湖西路をゆく

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■作家・司馬遼太郎の『街道をゆく』の第1巻第1章は、「湖西のみち」です。あの有名な紀行文集『街道をゆく』は、滋賀県、それも湖西から始まるのです。雑誌『週刊朝日』に発表されたのが1971年のであることから、おそらくこの時の旅の取材は1970年の冬に行われたのではないかと思います。1970年といえば、大阪万博の年ですね。私は、小学校6年生でした。我が家では『週刊朝日』を定期購読していたので、『街道をゆく』を子どもながらに「ながめて」はいました。仕方のないことですが、この紀行文を味わうだけの知識が当時の私にはありませんでした。私の印象に残っているのは、司馬遼太郎の文章よりも、画家・須田剋太のカットの方でした。この「湖西のみち」の旅についても、もちろん須田剋太と『週刊朝日』編集部の橋本申一さんが同行されています(本文中では、H氏)。そして、この第1章「湖西のみち」には、さらに滋賀民俗学会の菅沼晃次郎さんが、案内役として登場しています。

■菅沼さんには、私が滋賀県立琵琶湖博物館の開設準備をしている時にお会いしたことがあります。もう20年ほど前のことだと思います。司馬遼太郎の文章では、「いかにも大阪人らしい率直な物の言い方」と説明した上で、この菅沼さんの語りが出てきますが、私の記憶の中に残っている菅沼さんのイメージとピッタリと重なりあいました。「さすが、司馬遼太郎だ…」と、多くの司馬遼太郎の読者にとってはどうでも良いところで感心してしまいました。

■菅沼さんは、本業のお仕事とは別に、面白いことがしたいと速記を習っておられました。そのようなこともあって、昭和24年に大阪で開催された、柳田國男と折口信夫(日本民俗学の巨頭)の講演会で、速記録を録る仕事が回ってきたきたのでした。記録を録りながら、民俗学の面白さに目覚められたようです。その時の講演会の幹事が、私が大学院時代にお世話になった鳥越皓之先生のお父様である鳥越憲三郎先生でした。その鳥越憲三郎先生の勧めで、菅沼さんは、滋賀で民俗学の研究を始めた…ということのようです。なるほど…。非常に個人的な反応で本当に申し訳ありません。

■さて、『街道をゆく』「湖西の道」で司馬遼太郎の一行は、穴太、坂本、堅田、堅田、真野、北小松、白髭神社等を巡りながら、古代に、石積み等の技術を持って大陸から湖西に移り住んできた渡来人に、そして安曇川のあたりから朽木に向かう途中では、「安曇」という地名から日本人はどこからやってきたのかということに思いを馳せます。そして朽木街道から京都に向かうあたりでは、織田信長が越前攻略のさいに浅井長政の裏切りから朽木に逃げた…という史実について丁寧に述べた後、作家らしい想像を巡らすのです。

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■5月3日、身体はまだ本調子ではありませんでしたが、滋賀に転居してきたのだから、滋賀のことをもっと知りたいという家族と一緒に、昼から湖北を訪ねてみることにしました。私は風邪薬を飲んでいるので、運転は家族に任せました。私は「案内役」に徹しました。司馬遼太郎の一行は白髭神社から朽木の方に向かうのですが、私たちは、さらに湖北を目指しました。トップの写真は、白髭神社の鳥居です。この日は風が強いため、波もかなり高くなっていました。

■大津市から高島市に入り、まずはお気に入りの「ワニカフェ」でお茶を楽しみました。そして高島市マキノ町の「メタセコイアの並木」に行ってみることにしました。マキノピックランドからマキノ高原まで、約2.5kmにわたって500本ものメタセコイヤが植えられています。ネット上での紹介によれば、1981年に、「学童農園『マキノ土に学ぶ里』整備事業の一環として、マキノ町果樹生産組合によってマキノ栗園(現ピックランド)の防風林として、マキノ栗園内をマキノ高原まで 幹線町道沿いに400本の苗木が植えられたもの…」なのだそうです。

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20160503biwako5.jpg■このことを知って、私は、柳田國男の「美しき村」というタイトルのエッセイのことを思い出しました。今、手元に柳田國男の全集がないので引用できないのですが、防災か何かの目的のために植えた樹々が、美しい風景を作り出し、旅人に木陰を提供している…そのような内容だったと思います。このマキノのメタセコイア並木のばあいは、果樹である栗を守るための防風林だったのですね。それが今や観光名所にもなっているわけです。そういえば、私は、この並木道をコースに組み込んだハーフマラソンに出場したことがあります。大会の名前は、「びわ湖高島栗マラソン」です。なるほどと、合点がいくわけです。私の知人は、この並木道に「マキノソナタ」と名付けて楽しんでおられます。ヨン様と呼ばれる韓国の俳優、ぺ・ヨンジュンが出演するドラマ「冬のソナタ」に、この並木道によく似たシーンが登場するからなのだそうです(私は良く知らないのですが…)。並木道の後は、桜で有名な海津大崎をめぐりました。もっとも、桜のシーズンはとっくの昔に終わっているので、「なるほど、桜の頃は、これは見応えがあるよな」などと言いながら、想像するしかなかったのですが…。海津大崎の桜並木を見ながら走ると、歴史学的にも大変有名な「菅浦」集落に辿り着きます。菅浦に着いた頃には、すでに辺りは薄暗くなりかけていました。奥琵琶湖の墨絵のような幻想的な風景が広がっていました。

公益財団法人 平和堂財団 第5回「夏原グラント」助成金目録贈呈式

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■土曜日、公益財団法人 平和堂財団 第5回「夏原グラント」助成金目録贈呈式が、草津市のエストピアホテルで開催されました。3月に公開審査会が開催されましたが、その審査会で助成対象に決まった団体に、平和堂の現代表取締役社長であり財団の理事長である夏原平和さんから、助成金の目録が直接手渡されました。この日は、審査に当たった私たち審査員も参加させていただき、助成を受けられたことをお祝いいたしました。

■目録の贈呈の後は、以下の団体の活動事例発表が行われました。

白鳥川の景観を良くする会 白鳥川流域の生物多様性と好循環社会へのモデル取組
八幡市里山再生協議会 三川合流地点(木津川・宇治川・桂川)八幡市男山展望台周辺の環境整備事業
甲賀木の駅プロジェクト運営委員会(甲賀愛林クラブ) 甲賀木の駅プロジェクト チェーンソーと軽トラで山を元気に! 町を元気に!

大津駅・滋賀県庁界隈の桜

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20160406sakura2.jpg ■ひとつ前のエントリーにも書きましたが、滋賀県庁から少し東に歩いたところにある合同庁舎に行きました。合同庁舎の最寄の駅は、大津駅です。この季節、大津駅は非常に素敵な雰囲気に包まれます。プラットホームの北側、琵琶湖側に植えられた桜に花が咲くからです。通勤の途中に電車で大津駅を通過しますが、電車の窓からは満開の桜が見えます。毎年、この駅の風景を楽しみにしています。

■合同庁舎から大津駅に戻る時、滋賀県庁の新館の南側を通りました。すると、そこにも満開の桜が…。

■私は、32歳の時に滋賀県職員になりました。今から、25年前のことです。現在の、滋賀県立琵琶湖博物館の開設作業にあたるために研究職として採用されました。配属されたのは、滋賀県教育委員会文化施設開設準備室。職名は、学芸技師でした。この新館の最上階のホールで行われた辞令交付式で、新採用の若い職員の皆さんと一緒に、当時の稲葉知事から辞令をいただきました。その時も、新館の南側には桜が咲いていたはずなのですが、全く記憶にありません。といいますか、今日、ここに桜が咲いていることに、初めて気がついたのではないかと思います。なんとも…情けない話しなのです。

2016 桜

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■昨日は、瀬田キャンパスの入学式でした。入学式に先立って学科会議も開かれるなど、いよいよ新年度が始まりました。私の方は、新任者研修の2日目ということで、深草キャンバスに慌てて移動し、昨日に続いて深草キャンパスの皆さんに龍谷大学の研究活動についてお話しをさせていただきました。2日目ということで、昨日よりは上手くお話しできたかなと思っています。夕方からは、再び、瀬田キャンパスで大学院社会学研究科の新入生歓迎のパーティが開かれたのですが、再び、瀬田に移動することはなかなか大変なので、深草で引き続いて仕事をさせてもらいました。

■晩は、外出していた家族と京都で待ち合わせて、知り合いのお子さんへのプレゼントを買ったついでに、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」で一緒に食事をして、そのあとは、長等にある「ishigama」を久しぶりに訪問しました。ということで、大津の街中で少し夜桜を楽しみました。写真は、中心市街地にある「天孫神社」の桜です。満開に近い桜が、美しくライトアップされていました。

Ayuchovies(アユチョビ)

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■昨日訪問した「高島ワニカフェ」、美味しい料理をいただいたあと、ちらりと壁にはってある「Ayuchovies」のさりげない宣伝が目に入りました。「アユチョビ」です。「アンチョビ」は、カタクチイワシ等の魚を塩漬け発酵させ、オリーブ油に漬けたものですね。よく缶や瓶に入って売っています。調味料のように味付けと風味づけに使いますが、「高島ワニカフェ」で売っているのは、カタクチイワシではなくて「びわ湖産若鮎」を原料にしています。だから、洒落てでしょうが、「アユチョビ」なのです。私は最初、「アンチョビ」と間違っていました。

■昨晩は、この「アユチョビ」を使って料理を作ってみました。新ジャガをすりおろしたニンニクとオリーブオイルで痛め、そこに「アユチョビ」を加えて味付けしました。そこには、冷蔵庫に残っていた大葉を刻んであえてみました。とても美味しくいただけました。また、ゼミで取り組んでいる「北船路米づくり研究会」の「北船路野菜市」で購入した北船路産のホウレンソウで、お浸しをつくりました。また、先日、報告会にいった小佐治のコンニャクで、キンピラをつくりました。滋賀県産の食材ばかりで、とても豊かな夕食になりました。「地産地消」を楽しみました。

白髭神社

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■高島市に行く際に立ち寄った「白髭神社」。

平成27年度大津市都市計画マスタープラン 第2回まちづくり会議 中北部ブロック・中南部ブロック

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■今日は、大津市役所で「平成27年度大津市都市計画マスタープラン 第2回まちづくり会議 中北部ブロック・中南部ブロック」が開催されました。大津市の「都市計画審議員」や、「大津市都市計画マスタープラン案策定専門部会 部会長職務代理者」という長ったらしい名前の仕事をしている関係で、この日は、アドバイザーとして参加させていただきました。大津市役所別館1階の大会議室です。そういえば、昨日も市役所に行きました。大津市の転居先の住宅のガス栓を開けてもらう手続きをするためなんでした。仕事でも生活でも市役所にやってくるということで、なんとなくですが、いよいよ大津市民になるんだという気持ちが心の中に湧いてきます。

■さて、今日の「まちづくり会議」ですが、昨年12月に開催された「第1回まちづくり会議」に続いて2回目になります。前回の第1回の時は、私が参加したのは北部ブロックでしたが、今回は日程の都合で「中北部ブロック・中南部ブロック」になりました。どういう地域かといいますと、中心市街地に隣接する地域で、中北部ブロックは、雄琴、日吉台、坂本、下阪本、唐崎、以上5つの地域、中南部ブロックは、膳所、富士見台、青嵐、3つの地域になります。いずれも、新興住宅地を含む地域です。今日の「まちづくり会議」では、まず趣旨説明が行われた後、ワークショップに移行しました。第1回のまちづくり会議の結果を踏まえた「重点的な今後の取り組み」について「絞り込み」をしていただき、その上で「20年度の地域の将来像」を考えていただきました。また、重点的な今後の取り組みについて、市民、事業者、行政の3者の「役割」について考えていただきました。その上で、マスタープランをこれからどのような時に見る・使う・活用するのかについても意見をいただきました。

■ワークショップでは、AからEの5つ班のテーブルに分かれて取り組んでいただきましたが、市役所側が用意したワークショップの進め方とそれぞれの参加者の思いの間に少しずれがあり、簡単には絞り込みなどできないと考える班もありました。市役所の職員の皆さんが想定していた状況とは違っていたのでしょうが、地域の課題は様々な要因が連鎖して繋がっているので、そう簡単には絞り込みなどできない…というのは、まっとうお考えかと思います。市役所側が用意した絞り込みの作業は、議論がしやすいようにとの配慮からでしたが、裏目に出た感じでしょうか。まあ、まちづくりとは、このように紆余曲折するものなので、このようなことも当然起きてきます。

■とはいえ、皆さん、実に積極的に話し合っておられました。ある班では、「こういう問題は、短い時間だけでは話しが終わらない。酒でも飲みながら、朝まで語り合わないと」という意見が出ていました。素敵ですね〜。また、ワークショップが終了した後、こういうことを継続してやるべきだとの意見も出ていました。このような意欲を持たれていることも、とても素敵なことです。

■私はアドバイザーとして、最後に少しお話しをさせていただきました。前回の第1回は「栗きんとん」を例えにお話ししましたが、今回は料理店の立派なお弁当を例えにお話しをさせていただきました。漆塗りの大きく立派な弁当箱に、美しい器が置かれていて、そこに様々な食材を使った美味しい彩り豊かなお料理が盛られている。そんなお弁当箱です。都市計画マスタープランとは、このような漆塗りの弁当箱や器でしかありません。では肝心の中身であるお料理とは何かといえば、このマスタープランを元に、地域の皆さんが地域の課題を解決したり、魅力を発見して磨いていく取り組みの成果なのではないかと思うわけです。

■大津市の市域は、南北に長く伸びています。多様な魅力に富んでいます。それが、大津市の財産だと思っています。また7つに分かれた地域ブロックの中身も多様性に富んでいます。その固有の魅力を活かしながら、弁当箱や器=都市計画マスタープランを道具として活用しながら、美味しい料理である、それぞれの地域の創造的な取り組みを始めていただきたいなと思いました。実際、ある班では「まちづくり組織を立ち上げる」必要があると強く主張されていました。また、ある班では、問題を解決していくために「コミュニティビジネスが必要なのではないか」という意見も出ていました。すばらしいですね。このような思いを、まずは小さな成功事例からスタートして形にしていただき、「自分たちもやればできるな!」という自信を持っていただければと思います。

■そのような思いを、市役所も積極的に受け止め、広い意味で支援していただければと思います。支援とは、お金を付けて役所が事業を行うことだけではありません。人と人をつなぐ、情報を提供するなど、様々な支援の方法があります。これから人口減少社会の中で、財政的には益々厳しくなっていくわけですが、要求や陳情ではなく、地域住民と行政が、そして地域で経済活動をしている事業者の皆さんも含めて、一緒に悩んで、知恵を出しあって、汗をかくようなそのような取り組みを始めると素晴らしいなと思います。都市計画マスタープランを完成させることは、スタートであってゴールではありません。頑張って、楽しんで、夢を実現してまいりましょう。

大津へ

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■結婚して以来、30年近く奈良で暮らしてきました。40歳から45歳までは、岩手県の盛岡市に単身赴任していましたが、それ以外は、基本的に奈良で暮らしてきました。にもかかわらず、です。これまでのエントリーにも書いてきましたが、大津市に転居することになりました。

■今日は、転居のための準備で、大津に家族と出かけました。大津も含めて滋賀県は、琵琶湖流域を研究フィールドにする私にとって「仕事の場所」でした。しかし、もうじき「生活の場所」にもなるのです。ひょっとすると、この年齢ですから、「骨をうずめる場所」になるのかもしれません。これまでも、「なんで大津に住めへんの」とよく言われてきましたが、やっと大津に住まうことになります。ただ、転居するということになると、これまであまり気にせず暮らしてきたにもかかわらず、奈良の街を去るにあたって一抹の寂しさを感じてしまいます。私の場合、子どもの頃から西日本を中心にあちこちに暮らしてきたこともあって、「大切な思い出深い場所」が多数あります。これはこれで、幸せなことなのかもしれません。

■写真ですが、大津市の「なぎさ公園」にある「なぎさのテラス」で休憩した際に撮ったものです。晴れていましたが、残念ながら比良山系は霞んでよく見えませんでした。

「大津市都市計画マスタープランまちづくり会議 北部ブロック」ワークショップ

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▪︎今日は、大津市の堅田にある「北部地域センター」で、「大津市都市計画マスタープランまちづくり会議 北部ブロック」が開催されました。この会議では、大津市の「都市計画マスタープラン」を作っていくためのワークショップも同時に開催されました。このワークショップに参加された市民の皆さんのご意見が、マスタープランに、特に地域別構想に反映されていくことになります。大津市を7つに区分したブロックごとに、このようなワークショップが開催されています。7ブロックの区分は、超高齢社会・人口減少社会のもとでも都市サービスの確保を図るためのコンパクト+ネットワークの視点、地域コミュニテの視点、歴史・文化の視点、地形・景観の視点、他の計画との整合の視点、以上5つの視点からの総合的判断にもとづいています。私は、大津市都市計画審議会で審議員や大津市都市計画マスタープラン案策定専門部会部会長職務代理者を務めていることから、この日はアドバイザーとして参加させていただきました。

▪︎最初は、少し緊張した雰囲気でしたが、ファシリテーターの方達のお力もあり、すぐに笑い声が聞こえてくる楽しい雰囲気になっていきました。皆さん、熱心に自分の考えを述べておられました。この日参加された皆さんは、北部ブロックにお住まいの皆さんです。北部ブロックとは、堅田、仰木、仰木の里、真野、伊香立、そして葛川にいたる広いエリアです。もっとも広いエリアとはいえ、同時に、地域間には相対的に強い関係があることも事実です。特に、堅田、真野、伊香立、葛川といった地域はそうだと思います。しかし、普段、交流されているのは、おそらくはもっと小さいエリアになるのではないでしょうか。北部ブロックという地域社会について話しをされたご経験も、あまりなかったのではないかと思います。

▪︎これまで、ワークショップを経験されたことのある方は、参加者のうちの約半分ほどの方達だけでした。ワークショップを通じて、ふだん何気なく自分自身で考えていることと、似たような発想をしている人がいることに納得し、あるいは逆に、自分自身とは異なる考え方に気がついたりと、有意義な経験をされたようでした。今回のワークショップでは、この北部ブロックの「魅力」と「問題点」についてポストイットカードに書いて提示しあい、それを模造紙に貼り付けていきました。また、さらに「魅力」を伸ばしていくための、そして「問題点」を解決していくための「取り組み」についてもアイデアを出していただきました。かなり盛り上がりました。予定の時間をオーバーして、熱心に議論いただきました。今後は、このワークショップの成果を、マスタープランや地域別構想に反映していくわけですが、どのように反映させているのか、またその反映させていくプロセスをも含めて、参加者の皆さん、そしてお住まいの地域の皆さんにフィードバックしていくことが大切かと思っています。

▪︎ところで、今日の会議の会場となったのは、「北部地域センター」のホールでした。ホールにはステージがあり、緞帳がぶら下がっていました。緞帳に描かれているのは、「堅田の浮御堂」と琵琶湖のようです。

【追記】■今回の北部ブロックの「まちづくり会議」では、最後にアドバイザーとして総評をさせていただきました。そのなかで、ひとつのたとえ話をしました。先日、岐阜県の中津川市のまちづくりのお手伝いにいったさい、「栗きんとん」の詰め合わせをお土産にいただきました。中津川市は、栗きんとんの発祥の地なのです。ただし、この「栗きんとんの詰め合わせ」、市内にあるさまざまな老舗の和菓子屋さん自慢の栗きんとんを詰め合わせにしたものなのです。すべて「栗きんとん」なんですが、そうでありながらひとつひとつに個性があるのです。今回、北部の「まちづくり会議」では、これからの「まちづくり」のイメージを伝えるために、この中津川市の「栗きんとん」の詰め合わせのお話しをさせていただきました。小さなコミュニティが、それぞれ個性をもちながらも、全体としてはまとまっている、あるいは相補的な関係のなかでに全体ができあがっている、そのようなイメージです。うまく伝わったかどうかわかりませんが、参加者のおひとりからは、「わかりやすくて聞いててワクワクしてきました」という感想をいただきました。他のみなさんにも、そのように感じてもらえるとうれしいんですけど、どうでしょうね〜。

■もうひとつ、とても印象に残ったことがあります。今回の「まちづくり会議」の最年少の参加者は、20歳代前半の方でした。消防団に所属されているようです。災害対策に関連して、ご自身の意見を述べられました。災害時には安否確認が大切になりますが、普段からのつながりが大切だという意見です。これも大切な意見かと思いました。超高齢化社会では、行政サービスに期待することができません。ますます地域社会では共助の仕組みが大切になってきます。自分たちの地域の実情を基盤にした、持続可能な共助の仕組みをどうつくっていくのかが問われるのです。一人の方が、複数の共助の仕組みを支えることに参加していると、地域には重層化された共助の仕組みのネットワークが生まれることになります。重層化されたネットワークをどう構築していくのか、いろいろ地域の皆さんのご意見を伺いたいと思います。

SKY EYE ~空からのメッセージ~ 滋賀篇

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