Googleマップ・ストリートビュー

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▪︎26日(金)の晩に、フィリピン調査から帰国しました。今回の調査は、例えていえば、霧でモヤモヤしていた風景が少しスッキリ見え始めた…そんな感じでしょうか。それなりの成果があったと思っています。しかし、帰国をして現実の問題のなかに引き戻されると、そのような高揚感もどこかにいってしまいます。帰国した翌日、身体は疲れていましたが、老母の介護は待った無しです。妻と一緒に、母が入所している介護老人保健施設に向かいました。今回は運転を妻に頼みました。息子も一緒に母を見舞ってくれることになり、途中で合流しました。施設では、息子が母の話しを聞き(傾聴ボランティア?!)、私たち夫婦は、「家族交流会」に参加しました。施設を利用されている皆さんと、ざっくばらんに介護のことについてお話しをすることができました。介護の経験を、個人や家族のなかだけで抱えこむのではなく、こうやってゆるやかに共有することは大切だなと思いました。

▪︎夕方、施設を後にして帰宅する途中、息子と私たち夫婦で夕食をとることにしました。高速道路を途中で降りて、大阪市の福島区に行ってみました。息子のリクエストで「お好み焼き屋」さんを探しました。運良く、ちょっと個性的な「お好み焼き屋」さんをみつけることができました。お腹いっぱいになり、息子と別れて帰宅するためにコインパーキングに向かうと、写真のような車が停まっていました。おもわず「おお!!」と叫んでしまいました。Googleマップについている「ストリートビュー」という機能をご存じでしょう。街中を写した画像を見ることができます。この写真の車は、その画像を撮影するための車のようです。ストリートビューの画像は昼間なので、スタッフさんは、この日の仕事を終了して車をこのコインパーキングに駐車させたのでしょう。私の勝手な想像ですが、ストリートビューのスタッフさんは、仕事の疲れを癒すために、この福島界隈で飲んでおられるのだろうな…と思ったのでした。

プラハの写真

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▪︎昨晩、親しくさせていただいている方からメールが届きました。ヨーロッパを旅行されている最中とのことで、メールにはトップのような素敵な写真が添付されていました。ひと昔前だと、旅行に行った先、海外のその土地で買った「絵はがき」に短い文章を書き、その国の切手を貼って、日本の家族や友人に向けて送る…普通はそうやっていました。今回のメールは、そのような「絵はがき」と同じような気持ちで受け取りました。送ってくださった方は、私よりも年上の方なので、たぶん同じような気持ちで送ってくださったのではないかと思います。若い方達だと、そのような海外から「絵はがき」を送った経験も、海外からの「絵はがき」を受け取ったという経験もないだろうなと思います。現在であれば、スマホで撮影して、WiFi環境でネットにつながって日本の友達に簡単に送ったり、SNSにアップすることができますから。いただいた写真は、中欧にあるチェコ共和国の首都プラハです。プラハの街のなかを流れるヴルタヴァ川に架かるカレル橋です。橋の欄干には、左右に15体ずつ、彫刻が並んでいます。美しいですね〜。チェコにはまだいったことがありません。いつか、私も行ってみたいと思います。

▪︎行ったことがないのですが、ヴルタヴァ川と聞くと、いろいろ思い出すのです。ヴルタヴァ川は、ドイツ語ではモルダウ川になります。ヴルタヴァではわからなくても、ドイツ語読みの「モルダウ」といえば反応される方も多いのではないかと思います。そうです、チェコ生まれのベドルジハ・スメタナが作曲した「連作交響詩『わが祖国』」の第2曲になります。日本では、合唱曲にもなっています。とても有名です。この連作交響詩は6曲から構成されていますが、この「ヴルタヴァ」が一番有名なのではないかと思います。私自身、大学生のときに、学生オーケストラの最後の定期演奏会の曲のひとつが、このスメタナの「ヴルタヴァ」でした(当時は、モルダウといっていましたが)。思い出深い曲です。

▪︎ところで、スメタナ自身はチェコの作曲家ですが、1824年に生まれた頃、現在のチェコは「オーストリア帝国」の領土でした。また、1884年に満60歳で亡くなったときも「オーストリア=ハンガリー帝国」の領土でした。チェコは、ずっと周辺の国々に支配され続けてきました。第一次世界大戦後、一時、スロバキアと一緒に建国して「チェコスロバキア」として独立しますが、すぐにナチスにより支配され、第二次世界大戦後はソビエト連邦の政治的影響下におかれました。真の意味でチェコが独立したのは、1989年からの「ビロード革命」の後、そして1993年にチェコとスロバキアが平和的に別々の国になってからなのかもしれません。

▪︎スメタナは、音楽史のなかでは国民楽派の先駆者と言われています。それは、スメタナが、単に、チェコやボヘミアの民族音楽を取り入れて作曲したからだけでなく、チェコの国家としての独立を願いつつ、作曲活動に取り組んできたこととも関係しているように思います。このようなスメタナの思いは、「連作交響詩『わが祖国』」の第2曲「ヴルダヴァ」からはストレートに伝わってきます。この曲は、よく知られるように、上流から下流のプラハに向かうのヴルタヴァ川の風景を描写したものです。「モルダウの水源」、「森の狩猟」、「村の結婚式」、「月の光・水の精たちの踊り」、「聖ヨハネの急流」、「モルダウの大河の流れ」という6つの部分から構成されています。このなかでわかりにくいのが、「聖ヨハネの急流」です。

▪︎これは、wikipediaの記事ではありますが、参考になるかもしれません。聖ヨハネは、14世紀ボヘミアの司祭でローマ・カトリック教会の聖人です。当時の支配者であるボヘミア王(ヴァーツラフ4世)と対立し、拷問の末に亡くなり、遺体はカレル橋の上から投げ捨てられたといわれています。遺体はヴルタヴァ川で発見され、プラハの教会のなかにある墓に埋葬されました。wikipediaには、「ボヘミアの守護聖人で、チェコ・ドイツ・オーストリア・ポーランドなどに関連する教会や聖人像がある。聴罪司祭をはじめとした聖職者や水難からの庇護者として船員や橋の守護聖人としても崇敬されている」と解説してあります。そのような史実があるせいでしょうか、プラハの街からすると上流になりますが、ヴルタヴァ川が蛇行するあたりを「聖ヨハネの急流」と呼んでいたようなのです(現在はダム湖のなかに沈んでいるようなのですが…参考となるデータがあまりなく、不正確な話しではありますが…)。聖人の殉教、「わが祖国」チェコを流れる大河ヴルタヴァ川、そして隣国に支配され続けた歴史…、これらはどこかでつながってくるような気もします。

▪︎もし、プラハに行くことができるのならば、事前にいろいろ学習して知識をもっておくことが必要でしょうね。そうすることで、単に美しい街の風景を楽しむだけでなく、その美しい風景のなかにある奥行きや陰影が見えてくるはずです。自分自身のことを思うに、中欧や東欧の歴史や文化について、教養が足りないと思います(悲しいけれど…)。これは、昨年、北欧のノルウェーに行ったときにも思いました。考えてみれば、若い頃に世界史で学んだエリアには偏りがありましたね。もっとも、もちろんのことですが、美味しいことで有名なチェコのビールについては、すぐにでも深く楽しめると思います。

【追記】▪︎以下は、プラハ関係のメモ。
阿部賢一さんに聞く「生誕100年フラバルとチェコ文学の魅力」前編
阿部賢一さんに聞く「生誕100年フラバルとチェコ文学の魅力」後編

伊丹空港と「千里川の土手」

20150817itami.jpg▪︎今年の夏期休暇は、家のなかの「断捨離」を実行することが私に課せられたミッションでした。今日は、「断捨離」4日目でした。課せられたミッションですが、とりあえず、まあ、なんとか…完了いたしました。今日も清掃工場に「燃やせないゴミ&大型ゴミ」をもちこみました。なんとか、我が家の自家用車1台に積み込める量でおさまりました。家のなかが、少しすっきりしたような気持ちになります。夏期休暇中に「断捨離」した量、かなりのものだと思っています。よく溜め込んでいたなと…。とはいえ、これで終わりではありません。「断捨離」は、おそらくは秋にも実施されるかと思います。こんどは、食器や調理器具、さらには家具にも手をつけることになろうかと思います。

▪︎本日は「断捨離」4日目でしたが、午後から老母の世話にかけつけました。まあ、そんなこんなで、今年の夏期休暇は、毎年恒例の旅行には行けませんでした。残念ですが、仕方がありません。せめて旅の雰囲気だけでも味わおう(?!)…というわけではありませんが、老母の世話を終えてから、伊丹空港のそばに行ってみました。まずは、空港の西側にある「伊丹スカイパーク」という公園にいきました。滑走路と並行してつくられた公園です。旅客機の離着陸が楽しめます。しかし、私はこの「伊丹スカイパーク」だけでは満足できませんでした。写真は、噂に聞いていた「千里川の土手」です。目の前の柵を越えれば、そこは滑走路の一番端…という場所です。頭の上を、旅客機がものすごい轟音とともに着陸していきました(若干の熱も伝わってきました)。ちょっと怖かったな〜。着陸する旅客機の数も半端ではありません。「どうやって着陸を調整しているのだろう、空だと一時停止できないし…」というのが一緒にいた妻の質問でした。私にもわかりません。たぶん、管制官が調整しているのだろうな…と思っていますが。

【追記】▪︎知らなかったんですが、知り合いの方たちからfacebookで教えてもらったことがあります。ここは、若い方たちのデートスポットでもあるらしいのです。2人の方から教えていただきましたが、ほぼ同年代の方たちでした。私が通った大学は、伊丹空港の比較的近くにあるのですが、学生時代には、ここがデートスポットなんとことは、聞いたことがありませんでした。たまたま知らなかったのか、当時は、まだデートスポットとしては認知されていなかったのか…。そのあたりは、よくわからないのですが…。もはや、この歳になればどうでもよいことですが、なんだか気になるな〜。

衣服のリサイクル

20150814recycle.jpg▪︎夏期休暇中に我が家の「断捨離」に励んでいます。といっても、まだ1日目ですが…。クロゼットのなかで、着ないままぶら下がっていた、昔のスーツやスラックスなど、「断捨離」することにしました。どうするのかといえば、衣服のリサイクルショップに引き取ってもらいました。ゴミ捨て用の大きなビニール袋に7袋。そのうちの4袋が、私が着ていたものです(残りは妻のもの…)。しかし、あらためて「断捨離」を決行してみて、わかりました。本当に、記憶にないような服まで、大事にクロゼットのなかにしまっていました。衣服に限らず、いろいろ「棚卸し」をして「断捨離」をしなくてはと思いました。なんといいますか、「断捨離」には変な力があるので、そこに引き込まれないようにもしなくては…と思います。「断捨離」自体が目的になってしまっては、意味がありません。また、そもそも「断捨離」しなくても良いようなライフスタイルを維持することが本当は大切なのだと思います。難しいところです。

▪︎さて、夫婦でリサイクルショップにもちこんだ衣服は、どのような経路でリサイクルされるのか、興味がありました。お店のなかには、男性、女性、子供向きの古着が売られていました。おそらくは、持ち込まれたもののうち、再びうることのできるやつは、店頭に売られることになるのでしょう。しかし、売られているのは、男性のばあい、Tシャツ、ポロシャツ、ジーンズ…といったカジュアルなものがほとんどでした。たしかに安いわけです。普段着、家のなかでの衣服であれば、わざわざ高い新品を買わずに、このようなリサイクルショップで売られているものですませる…というのもひとつの考え方かもしれません。

▪︎ところで、私がもちこんだスーツやスラックスなどは、店頭には向かわずカゴ台車のなかに「ドン!」と置かれました。これは、これからいろんな衣装と一緒に圧縮梱包され、船で海外に送られることになります。圧縮梱包する工場が、国内に2箇所あるのだそうです。海外に送られた衣服は、着るニーズのあるものは再び売られ、ニーズのないものは工業用の雑巾(ウエス)になり、ウールなどはフエルトなどに加工されるのだそうです。こういうシステムが私の着ていたスーツやスラックス、クリーニングもしてありましたが、どうなるんでしょうね〜。こういうふうに「どうなるんでしょうね〜」と思うところが、まだ「断捨離」初心者なのかもしれません。ところで、リサイクルショップに売った衣服の代金は、結局、1,300円程になりました。もちろん、重さでの買取です。

▪︎私がもちこんだリサイクルショップとは異なる、どちらかといえば高級衣料のリサイクルショップが、やはり自宅の近くにあります。お店のショーウインドウを拝見すると、なんだかブティックのような感じです。私が住んでいるのは都市郊外の住宅地です。あまり地域住民の横の「つながり」がありません。「買ったけど気に入らない衣服」、「少し流行遅れになってしまった衣服」、「高かったので捨てるにはもったいない衣服」などが、おそらくはクロゼットにぶらさがっている御宅がたくさんあるのだと思います。しかし、「つながり」がないから、お互いに譲り合うようなこともありません。そういうこともあって、この小さなブティックのようなリサイクルショップは、けっこう流行っているのです。「市場価値」は十分にありながらも、人の横の「つながり」がないために、それぞれの住宅のクロゼットや箪笥のなかに眠っている行き場のない「資源」(衣服)を掘り起こしているかのようです。しかも、利用者からすれば、自宅の近くにあって手軽に利用できるわけです。おそらくは、市街地ではなく、こういう郊外の住宅地のなかにあるというところが、強みなのだと思います。ここには、海外に送るリサイクルショップとはまた別の仕組みができあがっています。

【追記】▪︎この小さなブティックのようなリサイクルショップについて考えているとき、頭のなかに「都市鉱山」という言葉が浮かびました。都市で廃棄されるもののなかには、パソコンや携帯電話など、市場価値の高い、レアメタルなどの有用な資源が含まれています。その資源を、鉱山にみたてて、「都市鉱山」というのです。日本では、廃棄されたもののなかに眠っている鉱物資源を回収するリサイクルの仕組みが存在しています。たとえば、2013年に施工された「小型家電リサイクル法」などがそうでしょう。

廃棄された携帯電話やパソコンの部品から希少資源を回収するなどの対策が進められており、都市鉱山という概念が再評価されている。

京阪電鉄「深草駅」

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▪︎ひとつの前のエントリーの最後の方に、研究部には「いろんな無理難題が毎週のように『流れ着いて』きます」と書きました。本当に、そんなふうに表現したくなるようなことがあります。そのような予想もしないような案件については、本当に時間がかかります。しかも、私個人の仕事は、研究部の仕事だけではありません。昨日は、事務部長や課長が帰宅されたあとも、研究部長室に残り、本来の教員としての仕事をやっていました。自分の研究室が深草キャンパスにあれば問題ないのですが、私の研究室は、「京都市伏見区」の深草キャンパスではなく、「大津市瀬田」の瀬田キャンパスです。簡単に移動することができません。時間のロスが、ものすごく大きいのです。そのあたりの苦労を、わかってくれる人はわかってくれるけれど、わかってくれない人はまったくわかってくれないんですね〜。まあ、仕方がないことではありますが。

▪︎というわけでは、昨日も帰宅しようと思うと、時間が20時頃になっていました。写真は、20時頃の京阪深草駅です。昨日は「ブルームーン」という月が美しく見える日だったようですね。そんなことは、な〜んにも知らずに写真を撮りました。しかも、写った月はプルーには見えないな…。どうしてだろう。それはともかく、です。深草駅は、現在、バリアフリーの工事が行われています。卒業のみなさん、深草駅を見ておくのは今のうちですよ。

美しい夕焼け

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▪︎昨日は、老母宅に世話にでかける日でした。いつものように、大阪梅田の三番街にある「インデアンカレー三番街店」にいき、これまたいつものように「ルーダブル&卵」をいただいた上で、さらにいつものように老母の世話をして帰宅しました。それだけの一日でした。土曜日からは、西宮で一人で暮らしている長女も帰省していたのですが、土曜日は、総合地球環境学研究所の研究会議があり、日曜日は老母の世話がありと、あまりいろいろ話しをすることもできませんでした。まあ、仕方がありませんね。

▪︎そんな日常生活とはほとんど関係ないのですが、写真は、老母宅での世話を終え自宅最寄駅に帰ってきたときに撮ったものです。非常に美しい夕焼けでした。

瀬田キャンパスのマグリット

20150715seta.png ■なんだか、毎日、業務日誌のようなことばかり書いています。昨日は、午前中が深草キャンパスでした。深草での用事を済ませて瀬田キャンパスに移動。大学評価支援室の職員の皆さんと、研究部の自己点検評価にかかわる意見交換を行いました。テレビ会議です。そのあとは、社会学部の教授会と研究科委員会。すべて終了すると、こんな写真のような時間帯になっていました。晩の19時過ぎだったかと思います。写真は、瀬田キャンパスの図書館の建物を写したものです。この写真をfacebookにアップしたところ、画家である知人のTさんから、次のようなコメントをいただきました。「マグリットの絵みたい♪北欧の空♪みたい♪近くは、真っ暗なのにうっすら青色の空~♪きれいですね~♪」。

■ルネ・マグリット( 1898年~1967年)は、ベルギーの生まれた画家です。空中に浮かぶ岩、鳥の形に切り抜かれた空…といったシュールレアリスムの作品が有名なので、ご存じの方もおられるかと思います。ところで、このマグリットの作品のなかには、「光の帝国」というシリーズの作品があります。絵の下半分は夜なのに、どういうわけか上半分が昼の青空…という不思議な作品です。Tさんは、昨日撮ったこの写真が、そのマグリットの「光の帝国」という作品群の雰囲気に似ているというのです。そういわれてみると、なるほどそうだよな~という気持ちになりました。夜と昼間の境目の風景は、人びとの想像力を刺激します。

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20150715nara2.jpg▪︎猛烈に暑くなってきました。これからが夏本番だというのに、すでに暑さに辟易してきています。梅雨って明けたんでしたっけ?まだですよね〜。年をとればとるほど、夏の暑さが嫌になってきました。若い頃は、平気だったんですけどね〜。昨日は、特に暑かったように思います。真っ青な空、強い日差し。写真からも、それが伝わってくれば…。

▪︎台風も迫ってきているようですね。台風11号です。明日、木曜日の晩には、西日本太平洋側に接近し、明後日、金曜日にかけて上陸するおそれがある…とのことです。台風の進路の予想をみると、四国と中国地方を縦断しそうです。そして近畿圏も強い暴風雨の影響を受けそうです。こまりましたね。週末は、京都の総合地球環境学研究所で大切な研究会議があるのですが…。大丈夫かな。今日も昼間はもちそうですが、晩からは雨が降り始めます。予報をみると、ずっと天候が悪そうですね。明日からは、「雷を伴って1時間に50ミリ以上の非常に激しい雨の降る所もある見込み」との予報も出ています。困りましたね〜。

夕暮れの深草キャンパス

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▪︎午前中は瀬田キャンパスで授業、午後は深草キャンパスに移動して、研究部の会議でした。月曜午後の会議は長く、5時間以上かかることが珍しくありません。それだけ、協議しなくてはけいないことが多いというわけです。このパターンは、基本的に毎週ということになっています。トップは、昨日の会議で疲れたあと、深草キャンパスで撮った写真です。19時頃、会議を終えて新しくできてた校舎「和顔館」に上り撮ったものです。

素敵な理髪店

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▪︎急に「飛蚊症」のような症状が現れました。糸くずのようなものが、目のなかに見えるのです。まわりの人たちから、一度、眼科で検診を受けたほうがよいと強く勧められたこともあり、月曜日、研究部の会議を早めに退席させていただき、大津市内の眼科にいってきました。結果ですが、生理的なもの、つまり加齢にともなう自然な現象で、病気が原因ではないので安心しなさいという診断でした。で、この糸くずのようなものはどうなるのか、消えないのだそうで。まあ、慣れるしかないとのこと…。ちょっとため息が出ますね。まわりの方たちにうかがうと、結構な人数の方たちが「飛蚊症」だということがわかりました。どの方も、最初は気になるけれど、次第に慣れてきて気にならなくなる…とのことでした。まあ、そういうものなんですかね…。ああ、しかし歳を取るとは困ったもので。

▪︎眼科からの帰り、お気に入りの建物にむかってみることにしました。理髪店です。木製の店名が少し剥がれていますが、「松本理髪館」と読めます。通常は左横書きでのところですが、こちらは旧時代の書き方で右横書きです。窓の大きさ。入り口の扉。壁の色。そして理髪店特有の可愛らしいサインポール。私の基準からすると、完璧です。とっても素晴らしい建物です。オシャレです。建物の前には、様々な鉢植えが並んでいます。その鉢植えが、また建物の魅力を引き出してくれているように思います。私は、この建物がとっても気に入っているのです。眺めていると、心が落ち着いてきます。もっとも、もうすでに廃業されています。最後の店主さんも、すでに亡くなられたと知人から聞かせてもらいました。子どもの頃から、この「松本理髪館」に通っておられたそうです。ちなみに、子どもの頃に髪を刈ってくださったのは、亡くなった店主さんのお父様とのことでした。こういう理髪店、街のなかからどんどん消えていっていますね。

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