「1年越しに「晴れの日」 コロナで中止の入学式実施へ―明治や青学、阪大など」

■時事通信ドットコムニュースで、「1年越しに「晴れの日」 コロナで中止の入学式実施へ―明治や青学、阪大など」という記事を読みました。

■2020年度、多くの大学で入学式が中止になりました。そしてキャンパスに一度も入ることがないまま、オンラインで授業が始まりました。これは困ったことだなと思っています。人は人生において、何度も通過儀礼を経験します。通過儀礼とは、出生、成人、結婚、死といった人が生まれてから亡くなるまでの間に、次のステージに進むために行われます。かつて成人式は元服と呼ばれましたが、元服式のあとは、一人前として地域コミュニティで扱われることになります。元服式の前の自分と元服式の後の自分とでは、中身はほとんど変わっていないにもかかわらず、人生の新しいステージに進むことで別人になったような気持ちになります。本人にも自覚が生まれます。これが、通過儀礼の持つはたらきです。ですから、入学式も、広い意味で通過儀礼といっても間違いがないと思います。龍谷大学では仏式の入学式と卒業式が、本部のある深草キャンパスと瀬田キャンパスの体育館で挙行されます。式場の前には、「南無阿弥陀仏」の六文字の名号が掲げられます。仏式の式典に身を置くことで、浄土真宗の宗門校である龍谷大学の学生になったことを深く自覚する場になります。そのような意味で、入学式はイニシエーションでもあります。イニシエーションとは、地域コミュニティや団体の正式な成員として認めるための儀式のことです。それぞれの学生は、人によって受け止め方には濃淡があるでしょうが、「今日から自分は龍谷大学の学生になった」と自覚することになるわけです。

■しかし、2020年度は、通過儀礼そしてイニシエーションとしての入学式が中止になりました。キャンパスに行くことがないままに、なんとなく、ずるずると大学生になっていったわけです。一人一人に聞いたわけではありませんが、これは学生の皆さんにとってはもちろん、大学にとっても、大変居心地の悪い状況のまま現在に至っているということになります。少なくとも、私はそうです。

■ですから、記事のように、すでに入学して勉学に取り組んでいるけれども、やはり入学式を実施しようという大学が複数出てくることにとても納得がいきます。記事の中では、明治大学の関係者が、「1年遅れになるが、入学式という晴れの日を祝い、明治大学生としての自覚と誇りを持てる式典を目指す」と意気込んでおられること、とてもよく理解できます。青山学院大学では、3月末に1年生(関西だと1回生)の入学式を行います。副学長は、「学生同士や教員らとの生身のやりとりで得られるものこそ大学での学び。改めておめでとうの気持ちと、一緒に学ぼうとのメッセージを伝えたい」と話されています。そのお気持ちも、すごく共感します。ただ、記事を読んでいると、学内外の大きな施設で入学式を実施されるようです。日本の全ての大学がこのような形で入学式を行っているわけではありません。龍谷大学の場合だと、2日に分けて各学部ごとに入学式が実施されます。龍谷大学には、9つの学部と短期学部があります。コロナ感染に十分に配慮しながら、1年遅れの入学式を行うことは、空間的にも時間的にもかなり無理があるように思います。では、どうするのか。ここからが問題ですね。大学全体として、1年遅れの入学式のことは聞いていません。学部ではどうでしょうか。さらに学科では…。入学式に替わることを1回生の皆さんが経験することは可能でしょうか。

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