プラハの写真

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▪︎昨晩、親しくさせていただいている方からメールが届きました。ヨーロッパを旅行されている最中とのことで、メールにはトップのような素敵な写真が添付されていました。ひと昔前だと、旅行に行った先、海外のその土地で買った「絵はがき」に短い文章を書き、その国の切手を貼って、日本の家族や友人に向けて送る…普通はそうやっていました。今回のメールは、そのような「絵はがき」と同じような気持ちで受け取りました。送ってくださった方は、私よりも年上の方なので、たぶん同じような気持ちで送ってくださったのではないかと思います。若い方達だと、そのような海外から「絵はがき」を送った経験も、海外からの「絵はがき」を受け取ったという経験もないだろうなと思います。現在であれば、スマホで撮影して、WiFi環境でネットにつながって日本の友達に簡単に送ったり、SNSにアップすることができますから。いただいた写真は、中欧にあるチェコ共和国の首都プラハです。プラハの街のなかを流れるヴルタヴァ川に架かるカレル橋です。橋の欄干には、左右に15体ずつ、彫刻が並んでいます。美しいですね〜。チェコにはまだいったことがありません。いつか、私も行ってみたいと思います。

▪︎行ったことがないのですが、ヴルタヴァ川と聞くと、いろいろ思い出すのです。ヴルタヴァ川は、ドイツ語ではモルダウ川になります。ヴルタヴァではわからなくても、ドイツ語読みの「モルダウ」といえば反応される方も多いのではないかと思います。そうです、チェコ生まれのベドルジハ・スメタナが作曲した「連作交響詩『わが祖国』」の第2曲になります。日本では、合唱曲にもなっています。とても有名です。この連作交響詩は6曲から構成されていますが、この「ヴルタヴァ」が一番有名なのではないかと思います。私自身、大学生のときに、学生オーケストラの最後の定期演奏会の曲のひとつが、このスメタナの「ヴルタヴァ」でした(当時は、モルダウといっていましたが)。思い出深い曲です。

▪︎ところで、スメタナ自身はチェコの作曲家ですが、1824年に生まれた頃、現在のチェコは「オーストリア帝国」の領土でした。また、1884年に満60歳で亡くなったときも「オーストリア=ハンガリー帝国」の領土でした。チェコは、ずっと周辺の国々に支配され続けてきました。第一次世界大戦後、一時、スロバキアと一緒に建国して「チェコスロバキア」として独立しますが、すぐにナチスにより支配され、第二次世界大戦後はソビエト連邦の政治的影響下におかれました。真の意味でチェコが独立したのは、1989年からの「ビロード革命」の後、そして1993年にチェコとスロバキアが平和的に別々の国になってからなのかもしれません。

▪︎スメタナは、音楽史のなかでは国民楽派の先駆者と言われています。それは、スメタナが、単に、チェコやボヘミアの民族音楽を取り入れて作曲したからだけでなく、チェコの国家としての独立を願いつつ、作曲活動に取り組んできたこととも関係しているように思います。このようなスメタナの思いは、「連作交響詩『わが祖国』」の第2曲「ヴルダヴァ」からはストレートに伝わってきます。この曲は、よく知られるように、上流から下流のプラハに向かうのヴルタヴァ川の風景を描写したものです。「モルダウの水源」、「森の狩猟」、「村の結婚式」、「月の光・水の精たちの踊り」、「聖ヨハネの急流」、「モルダウの大河の流れ」という6つの部分から構成されています。このなかでわかりにくいのが、「聖ヨハネの急流」です。

▪︎これは、wikipediaの記事ではありますが、参考になるかもしれません。聖ヨハネは、14世紀ボヘミアの司祭でローマ・カトリック教会の聖人です。当時の支配者であるボヘミア王(ヴァーツラフ4世)と対立し、拷問の末に亡くなり、遺体はカレル橋の上から投げ捨てられたといわれています。遺体はヴルタヴァ川で発見され、プラハの教会のなかにある墓に埋葬されました。wikipediaには、「ボヘミアの守護聖人で、チェコ・ドイツ・オーストリア・ポーランドなどに関連する教会や聖人像がある。聴罪司祭をはじめとした聖職者や水難からの庇護者として船員や橋の守護聖人としても崇敬されている」と解説してあります。そのような史実があるせいでしょうか、プラハの街からすると上流になりますが、ヴルタヴァ川が蛇行するあたりを「聖ヨハネの急流」と呼んでいたようなのです(現在はダム湖のなかに沈んでいるようなのですが…参考となるデータがあまりなく、不正確な話しではありますが…)。聖人の殉教、「わが祖国」チェコを流れる大河ヴルタヴァ川、そして隣国に支配され続けた歴史…、これらはどこかでつながってくるような気もします。

▪︎もし、プラハに行くことができるのならば、事前にいろいろ学習して知識をもっておくことが必要でしょうね。そうすることで、単に美しい街の風景を楽しむだけでなく、その美しい風景のなかにある奥行きや陰影が見えてくるはずです。自分自身のことを思うに、中欧や東欧の歴史や文化について、教養が足りないと思います(悲しいけれど…)。これは、昨年、北欧のノルウェーに行ったときにも思いました。考えてみれば、若い頃に世界史で学んだエリアには偏りがありましたね。もっとも、もちろんのことですが、美味しいことで有名なチェコのビールについては、すぐにでも深く楽しめると思います。

【追記】▪︎以下は、プラハ関係のメモ。
阿部賢一さんに聞く「生誕100年フラバルとチェコ文学の魅力」前編
阿部賢一さんに聞く「生誕100年フラバルとチェコ文学の魅力」後編

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