睡蓮鉢

20150523suirenbati.jpg ■今日は「亀の日」なんだそうです。朝、出勤前に教えてもらいました。ということで、亀の話題です。龍大の「鉄人」Oさんのお宅から養子に迎えたクサガメ3兄弟(オスメスはわかりませんが…)、御安心ください、きちんと育っていますよ。写真に写っている白いコンテナのなかで暮らしています。亀は水を汚してしまうので、2日に1回は水を替えをしています。もちろん、毎朝エサをやっています。小さなクサガメが、大きく口を「あーん」と開けてエサを食べる姿は、見ているだけで幸せな気持ちになります。可愛いんです。ニコニコしながら眺めています。まるで、お爺さんになったような気持ちです。

■クサガメのコンテナの手前に、睡蓮鉢を置きました。水草を安定させて、それなりの整備ができた後、ここにメダカに棲んでもらう予定です。プランターに植えたプチトマトも、もうじき収穫ができると思います。ドライトマトに挑戦です。ハーブティー用のミントも、繁ってきました。育ちの悪かったカクテル用のスペアミントも、やっとこさ育ってきました。暑い夏、ラム酒のカクテル(モヒート)が楽しみです。それからパセリ。これは、もうガンガン使っていかなくてはいけません。

■春から庭のある暮らしを得て、ささやかな幸せを見つけています。そのうちに、苔も楽しもうと思っています。

「弁当男子」その後

20150523bentou.jpg ■弁当に関する話題です。先月のことになりますが、「『弁当男子』・『アニメ』・『リーマンショック』」「最近の『弁当男子』活動」といったエントリーで、弁当作りを楽しんでいることをお伝えしました。その後、1ヶ月と少しが経過しましたが、安心してください、「弁当男子」、続いています!今日は、残り物と冷蔵庫にあるもので弁当を作りました。けっこう慣れてきました。この程度の手間だと、忙しい時、疲れている時以外は、やっていけそうです。

■実は、モチベーションを上げるために、新しい弁当箱を購入したりしました。これまでは、成人して独立した娘や息子が残していった弁当箱を使っていたのですが、おかずの汁が漏れてしまうのです。どうもいけません。ということで、最近の弁当箱を物色してみました。驚きました。いろいろ進歩していますね〜。この弁当箱は、夏の暑い時期には保冷剤で中身が腐らないようにできます。もちろん、おかずの汁は漏れません。なかなかの優れものです。

■今日は研究部の会議室で、研究部の職員の皆さんと一緒に昼食をとりました。驚きました。私の「弁当男子」に影響を受けて、初めて弁当を自分で作ってきた方がおられたのです。Nくん、頑張っています。これからは、研究部の中に「弁当男子部」が生まれそうな雰囲気になってきました。

クサガメの養子

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20160513kame3.jpg ■マラソンや駅伝でお世話になっているOさんのお宅から、このたび養子を迎えました。といってもクサガメの赤ちゃんです。Oさんは50歳を超えられましたが、現在でも、マラソン、トレイルラン、トライアスロンを楽しむ「超人」です。しかも、「超人」とは別に、どういうわけかご自宅で亀の飼育に勤しんでおられます。といいますか、飼育のレベルを超えて養殖をされているかのようです。Oさんのお宅には大きな亀の池があり、クサガメたちはお庭で産卵をすることから、今年の春、たくさんの赤ちゃん亀が誕生しました(クサガメは、夏に産卵し、秋に土の中で孵化し、そのまま土の中で越冬します。そして春になるとゾロゾロと土の中から出てくるのです)。毎年、たくさんの亀が誕生するのです。そのうちの3匹を養子に迎えたというわけです。

■クサガメは在来種です。平地の池沼や河川の開けた止水域など、水の流れのゆるやかな場所に棲んでいます。ちなみに、長生きすると寿命は30年程になるそうです(滅多にはないそうですが…)。自然界では50歳というものも確認されているようです。「亀は万年、鶴は千年」と言いますが、そこまでは生きないにしても長寿であることに間違いはありません。小さいうちは、命を失うことも多いようですが、いったん体が大きく成長すると長生きするようです。しかし、私はあと30年とても生きることができません。このクサガメ達が長生きした場合は、我儘を言いますが子どもたちに託すことにします。昨年の秋に結婚した私の長女は、小学生の頃、亀の自由研究をするほど亀好きでしたし。現在、3匹とも、ホームセンターで買ってきた白い半透明のコンテナの中で暮らしています。クサガメは人になれるらしく、良い関係を作れるように世話をします。早く、慣れてくれるといいなと思っています。

20160513kame4.jpg■クサガメの養子を迎えるにあたり、『亀のひみつ』という本を入手しました。著者は、岡山で晶文庫という古書店を経営されている田中美穂さんです。お店とご自宅で、8匹の亀と2匹の猫と暮らしておられます。本の中身は、いわゆるガイドブック的なものを超えています。ご自宅の居室を自由に往来するクサガメのサヨちゃん(雄)の、愛嬌溢れる生態?!についてのエッセイ…という感じです。例えば、サヨちゃんが猫のことが気になって、猫がやってくるのを待ち伏せしているとか…。面白いんです。しかも、亀飼育初心者にも役立つ、飼い方等の様々な情報も紹介されています。非常に勉強になりました。

■本を読み進めると、イシガメとクサガメの産卵場所についての説明がありました。イシガメは普段の生活圏から比較的近い場所に産卵し、クサガメは、かなり離れた場所に産卵します。なぜか。イシガメは河川の上流域に棲んでいるわけですが、クサガメは中流から下流域のあたりに住んでいるので、河川の増水によって卵が流されてしまう危険性があり、そのたに普段の生活圏から離れたとこに産卵するのではないか…といわているようです。増水によって卵が流されないように、離れたところに産卵するわけですね。こういった亀の進化にも関わる話題も、所々に書かれています。勉強になりました。

豆苗の再生栽培

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■体調がよくありません。先週末に発症した発熱は、なんとか下がりましたが、咳が止まりません。寝ている間も咳が出るので、困っております。ゆっくり休むことができません。その咳もいったんで始めるとなかなかおさまりません。医師の診断を受け、処方してもらった薬をきちんと飲んでいるんですけどね〜。なかなかよくなりません。いろいろお知り合いの皆さんからもご心配をいただいております。咳をおさえるための様々な方法についてご教示いただきました。ありがとうございます。咳止めの漢方薬も教えていただきました。助かります。風邪以外の病気かもしれないと、ご自身のご経験からアドバイスをくださった方もいらっしゃいます。もう少し様子をみて、次の対策を練るようにいたします。まあ、こんな感じなのですが、咳以外はなんとかなっているので、いつも通り親の介護をして、大学にも出勤はしております。学生の皆さんには申し訳ないのですが、時々咳をしながら授業もなんとかやっております。

■そのようなこととはまったく関係ないのですが・・・。最近、大津に転居して自宅に庭ができたことから、小まめに庭の手入れをしています。毎日、複数回、朝や夕方に庭を巡回して草むしりをしています。日々、成長し変化する庭の草花を楽しんでいます。植物に関心がわいてきたことから自分でもミントやシソ、そしてパセリを鉢植えしています。庭に爆発的に繁殖するのを防ぐために、鉢植えにしています。それから、知人から教わったのですが、スーパーマーケットの野菜売り場で売っている「豆苗」の再生栽培にも取り組んでいます。再生栽培というと、大げさに聞こえますが、包丁で豆苗をきったあとの残りのスポンジを再び水につけて、2回目の豆苗を収穫しようというわけです。左側は、再生を開始して1週間ぐらいでしょうか。右側は、まだ5日ぐらいかな…。こうやって半分遊んでいるのですが、なかなか楽しいものです。

湖西路をゆく

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■作家・司馬遼太郎の『街道をゆく』の第1巻第1章は、「湖西のみち」です。あの有名な紀行文集『街道をゆく』は、滋賀県、それも湖西から始まるのです。雑誌『週刊朝日』に発表されたのが1971年のであることから、おそらくこの時の旅の取材は1970年の冬に行われたのではないかと思います。1970年といえば、大阪万博の年ですね。私は、小学校6年生でした。我が家では『週刊朝日』を定期購読していたので、『街道をゆく』を子どもながらに「ながめて」はいました。仕方のないことですが、この紀行文を味わうだけの知識が当時の私にはありませんでした。私の印象に残っているのは、司馬遼太郎の文章よりも、画家・須田剋太のカットの方でした。この「湖西のみち」の旅についても、もちろん須田剋太と『週刊朝日』編集部の橋本申一さんが同行されています(本文中では、H氏)。そして、この第1章「湖西のみち」には、さらに滋賀民俗学会の菅沼晃次郎さんが、案内役として登場しています。

■菅沼さんには、私が滋賀県立琵琶湖博物館の開設準備をしている時にお会いしたことがあります。もう20年ほど前のことだと思います。司馬遼太郎の文章では、「いかにも大阪人らしい率直な物の言い方」と説明した上で、この菅沼さんの語りが出てきますが、私の記憶の中に残っている菅沼さんのイメージとピッタリと重なりあいました。「さすが、司馬遼太郎だ…」と、多くの司馬遼太郎の読者にとってはどうでも良いところで感心してしまいました。

■菅沼さんは、本業のお仕事とは別に、面白いことがしたいと速記を習っておられました。そのようなこともあって、昭和24年に大阪で開催された、柳田國男と折口信夫(日本民俗学の巨頭)の講演会で、速記録を録る仕事が回ってきたきたのでした。記録を録りながら、民俗学の面白さに目覚められたようです。その時の講演会の幹事が、私が大学院時代にお世話になった鳥越皓之先生のお父様である鳥越憲三郎先生でした。その鳥越憲三郎先生の勧めで、菅沼さんは、滋賀で民俗学の研究を始めた…ということのようです。なるほど…。非常に個人的な反応で本当に申し訳ありません。

■さて、『街道をゆく』「湖西の道」で司馬遼太郎の一行は、穴太、坂本、堅田、堅田、真野、北小松、白髭神社等を巡りながら、古代に、石積み等の技術を持って大陸から湖西に移り住んできた渡来人に、そして安曇川のあたりから朽木に向かう途中では、「安曇」という地名から日本人はどこからやってきたのかということに思いを馳せます。そして朽木街道から京都に向かうあたりでは、織田信長が越前攻略のさいに浅井長政の裏切りから朽木に逃げた…という史実について丁寧に述べた後、作家らしい想像を巡らすのです。

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■5月3日、身体はまだ本調子ではありませんでしたが、滋賀に転居してきたのだから、滋賀のことをもっと知りたいという家族と一緒に、昼から湖北を訪ねてみることにしました。私は風邪薬を飲んでいるので、運転は家族に任せました。私は「案内役」に徹しました。司馬遼太郎の一行は白髭神社から朽木の方に向かうのですが、私たちは、さらに湖北を目指しました。トップの写真は、白髭神社の鳥居です。この日は風が強いため、波もかなり高くなっていました。

■大津市から高島市に入り、まずはお気に入りの「ワニカフェ」でお茶を楽しみました。そして高島市マキノ町の「メタセコイアの並木」に行ってみることにしました。マキノピックランドからマキノ高原まで、約2.5kmにわたって500本ものメタセコイヤが植えられています。ネット上での紹介によれば、1981年に、「学童農園『マキノ土に学ぶ里』整備事業の一環として、マキノ町果樹生産組合によってマキノ栗園(現ピックランド)の防風林として、マキノ栗園内をマキノ高原まで 幹線町道沿いに400本の苗木が植えられたもの…」なのだそうです。

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20160503biwako5.jpg■このことを知って、私は、柳田國男の「美しき村」というタイトルのエッセイのことを思い出しました。今、手元に柳田國男の全集がないので引用できないのですが、防災か何かの目的のために植えた樹々が、美しい風景を作り出し、旅人に木陰を提供している…そのような内容だったと思います。このマキノのメタセコイア並木のばあいは、果樹である栗を守るための防風林だったのですね。それが今や観光名所にもなっているわけです。そういえば、私は、この並木道をコースに組み込んだハーフマラソンに出場したことがあります。大会の名前は、「びわ湖高島栗マラソン」です。なるほどと、合点がいくわけです。私の知人は、この並木道に「マキノソナタ」と名付けて楽しんでおられます。ヨン様と呼ばれる韓国の俳優、ぺ・ヨンジュンが出演するドラマ「冬のソナタ」に、この並木道によく似たシーンが登場するからなのだそうです(私は良く知らないのですが…)。並木道の後は、桜で有名な海津大崎をめぐりました。もっとも、桜のシーズンはとっくの昔に終わっているので、「なるほど、桜の頃は、これは見応えがあるよな」などと言いながら、想像するしかなかったのですが…。海津大崎の桜並木を見ながら走ると、歴史学的にも大変有名な「菅浦」集落に辿り着きます。菅浦に着いた頃には、すでに辺りは薄暗くなりかけていました。奥琵琶湖の墨絵のような幻想的な風景が広がっていました。

蕎麦と草刈り

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■昨日は、週1回の介護の日。兵庫県の施設に入所している老母の見舞いと洗濯物の交換に行く日でした。奈良から滋賀・大津に転居してから、さらに遠くなってしまいました。車だと名神高速道路・阪神高速を使って1時間40分ほどもかかります。公共交通機関だと2時間半。なかなかハードです。もっと遠距離の介護をされている方たちも多数おられる中、こんなことを言うと叱られるかもしれせんが、やはり「遠いな〜、大変だな〜…」と思ってしまうのです。気持ちが後ろ向きになってしまうので、母の施設に向かう途中、気持ち的にパワーの出る美味しいものをいただくようにしています。

■以前、奈良に暮らしていた頃は電車で通っていました。その頃は、大阪の梅田の「インデアンカレー」が私にとってのパワーフーズでした。「インデアンカレー」については、このブログで多数エントリーしてきました。あの甘さの後に辛さが襲ってくる味は、パワーが出ます。しかし、滋賀・大津に転居してからは車で行くことが多く、梅田を通らなくなりました。そんな中、昨日は、美味しい蕎麦屋に入ることができました。セルフ式のチェーン店のようなのお店です。以前は、讃岐うどんのセルフの店でしたが、いつの間にか蕎麦に変わっていました。その蕎麦の味なのですが、なかなかの美味しさなのです。昨日は、ツユにオクラと山芋とナメコが入った「ねばとろそば」にしてみました。ついでに、サラダ巻きもつけてみました。満足しました。

(本文続く)

誕生日プレゼント

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20160419wine.jpg■16日(土)は、午前中に平和堂財団 第5回「夏原グラント」助成金目録贈呈式が草津市で開催されましたが、夕方からはお世話になった方の退職記念パーティが大津駅前であり、その場には、我が家の子どもたちも出席してくれました。そのさい、15日(金)が誕生日であったことから、娘夫婦と息子から、誕生日プレゼントをもらうことができました。

■娘夫婦のプレゼントは、この黒い帯のようなものです。腹巻か腰のコルセットのようですが、そうであはありません。これは、ランニングの際に腰に巻く、ベルト型のウエストバッグなのです。「マンタレイ」という商品名です。以下は、メーカーであるノースフェイス社の説明です。

「究極のフィットを追求したベルト型ウエストバッグ。ストレッチする本体は腰にしっかりとフィットし、ベルクロで調整しながら固定することができます。腰回りにストレッチメッシュ製のポケットを装備。入れた物が滑り落ちにくいように、ポケット内部には滑り止めのテープを配置し、ボトルを入れても揺れにくい構造を突きつめました。短距離やエイドの多いレースや、ジェルだけを携行するようなロードのレースにも適しています。」

■ランニングのときには、これまではウエストポーチを使ってきました。ウエストポーチでも走ることはできるのですが、身体にしっかり装着できることがポイントです。しっかり装着・・・ということでいえば、このベルト型はよりフィット感が高いわけです。コルセットではないと書きましたが、コルセットのような機能ももっていると思います。ランニングの際に長距離を走るさい、インナーマッスルがしっかりしていなければなりません。しかし、長距離を走っているとインナーマッスルが疲れてフォームが崩れてきます。特に私のような練習をさぼってしまう初心者のばあいは…。このベルト型のウエストバッグは、正しいフォームを維持できるようにサポートしてくれそうな気がします。もちろん、ベルト型ウエストバッグですから、上記の説明にもあるように、飲料水やランニング用にジェルを入れることができるようです。

■息子も、私の58歳の誕生日をプレゼントで祝ってくれました。息子は、最近、仕事で岩手県に出張することが多く、私にとっては「懐かしい」岩手のワインを買ってきてくれました。私は、昔、岩手県盛岡市に6年間単身赴任をしていたこともあり、この「くずまきワイン」のことをよく知っています。今回のプレゼントは、「蒼(あお)」という赤ワインです。会社の説明によると、山ぶどう交配種「小公子」を原料としたドライフルーツのような香りと、山ぶどうの野性味のある味わいが調和し、「小公子」のような深い味わいが表現された辛口・本格派の赤ワイン…なのだそうです。楽しみだな〜。このワインにどのような料理を合わせたら美味しくいただけるでしょうね。友人を自宅にお招きするときなどに、いただくことにしたいと思います。

誕生日を迎えました。

20160415bento.jpg ▪︎本日、58歳になりました。Facebookでは、たくさんの皆さんから誕生日を祝うメッセージをいただきました。ありがとうございました。

▪︎さて、昨晩から熊本が地震で大変なことになっています。今朝も弁当を作りながら、関西から何ができるか、また何をすべきか、情報を取得しながらいろいろ気にしています。災害を何らかの形で専門とされる皆さんは、すでに熊本に現地入りして状況を確認されています。そのような皆さんからの情報をまずは確認しようと思います。

▪︎今朝も、弁当を作りました。自身の健康のために…です。卵焼きをつくり、冷蔵庫に残っていた豚肉のコマ切れを使って生姜焼きをつくり、オクラを茹でて、ほうれん草はお浸しにし、かまぼこの「紀文」が売っている「枝豆天」というものをフライパンで焼いて、彩りにプチトマト。プチトマトは、少女のリボンのような感じでしょうか。ご飯には、いつもの山椒昆布、南蛮の味噌漬け、びわ湖のエビの佃煮をのせました。朝、1合だけご飯を炊きましたが、その6割は弁当に、残り4割は朝食で全部食べてしまいました。朝食は、ご飯に納豆、味噌汁、バナナ・イチゴ・ヨーグルト・オリゴ糖、それからコーヒー。節酒をして(禁酒ではない…)、納豆とヨーグルトで腸内フローラ⁈を良い状態に維持できるように努力しています。もっとも、腸の状態に直結するストレスは無くなりはしませんが…。

▪︎なんとか、無事に、健康に58歳の1年を過ごせるようしたいと思います。その上で、皆様にご縁をいただき、支えていただきながら、狭い範囲でしかありませんが地域社会のお役に立てるようにさらに努力したいと思います。健康第一です。名前は、健一ですし。

月と大阪駅

20160412osaka.jpg■昨日は、午前中2講時が「社会学入門演習」でしたが、その授業を終えた後、研究部で職員の方と翌日の会議の簡単な打ち合わせをして、「介護老人保健施設」に入所している母親のところに向かいました。いつもは週末に車で行っているのですが、このまえの週末はいろいろ用事があり、行くことができませんでした。ということで、昨日は、午後から時間が取れたので電車で行くことにしたのです。昨日は、洗濯をした母親の衣服を大きなリュックに詰めて電車に乗りました。帰りは、そのかわりに洗濯物を詰めて帰宅することになります。母親の入所している「介護老人保健施設」は大阪から電車とバスや車で約1時間半ほどのところにあります。滋賀県の瀬田キャンパスからだと、片道2時間半かかってしまいます。やはり、滋賀と兵庫の往復はなかなか大変です。「遠距離介護」ではないけれど、「中距離介護」でしょうかね。

■写真は、帰宅の途中、阪急梅田駅からJR大阪駅に向かう横断歩道で撮ったものです。ちょっと幻想的な雰囲気に見えました。大阪駅のプラットホームの上の大きなな屋根のさらに上の方には、三日月が出ていました。小さくて見えにくいですけれど。

大津駅・滋賀県庁界隈の桜

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20160406sakura2.jpg ■ひとつ前のエントリーにも書きましたが、滋賀県庁から少し東に歩いたところにある合同庁舎に行きました。合同庁舎の最寄の駅は、大津駅です。この季節、大津駅は非常に素敵な雰囲気に包まれます。プラットホームの北側、琵琶湖側に植えられた桜に花が咲くからです。通勤の途中に電車で大津駅を通過しますが、電車の窓からは満開の桜が見えます。毎年、この駅の風景を楽しみにしています。

■合同庁舎から大津駅に戻る時、滋賀県庁の新館の南側を通りました。すると、そこにも満開の桜が…。

■私は、32歳の時に滋賀県職員になりました。今から、25年前のことです。現在の、滋賀県立琵琶湖博物館の開設作業にあたるために研究職として採用されました。配属されたのは、滋賀県教育委員会文化施設開設準備室。職名は、学芸技師でした。この新館の最上階のホールで行われた辞令交付式で、新採用の若い職員の皆さんと一緒に、当時の稲葉知事から辞令をいただきました。その時も、新館の南側には桜が咲いていたはずなのですが、全く記憶にありません。といいますか、今日、ここに桜が咲いていることに、初めて気がついたのではないかと思います。なんとも…情けない話しなのです。

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