第63回「日本生態学会大会」

20160326ecojogy1.jpg ■18日(金)が卒業式、19日(土)から21日(月)までが秋田県で八郎湖や大潟村を視察して研究会。そして関西に戻ったと思ったら、その翌日には、今度は宮城県の仙台へ。ということで、22日(火)から24日(木)まで仙台で開催された第63回「日本生態学会大会」に参加してきました。22日は、長年にわたって一緒に研究をしてきた研究仲間の谷内茂雄さん(京都大学生態学研究センター)が、私との連名で一般講演(学会発表)を行いました。講演のタイトルは「ステークホルダーの多様性が生態系のレジリアンスを担保する条件」です。ということで、私自身は生態学会の非会員ですが、仙台に行くことにしたのでした。私たちのプレゼンに少々問題があったためでしょうか、講演の最後に生態学会の重鎮?!から質問が出ましたが、講演後の簡単な意見交換で少しは誤解が解けたかもしれませんが、議論の前提となっている考え方の違いにも気になりました。

■今回の生態学会では、幾つかの自由集会に参加しました。22日は、「IPBESアセスメントから示唆される生物多様性と生態系サービス研究の将来展望」でした。「IPBES」とは、「intergovernmental science-policy platform on biodiversity and ecosystem services」の頭文字をとったもので、「生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学政策プラットフォーム」のことです。環境省のホームページでは、以下のように説明しています。「生物多様性と生態系サービスに関する動向を科学的に評価し、科学と政策のつながりを強化する政府間のプラットフォームとして、2012年4月に設立された政府間組織です。科学的評価、能力開発、知見生成、政策立案支援の4つの機能を柱とし、気候変動分野で同様の活動を進めるIPCCの例から、生物多様性版のIPCCと呼ばれることもあります」。

■さて、この自由集会の趣旨ですが、以下の通り。「生物多様性版のIPCC」と言われることがよくわかります。「生物多様性分野の科学と政策の統合を目指す」このような世界的な動きには、生態学会の重鎮の皆さんが関わっておられます。ただし、生物多様性分野…とは言っても、このIPBESには自然科学者だけが関わっているわけではありません。社会科学者も関わっています。IPBESに関して、動画を見つけました。

生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学政策プラットフォーム(IPBES)は、生物多様性と生態系サービスに関する動向を科学的に評価し、科学と政策のつながりを強化する政府間のプラットフォームとして2012年4月に設立された。IPBESでは対象とする地理的範囲やテーマ、科学・政策連携のための機能ごとに分かれたアセスメントやツール、方法論のカタログ等の作成が進められており、2019年に全ての完成を目指している。このうち、特にアジア・オセアニア地域における地域アセスメントには日本からも多くの研究者が執筆者として参画している。

この作業の中で、政策連携に必要な生物多様性と生態系サービスに関する科学的知見について、既に十分な蓄積があるものもあれば、逆になお不足しているものもあることが明らかになってきた。このため、本セッションでは様々なアセスメントのスコーピングに携わる専門家や執筆者にこれらの点についての所感を述べていただき、今後、政策連携に向けて必要とされる生物多様性及び生態系サービスに関する研究課題についての展望を共有したい。

またセッションの最後には、今後のアセスメントの枠組や作業スケジュールを説明し、IPBESアセスメントに対して研究成果のインプットが可能なタイミング等について解説する。


IPBES: アナンサ・ドゥライアパー インタビュー

20160326ecojogy2.jpg ■23日の晩は、日本生態学会の懇親会が仙台国際ホテルで開催されました。会員ではないのですが、参加させていただくことにしました。懇親会の会場で、滋賀県立琵琶湖博物館に勤務していた時代、大変お世話になった川那部浩哉先生にもお会いできた。先生というと怒られるので、以下では、あえて「川那部さん」とさせていただきます。川那部さんは滋賀県立琵琶湖博物館の初代館長をされていました。川那部さんはどう思っておられるのかはわかりませんが、私としては館員・部下として一生懸命お仕えしました。川那部さんは、現在、84歳。とても元気にされおられます。お1人で関西から仙台の学会にまで参加されるのですから。とても、施設に入っているうちの老母と同年齢だとは思えません。

■川那部さん以外にも、懐かしい面々にお会いすることができました。写真をご覧くだい。私の横にいるのは、現在は岡山大学(岡山大学異分野融合先端研究コア)に勤務している兵藤不二夫くんです。残りの3人とは、現在も総合地球環境学研究所で一緒に研究プロジェクトに取り組んでいますが、兵頭くんは、地球研で以前に参加していた研究プロジェクトで一緒だったのです。その時は、博士研究員をしてくれていました。プロジェクトをやっている時は、いろいろ大変だったわけだが、時間が過ぎてセピア色に染まってくると「あの頃」のことを懐かしみながら話すことができます。当時の地球研は、現在の、京都・上賀茂にある立派な建物ではなく、街中の廃校になった小学校を再利用したものでした。

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