ミント

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20160404garden1.jpg■大津市に転居し、庭のある暮らしの楽しみを知りました。日々、成長し変化する庭の草花を楽しんでいます。もっとも、このように楽しめるのは、この拙宅に以前にお暮らしだったご家族が、丹精込めて庭の手入れをされていたからです。しかも、いかにも花壇というようなデザインではなく、野の花が自然に咲き誇っているかのような…そんな雰囲気の庭になっています。我が家も何か植えてみようと思い、家族と相談をしてハーブの「ミント」をプランターに植えてみました。ハーブティー用のミント(左)と、カクテルやスイーツのためのミント(右)です。

■夏になったら、このミントで「モヒート」を作ってみるつもりです。「モヒート」とは、ラム酒をベースにしたカクテルです。ミントの葉、ライム、砂糖を少しだけ擦り潰し、そこにラム酒とソーダ水を加えます。夏の飲み物です。今のところ、ミントだけですが、この他にも色々ハーブを植えてみたいなと思っています。例えば、香菜=シャンツァイ(英語ではコリアンダー、タイ語ではパクチー)。中華料理には欠かせません。それから、パセリや大葉などもと思っています。もっとも、気をつけないと、庭にどんどん広がってしまうので、プランターで植えようと思っています。

盛岡バスセンターが閉鎖

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転居

20160308tenkyo.jpg ■皆さん、お久しぶりです。3月2日から更新がストップしていました。なぜかといいますと、まずひとつめの理由ですが、長年住み慣れた奈良市から大津市に転居したからです。引越し作業や荷解き作業に体力を消耗してしまい、とても更新できる状況ではありませんでした。転居は3月3日(木)でした。週末の土日に行えばよいわけですが、週末は、すでに様々な学外の仕事や出張、そして老母の世話等が入っており、3月3日以外だと今年度中に転居ができそうになかったのです。とはいえ、どうしても欠席することができない会議があり、3月3日も夕方前から深草キャンパスに行かねばなりませんでした。更新がストップしたもうひとつの理由は、3月6日(日)から2泊3日で中国湖北省の武漢市にある華中師範大学に出張していたからです。慌ただしい出張でしたが、予定の仕事を終えて、昨日の8日、無事に帰国しました。ということで、やっと一息つきました。

■写真ですが、奈良で暮らしていたマンションから引越し業者さんが荷物を搬出しているところです。28歳の時から、奈良で暮らしています。それ以来、岩手県の盛岡市にいた6年間の単身赴任の期間はありましたが、ずっと奈良に暮らしてきました。このマンションにも20年ほど暮らしてきました。しかし、あまり奈良に暮らすことを大切にはしてきませんでした。仕事の関係から、意識は、滋賀県や大津市に向かっていたように思います(加えて、盛岡市に暮らしている時は、盛岡の街に夢中になりました…)。ですから、奈良に暮らしていることを実感するのは、大晦日の深夜に初詣に出かける時ぐらいでしたでしょうか。にもかかわらず、いざ転居することになると、意外なことに少し寂しい気持ちになりました。まあ、そういうものなのでしょうかね。もっとも、そのようなな感傷に時間的な余裕もあまりなく、大津市の転居先で引っ越しの荷物を受け入れるために、車を運転して向かわなければなりませんでした。

■というわけで、大津市民になりました。お世話になっている大津市民の皆様、どうぞよろしくお願いいたします。

大津へ

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■結婚して以来、30年近く奈良で暮らしてきました。40歳から45歳までは、岩手県の盛岡市に単身赴任していましたが、それ以外は、基本的に奈良で暮らしてきました。にもかかわらず、です。これまでのエントリーにも書いてきましたが、大津市に転居することになりました。

■今日は、転居のための準備で、大津に家族と出かけました。大津も含めて滋賀県は、琵琶湖流域を研究フィールドにする私にとって「仕事の場所」でした。しかし、もうじき「生活の場所」にもなるのです。ひょっとすると、この年齢ですから、「骨をうずめる場所」になるのかもしれません。これまでも、「なんで大津に住めへんの」とよく言われてきましたが、やっと大津に住まうことになります。ただ、転居するということになると、これまであまり気にせず暮らしてきたにもかかわらず、奈良の街を去るにあたって一抹の寂しさを感じてしまいます。私の場合、子どもの頃から西日本を中心にあちこちに暮らしてきたこともあって、「大切な思い出深い場所」が多数あります。これはこれで、幸せなことなのかもしれません。

■写真ですが、大津市の「なぎさ公園」にある「なぎさのテラス」で休憩した際に撮ったものです。晴れていましたが、残念ながら比良山系は霞んでよく見えませんでした。

反省

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■職場での定期健康診断の結果、いろいろ数値が良くないことが判明しました。大学の保健管理センターからの勧めで、さらに検査をしてみました。問題は自分でもわかっていました。何かといえば、酒の量が多すぎるのです。もともと酒好きの上に、仕事のストレスの解消を酒に求めてしまうことが原因なのです。検査のさいに、栄養士さんから「節酒するように」とのアドバイスをいただきました。そんなに太っているわけではないのですが、「少しでも体重を減らすように」とも言われました。「1日30分以上の有酸素運動をしなさい」とのアドバイスもいただきました。これは、ランニングで解決です。私は、現在、親の介護をしています。介護をしながら、生活習慣病が老後に何をもたらすのか、いろいろ勉強させてもらっているわけでもありますし、「これはいかん」と、まずはアドバイス通り節酒に努めることにしました。

■外での酒の付き合いが普通の人よりも多いので、自宅では基本的に「休肝日」にするか、飲んでも弱いアルコール度数のビール風味のリキュールにすることにしました。もちろん、1缶です。「休肝日」にはどうするのか。炭酸水を飲むか、あるいはノンアルコールびーるを飲むことにしました。炭酸水の「シュワッ…」とした刺激でも、結構、満足できることがわかかりました。ノンアルコールビールも、最近は、良いものが出ていますね。私のお気に入りは、アサヒビールの「ドライゼロ」です。アルコールがゼロ、カロリーもゼロです。しかし、これまた気分的に満足できるのです。アルコールはゼロなのに、フワッとした気持ちになるのです。こんなことを言っているところが飲酒に依存しているわけですが…。しかし、酒を飲まないと深い睡眠と気持ちの良いめざめが得られます。そこで朝起きた時に、「酒を飲まないことは、なんて素敵なことなんだ!!」と強く思い込むようにしています。まあ、これまた、こんなことを言っているうちはダメなんですが…。もともと油っぽいものは好きではありませんでした。しかし、ラーメンは別でした。意識してラーメンも食べないようにしています。ファンである大阪のインデアンカレーについても、少し考えないといけないかもしれません。節酒ならぬ、節インデアンカレーですね。

■写真は、昨日の昼食です。深草キャンパスの学生食堂でいただきました。ご飯はSサイズ。豚汁。切干し大根を炊いたもの。ほうれん草のお浸し。若鶏の醤油揚げ+千切りキャベツ。これにほうじ茶を1杯。お腹は満足しました。これで647kcalなのです。野菜量は180g。学生食堂のレシートには、こういったでーたが印字されてきます。1日に必要な野菜の量は350g。ということは、あと今日の昼食と同じ程度の量の野菜を食べれば大丈夫なんでしょう。いろいろ気をつけないといけない年齢になってきました。

ひさしぶりの神戸

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■神戸の「しあわせ村」にある「神戸シルバーカレッジ」で講義をしてきました。「しあわせ村」とは神戸市北区にあります。「温泉、宿泊施設、キャンプ場、スポーツ施設、ゴルフ場などがそろい、豊かな自然の中でバーベキュー、ピクニック、ウォーキング、バードウォッチングなどが楽しめる総合福祉ゾーン」です。「神戸シルバーカレッジ」は、この「しあわせ村」の中にあります。「高齢者の豊かな経験を活かして自らの可能性を拓き、その成果を社会に還元することをめざして学びあう、生涯学習の場」として設置されています。私は、この「シルバーカレッジ」で、2年前から「生涯学習から地域づくりへ」というテーマでお話しをさせていただいています。今回で3回目になります。過去の講義の様子は、こちらのエントリーをご覧いただければと思います。

■「神戸シルバーカレッジ」には、まず奈良の自宅から近鉄に乗ります。近鉄は阪神と連絡していることもあり、現在では、自宅最寄り駅から1時間15分ほどで阪神の神戸三宮駅に到着します。おそらく、近鉄、大阪市営地下鉄、阪神を乗り継いでいた頃に比べると30分は移動時間が短くなっているように思います。便利になりました。しかも、三宮からはバイパス道路を通って、「神戸シルバーかレッジ」にはスムーズに行くことがきます。写真は、阪神の神戸三宮駅です。ホームがなかなかシックな感じです。戦前からの歴史を持っているのですが、そのレトロな雰囲気を残す形で改修されています。ホームにある路線図を見ると、阪神に加えて、近鉄奈良線や山陽電車本線・網干線の駅の名前を確認できます。一番東は、近鉄の奈良駅。一番西は、山陽網干駅です。私は、少しだけ鉄道ファンなところもあり、こういう路線図を見ると嬉しくなってきます。試したことはありませんが、この山陽網干駅から阪神、近鉄を経由すると名古屋まで行けます。さらに、若干の徒歩も入れて名鉄(名古屋鉄道)に乗り換えると、豊橋あたりまで行けるわけですね…。だから、それがどうしたと言われそうですが、個人的には、「いいな〜」としみじみと思うわけです。わかりませんね、この感覚…。

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■「神戸シルバーカレッジ」での講義を終えた後、昨年、一昨年は、「我が故郷」である神戸の街をぶらぶら散歩をして楽しんだのですが、今回は、深草キャンパスで研究部の会議があったため、急いで京都に戻らねばなりませんでした。講義が終わった後、すぐにタクシーで新幹線の新神戸駅まで行き、そこから京都駅まで「のぞみ」で移動しました。仕方がないのですが、せっかく神戸に行ったのに…と、残念な気持ちでいっぱいになりました。この写真は、新神戸駅のホームにあったものです。「焼きビーフン」で有名な「ケンミン食品」のポスターです。なかなか面白いですね〜。しかし、なぜ「ケンミンの焼きビーフン」なんだろう…。調べてみると「ケンミン食品」の本社は神戸にあったんですね。なるほど…です。神戸出身なのに知りませんでした。さらに調べてみると、YouTubeでは、このポスターに関連する動画もありました。

【関連エントリー】
神戸シルバーカレッジ
神戸電鉄
神戸須磨ニュータウン

【ケンミン食品の動画】

「アカエリトリバネアゲハ」の標本

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■元旦は、母を、母の自宅に日帰りで連れて帰りました。その際、たまたま蝶の標本を見つけました。記憶がよみがえってきました。小6だった1970年に大阪万国博覧会が開催されました。我が家も夏休みの旅行で、この大阪万博に遊びに行きました。蝶の標本は、その時にお土産として買ったものです。記憶が定かではないのですが、「マレーシア館」で買ったものだと思います。おそらくは、小学生がお年玉やお小遣いを貯めた程度のお金でも買えたのでしょう。

■1970年の大阪万博では、「アメリカ館」や「ソビエト館」の人気が高かったように記憶しています。当時は、まだ冷戦構造(アメリカ合衆国を中心とした資本主義・自由主義陣営と、ソビエト社会主義共和国連邦を中心とした共産主義・社会主義陣営の間の対立構造)が存在していました。世界を二分する両大国のパピリオン(万博の展示用に一時的に建てられた建物)は大変人気があり、入館するまでに何時間もかかる状態が続いていました。たとえば「アメリカ館」の場合は、目玉の展示が「月の石」でした。1969年7月、アポロ11号が人類最初の月面着陸を成功させ、11月にはアポロ12号が引き続き月面着陸を果たしました。そのようなアポロ計画が地球に持ち帰ってきた「月の石」を一目見ようと、多くの人びとは、長蛇の列に我慢して並んだのです。

■ところが、私の両親は、このような長蛇の列に並ぶことを嫌いました。アメリカやソビエトのような、人気があり何時間も並ばなければならない超大国のパビリオンには行かずに、並ばなくても入館できる小国のパビリオンばかりに行きました。もちろん小6の私は内心不満でしたが、まだ小さな妹がいたこともあり、両親は、炎天下、長蛇の列に並ぶことを嫌ったのでしょう。もっとも、そのようなこともあって、蝶の標本を手に入れることができたのかもしれません。蝶の標本に関係のない話しを長々と書いてしまいました。現在とは違って、世界はますます発展していく、暮らしも良くなっていくということを自明として生きることができた時代でした。大阪万博のテーマは、「人類の進歩と調和」(Progress and Harmony for Mankind)でした。

■さて、蝶の標本の話しに戻ります。私自身、蝶も含めて昆虫一般に詳しいわけではありません(ただし、小6の頃は、まだ昆虫に関心を持っていたと思います…)。調べてみたところ「アカエリトリバネアゲハ」という和名でした。標本箱の中には、「Rajah Brooke」とラベルが貼ってあります。マレーシアのサラワク島の初代首長ラジャ・ブルックにちなんで名付けられた英名です。ラジャ・ブルックは、イギリス人です。ブルネイのスルタンから正式にラジャ(藩王)に任じられ「白人王 」として知られているようです(こういう本も出版されています。『ボルネオの白きラジャ ジェームズ・ブルックの生涯』)。その背景の事情はともかく、この美しさからだと思いますが、マレーシアの国蝶になっています(ちなみに日本の国蝶は「オオムラサキ」です)。写真少し色を補正してあります。買った時のイメージに近づけました。しかし、本当はもっと色がくすんでいます。額自体も、かなり古ぼけています。45年前のものですから、仕方がありませんね。

■この「アカエリトリバネアゲハ」を含めたトリバネアゲハは、「ワシントン条約」(絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約)「附属書II」に記載されている危急種・希少種に認定されおり、標本等の商取引きは規制されているようです。規制のもとで、標本等の商取引きも行われているようです。ちなみに、ワシントン条約が採択されたのは1973年です。大阪万国博覧会が開催された2年後のことでした。

■蝶の標本ですが、母の家のリビングに書架の上で、埃まみれになっていました。どうも、亡くなった父や、現在介護をしている母からは「邪魔者扱い」されていたようですね。昆虫に関心のない人からすれば、単なる「死んだ虫」ですから…。ちょっと心が痛んだので、誇りを払ってきれいして、私の自宅に連れ戻しました。これからは、再び、本来の持ち主である私の元で大切に保管していこうと思います。

元旦の介護

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20160102fugu3.jpg■昨日は元旦でした。私の母は介護老人保健施設に入所していますが、施設に外出許可をもらって、母を、母自身の自宅まで連れて帰りました。車で10分程度の距離です。私たち夫婦に加えて、妹やうちの息子(孫)も集まりました。優しい孫も来てくれてよほど嬉しかったのか、いつもならうたた寝をするところが、ひたすらしゃべり続けていました。その母の勢いに圧倒されつつ、昼食はお雑煮とお節料理、夕食はてっちりを楽しみました。

■外出許可ということで日帰りでしたが、母も気持ちが少し落ち着いたようでした。安心しました。施設はバリアフリーですが、自宅はそうではありません。手すりが付いていますが、介助なしでは、やはり厳しいものがありました。亡くなった父も、母も、この家を建てる時に、自分たちが老いた時のことは、とても想像できなかったのでしょうね。それはともかく、とりあえず、今日は無事に一日が終わりました。少し気持ちが楽になりました。

■ところで、夕食は「正月だから」と気張って、てっちりにしました。久しぶりのおうちでの河豚でした。やはり美味しいですね〜。皮の湯引きも作りました。身はもちろん美味しいのですが、河豚のアラも非常に美味しいです。運転をしなくてはいけないので、妹と息子が日本酒(今日は高知の「土佐鶴」)を楽しんでいるのを横目で見ながら我慢しなければなりませんでしたが、それでもとても満足しました。。母は介護老人保健施設に入所していますが、施設に外出許可をもらって、母を、母自身の自宅まで連れて帰りました。車で10分程度の距離です。

■私たち夫婦に加えて、妹やうちの息子(孫)も集まりました。優しい孫も来てくれてよほど嬉しかったのか、いつもならうたた寝をするところが、ひたすらしゃべり続けていました。その母の勢いに圧倒されつつ、昼食はお雑煮とお節料理、夕食はてっちりを楽しみました。外出許可ということで日帰りでしたが、母も気持ちが少し落ち着いたようでした。安心しました。施設はバリアフリーですが、自宅はそうではありません。手すりが付いていますが、介助なしでは、やはり厳しいものがありました。亡くなった父も、母も、この家を建てる時に、自分たちが老いた時のことは、とても想像できなかったのでしょうね。それはともかく、とりあえず、今日は無事に一日が終わりました。少し気持ちが楽になりました。

■ところで、夕食は「正月だから」と気張って、てっちりにしました。久しぶりのおうちでの河豚でした。やはり美味しいですね〜。皮の湯引きも作りました。身はもちろん美味しいのですが、河豚のアラも非常に美味しいです。運転をしなくてはいけないので、妹と息子が日本酒(今日は高知の「土佐鶴」)を楽しんでいるのを横目で見ながら我慢しなければなりませんでしたが、それでもとても満足しました。良い正月だと思いました。もっとも、帰省した息子は、自分の祖母の介護を手伝いながら、「自分たちが老人になった時は、どうなっているんだろう」と少し不安そうに話しました。確かに、息子の世代のみならず、自分たちの世代の20年後もなかかな予想が困難ですから。超高齢社会を、どう最後まで、いや最期までどのように生きていくのか、不透明ですね。厳しい時代です。

川西から京都

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▪︎師走です。年末なのですが、年末という気持ちがなかなか湧いてきません。新しい年を迎える気持ちになるためには、今年1年を締めくくるような気持ちにならなければならないのですが、そういう気持ちが湧いてきません。いつもの日常がズルズルと続いていってしまうような感覚なのです。民俗学者の桜井徳太郎は「ハレ」(非日常)と「ケ」(日常)と「ケガレ」(日常生活を支えるエネルギーが枯れてしまった状態)が循環すると説明しましたが、この説明に従うのならば、循環の感覚がなくなっており、「ハレ」を通して「ケ」に必要なエネルギーが復活してくる…そういう気持ちになかなかなれないということなのかもしれません。子どもの頃はもちろん、そして大人になっても、そういう気持ちがどこかにありましたが、しだいに希薄なものになっています。

▪︎そのような話しはともかく、昨日も、老母の入所している高齢者の福祉施設にいってきました。洗濯物の交換と施設での生活に必要な日用品の支払いをすませて、母親の様子をみてくることが目的なのですが、いかんせん、この施設が遠いのです。しかも、母が不在の家の空気を入れ替え、役所に母親のマイナンバーにことを問い合わせ、母の家にある車のリコールに対応すために車を自動車整備工場に運んだりと…いろいろやることが数珠繋ぎで、結局すべてを終えた頃には、夕方近くになっていました。

▪︎写真は、車を預けた自動車整備工場の近くで撮ったものです。いつも、母の介護にいくさいに、車で通りつつ、何か巨大な構造物が建設されているなとは思っていたのですが、それが新名神高速の橋であることがわかったのは、比較的最近のことです。左から橋が伸びてきています。なにやら、巨大な恐竜が首を伸ばしているようにみえます。この新名神高速道路は、大津、宇治田原、城陽、八幡、高槻、茨木、箕面、川西、宝塚北、神戸北と続く高速道路になります。もっとも、大津から神戸北まですべてが開通するのは平成35年=2023年になります。まだ、当分先のことですね。

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▪︎昨日は、母親関連の一連の仕事を済ませてあと、京都に向かいました。知り合いの出版社の方と、ちょっと呑みましょうか…ということになっていたからです。トップの新名神高速道路の工事現場の近くある能勢電鉄・平野駅から電車に乗りました。スマートフォンのアプリで検索してみると、意外なルートを提示してくれました。川西能勢口で阪急に乗り換え、十三でまで。ここまでは普通です。十三からは、阪急京都線でまずは高槻市駅まで通勤特急で。高槻市駅からは準急で大山崎駅まで。徒歩でJR山崎駅まで歩き、あとは快速米原行きで京都駅まで…という指示が出たのです。面白かったので、指示通りに電車に乗りました。そのようなこともあり、昨晩は、初めてJR山崎駅を利用することになりました。少しレトロな印象深い駅でした。この界隈は、けっこうお洒落なお店がたくさんあり、美術館や、サントリーの山崎蒸留所もあります。あらためて、散策に来ようと思いました。

自治会の「餅つき大会」

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▪︎今日の午前中は、自治会の「餅つき大会」でした。自治会のイベントのときには自治会役員の皆さんとともに、ボランティアグループが頑張って活躍します。この日、朝から8時過ぎから準備を始め、9時頃からつきはじめました。つきたての餅は、「ぜんざい」、「きな粉餅」、「大根おろし餅」として皆さんと一緒にいただきました。つきたての餅は、どれもとても美味しかったです。丸めた餅は、袋詰めにして、各世帯に配られました。もう25年間続いているこの「餅つき大会」、もう完全にうちの自治会の年中行事となっています。

▪︎たった8臼、それも交代でついたのですが、つき手のボランティアのなかでは、最年少の私が一番「登板回数」が多くなりました。しかも、景気付けにお酒を飲みながらでしたので、少しへばって、なおかつ腕が筋肉痛になってしまいました。今日は、赤ちゃんから88歳・米寿の高齢者の方まで、多くの自治会会員の皆さんにご参加いただきました。最長老の88歳の男性は、亡くなった私の父と同い年です。第二次世界大戦の際にも徴兵された方です。その方も、重い杵を握って餅をつかれました。非常にお元気です。今日は、新しく転居されてきた若いご家族が参加されました。若いお父さんが、餅をついてくださいました。このような自治会の濃いつながりのあるマンション、とても素敵だと思っています。

【追記】
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■昨日は、昼間の餅つきに続いて、晩は自治会の忘年会でした。自宅マンションの集会室で、鮟鱇鍋、焼き肉、そして篠山の猪鍋を楽しみました。私が座ったテーブルは、猪鍋のテーブルでした。味噌味の鍋です。こんなに美味しいとは思っていませんでした。以前食べたものと比較して、ずいぶん美味しく感じました。仕入れてきたお店も、篠山ではとても有名なお店らしいです。

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