鳴門の第九100年 都内でフラッシュモブ


■日本の年末は、「第九」(ベートーベンの第九交響曲「合唱付き」)ということになります。確か、戦後の話だったと思いますが、どこかの楽団の団員のボーナス(餅代)を稼ぐために年末に始まった…と聞いたことがあります。どうなんでしょう。ということで調べてみました。すると、すぐにこんな記事が見つかりました。帝京科学大学の石橋裕子先生の解説です。以下に、引用してみます。

日本での初演は、1918年6月1日、徳島にあった捕虜収容所で、第一次世界大戦の青島攻略戦で捕虜となっていたドイツ人たちによって演奏されました。

太平洋戦争の敗戦後、どのオーケストラも財政難でした。そんな中、日本交響楽団(現NHK交響楽団)が1947年12月9、10、13日にレオニード・クロイツァー指揮で3夜も第9の演奏会を開催して観客を集めました。これを「その手があったか」と他のオーケストラが真似し、その後設立されたオーケストラも右へならえしたのが、「年末の第九」の始まりだといいます。つまり、「餅代稼ぎ」で演奏されていたのです。

「第九」には、オーケストラのほかにコーラスも参加するので、出演者の総人数がとても多いです。その出演者たちの知人が客として来れば、普段より多くの来場者が期待できます。コーラスもプロを雇ってしまうとコストはかさみますが、学生などのアマチュアに頼めば出演料もあまりかからず、オーケストラの収益はアップします。年末に演奏され始めた1940年代後半、「第九」はとても人気のある曲でした。第二次世界大戦直後の日本はとても貧しく、多くの人が苦労をしていたので、『歓喜の歌』の名前でも親しまれる前向きなイメージの「第九」のメロディが、日本人の心をとらえたのではないかと言われています。

■なるほど…です。で、3年前にアップされたYouTubeの動画を貼り付けます。

「全ての人々は兄弟になる」―。ベートーベン最後の交響曲「第九」は人類愛など、希望に満ちたメッセージを世界中に送り続けてきました。この第九を日本、そしてアジアで初めて奏でたのは、第1次世界大戦中のドイツ兵捕虜でした。1918年6月1日、場所は徳島県鳴門市の板東俘虜(ふりょ)収容所。敵国で、捕虜たちはなぜ第九を演奏できたのか。そこには心温まる〝奇跡〟のような史実があります。9月13日、そのことを伝えたくて、東京・二子玉川で鳴門の市民合唱団を含む関係者が、高らかに歓喜の歌声を響かせました。

指揮】平井秀明 【演奏】東京アカデミック管弦楽団
【合唱】 日本合唱協会、平井秀明オペラ合唱団、徳島『第九』合唱団、会津『第九』合唱団、公募有志 約80名
【阿波踊り】娯茶平(徳島)、飛鳥(東京 高円寺)約60名
【主催】徳島新聞社、福島民報社

■このフラッシュモブのイベントは、日本で初めて第九が演奏されたのは徳島県(鳴門)であり、鳴門の板東俘虜収容所の所長であった松江豊寿(1872年7月11日- 1956年)さんが福島県の会津若松の出身であったことを、広く知らせるために開催されたようです。wikipediaの情報ですが、松江豊寿さんは、「ドイツ人の俘虜達に人道に基づいた待遇で彼らに接し、可能な限り自由な様々な活動を許した。賊軍としての悲哀を味わった会津藩士の子弟に生まれた体験が、大きく彼の良心的な人格形成に影響したといわれる」…そうです。素敵ですね。今回、松江豊寿のことを初めて知りました。

■ところで、この動画の中では、第九の4楽章で徳島の阿波踊りが登場します。最初は、ちょっとびっくりしましたが、なかなか、どうして、不思議なものですね、面白いなと思ってしまいました。このイベントでは、最後に、福島県いわき市のフラダンスチームも参加されたようです。

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