蜂蜜

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■23日(土)は、社会学部の地域連携型教育プログラム「大津エンパワねっと」/「地域エンパワねっとI」の中間発表会でした。今年度、私自身は担当と指導を外れています。「大津エンパワねっと」が始まってから10年になりますが、担当や指導から外れたのは今回が初めてのことです。「大津エンパワねっと」は、社会学部4学科の共同により運営されています。そのようなことからすれば、社会学科で私ばかりがこのプログラムを担当していることには大きな問題がありました。今年度は、若い先生にご担当いただくことができました。研究部長を務めて時間もなかなか取れないことから、私としてはホッとしているところです。

■まあ、そのようなことはともかくです。指導は外れていますが、報告会ではお役目をいただきました。撮影係です。というわけで、報告会が始まる前に、ビデオカメラの設定等をしていました。ビデオカメラなど触るのは久しぶりです。「ビデオテープはどこから入れるのかな?」と戸惑っていたら、「大津エンパワねっと」の事務局の職員の方が、「せんせー、SDカードなんですよ、うふふ」とそっと教えてくださいました。それを聞いたある教員の方からは、「あっ!! ここに昭和のおじさん発見」とからかわれてしまいました。そうですよね。今時、テープなんてね…。まあ、そんなこんなで、あたふたしていると、「大津エンパワねっと」を昨年修了した門脇孝輔くん がやってきました。門脇くんは、「大津エンパワねっと」のOBです。その門脇くんが、笑顔で近づいてきて、小さな瓶に入ったハチミツを渡してくれました。門脇くんは、農学部の古本強先生と一緒に龍谷大学瀬田キャンパスの近くで養蜂の活動をしています。このハチミツは、門脇くんと古本先生が採取したハチミツなのです。ありがとう、門脇くん‼︎ それにしても、右側の私の顔、何だか疲れていますね〜。ちょっと休憩が必要です。

第3回びわ湖チャリティー100km歩行大会


■大学の保険管理センターの「ウォーキング・キャンペーン」に参加しています。参加する気は微塵もなかったのですが、保険管理センターの部長・課長・看護師の3人の皆さんに簡単に説得されて、参加しています。今月は、「毎日1万歩」を目指してウォーキングに取り組んでいますが、「197,521歩」歩きました。これは、自分の健康管理、そして再びマラソンを走ることのできる体力と筋力をつけるための前段階のつもりでしたが、はまりつつあるのかもしれません。そのような折、「株式会社ビイサイドプランニング」の社長で知り合いの永田咲雄さんが、社員の皆さんと「びわ湖チャリティー100km歩行大会」に参加されることをfacebookで知りました。「びわ湖チャリティー100km歩行大会」は、今年で3回目になります。「株式会社ビイサイドプランニング」では、昨年も参加されたようです。そして、永田さんは完歩されました。素晴らしい!!今年は、新入社員を中心にチームを結成してチャレンジされるようです。このチームの中に、私のゼミのOG小林風花さんも入っています。頑張れ、風花!!

■まあ、そんな感じで卒業生の小林さんには頑張っていただきたいのですが、私もせっかくウォーキングをしているのだから、この「びわ湖チャリティー100km歩行大会」に参加してみたくなってきました。ということで、知り合いの人たちに「ある目的」のために、出場しようと呼びかけてみました。果たして良い反応があるのかどうか私にはよくわかりませんが、このウォーキングへの参加について前向きに検討していきたいと思います。

2016祇園祭 宵宵山

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■10日ぶりに更新します。心身ともに、なかなか更新できる状況になりませんでした。毎日、チェックしていただいてる皆様、申し訳ありませんでした。とはいえ、体調を崩しているわけではありません。なかなか、微妙なんですよ〜。ということで、復活した最初のエントリーは、「祇園祭」です。私は、学生時代に部活動としてオーケストラをやっていました。関西学院交響楽団です。15日(金)の晩は、所属していたこの学生オーケストラの後輩諸君と一緒に、「祇園祭」の「宵宵山」を楽しむことになりました。

■後輩たちとは、学年に随分ひらきがあります。8歳から9歳ぐらいのひらきがあるでしょうか。しかし、私の場合は、大学院時代に、現役の学生メンバーに混じってエキストラとして弾いていた時代があること、そしてfacebookで後輩諸君と日常的に交流しており、たまたまこの後輩の中に祇園のお茶屋さんのお嬢さんがおられて、今回の企画が実現することになりました。facebookを通して声をかけてくれたのです。ありがたいことですね。

■あまり人には言えないことなのですが、私は「祇園祭」に行った経験がありません(多分…)。暑い季節に、人混みの中を歩くことが嫌だったのです。今回は、お誘いを受けて初めて行ってみました。後輩諸君と一緒に人混みの中を歩きながら、鉾や山を見学して回りましたが、キョロキョロしているうちに逸れてしまいました。とはいえ、今は、スマホですぐに連絡できるので、なんとか再合流。このような感じで、初めて「祇園祭」の「宵宵山」を楽しむことができました。

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20160717gionmatsuri6.jpg20160717gionmatsuri9.jpg20160717gionmatsuri8.jpg■「宵宵山」を楽しんだ後は、今回の企画をたててくれた後輩Tさんのご実家である祇園のお茶屋さんに向かいました。「小柄なTさんは、祇園にある実家から西宮にある大学まで阪急電車で通学していたのか…。ヴィオラの入ったあの大きなスクエアのケースを背中に背負って…」と、学生時代の彼女のことを思い出しながら、お茶屋さん「辻糸」にお邪魔しました。Tさんのことで頭に浮かんでくるのは、オーケストラの練習が終わった後、大学のある西宮から自宅のある京都の祇園まで帰宅しなくてはならないので、大学ある丘の上から最寄りの阪急の駅まで、ヴィオラの入った大きな四角いケースを背負いながら、必死になって(半分走りながら…)歩いていたシーンだからです。そんなTさんとは、おそらく、30年ぶりにきちんとお会いすることになったのではないかと思います。普段、facebookで交流している際にはそんなことは考えないのですが、あっという間の30年でした。他の後輩諸君とも似たようなものでしょうか。さて、「辻糸」さんではお寿司をとってもらい、その寿司をつまみながらビールや焼酎を楽しみました。そして、オーケストラ時代の思い出話しに花を咲かせました。また、こんな機会がまたあったら良いなあと思います。お互いに歳を取ったなあと思いつつ、気持ちの良いノスタルージーに浸ることができました。

ゼミOB梅村くん!

20160630ob.jpg ■6月29日(水)の午前中は、朝9時から深草キャンパスでの2つの会議がありました。それらの会議を終えて、昼からは瀬田キャンパスに移動。学科会議、教授会、研究科委員会と3つの会議に出席しました。水曜日、隔週でですが、こんな「会議デー」になっちゃいます。その会議の隙間に、卒業生の梅村くんが会いに来てくれた。教授会の途中、私がトイレに行く際に、会うことができました。待っていてくれたんですね。

■彼は、アマチュア鉄道研究家であり、鉄道のモデラーであります。根っからの鉄道ファンです。卒業論文のタイトルは、「地方鉄道と沿線コミュニティの相互アプローチ-京阪大津線の事例をもとに-」です。京阪電鉄・石山坂本線と地域社会との関係について分析したものでした。そして卒業後は、関東の鉄道会社に就職しました。いわゆる「鉄ちゃん」と呼ばれる鉄道マニアとは、ずいぶん違っています。学究肌です。彼の卒業論文は、京阪電鉄の関係者の目にも評価されました。

■今回は、実家に帰ったということで、わざわざ私にも会いに来てくれました。ありがとう。ところで、彼からは、頼まれていることがあります。ごめんね。急いで約束を果たします。

父の日

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■先日の日曜日は、「父の日」でした。うちには、娘と息子がいます。2人とも自立しており世帯も別に構えていますが、その2人から「父の日」のプレゼントが送られてきました。娘からは、山形県で生産された「サクランボ」。息子からは、オーガニックの「虫除けスプレー」と「水出しコーヒー」。とっても嬉しいです。ありがとう、子供たち。

原田達先生、東海道五十三次完歩!! 三条大橋にゴール!!

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■ひとつ前のエントリーで、「東海道五十三次踏破」に挑戦されている原田達先生が、草津宿に到達されたこと書きました。昨日は、草津から大津に移動されました。草津からだと、江戸時代の方たちであれば一気に京都まで行ってしまうところですが、、原田先生は、最初から大津に泊まろうと決めておられました。いつもの大津駅前の居酒屋「利やん」で、マラソンチーム「チーム利やん」のメンバーやサポーターの皆さんと出発前にキープしておいた焼酎を飲むと決めておられたからです。昨晩、「利やん」には、先生をお祝いしようと続々と関係者が集まってきました。18時半から始まった「お祝いの会」は、夜遅くまで続きました。先生は、facebookにご自身の旅日記を投稿されていましたので、先生の元ゼミ生もやってこられて、最後まで非常に盛り上がりました。

■原田先生、みんなに楽しい時間を提供してくださり、ありがとうございました。原田先生や私にとって、大津駅前の居酒屋「利やん」は、「サードプレイス」=「とびきり居心地よい場所」なのです。ここにくると、職場や職業を超えた楽しい仲間と楽しい(人生にとって有意義な/大切な)時間を過ごすことができるからです。「利やん」≒「サードプレイス」ということについては、昨年の1月にエントリーした「2015「びわ湖レイクサイドマラソン」/ サードプレイスとしての「利やん」 」にもちょこっと書きましたので、ご覧ください。
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■昨日、深酒をされたせいでしょうか、原田先生は少し二日酔い気味だったようです。しかし予定通り、8時半にホテルを出発して京都の三条大橋に向かわれました。原田先生には、「チーム利やん」のサポーターで、「利やん」の常連であるSさんが同行されました。その途中、山科に入るあたりでは、同じくサポーターのKさんが出迎えてくださつたようです。で、私自身はどうかというと、本当はSさんのように原田先生と一緒に大津から三条大橋まで歩きたかったのですが、仕事のためにそれはかないませんでした。午前中、部局長会議という大切な会議があったからです。もっとも、その会議での自分の出番が終了すると10時40分。原田先生が三条大橋に到着されるのは、予定では11時でしたから、深草キャンパスから京阪電車で急げばまにあうかも…と判断し、駆けつけることにしました。

■先生やSさんが少しペースを落としてくださったこともあり、なんとかゴールの瞬間に間にあいました。ゴールでは、特製の横断幕をあらかじめ用意してありました。「チーム利やん」のメンバーやサポーターの皆さんが寄せ書きをしている横断幕です。私もメッセージを書かせてもらっています。その横断幕に加えて、よく冷えた缶ビールも用意されていました。「利やん」のマスターである光山さんが、缶をよく振って泡立てて、頭上からその缶ビールをかけて先生のゴールをお祝いしました。ゴールされた原田先生、心地よい虚脱感に浸っておられるご様子でした。そして、多くの方たちが原田先生の「東海道五十三次踏破」の応援をしてきたことについて、深く感動されていました(T0T)。私も、ちょっともらい(T0T)しました。素敵だな~。原田先生を三条大橋でお迎えしたあと、深草キャンパスに仕事が残っていたため再び職場に戻らねばなりませんでしたが、短時間とはいえ、仲間の皆さんと一緒に大切な時間を共有できたこと、本当に良かったと思います。

■「東海道五十三次踏破」の後、原田先生はどうされるのか、燃え尽き症候群は大丈夫なのか・・・すごく心配になるわけですが、大丈夫です。12月にはあこがれの「ホノルルマラソン」に出走されます。明日からは、また走られるのではないかと思います。

原田達先生が関西に帰還されました!!

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■今年の春に龍谷大学社会学部を退職された原田達先生が、「東海道五十三次」踏破にチャレンジされることを、先月、「原田先生が東海道五十三次に出発!! 」としてエントリーしました。5月15日に、東京の日本橋を出発され、予定通り、本日、6月8日に大津宿に到達されます。明日9日には、いよいよ京都の三条大橋でゴールという予定されます。毎日20kmから25km、長くても30kmと、無理のない範囲でコツコツ歩いてこられました。「東海道五十三次」の距離は、495.5kmです。多くの皆さんが挑戦されているようではありますが、やはりすごいですよね~。

■昨日、原田先生は草津宿に到着されました。国道沿いのホテルに宿泊されたので、先生に「夕ご飯を一緒にとりましょう」と連絡を入れました。facebookです。すぐに、了解のお返事をいただきました。草津の普通の居酒屋なのですが、たっぷり生ビールをいただき、熱燗も楽しみました。先生は、もともと日に焼けておられたほうですが、「東海道五十三次」を踏破されて、さらに黒く日に焼けておられました。真っ黒です。ということで、記念写真です。わたし、少しふざけています。

■本日は、原田先生の「東海道五十三次踏破成就」が目前であることをお祝いして、いつもの大津駅前の居酒屋「利やん」で祝賀会が開催される予定になっています。原田先生は、居酒屋「利やん」のマラソンチーム「チーム利やん」のメンバーです。ということで、チームメイトの皆さんが、可能な限り集まっていただけることになっています。もちろん、私も参加してお祝いをさせていただきます。そして明日は、いよいよゴールの三条大橋です。私は、仕事のために残念ながらゴールで原田先生をお迎えできそうにありません。しかし、「チーム利やん」のサポーターであるSさんが、先生と一緒に大津から歩くことになっています。

「利やん」に魚を届ける!

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■4日(土)、「北船路米づくり研究会」の活動で里芋の種芋を棚田に植えていました。作業を終えて帰宅すると、娘から連絡が入っていました。娘夫婦は釣りが趣味で、この日も、姫路沖で釣りをしてかなり釣果があったようで、釣った魚を持ってきてくれるというのです。娘たちは、普段は、日本海に行くことが多いようです。大きく揺れる船の上で、船酔いをものともせず、ジギングという釣りでブリやハマチを釣るのです。この日も、鯛を3尾、メジロと呼ばれるブリの子どもで、ハマチとブリの中間の大きさのものを3尾、くれるというのです。とても我が家で消費できる量ではないので、いつもの居酒屋、大津駅前の「利やん」のマスターにお願いして、引き取ってもらうことにしました。いつもは野菜を納品していますが、この日は魚も引き取ってもらうことになりました。ありがとうございました。

京都伏見の夕焼け

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■昨晩は、社会学部の懇親会「おうみ会」が開催されました。学部の歓送迎会でした。月曜日は研究部の歓送迎会、火曜日は大津の都市計画の関係で小さな宴会、そして水曜日は「おうみ会」で歓送迎会と、3日続けての宴会です。3日続くと身体は辛いわけですが、やはり…というか、もちろん参加いたしました。瀬田キャンパスから教員を乗せたバスは、名神高速道路が工事中のため、京滋バイパスと阪神高速8号京都線を経由して、懇親会の会場のある京都駅ビル内の「グランヴィアホテル」に向かいました。途中、阪神高速からは巨椋池あたりの農村地域の夕焼けの風景が見えました。夕焼けが水田にはった水に反射していました。

■歓送迎会が終わった後、気持ちよくなったので、社会学部の同僚である教職員の方たち2人を誘って京都駅の南側にある「光洋軒」という店で二次会に突入しました(このお店は、加藤剛先生に教えていただいたお店です)。こういうときに、いろいろ話しをすることって大切ですよね。というわけで、帰宅は最終電車になってしまいました。

■写真は、阪神高速8号京都線からみえた風景ですが、ここにはかつて「巨椋池」が存在していました。東西4km、南北3km、周囲約16km、面積約8k㎡、平均水深は90cm、琵琶湖から宇治川を経由して流れてきた水を受け止める遊水地の役割を果たしていました。池という名前ですが、湖というほうが適当かもしれません。水深が浅いこともあってでしょうか、戦前、国営の干拓事業が行われました。元々「巨椋池」であった農地を眺めながら、私は、3月に秋田県の八郎湖を視察したさいに伺った話しを思い出しました。八郎潟の干拓事業については、漁業者からの強い反発と反対運動があったわけですが、京都府の巨椋池と岡山県の児島湾の干拓地を視察したあとに、干拓事業を容認し、補償金の金額の交渉に転じた…という話しです。八郎潟の漁業者の皆さんは、巨椋池児島湾で何をご覧になった(見せられた)のでしょうか。

黒田一樹さんの講演会

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■21日(土)の夕方、大阪の中之島に向かいました。大阪市の中之島にある「大阪中央公会堂」の会議室で、黒田一樹さんの講演「すごいぞ! 私鉄王国<外伝>その1:京都編」を聞かせていただくためです。黒田さんの講演については、すでに4月22日のエントリー「すごいぞ! 私鉄王国・関西」でお知らせしていましたが、その際に、書いていないことがありました。それは、1月の段階で、黒田さんは「末期大腸ガンで余命1ヶ月」と医師から宣告されていたということです。この春に出版された『すごいぞ! 私鉄王国・関西』の出版に向けて最後の編集段階に入っていたおられた時でした。黒田さんは、そこから懸命に治療に励まれました。多くの癌患者の方たちは、自分の病気のことについて積極的に語りはしませんが、黒田さんは、ご自身の病状と治療の経過について、詳細に、しかも挑戦的な文体で「facebook」に、誰もが読めるような形で書き続けてこられました。これは、すごいことだと思います。黒田さんらしい!! これは彼の美意識です。実際、『すごいぞ! 私鉄王国・関西』の後書である「おわりに」に、次のように書かれています。

本書が佳境に入った今年の1月、わたしは末期の大腸ガンと診断されました。ガンは各所に転移していましたが、中でも肝臓へのダメージは深刻で、余命1ヶ月を宣告されました。満足な校正ができず、日の目を見ぬままに本書の原稿が葬り去られるのではないかとの危機感を抱いた140 Bの皆様は、全力で出版にこぎつけてくださいました。

その後の緊急入院でわたしはなんとか一命を取り留めましたが、未だ手術ができるほどの恢復はしておらず、現在は抗がん剤治療を続けています。肝臓がヤられているので感染症が怖くて、あれほど好きだった電車にも乗れず、もっぱらタクシーで移動する日々です。否、身体だけでなはく、精神的にも電車に乗る自信を失った自分に気づき、愕然としています

しかし、わたしには夢があります。再び立ち上がり、残り約60都市に迫った地下鉄世界征服を完了させること。まさに「乗らずに死ねるか!」です。

もう一つ。本書の舞台である私鉄王国・関西のどこかで再び講壇に立ち、あなたを含む満場のお客様をお迎えして、ご一緒に電車の愉しみを味わうこと。その時、わたしは「皆様、還ってまいりました!」とご挨拶を申し上げます。

そう、わたしはまた還ってまいります。愛してやまない私鉄王国へと。必ず。     2016年2月23日 東京の自宅にて 黒田一樹

■黒田さんは、この「おわりに」に書かれた通りに、21日(土)の夕方、大阪の中之島にある「大阪中央公会堂」に還ってこられました。会場は、黒田さんのファン、鉄道ファンの皆さんで満席の状態でした。全員で黒田さんの帰還をお祝いする拍手で迎えました。「おわりに」に書かれたとおり、「皆様、還ってまいりました!」と満面の笑顔とともに大きな声で挨拶されました。素晴らしい。感動しました。感無量です。

■末期癌の苦しみと闘い、絶望の境地から「生還」された黒田一樹さんの講演を拝聴しました。聴衆を惹きつけるサービス精神にあふれた黒田さんのトークを堪能しました。私自身は「鉄道マニア」と自称するだけの知識も経験はありません。ですから、会場に詰めかけた黒田さんのファン、本物の鉄道マニアの皆さんのように細かな鉄道の話題に反応することはできませんでした。しかし、黒田さんという「人」を心の底から楽しむことができました。講演会の後は、別会場で開催された懇親会で、黒田さんと少しお話しすることもできました。昨日は、2冊の本を持参していました。ご著書『すごいぞ! 私鉄王国・関西』と、監修された漫画『銀彩の川』の2冊です。ミーハーですが黒田さんにサインをしていただきました。

■『すごいぞ! 私鉄王国・関西』の方には、私が阪急電車ファンということで、以下のようにサインをしていただきました。「創業者の顔が見える 究極の阪急電車 7000系で神戸線を」。鉄道に関心がない方には、何のことやらわからないと思います。ぜひ、『すごいぞ! 私鉄王国・関西』の「P.48〜52」をお読みください。52ページの最後には、こう書いておられます。「『最善の接客設備を提供する』哲学こそが、本質を同じくする者から生まれる無数の『差異と反復』(ジル・ドゥルーズ)を生むのだろう」。「阪急電車の持つ阪急電車らしさ」は、他社の模倣ではなく、阪急電車という自己の内部から生み出されているのです。

【追記1】■大変悲しいお知らせです。2017年1月3日0時34分、黒田一樹さんがご逝去されました。その悲しいお知らせが、facebookを通してご家族からありました。少し詳し目に黒田さんとの出会いやお付き合いのことについてエントリーしました。
黒田一樹さんのこと
(2017年1月4日)。
【追記2】■黒田さんにサインをいただきました。いま写真を見直して見ると、私の苗字の「わき」の方ですが、「月」に「刀」が3つの旧字体で書いてくださっていました。私の名字の「わき」の漢字は、当用漢字な「月」に「力」3つではなくて、旧字体の「刀」3 つなんです。きちんと配慮してくださっていたんですね。黒田さん、ありがとうございます。
(2017年1月4日)

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