東高瀬川
▪️昨日は琵琶湖疏水沿いを歩きました。健康のためのウォーキングですが、京都は歴史のある街だけに、いろんなことが気になって勉強することになります。今日、朝、出勤時に大学の近くを流れている東高瀬川について、スマートフォンを使って調べました。このリンク先は、京都市役所の東高瀬川に関する解説です。
▪️この東高瀬川は、江戸時代に角倉了以が作った京都〜伏見間の高瀬川のうち、鴨川を横断した先(鴨川の南側)から伏見まで間をこの名前で呼んでいます。大正時代には舟運は廃止になり、昭和の時代に河川改修を行う時に、東高瀬川と名付けられたようです。通勤で使う京都市営地下鉄「くいな橋」駅から大学に向かう途中(スーパーマツモトの東側)に流れています。
▪️江戸時代は浅い川でした。水深30cm程度でした。水田が広がる田園風景のなかを流れる高瀬川(現在の東高瀬川)を、高瀬舟が荷物を乗せて行き交っていたのです。しかし、高度経済成長期以降、まわりが住宅地化されるなかで治水対策が必要になり、深い河川に改修されました。高瀬川は、木屋町あたりは風情がありますが、この辺りは、「特定外来生物」のミシシッピアカミミガメが甲羅干しをしていて、時折ヌートリアも見かけるような感じです。現在の風景から、かつての様子を想像するのは難しいですね。ということで頭の中でかつての風景を妄想しています。それはそれで、楽しめます。
▪️『高瀬舟』という小説があります。明治の文豪である森鴎外の小説です。恥ずかしながら、私はまだ読んだことがありませんでした…。ということで、「青空文庫」に入っているので、それを読んでみました。。江戸時代の京都・高瀬川を舞台に、「足るを知る」ということや「安楽死・自殺幇助」がテーマの作品のようですね。特に、後者は重いテーマです。弟を殺した(安楽死させた、自殺幇助した)喜助は殺人で捕まり島流し(遠島)になります。その喜助を高瀬舟で護送する同心が羽田庄兵衛です。この作品の中に次のようなところがあります。
その日は暮れ方から風がやんで、空一面をおおった薄い雲が、月の輪郭をかすませ、ようよう近寄って来る夏の温あたたかさが、両岸の土からも、川床の土からも、もやになって立ちのぼるかと思われる夜よであった。下京の町を離れて、加茂川を横ぎったころからは、あたりがひっそりとして、ただ舳にさかれる水のささやきを聞くのみである。
▪️「加茂川を横切った頃からは」とありますね。作品の本筋とはかなり遠く離れてしまいますが、この横切ったという部分に「おっ!!」と思いました。ちなみに、近代以前や明治・大正期、下流についても「加茂川」や「賀茂川」と表記することがあったようです。というわけで、鴎外も歴史的な響きや当時の慣習から「加茂川」の文字を当てたと考えられます。この小説を読み進めながら、江戸時代の高瀬川の様子を想像してみました。実際に歩いているので、小説を読んでも感じ方が違ってきているのなかなと思います。
▪️水深30cmしかない高瀬川を、たくさんの荷物を乗せて行き交う小舟ってどんな感じだろうと思いますよね。ということで、wikipediaのCreative Commonsにある著作権が放棄された写真をお借りしました。
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