花は咲く(龍谷大学深草キャンパス)2015 3 11


▪︎先月のことになりますが、3月11日、「東日本大震災の犠牲者をしのぶ法要」が深草キャンパスと瀬田キャンパスでおこなわれました。もっと、早くに、このブログで報告すべきところ、迂闊にも、このような動画がネットにアップされていることを存じ上げませんでした。詳しくは、以下のページをご覧いただければと思います。

東日本大震災の犠牲者をしのぶ法要をおこないました

東日本大震災の発生から4年が経ち、改めて被災された皆さまに心からお見舞い申しあげるとともに、犠牲となられた方々をしのび、深草と瀬田の両キャンパスで法要をお勤めし、あわせて420名ほどの方々が参拝されました。
おつとめののち、深草キャンパスでは、池田勉副学長(東日本大震災復興支援プロジェクトリーダー)と峰松優丞さん(文学部4年)による講話が行われました。瀬田キャンパスでは、筒井のり子教授(ボランティア・NPO活動センター長)と髙藤眞意さん(国際文化学部3年)による講話が行われ、いずれも、講話のなかで被災地での復興支援活動についての報告がなされました。
講話ののちには、昨年に引き続き、吹奏楽部や男声合唱団の協力を得て、参拝された方々と復興支援 ソング「花は咲く」を合唱しました。
法要会場の入口では、被災地でのボランティア活動に取り組んだボランティア・NPO活動センター学生スタッフによるポスター展示が行われ、参拝者のみなさんとこれまでの4年間の復興の様子をたどり、振り返る機会となりました。

▪︎この法要のなかで歌われた「花は咲く」に関しては、このブログでも昨年の3月にエントリーしています。その時のエントリーを再掲させてください。
花は咲く/花は咲くプロジェクト(Cover)Goosehouse
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■一昨日の晩、学部の懇親会が開かれ、同僚の教員のピアノやトランペットとともに、余興でバイオリンを弾きました。そのときの曲のひとつが、「花は咲く」。この曲は、NHKが展開した東北復興支援キャンペーの歌です。

■作詞をした岩井俊二さんのこの歌について、次のように解説されています

被災した石巻の先輩が語ってくれた言葉を思い出しました。「僕らが聞ける話というのは生き残った人間たちの話で、死んで行った人間たちの体験は聞くことができない」生き残った人たちですら、亡くなった人たちの苦しみや無念は想像するしかないのだと。

■死んで行った方達、すなわち絶対的な他者とは通常のコミュニケーションはできません。亡くなられた方たちのメッセージを代弁することもできません。また、するべきでもありません。ひとつには、死者を自己の主張の正当化のために利用してしまうことになるからです。死者に関する安易な語りは、すぐに政治的な言説に転化してしまう…。岩井さんは、想像するしかない…と語っておられますが、死者のことを想い続けると言い換えることもできるでしょう。きちんと想い続けること…これはとても辛い、大変なことでもあります(なぜ、あの人は亡くなってしまったのか、なぜ、自分はこうやって生き残っているのか、自分は被災者の人たちとどういう関係を取り結ぶのか…)。しかし岩井さんは、同時に、そういう辛い大変なことのなかに、希望も見いだそうとします。

そんなtwitterの中に片想いの人を探して欲しいという女の子の声がありました。片想いであるが故に自分が探していることは知られたくないというかわいい注文つきでした。こんな最中にも恋があったりするのかと、それが何とも微笑ましく、思えばかの地は僕自身が初恋なるものを育んだ聖地であり、そんな聖地に今もしっかり若者たちが恋を育んだりしているんだなあと思ったら、まだ震災から一週間ぐらいのことではありましたが、瓦礫だらけになったこの場所にもちゃんと花が咲いてるじゃないかと思えました。

■岩井さんが作詞した歌詞には、誰もが共通の理解に至る意味の着地点がありません(と、私には思えます)。人びとの心を「宙ぶらりん状態」にしたままにします。ですから、この歌を歌う人たちは、その人ごとに歌詞の意味をとらえようとします。そのことが、この歌の魅力でもあります。そして、死者のことを想いつづけながら、日々の暮らしのなかで生きることの実践を紡ぎだしていく。死者とともに未来を生きようとすることを促しているように思うのです。現代社会は、「死者を想いながら生きること」を人びとに「させないよう」に機能してきたがゆえに、この歌がもっている不思議な力を感じてしまうのです。

■トップの動画は、Goose house(グース ハウス)という音楽ユニットの皆さんによる「花は咲く」です。

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