原爆の日
■8月6日。今日は、米国の原爆投下から77回目の「原爆の日」です。Twitterへの2つの投稿をシェアいたします。ひとつは広島への原爆投下を再現した動画、もうひとつは、NPT=核拡散防止条約の再検討会議が開かれているニューヨークの国連本部で、日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会が主催して、被爆の実態を伝えるパネル展での、木下季市さんのスピーチの様子です。背景は、有名な「焼き場に立つ少年」の写真です。前者のツイートにある「原爆が投下された時、広島はまだ『日常』の中にあった」と、後者の「多くの人が、自分がなぜ死ぬのかも分からないまま死んでいきました」、大切なご指摘です。
木下季市さんの体験
8月6日。77年前の今日の再現映像。原爆が投下された時、広島はまだ「日常」の中にあった。しかし、上空およそ600メートルで原爆が炸裂した瞬間、そのすべてが破壊された。これはひとりでも多くの人に見てほしい映像です。良ければ拡散をお願いします。pic.twitter.com/zMQc5n76I5
— ガル憎 (@garuzow) August 5, 2022
原爆投下直後の長崎で撮影された「焼き場に立つ少年」。
その写真の前で、長崎で被爆した木戸季市さんがスピーチした。
「核兵器は人間が人間らしく生きることを許さない。そういう兵器です」。
「多くの人が、自分がなぜ死ぬのかも分からないまま死んでいきました」。 pic.twitter.com/soTKocaIlc
— 隅俊之/Toshiyuki Sumi (@spreadarms) August 5, 2022
■2つめの投稿にある「焼き場に立つ少年」に関する記事です。2019年のものです。
「お母さんに会えたのかい 原爆の地に立つ少年」
【追記】■私は、11歳から16歳まで、現在の広島市東区に暮らしていました。正確にいえば、小学校5年生の3月から高校1年生の8月までということになります。その間に、小学校、中学校では原爆に関する教育を受けました。何度も、被曝を経験された方達から、その時のご経験についてお話をお聞きしました。周りにも被曝された方達がお住まいでした。まだ子どもではありましたが、学んだことがたくさんあったように思います。でも、そういう経験を普段は忘れてしまっています。こうやって、8月にだけ…。反省しています。ウクライナ侵攻に関連して、核の使用が再びリアリティを増しています。