武村正義・今村仁司

20140210imamurabook.jpg ■Amazonからの書籍は、大学で受け取ることにしています。この日も、本が4冊届いていましたて。届いた本を読んでいる時間は昨日はありませんでした。大学院の広報誌の原稿を書く仕事があったからです。たかだか、1200字なんですが…。ディプロマポリシー(卒業認定・学位授与に関する方針)やカリキュラムポリシーにかかわらせながら社会学研究科を紹介しなさい…というミッションが入試部(広報)から与えられているため、さてどうしたものかと資料を確認したり、いろいろ思案していたからです。まあ、なんとか原稿を書き上げたのですが、原稿を書き始めたのが夕方近くだったので、作業終了時はもう晩になっていました。

■今回届いた書籍は、大きくは、ふたつにわけられます。4冊のうち3冊は、以前、滋賀県知事をされていた武村正義さんに関する本です。『武村正義の知事力』はジャーナリストが執筆したもの。『私はニッポンを選択しかたった』は、武村さんご自身の執筆。そして『武村正義回顧録』は、近代日本政治史、オーラル・ヒストリーで有名な政治学者・御厨貴さんの聞き書きです。私自身の関心は、武村県政時代の琵琶湖の環境政策、なかでもいろんな意味で大きな転換点となった県民運動である「石けん運動」にあります。この「石けん運動」との関連で、「滋賀県琵琶湖の富栄養化をう防止に関する条例」(通称・琵琶湖条例)という当時としては画期的な条例も制定されました。このテーマについては、今から20年程前にインタビューさせていただいたこともあります。

■この「石けん運動」や「琵琶湖条例」に関しては、直接的、そして間接的に、以下のような論文を執筆してきました。

・「環境問題をめぐる状況の定義とストラテジー-環境政策への住民参加/滋賀県石けん運動再考」(『環境社会学研究』)
・「変身する主婦」(『変身の社会学』宮原浩二郎・荻野昌弘編,世界思想ゼミナール)
・「行政と環境ボランティアは連携できるのか-滋賀県石けん運動から」(『環境ボランティア・NPOの社会学』鳥越皓之編,新曜社)
・「地域環境問題をめぐる“状況の定義のズレ”と“社会的コンテクスト”-滋賀県における石けん運動をもとに」(『講座 環境社会学第2巻 加害・被害と解決過程』,有斐閣).
・「エコフェミニズムとコモンズ論」(『国際ジェンダー学会誌』第4号)
・「琵琶湖の水質問題と石けん運動」(『よくわかる環境社会学』鳥越皓之・帯谷博明編,ミネルヴァ書房)
・「『環境ガバナンスの社会学』の可能性-環境制御システム論と生活環境主義の狭間から考える-」(『環境社会学研究』第15号(環境社会学会・有斐閣))

■現在、これらの論文をとりまとめる作業に入ろうとしています。とりまとめるにあたり、自分の書いた論文を加筆・修正するとともに、書き足らない部分を補足するための新たな論文も書く必要が出てきています。武村正義さんに関連するこれらの本は、そのとりまとめの作業に必要だと判断し、購入することにしました。『回顧録』などは、国会議員になってからのお話しですが、政治家・武村正義さんの「人生の文脈」のなかに知事時代の仕事を再定位したときに、どのようなことが見えてくるのかが気になり、読んでみることにしました。

■さて、残りの1冊は、今村仁司さんの『社会性の哲学』です。「石けん運動」の研究とは直接には関係しないのですが、この本のなかに出てくる「存在の贈与論的構造」という概念に惹かれて入手しました。すでに絶版になっているので古書を購入したのですが、定価の3倍以上の価格で驚きました。とはいえ、貴重な本は、思い切って購入しておかねばなりません。さて、「存在の贈与論的構造」…です。この概念に関連して、今村さんは次のように述べています。「生きて-あることは、存在が与えられて-あることで」あり、「人は自己の存在を何かによって与えられたと感じつつ生きて存在する」。この「与えられた」という感覚が重要です。この『社会性の哲学』のあとに続いて出版される『親鸞と学的精神』とも、根底のところでは思想的に結びついているように思います。ちょっとわくわくしますね。『社会性の哲学』から、大きなヒントをいただけるでしょうか。私には難解な内容ですが、味わいながら読んでいます。

【追記】■私はまだ読了していませんが、岩波書店の編集部が、以下のような解説さをされています(一部を、私が太字にしています)。本書で今村さんは、自著である『交易する人間』と『抗争する人間』の両者を貫く統一的観点を明確にしようとされているのです。

編集部より

 本書は,フランス現代思想を基盤にして労働や暴力の原理的な問題に焦点を当ててきた著者が,人間の原初的存在を贈与論的構造に位置づけて,現世内存在たる人間の現象と政治,経済,法の諸相を考察した大著です.本書の校正中,著者は惜しくも亡くなりましたが(2007年5月5日),これまで研究してきた哲学的人間学の集大成となる著作と言えるでしょう.
 人間は他者に取り巻かれている共同体と自然という二つの環境のなかで存在しています.人間の生誕ないし出現とはこの環境世界に投げ入れられることです.この投げ入れには投げ入れるものが存在しません.人間が生きて存在することは,この被投入を生きることです.このことを人間は必ずしも自覚しませんが,その原事実を感じ取ります.人間は「与えられて-ある」と感じるのです.この「与える働き」は語りえないものです.この「与える働き」に対して,人間は負い目をもつのだと著者は述べます.この語りえぬものは人間にとって「無限」であり,人間は自らの存在が贈与されているために,無限に対する返礼として自らを贈与する宿命にあることを感じ取っています.それゆえに,見返りを求めない純粋贈与となる自己贈与によって自己充足したいという欲望を人間はもつというのです.
 しかし,根源的な存在論としては自己破壊となる自己贈与の欲望をもつとしても,現実的には自己保存が自己破壊的贈与よりも優越します.自己否定の契機は抑制され,その欲望は他者に振り向けられます.自分以外のものを死に至らしめる代理死の制度化が供犠なのです
 人間の原初的存在はこのような贈与論的構造に位置づけられ,その原理は人間の社会生活と観念形態を貫きます.現実社会は,政治権力,国家,貨幣などを擬似的=代理的な無限としてつくりだし,それらに対する他者の犠牲というメカニズムが働きます.こうした視点に立って,政治,経済,法という社会性の諸相を考察するのが本書です.
 第一部の存在の贈与論的構造をうけて第二部で展開される,政治,経済,法についての考察では,大胆で斬新な議論がなされます.
 フランス現代思想のフィールドでの仕事がよく知られている著者ですが,この大著では,政治や経済を考察するために,西洋哲学・社会思想だけではなく,レヴィ=ストロース,モーリス・ゴドリエ,ピエール・クラストル,マーシャル・サーリンズ,エヴァンズ=プリチャードなど人類学者の仕事を検証し,議論の大きな射程のためにヘーゲルに立ち返っています.
 まだまだ多くの仕事を予定していたと思われる著者ですが,遺著となった本書は閉塞状況に陥ったともいえる現在の思想状況・社会状況のなかで,人びとを新しい地平に立たせる記念碑的著作であることはまちがいありません.

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