が堆積していくということでもありますね。そのような土砂の堆積は、水害の発生の確率を高めてしまうことになりますね。国土交通省の公式サイトの中に、「瀬田川の歴史」という記事がありました。この記事を読むと、この企画展で展示されている「膳所藩領絵図」の地域での資源採取、草山やはげ山の出現、土砂流出、洪水が発生する確率を高め、水害による生活困難による海外への移住…さまざまなことが歴史軸の中で繋がっていきます。ちなみに、水害による生活困難による海外への移住に関しては、「滋賀県立公文書館」のこの記事が参考になると思います

明治初期の浚渫と明治29年の大洪水

明治元年(1868)の大洪水を契機として、大津県による大規模な瀬田川浚渫が実施されました。明治22年(1889)5月から9月にかけては、琵琶湖水位が2mにもおよぶ高水位が続いたことと、国鉄東海道線の瀬田川橋梁の架橋開始が重なったため、住民が橋梁撤去の請願運動を行い、滋賀県知事や住民有志による直轄工事の陳情が重ねられました。一方、下流住民が瀬田川浚渫反対を訴え大きな問題となりましたが、内務省は、明治26年(1893)下流淀川に影響のない範囲の浚渫を実施しました。

明治29年(1896年)は雨の多い年で、7月から水位が高い状態となっていました。9月には10日間で1,008mmを記録する豪雨があり、琵琶湖の水位はB.S.L.+3.76mに上昇し、湖周辺に未曾有の大災害が発生しました。

明治29年(1896年)の大洪水により、琵琶湖周辺にあるほとんどの市町村が浸水による被害を被り、無害水位に低下するまでに237日を要しました。特に彦根市の80%、大津市の中心部は全て浸水したとされています。当時の洪水位を記録した石標等が各地に残されていますが、生活再建を諦め、多くの人が海外への移住を余儀なくされました。

▪️この記事では、明治政府の治水対策の説明もあります。

瀬田川洗堰設置と瀬田川浚渫

【日本初、上下流一貫の改修工事「淀川改良工事」】
明治18年(1885)の大阪市内の大洪水を契機に治水対策の気運が高まり、明治29年(1896)に河川法が制定され、これに基づき内務省が本格的な河川改修計画「淀川改良工事」が決定されました。淀川放水路、瀬田川洗堰設置など、上下流一貫の抜本的な治水対策が着手されました。
 
【瀬田川洗堰設置と瀬田川浚渫 明治38年(1905年)】
瀬田川に関連する工事は、琵琶湖からの流出量を増大させる瀬田川河道掘削および大日山の掘削、淀川の洪水調節のため琵琶湖からの流出量を制御する角落とし式の瀬田川洗堰を明治38年(1905)に設置でした。

32門の堰で、角材を抜き差しすることにより流量調節を行いました。

瀬田川洗堰は、琵琶湖沿岸の浸水被害軽減のため平常時の水位を低下させる河道掘削を可能としました。

また、洪水時の琵琶湖の水位上昇は、下流淀川の水位上昇に比べて緩慢であるという自然の地形、水利上の特性を活かし、下流淀川の洪水時には放流量を制限する目的をもっています。

▪️下の写真は、企画展のチラシ、図録、関連するニューズレターです。素晴らしい図録でした。一番右のニューズレターですが、愛知川の下辺林の中にあるかつての堤防、猿尾の調査に関するレポートです。歴史学、河川工学、生態学といった複数の分野の研究者の連携により猿尾のことがわかってきたことを報告されています。琵琶湖博物館らしい、ならではの共同研究だと思います。
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▪️琵琶湖博物館は、1996年10月20日に開館しました。12年の準備期間を経て(1984年~)、1996年4月1日に設置され、その後、同年10月20日に一般公開されました。私は、1991年から開設準備室に勤務しました。5年間、琵琶湖博物館に開館に向けて仕事をしてきました。開館後は2年間、学芸員として勤務しました。在籍期間は開設準備室時代も合わせて7年、博物館に関わって仕事をさせてもらったことになります。この時の経験が、その後の私の人生に非常に大きな影響を与えるきっかけになっています。博物館を退職した後も、ずっと琵琶湖や滋賀県に関わって仕事をしてきました。今は、10年前からは滋賀県の大津市、自宅から琵琶湖の南湖が見える家に暮らしています。

▪️琵琶湖博物館は、開館後、6年間のリニューアル工事を経て、2020年10月10日にグランドオープンしました。開館からリニューアルまで25年、現在までだと30年、個々の学芸員の皆さんが、あるいは博物館という組織として琵琶湖や滋賀県をフィールドに関する研究を蓄積されてきたことが、常設展示はもちろん、今回の企画展にも非常によくあらわれていると思います。

▪️5日間の集中講義では、琵琶湖博物館の学芸員の先生方には大変お世話になりました。特に、全体を取りまとめてくださった、学芸員の林竜馬先生には、心より感謝したいと思います。ありがとうございました。履修された学生の皆さんのレポートが非常に楽しみです。

集中講義「びわ湖・滋賀学」3・4日目

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▪️26日から28日まで「びわ湖・滋賀学」の集中講義で瀬田キャンパスにいました。昨日は3日目でした。私はコーディネーター役の1人で講義はしません。学生さんたちと一緒に、琵琶湖博物館の学芸員の先生方のお話を興味深く拝聴しています。午前中は、水産試験場の水産技師で、今は琵琶湖博物館に出向されている県の職員さんが、琵琶湖の水産業について講義をしてくださいました。午後からは、旧知の学芸員である金尾滋史さんから「琵琶湖の魚と人の関わり」というタイトルで2コマ講義をしていただきました。昨日は終日、琵琶湖の魚に関連するお話でした。金尾さんも含めて、旧知の学芸員の皆さん、みなさん立派なおじさんになっておられます。まあ、私もおじいさんですからね。それは当然ですか。ひさしぶりにあった金尾さんからは「めっちゃ痩せてますやん、大丈夫ですか?」と言われてしまいました。めっちゃ痩せて頬が痩けた貧相なお爺さんです。

▪️1日3コマの3日め。集中講義は、学生さん達はかなり疲れている人が出てきていました。後ろから見ていると、そのことが良くわかりました。無言のうちに「疲れた〜」という気持ちが態度に表れていて、講義をされている先生方に伝わってるかもしれないなと心配しました。すみません。心折れませんように。とはいえ、前の方でしっかりとノートを取っている方たちもおられたので救われます。ところで、瀬田キャンパスは暑いですが、深草キャンパスとは違って自然を感じられます。良いキャンパスですね。

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20250829biwahaku15.jpg▪️ 「びわ湖・滋賀学」の集中講義、今日は4日目です。今日から最終日の明日までの授業は、滋賀県立琵琶湖博物館で行われます。琵琶湖博物館は、今から27年前まで勤務していた職場です。学生さんたちは、瀬田キャンパスでの座学でかなり疲れていたと思いますが、今日は、結構な距離を歩いて「博物館疲れ」が出ているかもしれまん。でも、展示を前に、学芸員の方から直接解説をしていただきながら、勉強できるんですからね、かなり贅沢です。私も、C展示室でひとつだけ解説を担当させていただきました。この博物館の開設準備室の頃から開館した後数年後まで勤務していましたので。

▪️写真についても、少し説明しますね。2段目左。A展示室での講義風景です。履修者を半分ずつのグループに分けて講義を受けました。学生の皆さんが乗っているガラスの下にあるのは、ゾウの足跡化石です。2段目右。つい最近、ビワマスが、琵琶湖の固有種として認められました。琵琶湖博物館に関係する方達が論文を発表して認められました。これまでは、固有種ではなく固有亜種となっていたと思いますが、独立した種として認められたわけですね。そのお祝いの展示の前で語り合っている方達。左は学芸員の林竜馬さん。この授業の中心になってお世話いただきました。ありがとうございました。右は先端理工学部の横田岳人さんです。私と同じく、この授業のコーディネーターをお勤めいただいています。

▪️ 3段目。この魚屋の大将、学芸員の金尾滋歴史さんです。若いですね〜。そして金尾さんの横にあるのは、鮒寿司のタルの断面を見せたレプリカ。開館時の展示の一部です。私が担当しました。自分たちで鮒寿司をつけて、その鮒寿司を凍らせて、半分に切断して、その断面を型取りしました。その作業は、業者さんがされるので、私は指示するだけですけど。展示が新しくリニューアルされたため、開館時に私が担当した展示で生き残っているのは、これだけです。

▪️琵琶湖博物館での授業が終了した後は、月1回のクリニック。今月も血液検査をしていただきました。HbA1cは、今月も「5.3」。きちんとコントロールできていました。安心です。ただ、CKの値が基準値を若干超えていました。心配する数値ではありません。CKとは、脳、臓器、筋肉が損傷を受けると数値が上がります。今回は、博物館の中を結構歩いたことが、この数値に表れているのかなと思います。車で博物館まで行きました。歩数計は9,000歩を超えていました。この程度の歩数でも、CKの値に影響が出るのですね。すごいな血液検査。

「仰木地域共生協議会」の臨時総会

▪️昨晩は、18時から仰木の市民センター(大津市)で、「仰木地域共生協議会」の臨時総会が開催されました。私も理事の1人として参加させていただきました。この活動を支援する特定非営利活動法人「琵琶故知新」の立場から理事として参加・参画させていただいています。私たちの活動は、農業水産省の「農山漁村振興交付金(中山間地農業推進対策)」の支援を受けています。この交付金の目的は以下の通りです。その元になっている「中山間地農業ルネッサンス事業」についても、リンクを貼り付けておきます。

中山間地域において、中山間地農業ルネッサンス事業の地域別農業振興計画を深化させる取組、地域の特性を生かした複合経営等の多様な農業の推進、複数の農村集落の機能を補完する「農村型地域運営組織(農村RMO)」の形成等に対する支援を実施します。

「農山漁村振興交付金(中山間地農業推進対策)」
「中山間地農業ルネッサンス事業」

▪️この交付金を受けての活動はこれから本格化していきますが、国の交付金をいただくということで、その執行についても、手続き的になかなか難しいです。農水省との間に、滋賀県が入ってくださっているのですが、滋賀県も大変なんだろうなと思います。いろいろ、ありがとうございます。

中学校の「部活動の地域移行」

▪️大学吹奏楽部の部長をしていましたし、今は近江八幡市教育委員会の点検・評価委員を務めていることもあり、中学校の部活動、特に吹奏楽部の「地域移行」のことが気になっています。いろいろ調べていたからでしょう、Googleが「地域移行」に関連する記事を探してきて見せてくれるようになっています

▪️「部活動の地域移行」とは、「学校の部活動を地域が主体となって運営するクラブ活動に移行する取り組み」のことです。文科省の方針です。部活動の顧問されている先生たちの激務、大変ですよね。教員も、ワークライフバランスをきちんと考えていく時代になっています。ということでの、文科省の方針です。ただ、それぞれの地域には地域固有の事情や条件があり、全国一律にというわけにはなかなかいかないのかなと思います。「地域移行」するにしても、それぞれの自治体で工夫を重ねて、段階を踏まえないとうまく行きません。でも、地域移行できずに、廃部になっていく吹奏楽部もたくさんあるでしょうね。吹奏楽部の活動を

維持するためには、指導者の問題に加えて、経済的な問題も非常に重いのです。

▪️地域に移行すると、学校や教育委員会ではなく、基本、保護者が経済的な負担をしなくてはいけません。楽器の購入、メンテナンス、コンクールへの参加に伴う輸送代、バスの借り上げ…。もちろん、自治体からの補助金もあるとは思いますが、経済的な負担の多くは保護者になります。そうすると、負担できる保護者と、それは絶対に無理という保護者がおられるのではないか思います。子ども:「吹奏楽部に入りたいのだけど、これだけの年間の負担がいるんだって」、保護者:「そうなんか、ごめんね。我が家ではとても無理やわ」。そういう家庭もきっと出てくると思います。そうなると、中学校の部活動においても「体験格差」が生じることになるのではないかと思います。

▪️とはいえ、記事の最後の部分、大切かなと思います。

「これまでは、学校が部活をやってくれて当たり前だったし、そこに先生に払う講師料などがあったわけでもなく、ある程度専門的なことも教えてもらえて“当然”みたいな感じでいた」
「むしろ今後は、私たち地域側が意識を変えて『協力していく』という体制を作らないといけない…」

地域それぞれにの課題から、部活動の『地域展開』がスムーズに行かないケースもありそうですが、学校や保護者だけではなく『地域の子どもたちは地域で育てる』という意識の広がりこそが、子どもの活動場所を狭めないための第一歩となりそうです。

▪️「地域の子どもたちは地域で育てる」というのは、「自治の精神」を涵養していくということなのでしょう。自治って、まちづくりと言い換えてもいいかもしれません。「まちづくりは人づくり」とも言いますからね。こうやって、地域の大人に指導をしてもらいながら、また応援してもらいながら、部活動に取り組んだ経験が、子どもたちにとって意味のある経験になってほしいと思います。そして、将来、こういう「地域移行」による「アウトカム」が地域にとってもプラスになってほしいと思います。

▪️付け加えることになりますが、こういう記事もありました

集中講義「びわ湖・滋賀学」2日目

20250827sakananoibashozukuri.jpg▪️「びわ湖・滋賀学」の集中講義で瀬田キャンパスに来ています。今日は2日目です。講義は、1日3コマです。私はコーディネーター役の一人で講義はしません。学生さんたちと一緒に、琵琶湖博物館の学芸員の先生方のお話を興味深く拝聴しています。午前中は、滋賀県庁から琵琶湖博物館に出向されたり、兼務されている本職は県職員の方たちが講義をしてくださいました。講義の内容は、河川政策の話と森林政策の話。情報量も多く、さすが専門家だと思いました。

▪️ところで、河川と森林、現場ではこの2つは繋がっています。特に、滋賀県の場合は。森林・河川・農地・琵琶湖すべてを視野に入れた「総合政策」みたいな講義を受けてみたいな〜と思いました。細かなことを言えば、森林と河川の繋ぎ目、河川と農地の繋ぎ目、そして河川と琵琶湖の繋ぎ目、その「繋ぎ目」のところで起こっていることに強い関心があります。流域全体を多様な主体(ステークホルダー)が協働しがら、シームレスに流域全体を保全していくことにも関心があります。繋ぎ目では、「異業種」の方達同士の連携が必要になるのではないかと思います。まあ無理ですかね。お役所は基本、縦割りですし。でも、行政の立場から、流域全体の総合政策を拝聴してみたいです。

▪️写真は講義の中で紹介されていた、冊子です。『はじめての魚の居場所づくり』というタイトルです。一般の人びとが、身の回りの小河川で魚の賑わいを再生していくためのノウハウが、よくわかるように編集されています。親しみやすいイラストで、とてもわかりやすいです。こういう川づくりが、もっと地域社会に広まったらいいなと思います。そのためには、どういう仕組みが必要なんでしょうね。ネット上にはさまざまな情報があります。勉強します。

▪️昼食は、講師控室でいただきました。ひさしぶりに、この部屋のお世話をされている職員さんともお話をしました。深草キャンパスで勤務しているはずの教員がなんで瀬田にいるのかということで、少し驚かれた様子でした。加えて、「痩せましたね〜」と言われてしまいました。最近、しばしば言われます。体重に変化はないのですが、どうも頬が痩けて見えるようです。健康的には大丈夫だと思っていますが、痩せた痩せたと言われるとなんだか心配になってきましたが、近日中に、おそらく金曜日に、月1回定期的に受診しているクリニックに行く予定です。

「びわ湖・滋賀学」の集中講義

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▪️本日から、「びわ湖・滋賀学」の集中講義です。26日から30日までのうち、26・27・28日の3日間は瀬田キャンパスでの講義。オリエンテーションを除いて、滋賀県立琵琶湖博物館の学芸員の先生方が講義を担当してくださいます。29・30日は、場所を、琵琶湖博物館に移動させて、実物資料や展示を使った講義が行われます。ここでも、学芸員の先生方に講義をお願いします。私は講義を担当しませんが、先端理工学部の横田岳人先生と一緒に、この授業のコーディネーターのような役割があり授業を聴講させていただいています。

▪️ひさしぶりに、瀬田キャンパスに来ました。もちろん、暑いわけですが、深草キャンパスとは違って周囲が森林に囲まれていて、気持ちが安らぎます。明日は、授業終了後、隣接する文化ゾーンにある滋賀県立図書館に研究に必要な資料を借りに行く予定です。今日は、自分の研究室のあった2号館をのぞいてみましたが、階段を上ることができないようになっていました。2027年に新しく開設される学部のために、改装の工事が始まるようです。瀬田キャンパスに社会学部があった「痕跡」は全く見当たりませんでした。なんだか、寂しいな。社会学部の卒業生の皆さんにとってのホームカミングデー、どうなるんだろうな…と今頃になって心配しています。

古文書

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▪️今から40数年前、学生時代の頃、学生オーケストラに所属していました。関西学院交響楽団です。楽器はバイオリンでした。その頃の同級生と今でも仲よく交流しています。普段はグループLINEですけど、年に3回ほど食事会(飲み会)をしています。昨日は、その同級生とのグループLINEに、写真のような懐かしい「古文書」を投稿しました。左は、私が現役部員として演奏した定期演奏会のパンフレットです。第53回から第60回まで。年に2回定期演奏会を開催しているので、全部で8回ステージで演奏したことになるわけですが、どういうわけかひとつだけ足りません。

▪️右の新聞記事、色が茶色になっていますね。1回生の時に、ソビエト連邦で演奏旅行を行ったのですが、その前に新聞社から取材を受けた時の記事です。写真は、「やらせ」です。こういう楽器同士で練習はしませんのでね。それともかく、ソビエトに旅行した経験は貴重ですね。いまや消滅していますから。新潟から飛行機で、まずはハバロフスク、そしてモスクワ。レニングラードにはモスクワから列車だったと思います。ラトビアのリガにも行きました。懐かしいですね。

▪️これらの「古文書」以外にも、ガリ版で擦った「演奏旅行」の際の手引きとか、「定期演奏会」の裏方のマニュアルだとか、諸々、いっぱい、我が家の押し入れから出てきました。パンフレットの文章にしろ、マニュアルの文章にしろ、今読んでも面白いけど、幼いというか、お子ちゃまです…(^^;;。とろこで、後輩の皆んさん、現役の学生の皆さんの定期演奏会、最新は145回なんだそうです。私たちの最後の定期演奏会が第60回ですから、なんというか、自分たちは老人になってしまったんだなあと…数字を通して実感することになりました。

龍谷大学吹奏楽部が金賞受賞

▪️昨日、京都コンサートホールで第75回関西吹奏楽コンクールが開催され、龍谷大学吹奏楽部は見事「金賞」を受賞、全国大会に進むことになりました。おめでとうございます。私は、応援には行っていませんが、副部長さんにLINEで教えていただきました。ありがとうございました。これで、2019年以来、6年連続全国進出(コロナ禍で2020年は中止なので)。部訓「音楽」「感謝」を大切に、全国でも素晴らしい演奏をご披露ください。

▪️指揮をされた音楽監督の若林義人先生、お疲れ様でした。若林先生は、今日も職場・一般の部で演奏する「大津シンフォニックバンド」でも指揮をされます。まだ結果は出ていませんが、きっと全国に進まれることでしょう。2つのバンドの指導って大変なことですね。

「大津エンバワねっと」の饗庭くんと増田くんのこと

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20250823ohtsu.jpg▪️昨日は、研究室で18時過ぎまで仕事をして、大津に移動しました。大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」で、地域連携型教育プログラム「大津エンパワねっと」(6期生)を履修していた卒業生のお2人と再会しました。饗庭勝くんと増田純平くん。卒業されてから10年が経ちました。現在、お2人とも福祉関係のお仕事をされています。10年前は、社会学部は4学科体制で、お2人は共に地域福祉学科だったんじゃないのかな。

▪️ところで、昨晩、お2人と引き合わせてくださったのは、「大津エンパワねっと」で長年にわたってお世話になってきた「大津の町家を考える会」の雨森鼎さんです。先月のことだと思いますが、「脇田はん、8月22日、エンパワの饗庭くん増田くんと呑むから、時間空けておいて」と雨森さんから連絡があり、昨晩、10年ぶりの再会が実現しました。雨森さん、ありがとうございました。昨晩は、中央学区自治連合会の顧問で「人権・生涯」学習推進協議会会長の安孫子邦夫さんもお越しくださいました。安孫子さんにも、饗庭くんと増田くんは大変お世話になっています。

▪️さて、お2人が「大津エンパワねっと」でどのようなプロジェクトに取り組んでいたのか、少し紹介をしておこうと思います。饗庭くんが活動したチーム「こけし」では、中央学区に転入されてきたマンション住民の皆さんに、大津の良いところを知っていただけくために、「プチ体験型まちづくりカフェ」を開催しました。ジャズバー「パーンの笛」のママ神之口 令子さんに相談をして、大津の酒蔵「平井商店」さんで、日本酒とジャズを楽しんでもらうなんてことを実現しました。神之口さん、その節はお世話になりました。他にも老舗の漬物店「八百与」さんで水茄子の糠漬けを作ってみるとか、大津絵の絵師さんから指導を受けながら自分でも大津絵を描いてみるとか、そのようなプチ体験を通して、自分が暮らしている大津の街の良さを知っていただくプロジェクトに取り組みました。

▪️増田くんが活動したチーム「めろん」では、中央学区に転入されてきたマンション住民の皆さんを対象に、大津の町のことを知ってもらい、また住民の皆さん同士の、そして地域との交流を深めるきっかけ作りとして、まちなかツアーを実施しました。その時も、雨森さんや安孫子さんにツアーのガイド役としてご協力をいただいたように記憶しています。これはこのブログへの過去の投稿ですが、きちんと残っています

▪️それぞれが異なるプロジェクトではありますが、中央学区に転入されてきたマンション住民の皆さんと地域社会を、どのようにつないでいくのかという問題意識は共通していますね。このような「大津エンパワねっと」の経験は、社会人10年目の今、お2人の中ではどのように記憶されているのか、どのような影響を自分自身に与えていると思うのか、その辺りのことについてもお聞きするべきでしたが…、昨晩はちょっとした同窓会だったことあり、話に夢中になって忘れていました。ということで、写真についても撮り忘れていました。駅に近づいてからそのことに気がつきました。というわけで、このような写真しかありません。写真には、目付きの悪いお爺さんも一緒に写っていましたが、それはカットさてせいただきました(^^;;。

【追記】▪️本日、雨森さんが、10年前に撮った写真を送ってくれました。左から増田くん、饗庭くん、雨森さん、最後は五十嵐くん。五十嵐くんは、今、九州で暮らしています。元気にしているかな。卒業前に、この4名と私とで飲み会をした時に撮ったものです。この時は、京都駅のそばだったかな。写真を撮ったのは、私なのだと思います。
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