子どもたちの思い出…

20150814children.jpg▪︎ひとつ前のエントリーにも書きましたが、夏期休暇中に、家のなかの「断捨離」を行っています。昨日は、押入れにつまっていた子どもたちの物や、クローゼットの肥やしになっていた自分の服を「断捨離」しました。「断捨離」をすると、自分のものに関しては自分の「アホさ加減」がよくわかります。まだ、「断捨離」しないといけないものが多数あるのですが、それは夏期休暇中に取り組もうと思っています。若い頃は、「これは将来使うかも…」と思って、引越しするときにもずっとキープし続けてきましたが、年をとると、もう自分の人生の終着点が朧げながらも見えてくるので、捨てることに、以前ほどには戸惑いはなくなります。とはいえ、書籍に関しては、なかなか決断ができません。これでも、捨ててきたんですけど〜。

▪︎問題は、自立して家を出た子どもたちが残していったものです。押入れのなかに、いろいろ残っていました。本人たちは、とうの昔に忘れてしまっているのですが、親が残しておこうと思った…といいますか、捨て難かったものでしょうか。まず、壊れてしまっているようなオモチャは「断捨離」しました。ぬいぐるみも。しかし、この写真のようなものは、なかなか「断捨離」しづらいものがあります。これは、長女と長男が小学生のときに使っていたランドセルと、幼稚園のときに使っていた上履きとカバンです。ランドセルの皮は、少しヒビが入っていますね。でも、このランドセルの類も今回は、写真を撮って「断捨離」しました。あとは、子どもたちが帰省したときに確認すべきものだけになりました。

▪︎私たちは、様々なモノに囲まれて暮らしています。それらの多くは、基本的には、大量生産・大量消費・大量廃棄を前提に生産されています。私たちのライフスタイルは、壊れたものや必要なくなったものを、どんどん廃棄していくことが前提になっています。「断捨離」という実践は、このような大量生産大量消費とどういう関係にあるのでしょう。「うまくいけば」ではありますが、うまくいけば私たちのライフスタイルを反省するチャンスになるのかもしれません。限定された「これだけのもの」でも、生きていけるのだ…ということが確信できれば…ですが。もちろん、物だけでなく、人びととのつきあいや関係も含めてです。とはいえ、やはり「断捨離」という実践が可能性をもつとすれば、それは、どのような社会観や人間観が前提となっているのでしょうか。そのあたりが、ちょっと気になりました。

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