お寺の掲示板の法語

咲いた花を喜ぶ者は多いが
咲かせた根を労う者は少ない

■facebookに「<寺院>掲示板の法語<仏教>」というグルーブがあり、いろいろ「はっ!」と思うことも多く、参加しています。最近、お寺の掲示板の法語、いろいろ話題になっています。今回の法語を読んで、やはり「はっ!」としました。ここに書かれていること、とても大切なことですね。

■ちょっと、この法語の趣旨とは違うかもしれませんが、こんなことを考えました。多くの人びとが関わる仕事であればあるほど、目立つ花のある仕事だけでなく、その花を咲かせることになった根の仕事に取り組まれた方を労う必要がある…ということです。それから、根付いて花を咲かせることができるように、硬い土を耕す仕事をしてきた人も労う必要もあります。そういう何も手がかりのないところで、硬い土を耕さなくてはという機運を生み出したり、自分にはできないけれどここに誰かが種を撒いてくれたら…といったように何らかの条件整備に努めたりする仕事ですね。

■でも、そういう人たちは、多くの場合は、労ってもらおうと思って(見返りを期待して)やっているわけではありません。止むに止まれず、気がついたらその仕事をやっていた…という場合も多いんじゃないのかなと思います。とはいえ、地味にではありますが、きちんと大切な仕事をしっかり頑張ってやっておられる方たちを、きちんと労うことがなければ、その方たちは、どこかで、何か頑張ってやってきたことをかすめ取られたような、少し嫌な気持ちになるのかもしれません、たぶん。普通はそうだと思います。立派な方たちは、見返りは期待していないわけですし、心の中で静かに「良かった」と思えるのでしょうが。

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