甲賀市小佐治での協議
▪︎昨日、14日、総合地球環境学研究所・奥田プロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会─生態システムの健全性」のメンバーと、プロジェクトの調査地のひとつである、滋賀県甲賀市小佐治集落を訪問しました。集落の環境保全部会の皆さんと一緒に、現地での協議を行いました。小佐治では、集落の環境保全部会の皆さんを中心に、「豊かな生きものを育む水田づくり」のブロジェクトに取り組んでおられます。村の水田や周辺の環境に、生き物の賑わいをつくるためのプロジェクトです。
▪︎もともと小佐治は、美味しい米やもち米が生産されることで有名な集落です。水田が重粘土の古琵琶湖層群の土でできているからです。そのような美味しい米やもち米が、さらに生き物が賑わう水田で生産されたということになれば、食の安心・安全に強い関心をもつ消費者の皆さんに、人気が出ないはずがありません。実際、小佐治では、めだかが成長する水田で生産した米を、「めだか米」として販売しています。それでは、そういった経済的な付加価値だけを動機付けとして小佐治の皆さんは「豊かな生き物を育む水田づくり」に取り組んでおられるのかといえば、それだけではないと思います。この点については、いずれ詳しく説明いたします。
▪︎私たち奥田プロジェクトでは、昨年から、この小佐治の「豊かな生きものを育む水田づくり」の活動をお手伝いしてきました。そして今年度からは、地域の皆さんの活動が、具体的に、環境面でどのような効果を生み出しているのか、科学的な測定をさせていただき、村づくり活動を側面から支援させていただくことになっています。そのようなこともあり、昨日は、どの水田で水質や生物多様性に関する測定をさせていただけるのかを検討するために、小佐治の環境保全部会の皆さんと一緒に現場を回りながら候補となる水田を視察させていただきました。当然のことながら、私たちが頭のなかで考えていたのとは異なります。現場はなかなか複雑で曖昧です。しかし、その複雑さや曖昧さに、できるだけぴったりと向き合いながら、小佐治の皆さんがさらにエンパワーメントされるような形で支援をさせていただければと思っています。そして相互に学びあうことのできる形に、小佐治の皆さんとのコラボレーションが進んでいけばよいなあと思っています。
▪︎その詳細については、またこのブログでご報告させていただければと思います。写真について少し説明します。上段の2枚は、「甲賀もち ふるさと館」で環境保全部会の皆さんと一緒に協議を行っているところです。この日、初めてお会いする方たちも何名かいらっしゃり、最初は少し堅苦しい雰囲気でしたが、お話しが進むうちに、笑い声が出てくるような打ち解けた雰囲気になってきました。協議の後は、測定の候補地と思われる水田を視察しているところです。そして、最後は、「甲賀もちふるさと館」に併設されている「もちもちハウス」(直売所)前にある「たいやき」コーナーです。ここで、小麦粉ではなく米粉で焼いたたたい焼きが食べられます。美味しいんです、この米粉のたい焼き。
ワープロ専用機
▪︎ワープロを使うとき、私のばあいは「ひらがな入力」ということになります。「ローマ字入力」ではなくて、「ひらがな入力」のブラインドタッチなのです。英文のときは、頭のなかがアルファベット・モードに切り替わります。ブラインドタッチという自信はありませんが、頭のなかは切り替わります。多くの皆さんは、なんで今頃「ひらがな入力」なのか…と思われるでしょうね。もはや、絶滅危惧種扱いの「ひらがな入力」ですから。
▪︎まだパソコンが普及しておらず、ワープロ専用機が主流だったころ、私はあまり深く考えないまま「ひらがな入力」を覚えてしまいました。もちろん、「ローマ字入力」にしろといわれるとできないわけではないのですが、頭で考えるスピードにはやはり「ひらがな入力」が適しています。頭のなかでゆっくり考えた言葉を、そのままタイプすることができます。「ローマ字入力」だと子音と母音を2度タイプしないと1文字が打てないのですが、「ひらがな入力」だと1度のタイプで終わります。これが、「ひらがな入力」の魅力です。ただし、私のばあいだけ…かもしれませんが、ミスタイプも増えます。ですから、へんてこりんな変換をしてしまったりします。これは、困ったことなのですが、ですが、しかし、です。やはり、「ひらがな入力」の方が、私個人にとっては圧倒的に便利なのです。
▪︎こういう話しをfacebookに投稿したところ、50歳代以上の方たちから、いろんなコメントをいただきました。後輩の大学教員や、知人の小説家の方からは、「親指シフト」に関してコメントをいただきました。知人の小説家は、「私は親指シフトですが、もはや『死語』でして、説明するのが厄介です(;^_^」というコメントをいただきました。「親指シフト」とは、日本語の「ひらがな入力」をするために、1979年、富士通が独自に開発したキー配列規格です。私自身は、「親指シフト」を使ったことはありませんが、昔は、かなり根強い人気がありました。知人の小説家は、今でも使っておられるようです。彼の作品やエッセーは「親指シフト」から生まれたいたのか…と思うと、私などは感慨深いものがあります。では、「ひらがな入力」をしている人はもう絶滅危惧種なのか…というと、知り合いのグラフィックデザイナーの方からは、「デザインのプロも、ひらがな入力ですよ〜(笑 けっこーデザイナーは、ひらがな入力多いですよ!! 右脳的に文章化できるからみたいですね」というコメントをいただきました。これは意外でした。笑ってしまったのは、後輩の女性からのコメントでした。「うちの旦那さんが帰ってくると途端にひらがな入力に変わってて、元に戻さないので、いやな顔を気取られないようにしてます。笑」とのことでした。
▪︎私が「ひらがな入力」をマスターしたのは、パソコンではありません。キャノンのワープロ専用機でした。「キヤノワード360(CW-360)」です。デザインとしてもスマートなワープロだったと思います。実際、1986年の「グッドデザイン賞」を受賞しています。私は、学術雑誌に初めて投稿した論文を、このワープロ専用機で書きました。1本の論文を、「ひらがな入力」で打ち込んでいるあいだに、結果として「ひらがなの入力」のブラインドタッチができるようになっていました。不思議なものですね。ところで、このワープロ専用機の話しを、学部の3年生に話しをしたところ、彼らはワープロ専用機がどのようなものなのか、知りませんでした。3年生といえば、物心がついた頃は、2000年もまじかにせまった頃でしょうから、すでにワープロ専用機は多くの職場では使われていなかったと思います。仮に自宅にあったとしても、誇りをかぶっているか、押入れのなかにしまわれていたのではないかと思います。「そうか、ワープロ専用機がわからんのか…」、私は少しがっかりしたといいますか、脱力…という感じでした。まあ、仕方がありませんね。
2015年度の時間割
2015年度時間割
■「オフィスアワー」を設けていますが、それ以外でも面談をいたします。メールで面談の日時等を調整させていただきます。
■金曜日の3限を「オフィスアワー」とします。授業に関する質問、研究についての相談、そのた学生生活に関する相談等も含めて研究室にお越しください。ただし緊急の用事等が発生する場合がありますので、あらかじめメールでご連絡をいただけるとありがたいです。
▪︎2015〜2016年度の2年間、龍谷大学の研究部長に就任しました。そのため、授業は、月曜日の午前中と金曜日に集中させざるを得なくなりました。深草キャンパスの研究部に詰めることも多く、学生の皆さんにはご不便をおかけすることになりますが、どうかご容赦ください。
▪︎月曜日の調整会議は毎週開催されます。火曜日の会議は、2週間に1度ほどの頻度で開かれる会議です。水曜日・木曜日の午前中の会議は、さらに頻度は少なく不定期に入る会議です。木曜日・水曜日の午後の会議は、2週間に1度ほど開かれます。その他、緊急に会議に出席する必要が出てくるばあいもあります。面談を必要とするばあいは、あらかじめメールでご連絡をください(ゼミ生については、LINEもOKです)。なお、深草キャンパスで面談をすることも可能です。ご遠慮なくご相談ください。
『科学の健全な発展のために 誠実な科学者の心得』
■少し前、3月7日のエントリー「CITI Japan プロジェクト」で研究倫理の問題について述べました。エントリーのなかでは、上智大学での「研究倫理教育責任者・関係者連絡会議」のこと、そしてNHKの「クローズアップ現代」でも研究倫理の問題が取り上げられたことについて述べました(崩壊しつつある科学界のモラルを取り戻すには何が必要かを考える・・・)。このような研究倫理の問題は、理化学研究所の事件が社会的注目を浴びたために、理科系(特に、医学、薬学、生命科学)の問題と思いがちですが、そうではありません。人文社会科学を含むすべての分野に関わる問題でもあります。
■私が所属している日本社会学会でも、「日本社会学会倫理綱領」、「日本社会学会倫理綱領にもとづく研究指針」を定めています。そのなかには、データの扱い方についての指針も定められています。「研究・調査によって得られたデータは公正に取り扱わねばなりません。偽造・捏造・改ざんなどは固く禁じられています。データの偽造・捏造は、それを行った者の研究者生命にかかわる問題であり、調査対象者や共同研究者に対する背信行為です。データの修正や編集が必要な場合には、求められたら修正・編集のプロセスを開示できるように、記録し保管しておきましょう。また報告書などで、その旨明記し読者の注意を喚起しなければなりません」、「調査で得られたデータは、対象者リストも含め、調査中も調査後も厳正な管理が必要です。回収票や電子データの保存・管理には、十分に注意しなければなりません」と書かれています。また、プライバシーの保護に関することに関する指針も定められています。私は、日本社会学会のことしかわかりませんが、他の様々な学会でも同様の綱領や指針を定めていると思います。
■大学の仕事の関係で、この『科学の健全な発展のために 誠実な科学者の心得』を読むことになりました。日本学術振興会が、大学等研究機関における研究倫理教育に資するための教材として作成したもののようです。まだ読んでいません。これから読みます。しかし、ネットで目次や概要を読む限りでは、プロの研究者だけでなく、これからプロの研究者になろうと思っている大学院生の皆さんにも価値がある本なのかなと思います。以下は、この本の紹介文です。
科学研究の成果は私たちの社会生活に欠かせないものとなっており、特に近年では、科学が社会に及ぼす影響は極めて大きなものとなっています。それは科学者にとって誇りであると同時に、大きな責任と期待を担っていることを意味します。ところが近年、科学の持つ根源的な価値観である「真理の探究」を疎かにする事例(改ざん、捏造、盗用等)が発生しています。こうした状況が続けば、科学への信頼は傷つき、科学の健全な発展が脅かされることになりかねません。 本書では、人文・社会科学から自然科学までの全分野の科学者が、「どのようにして科学研究を進め、科学者コミュニティや社会に対して成果を発信していくのか」を命題に、研究を進めるにあたって知っておかなければならないことや、倫理綱領、行動規範、成果の発表方法、研究費の適切な使用等、科学者にとって必要な心得について、エッセンスを整理しまとめます。
■以下は、目次です。
I 責任ある研究活動とは
1.今なぜ、責任ある研究活動なのか?/ 2.社会における研究行為の責務/ 3.今、科学者に求められていること
II 研究計画を立てる
1.はじめに/ 2.研究の価値と責任/ 3.研究の自由と守るべきもの――人類の安全・健康・福祉および環境の保持/ 4.利益相反への適正な対応/ 5.安全保障への配慮/ 6.法令およびルールの遵守
III 研究を進める
1.はじめに/ 2.インフォームド・コンセント/ 3.個人情報の保護/ 4.データの収集・管理・処理/ 5.研究不正行為とは何か/ 6.好ましくない研究活動の回避/ 7.守秘義務/ 8.中心となる科学者の責任
IV 研究成果を発表する
1.研究成果の発表/ 2.オーサーシップ/ 3.オーサーシップの偽り/ 4.不適切な発表方法/ 5.著作権
V 共同研究をどう進めるか
1.共同研究の増加と背景/ 2.国際共同研究での課題/ 3.共同研究で配慮すべきこと/4.大学院生と共同研究の位置
VI 研究費を適切に使用する
1.はじめに/ 2.科学者の責務について/ 3.公的研究費における不正使用の事例について/ 4.公的研究費の不正使用に対する措置等について/ 5.まとめ
VII 科学研究の質の向上に寄与するために
1.ピア・レビュー/ 2.後進の指導/ 3.研究不正防止に関する取り組み/ 4.研究倫理教育の重要性/5.研究不正の防止と告発
VIII 社会の発展のために
1.科学者の役割/ 2.科学者と社会の対話/ 3.科学者とプロフェッショナリズム
Reference 資料
研究公正に関するシンガポール宣言/ 科学者の行動規範/研究公正の原則に関する宣言(仮訳)/ 新たな「研究活動における不正行為への対応等に関するガイドライン」概要
■冒頭に述べた上智大学での「研究倫理教育責任者・関係者連絡会議」では、少人数にわかれて、率直に各大学の実情や悩みを話しあう場が持たれました。もちろん、医学、薬学、生命科学分野の方たちが多いわけですが、そこでは研究者の研究倫理だけでなく大学院生の研究倫理の教育をどうしていくのかといことについても話題になりました。データの捏造などが生じる背景については、神経科学者の大隈典子さんがご自身のブログのなかで「研究業界を取り巻く過当競争の行方 」という投稿をされています。この投稿を拝見すると、少ない大学の教員ポストをめぐる過当競争がデータの捏造などの問題を引きおこすことがあるようです。そういった構造的な背景が存在しているようです。では、人文社会科学系の分野ではどうなのか。大学院生の研究倫理教育も含めて、様々な論点から、さらに真剣に考えていかなければならないと思っています。
対談 久松達央×丸山康司
■4月9日のエントリーは「『エコな農家』か『農家のエゴ』か 有機は環境にいい? 悪い? 」でした。 久松達央さんと丸山康司さんの対談です。なかなか面白いので、次の対談を待っていましたが、知らないあいだに(4)にまで進んでいました。以下が、そのリンクです。
・「エコな農家」か「農家のエゴ」か 有機は環境にいい悪い?農業と環境の微妙な関係を考えよう(1)(2015年04月08日)
・あらゆる農業はいつか植物工場にたどり着く?農業と環境の微妙な関係を考えよう(2)(全5回)(2015年04月09日)
・「意識の低い環境先進国」になろう 農業と環境の微妙な関係を考えよう(3)(全5回)(2015年04月10日)
・環境問題と権力 理屈で人は動かない 農業と環境の微妙な関係を考えよう(4)(全5回) (2015年04月13日)
雨の歌(ブラームス ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ト長調 作品78 )
▪︎画像は流れません。音だけ。ヴァイオリンはギドン・クレーメル、ピアノはヴァレリー・アファナシエフ。ブラームスのソナタ第1番は、若い頃、まだ自分自身でヴァイオリンを弾いていた頃、いろんな演奏家のものを聞きました。しかし、この2人の演奏は、私の記憶のなかにあるそれらの演奏とはまったく異なっているのです。まず、かなりテンポが遅め。しかも、弱い音をひとつひとつ丁寧に大切に演奏している。そこに集中して演奏しているかのようです。ヴァイオリンについていえば、クレーメルらしくビブラートを抑制して、弱音部は少しかすれたような音色で演奏しています。枯ている…というか。それが、魅力のようにも思います。私は、アファナシエフというピアニストのことをよく知りませんが、2人の魅力がうまく溶け合った演奏のように思いました。おそらく、若いときは、このような演奏に惹かれるようなことはなかったと思います。
▪︎昨日は、珍しく1日、自宅で本を読んだり仕事をしたり、外出せずにゆっくりしました。あっ、選挙には行きましたけどね。YouTubeではありますが、忙しいなかに、少し心の栄養を得たような気持ちになりました。
サークルスクエアの活用
▪︎コアメンバーをつとめる総合地球環境学研究所のプロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会─生態システムの健全性」が、フルリサーチの段階に進みました。私たちの研究プロジェクトは参加者も多く、全国にちらばっているため、「サークルスクエア」という無料グループウェアを活用することになりました。慣れるのに少し時間がいるのかもしれませんが、なかかな便利です。
▪︎グループウェアとは、組織や集団の内部で情報を共有したりコミュニケーションを取ることができるソフトウェアのことです。現在、様々な企業がインターネットでこのグループウェアを提供しています。私たちの研究プロジェクトでは、事務局のスタッフがいろいろ調べてくださいました。そして、この「サークルスクエア」が一番使いやすいのではやいかということになったようです。こういうグループウェアに慣れている人も、慣れない人もいろいろいるおられます。この「サークルスクエア」が一番わかりやすいということで選ばれたのかなと思います。
▪︎特別な機能があるわけではありません。スケジュール管理。メールの送受信。掲示板。それから、フォルダ機能でしょうか。この「サークルスクエア」にアクセスすれば、プロジェクト全体の進捗状況を、プロジェクトの誰もが把握できるわけです。プロジェクトは、たくさんのWGや班に分かれているので、WGや班ごとのコミュニケーションも可能なようになっています。本当は、大学のゼミや実習でも使いたいのですが…。どうでしょうかね〜。きっと、耐えられないでしょうね〜。facebookも無理のようで、LINEのみ…って感じですからね。
『都市社会研究』(せたがや自治研究所)第7号の発行
▪︎東京都世田谷区が設置している「せたがや自治政策研究所」が発行している『都市社会研究』7号の特集「次世代に配慮した地域環境の創造」に、拙論「地域環境ガバナンス多様なコミュニケーション」が掲載されました。
▪︎「せたがや自治政策研究所」の概要は以下の通りです。詳しくは、こちらのページをご覧ください。
せたがや自治政策研究所は、地方分権の進展の中で、世田谷区の政策形成能力の向上を目的に2007年(平成19年)から、区の内部組織として設置されました。設立当初から、区と区民等との協働の推進と区民主体のまちづくりの一層の発展を目指して、世田谷区の中長期を展望した政策立案の基盤となる基礎研究を進めています。研究にあたっては、政策形成基盤のさらなる強化を目指して、調査・政策研究の推進、情報資産の整備と活用、政策立案の支援、人材育成の促進の4つの役割を軸とした事業を展開しています。
▪︎表紙の拙論のタイトルで「あっ…」と思うことがあるのですが、もう仕方ありませんね。私のせいではありませんよ…(^^;;。
Maria João Pires(マリア・ジョアン・ピレシュ)
▪︎ヴァイオリン、チェロ、そして時にはヴイオラなど、弦楽器の協奏曲はよく聞くのですが、不思議なことにピアノ協奏曲をあまり聞いてきませんでした。自分自身が弦楽器を弾いてきたこととも関係しているのかもしれません。ところが、今日は、facebookでたまたま「Deutsche Grammophon」の記事が目にとまりました。MARIA JOÃO PIRES(マリア・ジョアン・ピレシュ)というポルトガル出身の大変有名なピアニストの、「COMPLETE CONCERTO RECORDINGS」というCDのセットが発売されますよ…という広告のような記事です。このような説明がありました。
New box set featuring Maria João Pires’ Complete Concerto recordings released this month! This new collection displays the great Portuguese pianist in the music of three composers who have always been close to her heart – Mozart, Schumann and Chopin – and whose intimacy of scale is ideally suited to her distinctive musicianship. Explore and purchase here: http://bit.ly/PiresCompleteConcertos
▪︎さっそく、このボックスセットを予約しました。う〜ん、なんででしょうね。「今でしょ…」と誰かに背中を押された感じです。facebookに投稿したところ、ビアニストでもある知人の奥様が、「生で聴きました。オールショパンノクターンでしたが、尊敬するピアニストのひとりです。生き方としても」、「後輩育成に、人間性を磨く。音楽だけでは無いよ、と共同生活して料理なんかしてました」とコメントをしてくださいました。指導者・教育者としても、著名な方のようですね。少し調べてみました。すると、ヤマハの公式サイトのなかに、彼女を紹介する記事が掲載されていました。そこには、次のような記述がありました。この記事のなかでは、Piresをピレシュではなくピリスと表記されています。引用したのはごく一部です。とっても素敵な女性だ…と誰しもが思うのではないでしょうか。
ポルトガル出身のピアニスト、マリア・ジョアン・ピリスは、とても素朴で真摯で温かい心をもった人である。彼女は「音楽は神への奉仕」と考えている。それゆえ、作品に余分な解釈を付け加えたり、余計な装飾を加えることはいっさいしない。作曲家が意図したものをひたすら追求して楽譜を深く読み込み、自らのテクニックと表現力を磨き上げ、作品の内奥へと迫っていく。
だからだろうか、ピリスの演奏はいつ聴いても心に深く響いてくる。神に奉仕しているピリスのかたわらで頭を垂れ、ひざまづき、全身全霊で音楽を聴き、また、祈りを捧げているような気分になるのである。そして終演後は、心が浄化したような思いを抱き、脳が活性化したような気分になる。
彼女はこれまでの長いキャリアのなかでさまざまな経験をしてきたわけだが、1970年以降それらの経験を生かすべく芸術が人生や社会、学校に与える影響の研究に没頭し、社会において教育学的な理論をどのように応用させるか、その新しい手法の開発に身を投じてきた。
▪︎トップのYoutubeの動画は、トレヴァー・デイビッド・ピノック(Trevor David Pinnock)の指揮によるモーツァルトの最後の「ピアノコンチェルト27番 変ロ長調 KV595番」です。最後とは、モーツァルトが亡くなった歳に作曲されたということです。演奏のあと、アンコールでは、ピレシュとピノックが連弾をしています。ピノックは、チェンバロ・オルガン奏者でもあるらしいので、なるほど〜という感じです。ピレシュは、今年で70歳のはずです。とってもチャーミングな女性のように思いました。
【追記】▪︎ピレシュを紹介する記事のなかで、以下のところが気になりました。彼女が初来日したのは1969年。46年も前のことです。以下は、彼女の印象です。
初来日したときに、もっとも強く感じたのは日本人の勤勉さ。自分の仕事に生涯を賭けて取り組む姿勢には驚きました。なんと一途で真摯で前向きな人たちなのだろうと。それが徐々に西洋の影響を受け、特にアメリカの影響が大きいと思いますが、西洋のものはすべていいと判断するようになったように思われます。日本のよさがかすんでしまうほどに、その気持ちが強くなっていった。でも、いまはまた自分たちのよさ、アイデンティティを取り戻しつつあると感じています。
▪︎フランスの人類学者レヴィ=ストロースは、自らの講演のなかで、日本人の労働観は西欧とは異なり、労働を通じて神との接触が成り立ち、維持され、保ちつづけられているという趣旨のことを述べています。このような日本人の仕事に対する姿勢は、ピレシュの「音楽は神への奉仕」という考え方と相通じるところがありますね。とても興味深いです。日本人の労働観に、ピレシュは自分の音楽に対する姿勢を重ね合わせたのかもしれません。しかしピレシュは、そのような日本人独特の労働観がアメリカを中心としたグローバリゼーションのなかで薄まっていったことを危惧していたようです。しかし日本人は、再び、そのようなアイデンティティを取り戻しつつある…そうであったらいいなあと思います。唐突な印象をもたれるかもしれませんが、ピレシュの感じた日本人の労働観は、浄土真宗でいうところの妙好人の労働や生活倫理とも相通じているように思います。
▪︎話しはそれますが、労働観が違う人と一緒に組織のなかで働くとき、いろいろ齟齬がおきますね。もう、本当に残念なことが多いです。