自分ではわからない方言
■岩手県立大学に勤務していた当時の学生がfacebookでタグ付けされていました。もちろん、卒業してから15年以上たっていますから30歳代後半になりますね。立派な社会人になっています。タグ付された写真で、その学生、いやい卒業生は立派な社会人のオーラを放っていました。彼とはfacebookでのお「友達」なのですが、彼自信によるfacebookへの投稿はほぼ無く、開店休業状態になっています。タグ付けに気がついて、ひさしぶりに彼のページを覗いてみました。すると、彼と「友達」になった時の投稿をすぐに「発見」しました。そこにはこう書いてありました。「申請ありがとうございました。大変、ご無沙汰しております。今は東京の支社に勤務していました。住まいは横浜ですが、通勤で1時間以上かかっています」。標準語だと「東京の支社に勤務しています」になるはずなのですが、どういうわけか過去形になっています。彼は宮城県の塩竈市出身です。
■この「過去形」については、多くの皆さんからコメントをいただきました。
新潟の長岡辺りですと、電話を掛けたときに、自分の名前にでしたと付けます。こんな感じです。「もしもし、脇田さんですか?私、Mでした」となります。これはビックリしました。山形の庄内でも聞いたことがあります。
以前、よく使っていた旅行会社の窓口のお姉さんは、電話をかけて、先方が出たら「●●(名前)でした。」と名乗って、お話を始められる方でした。そういう方言があるというのは、聞いていて、なんかほほえましく見ていたのを思い出しました。
■いただいたコメントから推測するに、電話で受話器をとった冒頭に「〇〇でした」というのは、山形や新潟に集中しているようです。ただし、会話のなかに、過去形が入ってくるのは東北ではよくあるように思います。いやいや、私が住んでいたのは盛岡だから、少なくとも盛岡ではと限定すべきかもしれません。私の経験を少し。私が盛岡に暮らし始めた時、書店のなかで隣の人が携帯電話で、「もしもし、ああ、今、大通りの本屋にいました」と答えていました。その時、「えっ…?今、電話かけているのは本屋じゃないの」と思いました。それが私の勘違いと気がついたのは、盛岡に住んでしばらくしてからでした。関連して調べていると、次のような記事をみつけました。「教えて! goo」です。
私は、東京に住んでいます。この前、岩手に住んでいる人に、「○○さん、いらっしゃいますか?」って電話したら、「出かけてました」って返事が返ってきたので、私は、「じゃあ、お願いします」って言ったら、「だから、出かけてました!」って同じことを言われました。私は、てっきり、さっきまで、どこかに出かけていたけど、今は家に帰ってきているんだなというふうに解釈したのですが、岩手の人がおっしゃるにはそうじゃないみたいなんです。過去完了?みたいな言い方で、「出かけてました」って言われるので、どういうことなのか教えてください。
それから、朝、「今日は、晴れていますか?」って聞いたら、「晴れてました!」って言われたのですが、夜、「今日は一日晴れていました」って言われるのは分かるのですが、朝の段階で、「晴れてました」と既に過去形の形で言われるのが不思議でなりません。もしかしたら、午後から雨になるかも分からないのに・・。
岩手県に住んでいる人の独特の言い回しなんでしょうか?
気になって仕方ありません。どなたか、教えてください。
こんにちは。生まれも育ちも岩手の花巻石鳥谷→東京→震災後、花巻のお隣の紫波という所に住んでいる30代の主婦です。
たしかに「出かけてました」や「晴れていました」は東京の方からすると戸惑うのかもしれませんね。
私は東京の下町に何年か住み使い分けていましたが、岩手県では最大限まで相手を思いやる精神が生きている感じがします。
私は東京時代最初は「晴れています!」や「出かけています!」と、です!ます!とはっきりすっきり言うのが、口では言っても心では相手に申し訳ない気がしました(笑)
東京ですと、全国から沢山の方々が来ますのではっきり言わないと伝わらない状況ですが、
岩手県の人々は一人の人に対してどれだけ気持ち良く思いやれるか?沢山の方々に出会う東京と違い、同じ方に次に会う機会も多いですしどこかで繋がっている感覚があるので、
最大限相手に失礼のないよう気持ち良く過ごせるよう丁寧な言い方が自然に出てきますが、
東京ではどれだけ相手に自分の意志、思いをはっきり伝えお互い分かりあえるか?に気を配り、
岩手ではどれだけ相手を楽しませたり慮れるか?思いやれるか?に気をつける習慣に、私の場合自然になっているようです。
お互い気持ち良く付き合うという感じでしょうか。
■こうなると、単なる方言の意味を超えて、なにかもっとお奥深いメンタリティのようなものを感じます。人間関係の在り方が方言のなかに含まれているわけです。言葉を大切にしなくてはいけない・・・と思ってしまいます。方言ってすごいですね。ところでこの方言の話題、昨日のfacebookでは、東日本、特に東北の方言に話題が集中しまたが、それ以外で私が気が付いたことに、岐阜県や愛知県のものがあります。濃尾平野にお住まいの方からのメールやメッセージでは、「〜してみえる」という表現をしばしばみかけるのです。これは、前後から解釈すると敬語なのだろうと推測しています。おそらく、ご本人は濃尾平野の方言とは意識していないのでしょう。また、和歌山弁についても、教えてもらいました。和歌山では「ざ行」と「だ行」の差が曖昧なのだそうです。そのため、「そうぞう」とキーボードで入力しようとすると、手が勝手に本来であればZのはずが無意識のうちにDを押していて、「そうどう」と入力していることがしばしばある…とのことでした。ひょっとすると、私も「標準語」のつもりで書いていて、実は関西弁の語彙や話し方が無意識のうちに出ているということもあるのではないだろうかと思っています。そんな自分ではわからない方言の奥深さを、自分自身で知りたいと思います。