ひさしぶりに、秋山東一さんにお会いしました!!

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■先日の投稿「aki’s Märklin & MECCANO」の続きになります。一昨日、午前中から昼過ぎにかけて、孫娘の七五三の宮参が奈良でありました。このことは、また別途、投稿しようと思います。七五三の後は、近鉄に奈良線に乗って大阪の布施駅まで移動しました。そこから徒歩で、建築家である秋山東一さんのイベント「aki’s Märklin & MECCANO」が開催されている会場、木村工務店さんに伺いました。秋山さんのご友人の工務店さんです。最寄り駅は東大阪市の布施ですが、住所は大阪市の生野区になります。大変申し訳なかったのですが、私が到着した時は、ちょうど秋山さんのご講演が終わろうとしている時でした。

■木村工務店さんは、大阪市生野区で開業された3代目。こちらの工務店の作業場が会場でした。戦前に建てられた建物を手を入れて使っているとのこと。ここは、作業場であると同時に、時にはいろんな方達が交流する場にもなっているのですね。なかなか素敵です。ここに、大きなテーブルを設置して、その上に模型のレールを配置しています。普通、鉄道模型というとHOゲージ(レール幅16.5mm)やNゲージ(レール幅9mm)が頭に浮かんできますが、秋山さんのコレクションはOゲージ(32mm)になります。このサイズを鉄道を走らせよとすると、普通の住宅ではかなり難しい…。ということで、秋山さんも、ご自宅以外の広い場所で、何度かこれらの模型を走らせるイベントを開催されてきました。

■写真に写っている黄色い機関車、これはアメリカ大陸を横断する鉄道「ユニオン・パシフィック鉄道」の機関車です。電気ではなく、エンジンで走る機関車です。ディーゼルエンジンで走っていました。じつは、秋山さんのこの鉄道模型のことがずっと気になっていました。私は、小学生の頃、鉄道模型に憧れていました。もちろんHOゲージです。鉄道模型は”King of hobby”と呼ばれるように大人の遊びです。お金がかかります。当然、子どもであった私にはそのようなお金はありません。町の模型屋でHOゲージの台車だけ買ってきて、後は模型のバルサ材や厚紙でボディを作り、秋山さんのOゲージのように黄色く色を塗りました。まだ、「ユニオン・パシフィック鉄道」のことはちゃんとわかっていなかったと思います。ただ、アメリカのディーゼル機関車ということだけで憧れていました。1969年、小学校5年生の時のことです。私は、福岡県の福岡市、博多駅の近くに住んでいました。1969年はアメリカが初めて月面着陸をした年でした。その時の宇宙飛行士アームストロング船長のことを覚えています。翌年は、大阪で万国博覧会「EXPO’70」が開催され、アメリカ館の展示の人気は前年の宇宙飛行士たちが持ち帰った「月の石」でした。もう50年前のことになります。

■秋山さんは、たくさんのお客さんの間を飛び回りながらも、私とも時間をとっていろいろお話ししてくださいました。懐かしかったです。以前、「 Japan Earth Divers Institute」というブログ仲間のグループを作って、時々、東京の町の地形や歴史を楽しむウォーキングをしていました。当時、中沢新一さんの『アースダイバー』が大変話題になっていたことから、自分たちのウォーキングを「アースダイビング」といって楽しんでいました。懐かしいです。その時のことは、秋山さんのブログの以下のリストからご覧いただけます。もちろん、このリストの全てアースダイビングに参加できているわけではありませんが、関西から何度か参加することができました。現在は塩漬けになっている旧ブログ Blog版「環境社会学/地域社会論 琵琶湖畔発」で、私自身も細かく報告しています。

Blog版「環境社会学/地域社会論 琵琶湖畔発」 - 第五回アースダイビング-善福寺川と阿佐ヶ谷住宅地の50年を探る。- (その1)
Blog版「環境社会学/地域社会論 琵琶湖畔発」 - 第五回アースダイビング-善福寺川と阿佐ヶ谷住宅地の50年を探る。- (その2)
Blog版「環境社会学/地域社会論 琵琶湖畔発」 - 第五回アースダイビング-善福寺川と阿佐ヶ谷住宅地の50年を探る。- (その3)

■会場では、この日に出会った方ともお話をさせていただきました。大阪で設計事務所を経営されている方とは、日本でもダーチャのような「セカンドハウスができるのではないか…」というお話で盛り上がりました。ダーチャとは、現在のロシアがソビエト連邦だった時代に政府が国民に与えられた郊外の菜園付きの小さな別荘です。なかには立派なダーチャもあるようですが、一般には、小さな小屋のようなイメージです。ソ連末期、経済的に疲弊している時、国民が自給自足でなんとか生きていくための大切な手段になったといいます。それはともかく、なぜ日本でダーチャなのか…ということなのですが。

■バブル経済の時代、大阪の郊外に無理をして開発された住宅地があります。そういうところは、交通も不便で、公共交通機関もきちんとあまりきちんとしていないことから、車がないと大変不便な土地です。ただし、距離的には大阪に近いわけです。現在は、都心に人気があり、こういう土地は不動産価格が相当低下しているらしいのです。であれば、このような住宅地を「ダーチャ」として利用できるのではないか。普段は都心で暮らし、週末は郊外の「ダーチャ」で暮らす、そういうライフスタイルが可能ではないか…というのがその時の盛り上がった話の中身でした。鉄道以外にも、いろいろ楽しい時間を過ごすことができました。

【追記】■1969年、福岡市に暮らしていた時のことを書きました。少し気になって調べてみました。模型の名前、頭にあるの「模型の王様」という店名でしたが、どうも違うようです。「王様もけい」だったようです。いろいろ調べてみると、あるブログの記事で、「王様もけい」は、博多駅から呉服町のほうに走っていた西鉄に路面電車が店の前を走っていたようです。間違いありません。現在は、息子さんたちが、お店を引継ぎ「新王様もけい」として鉄道模型のお店を営業されているようです。小学校5年生の私が、「アメリンカのディーゼルカーを作りたい」と相談したのは、息子さんたちのお父様だったわけですね。

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