「アカエリトリバネアゲハ」の標本

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■元旦は、母を、母の自宅に日帰りで連れて帰りました。その際、たまたま蝶の標本を見つけました。記憶がよみがえってきました。小6だった1970年に大阪万国博覧会が開催されました。我が家も夏休みの旅行で、この大阪万博に遊びに行きました。蝶の標本は、その時にお土産として買ったものです。記憶が定かではないのですが、「マレーシア館」で買ったものだと思います。おそらくは、小学生がお年玉やお小遣いを貯めた程度のお金でも買えたのでしょう。

■1970年の大阪万博では、「アメリカ館」や「ソビエト館」の人気が高かったように記憶しています。当時は、まだ冷戦構造(アメリカ合衆国を中心とした資本主義・自由主義陣営と、ソビエト社会主義共和国連邦を中心とした共産主義・社会主義陣営の間の対立構造)が存在していました。世界を二分する両大国のパピリオン(万博の展示用に一時的に建てられた建物)は大変人気があり、入館するまでに何時間もかかる状態が続いていました。たとえば「アメリカ館」の場合は、目玉の展示が「月の石」でした。1969年7月、アポロ11号が人類最初の月面着陸を成功させ、11月にはアポロ12号が引き続き月面着陸を果たしました。そのようなアポロ計画が地球に持ち帰ってきた「月の石」を一目見ようと、多くの人びとは、長蛇の列に我慢して並んだのです。

■ところが、私の両親は、このような長蛇の列に並ぶことを嫌いました。アメリカやソビエトのような、人気があり何時間も並ばなければならない超大国のパビリオンには行かずに、並ばなくても入館できる小国のパビリオンばかりに行きました。もちろん小6の私は内心不満でしたが、まだ小さな妹がいたこともあり、両親は、炎天下、長蛇の列に並ぶことを嫌ったのでしょう。もっとも、そのようなこともあって、蝶の標本を手に入れることができたのかもしれません。蝶の標本に関係のない話しを長々と書いてしまいました。現在とは違って、世界はますます発展していく、暮らしも良くなっていくということを自明として生きることができた時代でした。大阪万博のテーマは、「人類の進歩と調和」(Progress and Harmony for Mankind)でした。

■さて、蝶の標本の話しに戻ります。私自身、蝶も含めて昆虫一般に詳しいわけではありません(ただし、小6の頃は、まだ昆虫に関心を持っていたと思います…)。調べてみたところ「アカエリトリバネアゲハ」という和名でした。標本箱の中には、「Rajah Brooke」とラベルが貼ってあります。マレーシアのサラワク島の初代首長ラジャ・ブルックにちなんで名付けられた英名です。ラジャ・ブルックは、イギリス人です。ブルネイのスルタンから正式にラジャ(藩王)に任じられ「白人王 」として知られているようです(こういう本も出版されています。『ボルネオの白きラジャ ジェームズ・ブルックの生涯』)。その背景の事情はともかく、この美しさからだと思いますが、マレーシアの国蝶になっています(ちなみに日本の国蝶は「オオムラサキ」です)。写真少し色を補正してあります。買った時のイメージに近づけました。しかし、本当はもっと色がくすんでいます。額自体も、かなり古ぼけています。45年前のものですから、仕方がありませんね。

■この「アカエリトリバネアゲハ」を含めたトリバネアゲハは、「ワシントン条約」(絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約)「附属書II」に記載されている危急種・希少種に認定されおり、標本等の商取引きは規制されているようです。規制のもとで、標本等の商取引きも行われているようです。ちなみに、ワシントン条約が採択されたのは1973年です。大阪万国博覧会が開催された2年後のことでした。

■蝶の標本ですが、母の家のリビングに書架の上で、埃まみれになっていました。どうも、亡くなった父や、現在介護をしている母からは「邪魔者扱い」されていたようですね。昆虫に関心のない人からすれば、単なる「死んだ虫」ですから…。ちょっと心が痛んだので、誇りを払ってきれいして、私の自宅に連れ戻しました。これからは、再び、本来の持ち主である私の元で大切に保管していこうと思います。

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