子どもの頃のこと

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◾️母親が住んでいた家を処分することになり島田。まず最初にやることは、家の中の物を処分することです。手をつけてはいたのですが、とても自分で処分の作業をすることは無理だと観念し、業者さんに頼むことにしました。9年前に亡くなった父親が自宅で小さな小さな会社を経営していたので、その関係の物や書類も多数あり、4トントラックで3台弱の荷物と見積もってもらいました。もちろん、丁寧に仕分けをしてくださるし、処理もしてくださるのですが、それなりにお代金の方も…ということになりました。とはいえ、私の方は、心身的にも物理的な時間についても余裕がなく、作業をお願いするしかありません。

◾️今日から来週にかけて作業が始まり、私も立ち会います。今日ともう1日だけですが…。今日の私はといえば、まず庭の草刈りで汗ピショビショになった後、役所に行って家を処分するにあたっていろいろ諸手続きの相談をしました。大変丁寧に対応していただき、助かりました。世の中はでは、世代替わりの時に、多くの皆さんがこのような煩雑な経験をされているのでしょうね。私は、こいう作業をさっさとできるタイプではないので、心の中ではベソをかきながらやっています。そうそう、夏休みの宿題をたくさん残した子どものような心境です。とはいえ、処分にあたっては、いろんな方に支えていただいており、ベソをかいているわけにもいきません。昨日は、長い間乗らないままになっていた軽自動車の廃車を、車検等でお世話になってきた会社にお願いをしてきました。こんな状況なんですが、週末は学生を引率して湖北の農村に調査に出かけます。「社会調査実習」という授業の調査です。それから、締め切りのある原稿にも取り組まねばなりません。綱渡り状態です。

◾️今日、庭の作業をしている間に、同行した家族は色々大切なものがないか探してくれていました。細かいものがいろいろ発見されます。これは、私と妹が使っていたバッジです。右上は、私が6歳の頃(1964年、昭和39年)通っていた、現在の北九州市小倉北区にある幼稚園のバッヂ。その下は、5歳の頃に通っていた下関市にある幼稚園のバッジ(私、幼稚園は3つ、小学校も3つ、高校は2つ通いました。転園転校の子ども時代でした。父の転勤のためです)。左は妹の物ですね。左上は、音楽教室のバッジで、下は現在の広島市東区にある幼稚園のバッジ。こういうのを捨てずに、大切に記念として保管していたんですね。たぶん、亡くなった父親が保管していたんでしょう。父は、そういう性格だったな〜。

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