2016 桜

20160403sakura1.jpg
20160403sakura2.jpg
■昨日は、瀬田キャンパスの入学式でした。入学式に先立って学科会議も開かれるなど、いよいよ新年度が始まりました。私の方は、新任者研修の2日目ということで、深草キャンバスに慌てて移動し、昨日に続いて深草キャンパスの皆さんに龍谷大学の研究活動についてお話しをさせていただきました。2日目ということで、昨日よりは上手くお話しできたかなと思っています。夕方からは、再び、瀬田キャンパスで大学院社会学研究科の新入生歓迎のパーティが開かれたのですが、再び、瀬田に移動することはなかなか大変なので、深草で引き続いて仕事をさせてもらいました。

■晩は、外出していた家族と京都で待ち合わせて、知り合いのお子さんへのプレゼントを買ったついでに、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」で一緒に食事をして、そのあとは、長等にある「ishigama」を久しぶりに訪問しました。ということで、大津の街中で少し夜桜を楽しみました。写真は、中心市街地にある「天孫神社」の桜です。満開に近い桜が、美しくライトアップされていました。

白髭神社

20160331shirahige1.jpg
20160331shirahige2.jpg
■高島市に行く際に立ち寄った「白髭神社」。

夜の深草駅

20160216fukakusa.jpg
20160216fukakusa2.jpg

若き友人のこと

■私よりもひとまわり以上お若い男性です。大津のジャズバーでお出会いしました。一度しかお会いしたことがありません。しかし、その後は、mixi、そしてfacebook等を通して交流してきました。Kさんです。Kさんは私とは正反対。非常に論理的・知的です。美意識に溢れています。努力家です。目標を定めてそれをコツコツ実現していかれます。加えてサービス精神にあふれています。彼の優れたところを数えればきりがありません。逆に共通するところもあります。鉄道です。猛烈な鉄道マニアの方たちと比べれば、私などただの鉄道好きでしかありません。しかしKさんは「鉄道はセンス」だと常々おっしゃっていました。細かな知識を競ったり、写真にこだわったりすることを、Kさんは好みません。視点や楽しさが大切なのだと、私などのような者のfacebookへの投稿等にも、丁寧に優しいコメントをくださいました。もっともKさんご自身、鉄道に関しては実にたくさんの知識と深い見識をお持ちでした。

■そのKさんが、昨日、facebook上で自分の身体が癌になっていることを「公開」で多くの方たちに公表されました(facebookに登録している人は、すべての方がご覧になることができるわけです)。普通、このようなご自身の病気については、隠す人やあえて公表しない方が多いかと思いますが、Kさんは、用意周到に準備をされ、そして公表されました。facebookには、そのような準備のひとつひとつがすでに投稿されていました。ただし、私にはそれがどういう意味を持っているのか、よくわかっていませんでした。そして、ご自身による癌の公表の投稿により、それまでの投稿を一気に理解することになりました。そのようなところに、Kさんのいつもの美意識を猛烈に感じ取りました。最新の投稿では、お痩せになったKさんの最新の写真がアップされていました。病気で痩せているというよりも、鍛えてスマートになった… というふうにみることもできる写真でした。この日の公表のために用意されてきたシャツやスーツやネクタイを身につけておられました。また、それらがどこで用意されたものなのか、そのデータも示されていました。写真を撮った場所も、お気に入りらしい都内のホテルです。

■Kさんは、これからもfacebookでご自身の闘病の様子をアップされていくそうです。facebookの仲間には、応援を要請されていました。私も応援していくつもりです。Kさんは、病気から生還するためのプロジェクトをきちんと計画的に立ち上げて、そこへの参加を要請されているのです。参加型のプロジェクトです。徹底されていますね。こうやって、ご自身の病気に対して超・前向きに乗り越えていこうとされているところが、実にKさんらしいのです。

■以前、facebookに、切符1枚で都市近郊区間大回り乗車することについて投稿した時、Kさんは大変懇切丁寧に、豊富な知識をもとにアドバイスをくださいました。決められた都市近郊区間ならば、一駅区間の切符でも、わざわざ「大回り」をして移動することが、期間は1日、しかも途中下車しない限りで認められているのです。そのようなことにチャレンジされている「乗り鉄」の方たちがおられるのです。できればKさんやfacebookの鉄道仲間の皆さんと一緒に、その関西の「大回り」をしてみたかったのですが、それはKさんの生還プロジェクトが完了するまでお預けになりました。Kさん、頑張ってください。

【追記】■Kさんの闘病の治療法とは違いますが、ネット上でこんな記事が目にとまりました。こういうときは、情報が向こうからやってくる感じがします。自分のためのメモのような感じですが、ここにリンクを貼り付けておきます。
ガンが消えたひとに、何を食べたのか教えてもらった

大寒波襲来

20160125seta0.jpg
■昨晩、気が気ではありませんでした。大寒波が押し寄せてくることがわかっていたからです。昼間のニュースでは、沖縄県にもミゾレが降ったようです。これは尋常ではありません。「約40年ぶり大寒波」とのことです。眠る前にYahooで予報を調べてみました。日本海側に張り付いている雪雲が、北西から南東に向けて移動してきていました。「滋賀、京都南部、大阪、奈良と雪が降り始めるのかな…」と思っていました。朝の9時から瀬田キャンパスで会議が予定されていたので、遅れないようにいつもよりも早目に出勤しなくてはとも思っていました。ところが予想とは違って、瀬田キャンパスのあたりでは雪は降っていませんでした。東近江市や彦根以北にお住まいの方たちのfacebookの投稿には、雪景色の写真がアップされていましたが、大津の南の方は大丈夫でした。しかしながら、さすがに大寒波ですね。1号館の前の、噴水の池の水は凍っていました。

20160125seta3.jpg 20160125seta4.jpg
20160125seta2.jpg 20160125seta1.jpg
■氷の厚さは、3cm程度でしょうか。面白かったのは、多くの学生たちか凍った池の氷を見て「やばい!!」と言いながら近寄り、その厚さを試そうとしていたからです。さすがに実際に氷の上に乗る学生はいないようでしたが、片足程度はのせてみて少し体重をかけてその厚みを確認しようとしていました。私も片足をのせてみましたが、カチンコチンに凍っていました。少々のことでは割れそうにありませんでした。瀬田キャンパスで働いて12年目ですが、これほどの厚みの氷を見たことがありません。「約40年ぶりの大寒波」がやってきたことを改めて実感しました。

20160125seta5.jpg ■大寒波とは関係ありませんが、取組んでいる食事の栄養管理のことも少しだけ。今日の昼食は、瀬田キャンパスの生協の学生食堂で頂きました。「ライスSS」、「豚汁」、「若鶏醤油揚げ」(これは意外にカロリーが低いのです)、「ほうれん草のお浸し」、「鉄分たっぷり和え」(ヒジキ、大豆、ジャコ、揚げ、高野豆腐、ほうれん草)、「きんぴらごぼう」。これで、616kcalです。野菜量は207gです。まずまずでしょうか。しかし、塩分が5.9gもある。栄養士さんに言われるような食事を摂ることはなかなか難しいです。いよいよ、弁当を工夫して作るかね。ちなみに、節酒の方ですが継続しています。週に2日か3日、休肝日を設けるようになりました。以前は、酒がないと眠られないように気持ちになっていましたが、特に飲まなくても大丈夫だということがよくわかりました。

水鶏橋

20160114kuinabashi1.jpg20160114kuinabashi2.jpg
■一昨日は、総合地球環境学研究所(地球研)の研究プロジェクトで緊急に処理しないといけない案件があることがわかり、午前中は深草キャンパスで会議を終えた後、午後からは地球研の方に移動しました。地球研は、京都の岩倉、市街地の北の方にあります。深草キャンパスからであれば、市営地下鉄の最寄駅「くいな橋」から終点の「国際会館」まで移動し、そこからバスということになります。ところで、この「くいな橋」駅の駅名について、ずっと気になっていました。よく利用するのですが、駅名はひながらですし、どういう地名なんだろうとずっと思っていました。たまたま、地下鉄駅に降りていく入り口付近に、写真左のような地図が掲示してありました。この駅の近くの鴨川にかかる橋が「水鶏橋」というのだそうです。「水鶏」と書いて「くいな」と読む…。昨日、初めて知りました。

■では「水鶏」とは何なのかといえば、写真右のような鳥なのだそうです。クイナは、シベリア東部などで繁殖し、冬になると中国や日本などへ南下し越冬する渡り鳥のことのようです。水辺環境にいるようです。ということは、「水鶏橋」とは、単純に考えればクイナが生息するあたりにかかった橋…ということなのでしょうか。このクイナのことをfacebookにちょっと書いたところ、知り合いの建築家が、「ヤンバルクイナのクイナですか?」と聞いてこられました。私ももちろんわかりません。調べみると、「ヤンバルクイナ」とは「山原水鶏」のことなのです。沖縄本島北部に位置する山原(やんばる)地域のクイナだから、「ヤンバルクイナ」と命名されたとのことでした。それはともかく、このfacebookの投稿には、博物館の学芸員の方からもコメントをいただきました。「京都だとクイナかヒクイナの2種がいたと思います。かつては鴨川にも多かったんでしょうね」。なるほど、私の「クイナが生息するあたりにかかった橋」という説も、まんざら間違いではないようです。

【追記】20160114gakusyoku.jpg ■昨日の昼食。一昨日は「休肝日」でした。アルコール摂取しなかった結果(だと思い込んでいますが…)深い睡眠と、今朝の気持ち良い目覚めを得ることができました。この両者を、心の中で必死になって強く結びつけて、そうやって自分に目覚めの「ご褒美」をあげることで節酒に努めています。しかし、今朝は寝坊をして朝食を食べる時間がありませんでした。これはマズイ…です。そのようなこともあり、昼食は学生食堂でしたが、食べ過ぎてしまいました。ライスS。ブリの照り焼き。揚げ出し豆腐。納豆。ひじき煮。白菜胡麻和え。豚汁。今日は、907kcalでした。野菜量は136g。今から思うに、揚げ出し豆腐は、余計でしたね…。

「アカエリトリバネアゲハ」の標本

20160104rajahbrooke.jpg
■元旦は、母を、母の自宅に日帰りで連れて帰りました。その際、たまたま蝶の標本を見つけました。記憶がよみがえってきました。小6だった1970年に大阪万国博覧会が開催されました。我が家も夏休みの旅行で、この大阪万博に遊びに行きました。蝶の標本は、その時にお土産として買ったものです。記憶が定かではないのですが、「マレーシア館」で買ったものだと思います。おそらくは、小学生がお年玉やお小遣いを貯めた程度のお金でも買えたのでしょう。

■1970年の大阪万博では、「アメリカ館」や「ソビエト館」の人気が高かったように記憶しています。当時は、まだ冷戦構造(アメリカ合衆国を中心とした資本主義・自由主義陣営と、ソビエト社会主義共和国連邦を中心とした共産主義・社会主義陣営の間の対立構造)が存在していました。世界を二分する両大国のパピリオン(万博の展示用に一時的に建てられた建物)は大変人気があり、入館するまでに何時間もかかる状態が続いていました。たとえば「アメリカ館」の場合は、目玉の展示が「月の石」でした。1969年7月、アポロ11号が人類最初の月面着陸を成功させ、11月にはアポロ12号が引き続き月面着陸を果たしました。そのようなアポロ計画が地球に持ち帰ってきた「月の石」を一目見ようと、多くの人びとは、長蛇の列に我慢して並んだのです。

■ところが、私の両親は、このような長蛇の列に並ぶことを嫌いました。アメリカやソビエトのような、人気があり何時間も並ばなければならない超大国のパビリオンには行かずに、並ばなくても入館できる小国のパビリオンばかりに行きました。もちろん小6の私は内心不満でしたが、まだ小さな妹がいたこともあり、両親は、炎天下、長蛇の列に並ぶことを嫌ったのでしょう。もっとも、そのようなこともあって、蝶の標本を手に入れることができたのかもしれません。蝶の標本に関係のない話しを長々と書いてしまいました。現在とは違って、世界はますます発展していく、暮らしも良くなっていくということを自明として生きることができた時代でした。大阪万博のテーマは、「人類の進歩と調和」(Progress and Harmony for Mankind)でした。

■さて、蝶の標本の話しに戻ります。私自身、蝶も含めて昆虫一般に詳しいわけではありません(ただし、小6の頃は、まだ昆虫に関心を持っていたと思います…)。調べてみたところ「アカエリトリバネアゲハ」という和名でした。標本箱の中には、「Rajah Brooke」とラベルが貼ってあります。マレーシアのサラワク島の初代首長ラジャ・ブルックにちなんで名付けられた英名です。ラジャ・ブルックは、イギリス人です。ブルネイのスルタンから正式にラジャ(藩王)に任じられ「白人王 」として知られているようです(こういう本も出版されています。『ボルネオの白きラジャ ジェームズ・ブルックの生涯』)。その背景の事情はともかく、この美しさからだと思いますが、マレーシアの国蝶になっています(ちなみに日本の国蝶は「オオムラサキ」です)。写真少し色を補正してあります。買った時のイメージに近づけました。しかし、本当はもっと色がくすんでいます。額自体も、かなり古ぼけています。45年前のものですから、仕方がありませんね。

■この「アカエリトリバネアゲハ」を含めたトリバネアゲハは、「ワシントン条約」(絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約)「附属書II」に記載されている危急種・希少種に認定されおり、標本等の商取引きは規制されているようです。規制のもとで、標本等の商取引きも行われているようです。ちなみに、ワシントン条約が採択されたのは1973年です。大阪万国博覧会が開催された2年後のことでした。

■蝶の標本ですが、母の家のリビングに書架の上で、埃まみれになっていました。どうも、亡くなった父や、現在介護をしている母からは「邪魔者扱い」されていたようですね。昆虫に関心のない人からすれば、単なる「死んだ虫」ですから…。ちょっと心が痛んだので、誇りを払ってきれいして、私の自宅に連れ戻しました。これからは、再び、本来の持ち主である私の元で大切に保管していこうと思います。

近鉄と生駒山

20160103kintetsu.jpg ■昨日は、息子と一緒に初詣を済ませ、ピザレストラン「642PIZZA」に行った後、郵便局に寄ったりしながら、少し遠回りをして帰宅しました。早春には、職場に近い滋賀県の大津市に転居する予定なので、もう一度、長年暮らしてきたこの地域の風景を散歩をしながらしっかり眺めておきたかったのです。普段は車で通過することが多く、あまりゆっくり眺めることがありません。ランニングの練習で走ることもありましたが、走ることに必死で風景眺める余裕などあまりありません。昨日は、30年近く暮らしてきた街の風景をゆっくり堪能しました。歩いて細かなところを観察していると、いろいろ発見がありますね。他所の街ではいろいろ「まち歩き」をしてきましたが、自分の住んでいる街を、ゆっくり歩くことはほとんどありませんでした。

■写真は、近鉄学園前駅と菖蒲池駅の間にかかっている橋から撮ったものです。車がすれ違うときに注意しないといけないほど、幅の狭い小さな橋です。その橋から、大阪方面に向かって写真を撮りました。夕日の中にシルエットを見せているのは、生駒山です。頂上には、テレビ局のアンテナがたくさん確認できるのではないかと思います。この生駒山の向こうには、大阪平野が広がっています。手前に写っているのは、近鉄の大阪難波行き準急です。生駒山のトンネルを抜けて大阪難波までは、近鉄を利用すると35分程度です。この地域は、大阪に勤める方たちの住宅地として開発され、高度経済成長期とともにその住宅地も拡大していきました。典型的な大阪郊外の住宅地の一つかもしれません。そのような意味で、どこにでもある風景なのかも知れません。しかし、もうこの地域にあとわずかの期間しか住むことができまないと思うと、どこにでもある風景がとても愛おしく思えてきました。本当は、ここに暮らしている間に、戦前から戦後、そして現代に至るまでの開発の歴史について、もっといろいろ探索してみたかったのですが、その時間はもうありません。

川西から京都

20151223kawanishi.jpg
▪︎師走です。年末なのですが、年末という気持ちがなかなか湧いてきません。新しい年を迎える気持ちになるためには、今年1年を締めくくるような気持ちにならなければならないのですが、そういう気持ちが湧いてきません。いつもの日常がズルズルと続いていってしまうような感覚なのです。民俗学者の桜井徳太郎は「ハレ」(非日常)と「ケ」(日常)と「ケガレ」(日常生活を支えるエネルギーが枯れてしまった状態)が循環すると説明しましたが、この説明に従うのならば、循環の感覚がなくなっており、「ハレ」を通して「ケ」に必要なエネルギーが復活してくる…そういう気持ちになかなかなれないということなのかもしれません。子どもの頃はもちろん、そして大人になっても、そういう気持ちがどこかにありましたが、しだいに希薄なものになっています。

▪︎そのような話しはともかく、昨日も、老母の入所している高齢者の福祉施設にいってきました。洗濯物の交換と施設での生活に必要な日用品の支払いをすませて、母親の様子をみてくることが目的なのですが、いかんせん、この施設が遠いのです。しかも、母が不在の家の空気を入れ替え、役所に母親のマイナンバーにことを問い合わせ、母の家にある車のリコールに対応すために車を自動車整備工場に運んだりと…いろいろやることが数珠繋ぎで、結局すべてを終えた頃には、夕方近くになっていました。

▪︎写真は、車を預けた自動車整備工場の近くで撮ったものです。いつも、母の介護にいくさいに、車で通りつつ、何か巨大な構造物が建設されているなとは思っていたのですが、それが新名神高速の橋であることがわかったのは、比較的最近のことです。左から橋が伸びてきています。なにやら、巨大な恐竜が首を伸ばしているようにみえます。この新名神高速道路は、大津、宇治田原、城陽、八幡、高槻、茨木、箕面、川西、宝塚北、神戸北と続く高速道路になります。もっとも、大津から神戸北まですべてが開通するのは平成35年=2023年になります。まだ、当分先のことですね。

20151223yamazaki.jpg
▪︎昨日は、母親関連の一連の仕事を済ませてあと、京都に向かいました。知り合いの出版社の方と、ちょっと呑みましょうか…ということになっていたからです。トップの新名神高速道路の工事現場の近くある能勢電鉄・平野駅から電車に乗りました。スマートフォンのアプリで検索してみると、意外なルートを提示してくれました。川西能勢口で阪急に乗り換え、十三でまで。ここまでは普通です。十三からは、阪急京都線でまずは高槻市駅まで通勤特急で。高槻市駅からは準急で大山崎駅まで。徒歩でJR山崎駅まで歩き、あとは快速米原行きで京都駅まで…という指示が出たのです。面白かったので、指示通りに電車に乗りました。そのようなこともあり、昨晩は、初めてJR山崎駅を利用することになりました。少しレトロな印象深い駅でした。この界隈は、けっこうお洒落なお店がたくさんあり、美術館や、サントリーの山崎蒸留所もあります。あらためて、散策に来ようと思いました。

秋をみつける散歩

20151104aki2.jpg
20151104aki1.jpg ▪︎先日の日曜日、退院した身内を見舞ってきました。そして、少しだけ時間ができたので、秋を探しにいきました。といっても、自宅から車で15分ほどの距離にある奈良県立民俗公園に散歩にいっただけです。県内各地から移築された、江戸時代に建設された古民家を見学しました。同じ奈良県といっても、私が住んでいる北部と、吉野などの山間部の古民家ではかなり違いがあります。そうやって古民家を見学しながら、公園内の秋を探しました。最近はいろんなことに追いまくられ、精神的に疲れてしまっています。こういう気分転換が大切だと思いました。自分の身体を取り戻さねば…と思いました。また、かつてのように「走ろう!…」という気持ちにもなっています。

管理者用