アクセス数の増加

▪︎昨日から授業が始まりました。はたしてそのことと関係しているのかどうかわかりませんが、昨日からアクセス数が増加しています。ご覧のように、このブログは身辺雑記や備忘録のようなエントリーしかないのですが、昨日は159人の方のアクセスがありました。今日は、すでに114人のアクセスをいただいています。いつもよりもずっとアクセス数があると、「なんで?…」と思ってしまいます。

僕がアップルで学んだこと-環境を整えれば人が変わる組織が変わる-

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僕がアップルで学んだこと-環境を整えれば人が変わる組織が変わる-

▪︎キャンパスを歩いていたら、RECの職員の方から「この講演会を知り合いの学生に広めてほしい」とのご依頼を受けました。ゼミや授業でも伝えますが、こちらのブログでもお伝えしておきます。たしか、瀬田キャンパスからはバスが出るって聞いたような気がするのだが…自信がないのでRECのオフィスで確認をしてみてください。

2015年4月10日

講師
 元アップル米国本社シニアマネージャー 
 作家・経営者  松井 博 氏

世界的に企業のグローバル化が進む中、日本国内の企業も例外ではなくなる時代がそこまで来ています。あなたも自身も将来、他国の人と共に仕事をしたり、他国で働いたりしているかもしれません。
 今回の講演会は、米国アップル本社でシニアマネージャーを努めた松井氏が、これから就職する人や、独立・起業を目指している人たちに向けて、最悪の状態から時価総額世界一の企業へと成長を遂げたアップル躍進の秘密や、その環境で会得したさまざまな教訓を踏まえて、これからの社会を生きていくためのヒントをお伝えします。

2015年度ゼミ面談の記録

■昨年度、2014年度は、延べ135人と面談を行いました。2013年度は延べ104人と面談を行いました。2015年度も記録を残すことにします。

いつ面談したかの記録を残します

■このエントリーでは、2015年度のゼミ生との卒業論文やゼミ報告に関する簡単な面談の予約状況を記録として残していきます(「社会調査実習」の面談も必要があれば付け加えていきます)。ただし面談の詳しい内容については、ここには書きません。キーワード程度です。私のこれまでの経験では、面談の回数と卒論の進捗状況とは比例しています。きちんと準備をして面談に臨んでください。また、自分のペースメーカーとしてこの記録を時々見るようにしてください(「しばらく面談に行っていないな…、これはマズい」という感じです…)。面談の予約状況のみここに書き込んでいきます。このページは、「2015年度」4月からの面談記録です。

面談の記録:2015年4月以降の記録です

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【7月】

(12)2015/07/10/14:45:3回生・KM(まさひろ)・卒論に関する相談。終了。
(11)2015/07/10/14:15:4回生・NT(ともひろ)・卒論のテーマ、ゼミ報告の相談。終了。
(10)2015/07/10/13:45:4回生・TS(さやか)・卒論のテーマ、ゼミ報告の相談。終了。
▪︎学内の仕事が多忙であることから、なかなか記録を残すことができませんでした。仕方がないので、( 10)から再開して記録を残します。(2015/7/10)

【6月】
(5)2015/06/12/14:00:4回生・KH(ふうか)・卒論のテーマ、ゼミ報告の相談。終了。

【5月】
(4)2015/05/22/13:35:4回生・KY(ゆうすけ)・卒論のテーマ、ゼミ報告の相談。終了。

【4月】
(3)2015/04/24/14:30:4回生・KH(ふうか)・卒論のテーマ、ゼミ報告の相談。終了。
(2)2015/04/24/14:00:4回生・TS(さやか)・卒論のテーマ、ゼミ報告の相談。終了。
(1)2015/04/21/16:00:4回生・MA(あやか)・卒論のテーマ、ゼミ報告の相談。終了。

スパニッシュバー 「フィゲラス」

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▪︎夕方、家の用事で、妻と京都駅でおちあいました。用事を済ませた後、駅の建物のなかにあるパニッシュバー 「フィゲラス」(スバコ・ジェイアール京都伊勢丹)で夕食をとりました。いや、なかなか、美味しくいただきました。定番のパエジャ、マッシュルームとベーコンのアヒージョ、前菜の盛り合わせ、その他にスープなどもいただきました。このお店は、有名なお店のタルトタタンも購入できます。そういえば、このブログでもそのお店のタルトタタンについてエントリーしていました。こちらのスパニッシュバーは、タルトタタンで有名な、京都の岡崎にある「ラヴァチュール」というお店の姉妹店なのだそうです。小さな窓からは、駅の風景も眺められます。鉄道ファンにとっては、なかなかのものです。座るのは、カウンター席の一番端です。下の写真ですが、左側、近鉄京都駅のビルが、うまく説明できませんが素敵です。
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「エコな農家」か「農家のエゴ」か 有機は環境にいい? 悪い?

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▪︎Facebookのお「友達」の社会学者が、シェアされていました。対談です。対談のタイトルに惹かれて、さっそく読んでみました。おひと方は、環境社会学の丸山康司さん。お相手は、『小さくて強い農業をつくる』の著者である久松達央さんです。この対談のなかで、以下のような部分があります。

「エコな農家」か「農家のエゴ」か 有機は環境にいい? 悪い?

丸山:そう。それは対応できるし、ある程度はすでに対応されてきたんです。すぐに健康被害が出るような毒物を環境中に放出するようなことは日本ではもうできませんし、そういう工場も存在できません。どこかに悪者がいる解決可能な問題はほぼ決着して、次のステージに入っています。それはモラルに訴えて解決できる段階ではないのに、従前の発想で解決しようとする嫌いがありますね。

久松:よくわかります。全員が加担している問題がほとんどですよね。

丸山:自分自身だけではなく、子孫が被害者になる可能性も含めて、全員が薄く広く加害者であり、被害者である問題です。もちろん、たとえば企業のモラルに問題が残っているケースもありますが、それでも「誰が悪いのか」の問いはもはやあまり生産的ではありません

久松:解に近づかない。

丸山:近づかないですね。たとえばある種の人たちに、化学肥料や農薬を使う慣行農業への忌避感があることは理解できます。でも、忌避感を持たれるモノをなぜ使うのかと、問いを立てないといけない。そこがわかれば、問題は倫理から生産性のステージに移ります。使用量を減らす合理的な理由も出てくるでしょう。使うか使わないか、ではなくて、使っている量が適正なのかを見るステージですね。

 私は慣行農業に忌避感はないけど、農薬使用量には相当に疑問を持っています。使い過ぎじゃないかと思う場面もかなりある。でも仮に農薬や化学肥料が使いすぎだとして、現在は全体の1%しかいない有機農家を10倍にしようとすることと、99%の慣行農家の農薬や化学肥料の使用量を10分の1に減らすことは、環境負荷的には等価なんですよね。

▪︎ひとつ前のエントリーに、こう書きました。「現状の批判的分析を超えて(隠れた問題点や矛盾を指摘し、ぼんやりした社会の方向性を示すだけでなく)、環境問題の解決に資する実質性を伴った研究を本気になってしようと思えば、分野を超えた連携が必要になる」。この前半部分の「現状の批判的分析」とは、対談の中にある「モラルに訴えて解決できる段階ではない」「「誰が悪いのか」の問いはもはやあまり生産的ではありません」という部分と重なりあうところがあります。「モラルに訴えて解決できる」とは、環境に優しい暮らしをしましょう…といったキャンペーンや啓発・啓発が直接的にはあてはまるのかもしれませんが、社会的なマジョリティにとって、また強い言説の元では不可視化されるマイノリティのリアリティを析出し、そこを拠点にマジョリティや強い言説を相対化するための批判的議論を展開していく…、よくみられる「研究戦略」もこれにあてはまろうかと思います。

▪︎では対談でいう「次のステージ」とはどういうことでしょうか。今回の対談だけでは必ずしも明確にはなっていないように思いますが、問題の解決に向けて、多様なステークホルダーと社会の仕組みを組み替えていくために、「知恵を出し、汗をかく」ことなのかなと思います。解決に向けて生産的かつ具体的な展開が社会に生まれてくるような研究である必要があります。対談の本筋から逸れてしまいました。この対談は、まだ続くようです。続きを待つことにしましょう。

【追記】▪︎…と最後に書きましたが、続きはすでにありました。

あらゆる農業はいつか植物工場にたどり着く?

北海道のヒグマ、肉食から草食傾向へ!

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▪︎写真は、ヒグマです。「wikimedia commoms」の「ヒグマ」からお借りしました。なぜ、ヒグマなのか。少し説明がいりますね。

▪︎先日、京都大学・北海道大学・総合地球環境学研究所が「北海道のヒグマ、肉食から草食傾向へ。明治以降の開発が影響か -考古試料の安定同位体分析から-」というプレスリリースを行いました。共同研究による成果がプレスリリースされたのです。このことは、新聞記事にもなりました。お読みになった方もいらっしゃるかもしれませんね。以下が、この共同研究の概要です。

ヒグマは日和見的な雑食性の動物であり、食物資源の可給性に合わせて食性を変化させま す。私たちは、日本の北海道に生息するヒグマを対象に安定同位体分析を用いた食性解析を 行い、ヒグマの歴史的な食性の変化を調べました。その結果、かつての北海道のヒグマは、 現代に比べてシカやサケといった動物質を多く利用していたことがわかりました。また、こ の食性の大きな変化が、北海道での開発が本格化した明治時代以降に急速に生じたことを明 らかにしました。
この研究成果は、英国科学誌 Nature の姉妹誌「サイエンティフィック・リポーツ(Scientific Reports)」誌(電子版)に 2015 年 3 月 17 日付けにて掲載されました。

(以下は、『サイエンティフィック・リポーツ』誌に掲載された論文のリンクです)
Major decline in marine and terrestrial animal consumption by brown bears (Ursus arctos)

▪︎このプレスリリースのなかには、総合地球環境学研究所の陀安一郎さんの名前がありました。陀安さんは、安定同位体を用いた測定法により、生態学の研究を進めておられる方です。安定同位体とはなにか…ということになりますが、プレスリリースでは、以下のように説明されています。このブログでは表記できないのですが、実際には、C・N・Sの左にある数字の位置は、正確には左上になります。

同一の原子番号を持ち、質量数が異なる元素のなかで、安定に存在するもの。炭素では 12C と 13C、 窒素では 14N と 15N、イオウでは主に 32S と 34S を指す。これらの比(安定同位体比)は生き物によ ってわずかに変化するが、精密に測定することで生物どうしの関係を示す重要な指標とすることが できる。

▪︎簡単に説明します。北海道各地の博物館や郷土資料室や博物館に収蔵されているヒグマの骨から微量の試料を集め、そこに含まれている炭素・窒素・イオウの安定同位体比を測定すると、それぞれの時代のヒグマが何を食べていたかがわかるのです。食べているものによって、炭素・窒素・イオウ安定同位体比が異なってくるからです。比較分析の結果、明治以降、人間が北海道の大地を開拓し始めたころから、ヒグマの食性か変化してきていることがわかったのです。もともとは、サケなどの魚も食べていたのですが、だんだん草食に傾いていったわけです。以下のようにまとめてあります。

われわれは北海道のヒグマの食性が歴史的に大きく変化したことを示しましたが、それが具体的にどのような要因によるのかは、はっきりと分かっていません。一口に人為的な要因といっても様々な要素が考えられ、今後ヒグマの保全や食物網構造の修復を検討するためには、より具体的な原因を明らかにする必要があります。従って、ヒグマの食性変化を引き起こす具体的な要因の解明が第一の課題だといえます。さらに、北海道における食物資源の可給性の変化が、ヒグマ以外の動植物に及ぼした影響の調査も重要な課題です。特に、ヒグマとサケのつながりは、海から陸への物質輸送を駆動する重要な要因です。何がヒグマのサケ利用を制限したのか、またそれが生態系全体にどのような影響を及ぼしたのか、さらには、元の生態系に近づけたいのであればどのようにすれば修復できるのか、これらの課題について網羅的に研究していきたいと考えています。

▪︎近々、また総合地球環境学研究所に行くので、陀安さんに、詳しいことをお聞きしてみようと思います。陀安さんと私は、総合地球環境学研究所のプロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会─生態システムの健全性」のコアメンバーです。このプロジェクトでも、陀安さんたちの分析技術が重要な役割を果たしています。

▪︎あくまで私自身の個人的な意見ですが、現状の批判的分析を超えて(隠れた問題点や矛盾を指摘し、ぼんやりした社会の方向性を示すだけでなく)、環境問題の解決に資する実質性を伴った研究を本気になってしようと思えば、分野を超えた連携が必要になると思います。陀安さんのような自然科学の方たちはもちろんのこと、現場にお住まいの皆さんや、行政職員の皆さん…その他様々な利害関係者(ステークホルダー)の皆さんと連携していかなければ解決に結びついていきません。もちろん、批判的分析だけでも十分じゃないかという方は、そういう道に進まれればよろしいかと思います。しかし私は、そのような道には進みたくありません。すでに別の道に進んでいます。蛇足のようなことも最後に書いてしまいました。

研究部の仕事

20150408fukakusa.jpg■4月1日より、研究部長としての仕事が始まりました。研究部長に就任する以前から、研究部の仕事の引き継ぎや打ち合わせ、東京への出張等が始まっていましたが、4月になってからは深草キャンパスの研究部に詰めて仕事をすることが増えてきました。

■今日も午前中は大宮キャンバスで、これから立ち上げることになる研究センターに関する会議でした。少しずつ研究部の仕事に関する知識も増えて、いろんな事情もわかってきました。とはいえ、日々精進の毎日です。もっとも、会議だけでなく、緊急の案件については、事務部長さんや2人の課長さん、そして時には副学長も交えて相談をしなくてはいけません。そのような相談の時間は、必ずしもいつも予め決まっているわけではありません。そのため、教育・研究・学内行政の時間とエネルギーの割り振りについては、まだどうしたものかと思っています。

■メニューバーの「授業」をクリックしていただくと今年度の時間割が出てきます。ご覧いただければわかるように、会議や打ち合わせのためにかなりの時間を確保することになりました。もちろん、毎週、会議があるわけではありません。会議が入ったときのために空けてあるのです。もし、私の勤務している社会学部が深草キャンパスにあれば、仕事の隙間に学生の指導をしたり、自分の研究をしたりということができるのですが、私の研究室は瀬田キャンパスにあります。そのようなこともできません。時間を計画的に有効に使わねばなりません。なんとか、がんばらねばなりません。 仕事の拠点は、瀬田キャンパスの自分の研究室・瀬田キャンパスの研究部、深草キャンパスの研究部、そして京都の北にある総合地球環境学研究所・・・。この三カ所を移動しながら、どのように効率よく仕事をこなしていくのか、私のような「愚図でのろまな」人間にはなかなかの難題なのです。

■研究部長になったために、学生の皆さんにはご不便をおかけしているかもしれません。突然、研究室に行っても不在のことが多くなるでしょうから…。ごめんなさいね。できるかぎり努力しますので、どうかよろしくお願いいたします。面談に関しては、メールであらかじめ予約をとっていただければと思います。

瀬田キャンパス

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■珍しく花に関するエントリー。私が勤務する社会学部のある瀬田キャンパスには、あちこちにプランターが置かれていますが、そこでは写真のような美しい花々が満開となっています。でも悲しいかな花の名前がわかりません。わかるのは、デージー・・・程度です。キャンパスを取り囲む瀬田丘陵の森も、少しずつ若葉で色づいてきました。

HETANA USO(なかの綾)

20150407ayanakano.jpg ▪︎「昭和の歌謡曲」が大好きなHさんが、お隣りの研究室におられます。そのHさんに、紹介しました。「なかの綾」。昭和のムード歌謡曲を、ジャズやラテンで歌っています。なんだか気持ちが盛り上がりますね〜。素晴らしい。

1. ラヴ・イズ・オーヴァー
2. 私はピアノ
3. つぐない
4. ホテル
5. すずめの涙
6. 誰より好きなのに
7. 恋におちて -Fall in love-

▪︎アルバムには7曲入っていますが、1番から、歐陽菲菲、高田みづえ、テレサテン、島津ゆたか、桂銀淑、古内東子、小林明子。よく知らない歌手もいますが、メロディーを聴けば「ああそういえば!」と思い出すはずです。もちろん、一定の年齢の以上の方たちに限りますが。気持ちが盛り上がるといっても、もともとの歌の内容は、とってもウエットで、今の若者ならば「ええ〜っっ(- -;;」という気持ちになると思うわけですが、なかの綾が歌うと、そのような歌詞の内容とは別に気持ちが盛り上がるのです。不思議です。

孤独死現場処理業者

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▪︎Facebookで教えていただいた記事です。記事のタイトルは「世界でもっとも物悲しい仕事として海外で報じられている「日本の孤独死現場清掃処理業者」。アパートで孤独死した85歳の男性。死後1ヶ月後に発見されたといいます。記事中には「隣人は老人の不在には気がつかなかったという。家賃は銀行口座からの引き落としで、家族が訪問することもなかった。ようやく遺体が発見されたのは、下の階の住人から変な臭いがすると苦情があったからだ」とあります。朝起きて、この記事のことを知りました。世の中には、こういうお仕事をされている方達がおられること。それが仕事として成立していること。こういう方達がいて救われる方達が多数おられること。そもそも、救われるってどういうことなのか…などと、いろいろ考えました。
孤独死現場処理業者

▪︎阪神淡路大震災以降、孤独死という言葉をたびたび聞くようになりました。NHKスペシャル『無縁社会~“無縁死” 3万2千人の衝撃~』により「無縁社会」という言葉が広がるとともに、一層、この「孤独死」や「無縁死」という言葉が広まっていったように思います。あくまで個人的な印象ですが…。いろんな書籍が出ています。比較的最近のものを、amazonでざっと拾ってみました。

『孤独死のリアル』 (結城康博、講談社現代新書)
『孤独死なんてあたりまえだ』(持丸文雄、文芸社)
『孤独死の作法』 (市川愛、ベスト新書)
『孤独死の看取り』(嶋守さやか、新評論)
『孤独死―被災地で考える人間の復興』(額田勲、岩波書店)
『ひとりで死んでも孤独じゃない―「自立死」先進国アメリカ』(矢部 武、新潮新書)
『孤独死を防ぐ―支援の実際と政策の動向』(中沢卓実・結城 康博、ミネルヴァ書房 )
『孤独死のすすめ』(新谷忠彦、幻冬舎ルネッサンス新書)
『しがみつかない死に方』(香山リカ、角川oneテーマ21)
『人はひとりで死ぬ―「無縁社会」を生きるために』(島田裕巳、NHK出版新書)
『無縁社会から有縁社会へ』(島薗進 他、水曜社)

▪︎私はこれらの本を読んでいるわけではありません。本の内容の紹介やカスタマーレビューを読んで推測しただけなのですが、「孤独死」や「無縁死」をどのようにとらえるのか、その前提となっている考え方に違いがみられるように思います。極論すれば、ひとつは、「孤独死」や「無縁死」を否定的なこととして捉え、そのような「死」をいかに防いでいけばよいのかという立場。もうひとつは、「孤独死」や「無縁死」を否定的なことだという考え方に疑問を提示し、「孤独死」や「無縁死」を生み出した社会構造や親密圏の変化や、その趨勢を前提に、むしろ「孤独死」や「無縁死」をどのように社会に受け止めていくのかという立場です。お断りをしておきますが、あくまで推測です。「孤独死」や「無縁死」、非常に重要な問題だと常々思っています。「孤独死」・「無縁死」した人に関わった人たちは様々なことを思い、それを語ることができます。しかし、「孤独死」・「無縁死」をした人たち自身は語ることができません。「孤独死」・「無縁死」とは、どのような経験なのでしょうか(経験と呼ぶことに問題があるかもしれません…)。そもそも、「孤独死」や「無縁死」だけでなく、「死」という現象は誰のものなのでしょうか。はたして「死」は個人に帰属するのでしょうか。難しい問題ですが、多くの人びとと、考えていかなくてはいけない問題のように思います。

【追記】▪︎NHKスペシャル『無縁社会~“無縁死” 3万2千人の衝撃~』の取材にあたったNHK記者・池田誠一さんの講演会の内容が、以下で紹介されています。引用は、最後の部分です。

取材を続けていく中で「家族のつながりが薄れている」という事実が浮き彫りになった。今、この日本で何が起きているのか。どうなっているのか。処方せんのようなものがあるのか。取材を続けているものの、いまだに分からないままだ。

介護保険制度がスタートして10年以上が経過した。しかし身内に困った人がいても「介護保険を利用すればいいでしょう」「あなたたちにお任せします」などといって、行政にすべてを委ねる人が増えてきているのではないだろうか。

救急病院のソーシャルワーカーとして、30年ほど務めている人はこのように言っていた。「10年ほど前であれば、身内に厄介扱いされている人がいても、『しょうがないわね』と言って引き受けてくれる人がいた。しかし今ではそうした人がほとんどいなくなった」と。

NHK記者が語る、“無縁社会”の正体

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