NHKスペシャル「終(つい)の住処(すみか)はどこに 老人漂流社会」


■2009年に父が亡くなりました。約1年間看病しましたが、最後は病院で亡くなりました。肺がんでした。父がまだ動くことができた頃は、老いとともに体が弱ってしまった母の面倒を、父自身がみていました。しかし、父がなくなった現在は、介護保険でヘルパーさんに来ていただきながらも、週1回、母の世話をするために母の家に通っています。こうやって父を看取り、母の世話をしながら、私自身も年齢を重ね、「老い」について毎日深く考えざるを得なくなってきました。また、いずれやってくる自分が「死」ぬ時のことを(平均寿命よりもずっと手前かもしれませんし、もっと後かもしれません…誰にもわかりません)考えるようになりました。「死」一般の問題は、40歳を超えたあたりから少しずつ気になってはいましたが、父の死を経験したあたりから、自分自身どうやって「死」んでいくのか、どのように「死」を迎えるのか、どのように「死」を経験するのか(予期的に経験を先取りするということも含めて)ということについても考えるようになりました。亡き父がそういうふうに、私を導いているのかもしれません。

■父の看病をしながら、「日本の社会では、幸せに『死』を迎えることがなかなか難しい」ということがわかってきました。「死」に向かう人の肉体的な苦しみを緩和する「医学」。「死」に向かいながらも日々の生活の質を支える「福祉」。そして、自分が死んでいくことの恐怖や意味の喪失(自分の足下が底なしの真っ暗に暗闇であることに気がついたとき…)という精神的危機から救う広い意味での「宗教」。「医学」、「福祉」、「宗教」。この3つがきちんと連関していてこそ人は幸せに「死」を迎えることができるのでは…そのように思うのですが、現実には、この3つがバラバラに、それぞれ独自の論理とシステムで動いており、「死」に向かう人は、3つの機能分化したシステムにより引き裂かれるような状況に陥っているのではないかということです。父もそうでした。その父を看病し、看取った私たち家族も辛い経験をしました。

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■ところで、私がちょうど父の看病と看取りを経験したころ、研究会や学会で、ある1人の医師と出会いました。宮城県の名取市で終末期の在宅医療(自宅での看取り)に取り組む岡部健先生です。残念なことに、岡部先生は、先日、お亡くなりになりました。先生には、2度お会いして少しだけお話しをさせてもらっただけですが、大きなヒントをいただきました。写真は、朝日新聞に掲載された岡部先生の記事です。この記事のなかにある「臨床宗教師」のことも、私なりに理解すれば、「医学」・「福祉」・「宗教」を結びつけていくための試みなのかなと思っています。以下は、岡部先生がラジオ番組に出演されたときの録音です。東日本大震災での先生ご自身の経験から、「死後の世界とある程度つながりをもった感覚がないと、なかなか人間は死にきれないし、死んだあとに残った家族も受け止められない」と語っておられます。

■さて、ここから急に話しが変ります。最近、ショッキングなテレビ番組を視ました。「NHKスペシャル「終(つい)の住処(すみか)はどこに  老人漂流社会」という番組です。以下は、NHKスベシャルの公式サイトにある番組紹介です。
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『歳をとることは罪なのか――』
今、高齢者が自らの意志で「死に場所」すら決められない現実が広がっている。
ひとり暮らしで体調を壊し、自宅にいられなくなり、病院や介護施設も満床で入れない・・・「死に場所」なき高齢者は、短期入所できるタイプの一時的に高齢者を預かってくれる施設を数か月おきに漂流し続けなければならない。
「歳をとり、周囲に迷惑をかけるだけの存在になりたくない…」 施設を転々とする高齢者は同じようにつぶやき、そしてじっと耐え続けている。
超高齢社会を迎え、ひとり暮らしの高齢者(単身世帯)は、今年500万人を突破。「住まい」を追われ、“死に場所”を求めて漂流する高齢者があふれ出す異常事態が、すでに起き始めている。
ひとりで暮らせなくなった高齢者が殺到している場所のひとつがNPOが運営する通称「無料低額宿泊所」。かつてホームレスの臨時の保護施設だった無料低額宿泊所に、自治体から相次いで高齢者が斡旋されてくる事態が広がっているのだ。しかし、こうした民間の施設は「認知症」を患うといられなくなる。多くは、認知症を一時的に受け入れてくれる精神科病院へ移送。
症状が治まれば退院するが、その先も、病院→無届け施設→病院・・・と自らの意志とは無関係に延々と漂流が続いていく。
ささいなきっかけで漂流が始まり、自宅へ帰ることなく施設を転々とし続ける「老人漂流社会」に迫り、誰しもが他人事ではない老後の現実を描き出す。さらに国や自治体で始まった単身高齢者の受け皿作りについて検証する。その上で、高齢者が「尊厳」と「希望」を持って生きられる社会をどう実現できるのか、専門家の提言も交えて考えていく。
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■このダイジェスト版には登場しませんが、実際の番組の最後の方で、ある女性が運営している施設が紹介されていました。認知症の高齢者も含めて、複数の高齢者が入所されているわけですが、体が動く方、たとえば料理が得意な方は、自らも調理作業に参加しておられたりと、入所されている高齢者がお互いに助け合うように運営されていました。前回の投稿では、「幸せの経済学」という映画に関連して「ローカリゼーション」という言葉を紹介しましたが、こういう「死」の問題についても、同様の「ローカリゼーション」の発想が必要なのかと思っています。(続く)

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