山邊朗子先生を偲ぶ会

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■今日は、私が所属する社会学科の卒論に関連する会議がありました。そのあと、昨年の11月25日にご逝去された山邊朗子先生を偲ぶ会が、瀬田キャンパスの2号館で開催されました。関西の社会福祉学研究の最前線で活躍されてこられた方ということもあり、多くの方たちが参加されていました。私は、たまたま2期4年間にわたり社会学研究科長を務めた関係から、大学院社会学研究科の「東アジアプロジェクト」の一環として、山邊先生と一緒に韓国や中国の大学に何度も訪問いたしました。そのことは、このブログにも書いてまいりました。でも、今日は、ずっと昔むかしの山邊先生との思い出を少しだけ書いておこうと思います。山邊先生の同僚の皆さん、そして先生を慕っておられた多くの院生や学生の皆さんには、どうでも良いことかもしれませんが…。

■山邊先生と最初にお会いしたのは、今から33年前になります。私は母校・関西学院大学の大学院社会学研究科修士課程の1年だった時です。山邊先生は、もともと私と同じ研究科の修士課程で、社会学理論の研究をされていました。アメリカの社会学者であるタルコット・パーソンズの社会学理論に関する研究です。しかし、その後、同志社大学大学院文学研究科社会福祉学専攻に進学され、福祉学の道を歩まれました。私が山邊先生とお会いしたのは、先生が同志社の修士課程に在籍されている時のことでした。山邊先生と私との共通の先輩に当たる方のご自宅でホームパーティが開かれ、そこでお会いしたのです。まだご結婚されていませんでした。お名前は旧姓でした。この時のことを非常によく覚えているのですが、それはなぜか。正直に書きますが、とてもお美しく目だっておられたからです。山邊先生は、そのパーティで、明るくおしゃべりされていましたが、その話し方には、結構ストレートで辛辣な部分がありました。見た目の様子とのギャップ…と言いますか、そのようなこともあって、深く記憶することになったのかと思います。

■私は2004年から龍谷大学に勤務しています。勤務して数年たった頃だったかと思いますが、瀬田駅で山邊先生とご一緒になりました。そして、時間がないのでタクシーに乗って瀬田キャンパスまで行こうということになりました。その時、お互い関西学院大学の出身であることから、いろいろ関学の話しをしました。そして、たまたま先ほど書いた共通の先輩の話しになり、その先輩のホームパーティのあの場に一緒にいたことも分かったのです。お互いに、大変びっくりしました。ご結婚されてお名前も変わっておられましたし、あれから時間もずいぶん経過していたので分からなかったのです。もっとも、そもそも山邊先生のご記憶の中には、私のことなどは残っていなかったと思いますが…。今日の偲ぶ会では、山邊先生が写った写真のスライドショーが上映されました。その中には、山邊先生が龍大に赴任された頃、お若い頃の写真もありました。そのお写真を見ていると、先輩のホームパーティでお会いした時の先生の面影が浮かんできました。

■山邊先生のご冥福を心からお祈りいたします。

【追記】■韓国に一緒に行った時の写真です。一番左、少しふざけているのが山邊先生です。
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