ウエルダイング

▪️小学校のときのクラスメイトと、昨年の正月にメールでやりとりをしたあと、連絡がありませんでした。今日、年賀状をいただいてわかったのですが、脳出血で倒れて半年間入院をされていたことを知りました。驚きました。どうりで連絡が取れないわけです。今はリハビリの結果、身の回りのことは自分でできるようになられたようです。頑張ってリハビリに励まれています。昨年末は、高校のときの同級生が亡くなりました。いろいろ同級生のことが続くと、いつ自分もそうなるのかなと考えることになります。

▪️今日は、同僚とひさしぶりに立ち話をすることができました。私からは、昨日投稿した杉岡孝紀先生の「他者の他者性」についてお話しをしたら、同僚からはウェルダイング(死への旅路)ということを教えていただきました。ウェルビーイングはよく聞きますが、ウェルダイングです。書籍も出版されているようです。『ウェルダイング(死への旅路)の臨床社会学 生老病死と宗教』(櫻井 義秀/横山 聖美 編, 法藏館)です。以下のような内容です。

人生の終わりを、どう迎えるのか?高齢多死社会を迎えた日本において、「よく生き、よく死ぬ」ことを支えるケアの実践と宗教の役割を、看護学、宗教学、社会学、社会福祉学の専門家が臨床社会学の視点から描き出す。

▪️私個人としては、このウェルダイングを可能にする社会的な仕組みが必要だと思っています。肉体の苦しみを緩和する医療や看護、生活の質、QOLを支える福祉、そしてスピリチュアルを支える広い意味での宗教、これら3つがうまくつながったセーフティーネットが必要だと思っています。できれば、それぞれの方達が生きている地域社会に、です。こういった臨床社会学的研究が当事者研究であってもほしいわけです。ただ、どうすればよいのでしょうね。人間は、生まれたときからすでに死への旅路は始まっているわけです。しかし、そのことを深く体験できるときには、言い換えればこれから死んでいくのだなとの深い自覚が生まれたときには、すでに自分では動けないわけですから、ケアの仕組みを共助のなかで作っていくことはできません。

▪️昨日投稿では、龍谷大学の行動原理である「自省利他」についてふれました。前半の「自省」のなかで重要な位置を占めるのが「他者の他者性」なのではないか思いました。その「他者の他者性」の自覚なくしては、「利他」は暴力的なものになってしまいますから。そして今日は「ウェルダイング」についても教えてもらいました。「他者の他者性」を自覚したとき「ウェルタイング」を支えるケアとはどのようなものになるのだろう。よかれと思って実践したケアが、死への旅路にある人を苦しませてしまうことはないのか。気になります。「他者の他者性」にしろ、この「ウェルダイング」にしろ、いろんな専門分野の研究者が議論できるテーマだと思います。また、龍谷大学のような仏教系の大学ならではのテーマなんじゃないのかなとも思っています。

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