絃楽器MASARU

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■週1回の老母の生活介護の後、いつもであれば大阪・梅田を経由して奈良の自宅に帰宅するのですが、昨日は、西宮北口にいくことにしました。阪急・西宮北口のそばにある、坂本勝くんの工房「絃楽器MASARRU」を訪問するためです。坂本くんは、私の学部生時代に所属していた関西学院交響楽団の後輩です。昨日は、27年ぶりに坂本くんと話しをすることができました。

■坂本くんは、私が卒業したあとに入学してきたので、いわゆる「入れ違い」ということになります。しかし、私は、学部を卒業したあとも、現役の団員に交じって定期演奏会に出演し、エキストラとして後ろのほうでバイオリンを弾いていました。そんなこともあり、坂本くんたちとの学年とも、親しく愉快に交流させてもらっていました。あの頃は、ずいぶん乱暴な先輩だっと思いますが、みなさん仲よくしてくれました。さて、坂本くんの話しです。昨日、工房で彼から聞くまですっかり忘れていた話しです。

■坂本くんは、高校のときは吹奏楽部に所属し、ユーフォニアムを吹いていました。大学に進学し、こんどはオーケストラで管楽器を吹きたいと思っていましたが、オケの管楽器の人数は少ないので、坂本くんが入団をしてきたときには、彼の希望するパートはすでに他の新入生で募集枠がうまっていました。空いているのは、弦楽器の枠。ということで、或る意味仕方なく、バイオリン・パートに所属することになりました。大学オケの弦楽器パートは、初心者が多いわけですが、坂本くんも初心者としてバイオリンの練習を始めたのです。まだ、自分の楽器はありませんでした。団にあった、「ほんまにこれがバイオリンか…」という質の悪い楽器を貸与されて練習していました(貧しい学生オーケストラには、貸し出すにしても、そんな楽器しかありませんでした)。でも、そんなオンボロの楽器で練習するのが嫌になるのか、あるいは管楽器にこだわりを残していたからなかの、坂本くんは、時々いつも練習する場所から少し離れた、団員のいないところまでいって、1人ユーフォニアムを吹いていました。

■ここからは、昨日、坂本くんから聞いた話しです。関西学院交響楽団では、毎年、夏期休暇に演奏旅行をします。私が卒業し、坂本くんが入団した年の演奏旅行は、宮城県にいきました。名古屋から仙台まではフェリーなのですが、仙台から名古屋に戻るときのことです。フェリーの中で酒を飲みながら、「坂本が弾いている楽器があまりにひどい、こんなので練習してても上達しない、俺の楽器を貸してやろう」といったらしいのです(らしい…というのは、私には記憶がなく、昨日、坂本くんから聞かされたからです)。坂本くんは、「酒を呑んだ勢いで先輩(脇田)が言っているだけやろう。楽器を貸してくれるはずがない」と思っていたようです。ところが、大学に到着して解散になったとき、私が坂本くんを呼びとめて、その場で楽器を渡したというのです。そんなやり取りがあったんですね…。

■私のほうは、坂本くんに楽器を貸したこと自体は記憶していました。しかし、細かなシチュエーションはすっかり忘れていました。その頃、私は、現役時代の1stバイオリンのパートの他に、2ndバイオリンや、ビオラなどのパートでも弾いてみたいと思っていました。オーケストラのハーモニーを、内声部から楽しんでみたかったのです。演奏旅行では、ブラームスの交響曲第2番だったと思いますが、ブラ2では2ndバイオリンでした。そして、次はビオラだと決意し、知り合いからビオラを借りて練習を始めていたのです。ですから、気前がよい先輩なんてものではなく、バイオリンを貸すことになんの問題もなかった、たまたま条件がそろっていた…だけのことだったのです。それに、私がもっていたのは、ドイツで大量生産された安物のバイオリンですし…。ただ、そんな安物のバイオリンですが、坂本くんにとってはとても嬉しいことだったようで、私からバイオリンを借りることができた日、嬉しくて嬉しくて夜中まで弾いていたそうです。

■記憶はさだかではありませんが、坂本くんには、彼が自分の楽器を手に入れるまでの1年半か2年間ほど貸していたのではないかと思います。ただし、私のほうは、楽器が戻ったあと数年して、「いつまでも演奏しているばあいではない」と自分の研究に集中するようになりました。楽器を弾くことをやめてしまいました。博士後期課程の時代に結婚して、子どももできて、そのほかにも決定的な理由があるのですが、それはともかく、私は楽器をやめてしまったのです。いっぽう坂本くんの方は、卒業後もバイオリンへの情熱が衰えることはありませんでした。しばらくサラリーマンをしていましたが、退職して、お世話になっていたバイオリン職人の親方に弟子入りしました。そして修行を続け、自分の工房をもち独立しました。おそらく、独立したのは15年程前のことでしょうか(坂本くんに聞くのを忘れたな…)。もし、楽器を坂本くんに貸していなかったら…ひょっとすると、坂本くんは、バイオリンのことが嫌いになって、オケもやめてしまって、別の道を歩んでおられたかもしれませんね。そういう話しを、昨日もしました。人生というのは、邂逅の連続だといいますが、その通りですね。

■今回、坂本くんの工房をお邪魔したのにはちょっとした理由があります。ひとつは、「親業」を終えて、また楽器を弾いてみたい…という気持ちがよみがえってきたからです。昨年の「関西学院OB交響楽団演奏会」で、先輩や後輩の皆さんが演奏を楽しまれているのをみて、余計にそのような気持ちになりました。まだ、自宅には坂本くんに貸した安物のドイツのバイオリンがあるのですが、新しいバイオリンが欲しいと思うようになったのです。昨日は、いろいろバイオリンを弾かせてもらいました。フランス、イタリアの楽器が中心でした。もう四半世紀バイオリンを弾いていないのですが、そのような私にもわかる程、イタリアの楽器はとても明るい音がしました。自分がもっている楽器とは違い、楽に楽器が鳴ってくれるようにも思いました。坂本くんの工房で、いろいろ学ばせてもらおうと思います。

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