「認知症の第一人者が認知症になった」


■昨晩の深夜、再放送ですが、NHKスペシャル「認知症の第一人者が認知症になった」を拝見しました。YouTubeでも今のところ拝見できますが、これは著作権的に問題があるので、おそらく近いうちに視られなくなると思います。番組に登場されるのは、認知症の権威である長谷川和夫さんです。現在、長谷川和夫さん自身、認知症になっておられます。番組の中で語られる「神様が用意してくれた、ひとつの救い」、「認知症になっても見える景色は変わらない」、素敵な言葉だなと思いました。この番組をみて、「ああ、こんなふうになりたくはないな…」と思われた方と、「ああ、いろいろ大変だけど、幸せだな。素敵だな」と思われた方と、その両方の方がおられると思います。私は後者の方です。老いを自分自身で受け入れて、受け入れた本人を支える人たちが周りにしっかりいて、その支える人たちをさら支える人たちがいて…。そのような支える同心円の中では、支える人も支えられているのだろうなと思います。長谷川さんのお嬢さんが、認知症になったお父さんに戸惑いつつも、認知症の当事者の世界に寄り添おうと変化されていきます。番組を視て、自分はどうなるんだろうな、自分はどうしていくのかな…と思いました。認知症は、程度の問題はあるもの必ずやってくる現実ですからね。

■この長谷川和夫さんの番組を視て、いろいろ考えていると、ネット上で、長谷川和夫さんが俳優の佐藤浩市さんと対談されている記事を読むことができました。以下のやりとりに深く納得するところがありました。

長谷川 : 気を付けていることは、できるだけ規則正しい生活をすること。それから、家内と二人暮らしなんですけど、なるべくケンカをしないようにする。どうしても、家内は強くて怖いですからね(笑)。とにかく、彼女はなかなかの優れ者だから、彼女が元気でいてくれればありがたい。彼女を杖にして毎日を暮らしていけば大丈夫だと、思っているんだ。それから、子どもたちとのつながりも大事にしています。
認知症の人もみんなと同じように悩んだり苦しんだり喜んだり、「人として生きていてよかったな」とか「ああ、これは悲しい」とか、人間として普通の感情があるから。必ずしも血縁の絆じゃなくてもいいから、いろんな人と結ばれていて、心の絆をいくつも、いくつも持っていて暮らしていける社会にしていく。これが地域ケアなんだな。
佐藤 : 「認知症」というとあくまで病気としての捉え方で、専門家に任せなきゃ、と受けとりがちですよね。でも、昔は「耄碌(もうろく)」という言葉があって、歳をとれば自然とそうなると受け止めて、家族も近所の人たちも、みんなで守ろうという、そういう地域のつながりがあったように思いますね。
長谷川 : そうですね。あと、もうひとつ言えることは、同じ目線で受け止めてあげる。そして盛り上げてみる。「ああ、そうなの? 心配ないよ。大丈夫だよ。さあ、一緒に食べよう。デザートが来たから」って具合にね。話の筋道をちょっとそらして、「こっちへいらっしゃいませんか」というふうに招いてあげるということがとても大切なんじゃないかと思うんです。
佐藤 : それは共感してくれる人が、そばにいるということですね。病気の人が家族の中にいると、支える側も大変だと思いますが。
長谷川 : 支える側も支えてもらう人が必要だよ。支える人をさらに支える人。
佐藤 : なるほど。地域ケアというのは患者さんだけじゃなくて、周りのご家族に対してもケアがあるということですね。先生は、認知症になってからもいろんなことを考えていらっしゃるんですね。

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