守山市健康なまちづくりプロジェクト

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■龍谷大学社会学部には、現在のところ、4つの学科があります。社会学科、コミュニティマネジメント学科、地域福祉学科、臨床福祉学科です。龍大社会学部は「現場主義」を理念にかかげて、地域社会との連携に非常に力を入れています。私が担当している「大津エンパワねっと」も、そのような理念にもとづいて企画された教育プログラムです。「大津エンパワねっと」は4学科により共同運営されています。しかし、あまりこのブログでは紹介してきませんでしたが、個々の学科のなかでも地域連携に重点を置いた実習に積極的に取り組んでいます。

■今回ご紹介するのは、コミュニティマネジメント学科の「守山市健康なまちづくりプロジェクト」です。井上辰樹先生が担当されています。井上先生は、継続的に、守山市で「ストックウォーキング教室」を開催されきました。私はよく知らなかったのですが、調べてくると、このストックウォーキング、いろんな効果があるようですね。

・普段用いない上肢の筋を活性化させ、心肺機能に より大きな刺激を与える。
・肩こりや四十肩等も予防できる可能性がある。
・ストックを用いて歩くと歩幅が広くなり、下腿の筋力も増強できる。
・歩行姿勢が矯正される。正しい姿勢を維持する ことにも効果がある。

■この「守山市健康なまちづくりプロジェクト」では、「町おこしと共に高齢者の生活習慣病の克服」を目標にされています。地域スポーツには、地域の皆さんの関係を強化する可能性があります。この記事のなかには、次のような記述もあります。「この教室は歩くこと以上に、孫よりも若い子たちと話することが、とても楽しみで毎回参加しています、という声も聞かれました」。もっと他の学科の取り組みに注目していかねばなりませんね。

マンガ『銀の匙』

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■「銀の匙」といえば、私たちのような年代の者にとっては、中勘助の小説がすぐに頭に浮かんできます。読んでいなくても、大学受験の現代国語の知識(文学史)として知っている人が多いと思います。その『銀の匙』について、少し前のことになりますが、別の「銀の匙」があることを教えてもらいました。私が学生と一緒に「北船路米づくり研究会」の活動をしているからでしょうか、ある方が(どなたがったか…忘れてしまいましたが…)、「そんなに農業に関心があるのならば、ぜひ、この漫画も読んでみたほうがよい」と勧めてくださいました。それが、この荒川弘の『銀の匙』という漫画です。

■「荒川弘」という作者の名前を、最初は、「あらかわ・ひろし」と読んでしまっていました。男性の漫画家だと勝手に思っていました。しかし、「あらかわ・ひろむ」という女性の漫画家であることを、またまた、ある方からご指摘をいただき知りました(どなたがったか…忘れてしまいましたが…)。この漫画『銀の匙』は、北海道出身で、酪農家に生まれ、農業高校を卒業された荒川さんの経験をもとにしているといわれています。大蝦夷農業高等学校を舞台にした「汗と涙と家畜の酪農青春グラフィティ!!」…なのだそうです。農業とはどういう営みなのかを知る上で、非常に考えさせられる内容です。学生の皆さんにもお勧めします。

■この『銀の匙』ですが、アニメにもなっていますし、近々、映画としても公開されるようですね。

カフェ&バー「週間マガリ」とIくん

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20140307magari3.jpg ■私が社会学をやっている、地域づくり関心をもっている、また実際に地域のづくりに取り組んでいる…せいだと思いますが、このホムページのブログをあらためて眺めてみると、人との「つながり」に関するエントリーが多いことがわかります。今日も、そんな人との「つながり」に関するエントリーです。

■一昨日、龍大社会学部の卒業生・Iくんからfacebookのメッセージを通して連絡がありました。ちなみに、Iくんは「地域連携型教育プログラム・大津エンパワねっと」の修了生でもあります。

突然なのですが、今月の木曜日、6日、13日、27日の夜空いてませんか?(^^)
実は、今、友人と大阪の南森町で日替わり店長のカフェ&バー「週間マガリ」の運営をしているのですが、今月から毎週木曜日の週1店長をさせていただくことになりました!
バー営業しながら、洋服無料交換会、雑貨展示会、手作り作家さんの手作り教室、洋服のリメイクなどのワークショップをやっていく予定です★
お仕事終わりにでも、美味しいカクテルを作ってお待ちしておりますので。もしお時間ありましたら遊びにいらしてくださいね♪

■Iくんは、学生時代、私の印象ではとてもおとなしい学生でした。人見知りで、恥ずかしがりや…そんな印象が強かったのですが、そのIくんがカフェ&バーの店長、それも日替わり店長…。ちょっとした好奇心もあり、「週間マガリ」にお邪魔することにしました。

■まずは、場所から。大阪の地下鉄・東梅田から一駅。南森町でおりて、天神橋筋のアーケードを少し南にあるくと、カフェ&バー「週間マガリ」があります。天神橋筋に面してはいるのですが、少しわかりにくい…。元々、鍋料理を食べさせるお店だったようなのですが、お店がかわり、1階がラーメン店になり、現在2階がカフェ&バー「週間マガリ」になっているというわけです(だから、1階のラーメン屋さんと厨房は料理運搬用のエレベーターでつながっている…)。ラーメン屋さんの暖簾をくぐってすぐに左にある階段を昇る…というはなんだか、少し不思議な感じ、秘密めいた感じもします。

■この、「週間マガリ」。「マガリ」とは「間借り」のことなのでしょう。ここを経営しているのは、Kくん。Iくんも少しお金を出して共同で経営しています。簡単に説明すると、「カフェやバーを経営できるたけのノウハウや実力、資金もないけれど、実際にカフェやバーを経験して楽しんでみたい」という人たちが、日替わり店長になって、仲間が安心してくつろげる「場所」を提供するということなのです。昼間、別の仕事をしている人たちが店長となって、週に1日、夕方から仲間がくつろげる「場所」をつくっていくのです。仲間と書きました。友人や知人が中心でしょうが、友人の友人、知人の知人といったぐあいに、口コミでネットワークは広がっていきます。お店のしつらえは基本的に同じですから、店長さんの演出やお客さんへの接し方しだいで、お店の雰囲気は変わっていくのです。さまざまな「表現」が可能な「場所」になるのです。

■こんなこともあるようです。スイーツ好きの女の子が、友達をよんでパーティをしている横で、ふらりと立ち寄ったカップルがカウンターで呑んでいる…とか。スイーツ好きな女の子たちとカップルが会話が生まれ、知り合いなる。「つながり」が生まれる「場所」でもるのです。Iくん自身は、彼のメッセージにある「洋服無料交換会、雑貨展示会、手作り作家さんの手作り教室、洋服のリメイクなどのワークショップ…」からもわかるように、ファッションやおしゃれ好きの人たちが集う「場所」にしたいのでしょうね。ちなみにお店の売り上げは、たしか、お店と日替わり店主さんで半々にするのだったかな…少し自信がない…この点については「要確認」ですが(^^;;。細かなことはともあれ、面白い仕組みですね。

■私のような還暦前の人もやってくるようですが、昭和の最後から平成にかけて生まれた若者が中心のようです(私からすると、子どもの世代にあたりますかね…)。昨日は、経営しているKくんやIくん、そしてお客さんの3人の若者とカウンターで酒を呑みながら話しをしました。ちょっとした知り合いだからこそ気構えることなく、気楽にリラックスしていろんな話しができる…ということなのでしょう。私のばあいであれば、大津駅前の居酒屋「利やん」と似ているかな…とも思いますが、「利やん」は、基本的にサラリーマンのアフター5のお店。職場の仲間で呑むグループが多いように思います。そのあたりが、「職場の人たちとアフター5までつきあうのはごめんだ…」と思う若い人たちとは大きく異なるところです。それはともかく、Iくんの夢は、いつか故郷の滋賀県に帰って、こういうお店を持つことなのだそうです。夢が実現するとよいですね。ということで、アンジェラ・アキの動画をどうぞ。

瀬田キャンパスのテニスコートのその後

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■春休み中に完成する予定のテニスコート。だんだん完成に近づいてきているような気がします。テニスボールが外に飛び出さないように、ネットが囲むんですね。鳥籠のようになるのか。ちなみに、テニスコートの下は、駐車場になります。

■卒業生の皆さん、母校のキャンパス、少しずつ変化しています。ぜひ、遊びにきてください。

滋賀生物多様性地域戦略策定に係る専門家会議

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■昨日は、午後から、ピアザ近江の会議室で、「滋賀生物多様性地域戦略策定に係る専門家会議」が開催されました。第3回です。以前のエントリーにも書きましたが、国が定める「生物多様性国家戦略2012-2020」のもとで、滋賀県の戦略をどうしていくのか…について考える会議です。生物多様性の維持には、多様かつ適切な人びとの自然環境への働きかけが必要になります。そんなわけで、私のような環境社会学者も呼ばれているのです。

■さて、年度末ということもあり、全員の委員が揃うことはなかなか難しいようです。今回は、初めてお目にかかる方達が2人おられました。お1人は、千葉県立中央博物館副館長の中村俊彦さん。もう1人は、兵庫県立人と自然の博物館・研究員の橋本佳延さんです。お2人とも、生物多様性や生物多様性地域戦略に関する専門家なので、会議でのご発言からは学ぶことがたくさんあります。私自身は、生物多様性そのものの専門家ではありませんが、地域戦略を策定していくうえで「環境ガバナンス」をどう組み替えていくのか、生物多様性を地域の文脈ではどのように「翻訳」すればよいのかという観点から、議論をさせていただきました。会議終了後も、中村さんや橋本さんと一緒に「一杯呑み」しながら、耳学問をさせていただきました。

■中村さんも橋本さん、生態学の研究者ですが、特に橋本さんの取り組まれていること、とても政策科学的なことなので驚きました。私の業界⁈の人たちは、どちらかといえぱ「業界の枠」に閉じこもって、その中から発言している人が多いのですが、私は単なる批判を超えて、もっと前向きに取り組みたいと思っています。ちょうど、流域再生と生物多様性に関連する分野横断的・文理融合的なプロジェクトに参加しているので、いろいろ教えていただこうとも思っています。

■次回は、ぜひ大津でゆっくりしていっていただきたいものです。私にとっての応接室でもある「利やん」にお連れします。

【追記】■関連リンク。以下は、環境省のページですが、子どもから大人まで、いろんな方々が「生物多様性」を理解できるように工夫されています。自分たちの暮らしや地域の文脈のなかに位置づけて「自分たちのこと」ととして理解できるようになることが大切です。

生物多様性(環境省)
生物多様性国家戦略(環境省)

花は咲く/花は咲くプロジェクト(Cover) Goosehouse


■一昨日の晩、学部の懇親会が開かれ、同僚の教員のピアノやトランペットとともに、余興でバイオリンを弾きました。そのときの曲のひとつが、「花は咲く」。この曲は、NHKが展開した東北復興支援キャンペーの歌です。

■作詞をした岩井俊二さんのこの歌について、次のように解説されています

被災した石巻の先輩が語ってくれた言葉を思い出しました。「僕らが聞ける話というのは生き残った人間たちの話で、死んで行った人間たちの体験は聞くことができない」生き残った人たちですら、亡くなった人たちの苦しみや無念は想像するしかないのだと。

■死んで行った方達、すなわち絶対的な他者とは通常のコミュニケーションはできません。亡くなられた方たちのメッセージを代弁することもできません。また、するべきでもありません。ひとつには、死者を自己の主張の正当化のために利用してしまうことになるからです。死者に関する安易な語りは、すぐに政治的な言説に転化してしまう…。岩井さんは、想像するしかない…と語っておられますが、死者のことを想い続けると言い換えることもできるでしょう。きちんと想い続けること…これはとても辛い、大変なことでもあります(なぜ、あの人は亡くなってしまったのか、なぜ、自分はこうやって生き残っているのか、自分は被災者の人たちとどういう関係を取り結ぶのか…)。しかし岩井さんは、同時に、そういう辛い大変なことのなかに、希望も見いだそうとします。

そんなtwitterの中に片想いの人を探して欲しいという女の子の声がありました。片想いであるが故に自分が探していることは知られたくないというかわいい注文つきでした。こんな最中にも恋があったりするのかと、それが何とも微笑ましく、思えばかの地は僕自身が初恋なるものを育んだ聖地であり、そんな聖地に今もしっかり若者たちが恋を育んだりしているんだなあと思ったら、まだ震災から一週間ぐらいのことではありましたが、瓦礫だらけになったこの場所にもちゃんと花が咲いてるじゃないかと思えました。

■岩井さんが作詞した歌詞には、誰もが共通の理解に至る意味の着地点がありません(と、私には思えます)。人びとの心を「宙ぶらりん状態」にしたままにします。ですから、この歌を歌う人たちは、その人ごとに歌詞の意味をとらえようとします。そのことが、この歌の魅力でもあります。そして、死者のことを想いつづけながら、日々の暮らしのなかで生きることの実践を紡ぎだしていく。死者とともに未来を生きようとすることを促しているように思うのです。現代社会は、「死者を想いながら生きること」を人びとに「させないよう」に機能してきたがゆえに、この歌がもっている不思議な力を感じてしまうのです。

■トップの動画は、Goose house(グース ハウス)という音楽ユニットの皆さんによる「花は咲く」です。

「利やん」でバイオリン

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■ひとつの前のエントリーにも書きましたが、楽器(バイオリン)の演奏を趣味の範囲で再開し、友人たちと音楽を通して交流できたらなあと思っています。仕事の関係もあり、とても本格的に再開というわけにはいかないのですが、それでも気分転換ぐらいには弾いてみたいなあと思います。昨晩は、職場の懇親会でしたが、私は、懇親会終了後、ただち大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」に移動しました。

■昨日はバイオリンをもっていたものだから(ケースでですが…)、マスターがめずらしがりました。ふだん、マスターとはマラソンや野球の話しはしても、音楽や楽器の話しはしませんからね。ちょっと、酔っぱらってきましたし、他にお客さんは、後から遅れてやってこられた同僚のH先生だけだったので、調子に乗ってバイオリンを弾かせてもらうことにしました。写真は、マスターが撮ってくださったものです。昭和の香り満載の居酒屋で、バイオリンを弾く…なんだかシュールの光景です。

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■この写真は、大津市の中心市街地の湖岸にある琵琶湖ホテルの2階から撮ったものです。遠く、比良山系の山頂には残雪が確認できますが、琵琶湖全体には春の雰囲気がどんどん濃厚になってきています。そのことが、おわかりいただけますでしょうか。柔らかな風のなかに春の匂いを感じているのですが、そのことが写真にはなかなか表現できません。

■なぜ、琵琶湖ホテルか。それは、社会学部の懇親会「近江会」が、このホテルで開催され、同僚の先生2人と「余興」として、楽器の演奏をすることになっているからです。トランペット、ピアノ、そして私がバイオリンです。先週の金曜日の午前中と、今日の午前中、琵琶湖ホテルで音合わせをさせていただきました。私も含めて、全員楽器の経験者ですが、大人になってからずっと楽器を中断していました。

■ちなみに、私の個人の話しになりますが…。今から28年前、最初の子どもが生まれることになったとき、楽器を弾いて楽しんでいるばあいではない、もっと必死に働かなくてはと楽器の演奏を断つことにしました。その背景には、もっと別の背景もあるのですが(以前のエントリーに書きました)、それはともかくです。その最初の子どもが27歳になり、きちんと自立してくれましたし、二番目の子どもも春からは社会人になります。「親業」を卒業できるので、そろそろ自分の残りの人生を楽しむために、楽器を再開させてもよいのかな…と思っている、今日此の頃なのであります。

いかなごの釘煮と贈与の精神

20140304ikanago.jpg■ 播磨灘や大阪湾では、2月末~4月末頃まで、「いかなご漁」がおこなわれています。水揚げされた「いかなご」は飛ぶように売れていきます。「いかなご」とは、スズキの仲間の魚です(スズキ目イカナゴ亜目イカナゴ科)。私の生まれた兵庫県の神戸や明石などの地域の家庭では、春になると、この「いかなご」の新子を使った「いかなごの釘煮」をつくっていただくのです。材料は、新鮮な「いかなご」、濃口醤油、砂糖、酒、みりん、生姜。いたって、シンプルな料理です。暖かみを増した風のなかに春の香りを感じ、テレビで相撲の大阪場所を観戦しながらこの「いかなごの釘煮」をいただくと、「ああ春やな~」という気持になってくるのです。

■阪神間の主婦たちは、この季節、「いかなごの釘煮」を自宅で何度も何度も作って、子どもや親せき、そして友人たちにせっせと送り続けます。「いかなごの釘煮」を媒介として、あるいは「いかなごの釘煮」とともに、見えない「何か」が人と人との間を動いていくのです。

孫:「おばあちゃん、今日ね、『イカナゴの釘煮』が届いたよ 。 ありがとう。とっても美味しいよ、幼稚園のお弁当にも入れてもらうの。」
娘:「お母ちゃん、ありがとう。やっぱり、春先はお母ちゃんの『いかなごの釘煮』を食べんとね~」
主婦:「うれしいわ〜」(ジ~~ン「ああ、よかったわ~」と心のなかで思う)

■「いかなごの釘煮」が送られると、送った主婦の皆さんと送られた人たちとの間で、両者の関係が今まで以上に生き生きとしていきます。「贈与」により親子・祖母-孫の関係が、そして友人との関係が「賦活」されていくのです。

■もっとも、このような阪神間の「贈与の文化」は、いわゆる「伝統的」…なものではありません。戦後に生まれたもののようです。当初は、神戸の垂水のあたりから始まったと聞いていますが、現在では、阪神間(神戸から明石のあたり)の主婦の皆さんによって、まるで「年中行事」のように行われています。私の母親なども、今は年老いて無理ですが、かつてはせっせと「いかなごの釘煮」を炊いて送り続けていました。今は、その文化を妻が受け継いでいます。うちの妻は奈良生まれの奈良育ちですが、この季節に「いかなごの釘煮」をつくるようになりました。自宅のある奈良のスーパーでも、最近は「いかなご」が少しだけ売られるようになってきたためです。神戸にいくと、ちょっとしたスーパーでは「いかなごの釘煮」のコーナーがあり、「いかなご」はもちろんのこと、調味料、釘煮を入れるプラスチックの容器、そして宅配の申込書まで、そのコーナーですべてそろうようになっています。さすが、「いかなごの釘煮」発祥の地ですね。

■写真は、うちの妻がfacebookにアップした写真です。美味しそうにできあがっています。私の母親が、やわらかめに炊いていたので、一応、それにあわせて炊いてくれています。これは生姜風味です。ただし、妻は山椒風味の「いかなごの釘煮」もつくってくれます。山椒が好きなもので。こちらは、固めに炊いています。これら2種類の「いかなごの釘煮」は、これから子どもたちの所や、親戚のところに送られる予定です。

篠山ABCマラソン

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■「篠山ABCマラソン」大会に出走しました。今シーズン(昨年秋から今年の春にかけて…)2回目のフルマラソンです。今回は、以前から私のランニングコーチ役をお引き受けいただいている職員のH課長、同じく職員のH次長、Sさん、Tさん、そしてSさんやTさんのお仲間のMさん、以上の5名の皆さんと出走しました。といっても、H課長や、SさんやTさんは、長年マラソンやトレイルランに取り組んでこられたアスリート、Aブロックから出走です。Aブロックというのは、ドーンとスタートのピストルの号砲がなってから一番最初にゲートを飛び出すグループです。それに対して、H次長、Mさん、私は、そのずっとあとのDブロックからのスタートでした。ということで、私たちがスタートのゲートをくぐるまでに、号砲からなってから約7.5分もかかりました。

■今シーズン1回目は、昨年の「大阪マラソン」でした。こちらは、30km前から両膝の外側が痛くなる腸脛靭帯炎を発症し、惨憺たる結果になりました。今回は、職員のベテランランナーのOさんにストレッチやテーピングの方法を教えていただき、挑みました。準備をしっかりしていたせいでしょうか、痛みは生じませんでした。ただし、練習不足がたたって、30km過ぎから大幅にペースダウンしてしまいました。

■下の表をご覧ください。これは、10kmごとの時間の記録です。ランニングシューズにICチップをつけて走るので、測定ポイントを通過するたびに記録が送られ、自動的にネットにアップされるのです。この表にあがっているのは、グロスタイムです。4時間53分14秒。スタートのピストルがドーンと鳴ってからのタイムです。実際にスタートのゲートをくぐってからの時間は、ネットタイムといいますが、それは4時間45分51秒でした。
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■この表はグロスタイムですから、スタート地点から10kmまでの実際の時間は「0:58:48」(58分48秒)ぐらいになります。スピードにすれば、5:53/km程度でしょうか。10〜20kmでは、「0:59:16」(59分16秒)です。スピードは、5:55/km程度です。だいたい、20kmあたりまでは、ほぼ同じスピードで走り続けています。20から30kmまでは、どんと疲れが出て「1:11:00」(1時間11秒)かかってしまっています。7:06/kmと遅くなっています。問題はここからです。

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■30kmの手前からいろいろ困ったことが生じました。まずは空腹。これは血糖値が下がっている証拠です。頭も若干貧血気味になりました。これまでは、走っている途中で何か固形物を口にすることはありませんでしたが、今回は用心のために、ボランティアの皆さんがふるまっておられた「猪鍋」をいただきました。また、沿道で配っておられるキャンディやチョコレート、それからアラレまでも、いただくことにしました。そうしないと倒れてしまうように思ったからです。もちろん、スポーツ用のジェルもウエストポーチに入れて、途中、20kmと30kmで補給してはいるのですが、それでは間に合いませんでした。そもそも空腹になる時点で準備不足なのです。スタート前の食事の取り方、いろいろ難しいです。

■もうひとつは、根本的な問題なのですが、30kmを超えて走るだけの脚力がまだまだ備わっていないということです。30kmからゴールの42.195kmまで12.195kmは「1:36:47」(1時間36分47秒)。かなりのペースダウンです。脚が動かなくなって、たびたび歩いてしまいました。これまで、4回フルマラソンに挑戦して3回完走していますが、最後まで走り続けることができたことは、1度もありません。スピードですが、7:56/kmです。これは、かなりゆっくりのジョギングと同じスピードです。心肺機能も疲れてきっていました。もし、30km以降も、20〜30kmのスピードで走しれたとしたら、タイムは、4時間20分を切っていた…ということになります。まあ、捕らぬ狸の皮算用ではありますが…。

■来シーズン目指して、また頑張ることにします。問題は、ランを生活の一部にどれだけ組み込めるか…ですね。それと、やはり月200km近くは走らないとタイムも縮まらないように思います。月200kmの距離を走るのは、私のばあいは並大抵のことではありません。なかなか辛いところです。

■ところで、大会当日の朝。マラソン仲間のH先生からメールが届いていました。メールを拝読したのは、レースが終ってからでしたが、お返事のメールを書きました。

H先生
脇田です。
今回は、普通の筋肉痛だけで、膝が痛くはなりませんでした。Oさんに教わったテーピングやストレッチのおかげかもしれません。とはいえ、腿、膝、尻、腰、みんな痛いです。

コンディションですが、少し寒かったですが、雨も降りませんでした。

タイムは、とりあえず自己記録更新です。でも、もともとの記録が悪すぎるから…。とはいえ、今回は自分なりに納得のいく結果だと思っています。課題は、30kmを過ぎてからのスタミナですね。まったくあきません。グロスでは、4:53:14です。ネットはまだわかりませんが、自分の時計では、4:44でした。ラップですが、10kmが1:6:11、20kmが0:59:16、30kmが1:11:00、残りのゴールまでが1:36:47。30kmを過ぎてからがひどすぎますね。

サブ4は、遠い彼方ですが、走り続けようと思います。

走りながら、マラソンは人を自由にする…と思いました。H先生のマラソン理論でもそうだと思いますけど。(中略)応援、ありがとうございました!

【追記】■正式の記録が発表されました。

順位:4781
ナンバーカード:9663
氏名:脇田 健一
所属:チーム利やん
市町村:奈良県
グロスタイム:04:53:14
ネットタイム:04:45:51

■順位は、5596人中の4781位。「篠山ACマラソン」は、途中の関門が厳しいので、多くの方たちが最後まで完走できません。ニュースによると、参加者は8843人。完走できてよかったです。膝がまたまた故障して、関門に引っかかって、回収されるのかな…と不安でしたので。

【関連リンク】「なんとか完走」『ソラトデンセン』

【追記1】■大会に参加した人たちで、記念写真を撮りたかったのですが、なんだかそのまま解散になってしまいました。皆さん、しょっちゅう、いろんな大会で出走されているので、特に記念写真…なんて感じじゃなかったんですね、きっと。そのかわりに、後日、打ち上げをやることになっています。これは、これで楽しみですね。

【追記2】■大事なことを忘れていました。最後の関門36.3km地点で、バルセロナオリンピック、アトランタオリンピック両大会の女子マラソンメダリストである有森裕子さんがいらっしゃいました。ランナー一人一人に満面の笑顔を向けて、「まだまだ、いけますよ〜!!」と声をかけて、ハイタッチされていました。私もしていただきました。不思議にパワーがわいてきました。

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