「団地ブーム」に関するオンライン記事
▪️私の記憶は団地での暮らしから始まります。日本住宅公団の団地です。3歳から5歳までは、神戸市の御影の六甲山の麓にある5階建の団地でした。その次は、5歳の時は山口県下関市にある2階建てのテラスハウスと呼ばれる団地でした。そして6歳から10歳までは福岡県北九州市小倉にある5階建ての団地でした。あわせて8年程にしか過ぎないのですが、67歳のおじいさんの人生にとって、とても大切な記憶になっています。ということで、リンク先は、読売新聞の「団地ブーム」に関するオンライン記事です。たまたまこの記事が目に留まりました。
▪️記事にもあるように、小泉今日子さんと小林聡美さんが出演されたNHKの『団地のふたり』、話題になりましたよね。記事では、団地が登場する作品を紹介しながら、団地の歴史を辿っています。小津安二郎監督による映画『秋刀魚の味』(1962年)。森田芳光監督による映画『家族ゲーム』(1983年)は松田優作さんが主演されていました。TBSのドラマ『天までとどけ』(1991~1999年)。岡江久美子さんが出演されていたそうです。そうです、というのは私の記憶にはないからです。ドラマを視ていないのだと思います。ジブリのアニメ「耳をすませば」のモデルは、多摩ニュータウンの愛宕団地がモデルとのこと。ファンの皆さんが「聖地巡礼」で訪れるのだそうです。その気持ち、わかります。2016年公開の映画『海よりもまだ深く』は、是枝裕和監督の作品です。阿部寛さんが主演のようですが、この映画を私は拝見していません。これも舞台は団地なのだそうです。それぞれの時代の舞台として団地が登場しています。おそらくですが、作品ごとに、団地の位置付け方も異なっているのかなと推測しています。そういう眼で作品を考えたことがないのですが。
▪️記事の最後には、次のような指摘が。「昭和の生活の縮図ともいえる『団地』。その団地が形成するコミュニティは、いまや珍しい濃密な人間関係の残っている貴重な場所でもあります。これほどまでに団地に惹かれてしまうのは、現代を生きる我々が、心のどこかでそれを求めているからなのかもしれません」。昔は、煩わしい人間関係とは距離を置き、鉄の扉の向こうにはプライベートな生活空間がしっかり確保されている…。団地は、そのように捉えられていたのではないかと思います。それ以前の住宅事情は、相当ひどいものだったのです。
▪️個人的な記憶を振り返ってのことですが。団地には、豊なコモンスペースが広がっていました。子どもたちの遊び場でした。団地の真ん中にあるグランドでは、団地の運動会、夏祭り、盆踊り、ラジオ体操、そうそう映写会もおこわれました。大きな白いスクリーンに映写機で投影するのです。フィルム映画ですね。団地の集会所では、習字教室、絵の教室、そろばん教室、バレエ教室が開かれていました。プライベートな空間が確保されつつも、そういう友達や他の家族と「交流する場」がたくさんありました。親世代(昭和一桁生まれ)は、自分たちが育ったコミュニティの地域文化を、団地という空間の中で再現していたのかもしれません。もっとも当時はコミュニティという言葉は使われていませんでしたが。
▪️ところが、時代が現代に近づくに従い、地域から「交流する場」は消えていきました。都心に建設されるタワーマンションなどは、人のことを気にせず、自由に自分らしい暮らしを送ることができます。でも、そのような社会の状況に「しんどさ」や「さびしさ」を感じる方も増えてきているのでしょうか。記事には、「濃密な人間関係」とあります。たしかに、ドラマの中で描かれるのは「濃密な人間関係」なのかもしれませんが、私などからすると「適度な人間関係」、言い換えれば、プライベートな空間がしっかりありながらも、知り合いのことをちょっと気遣う、お互いちょっとだけおせっかいな関係なのではないかと思います。そうそう、広くない団地に上手に暮らすためには、生活の中に溢れるモノを断捨離しないといけませんね。これ、大事なポイントだ。
【追記1】▪️「団地ブーム」の記事を読んでいるとだけではよくわかりませんが、現実には、多くの団地では入居されている方達の高齢化が進んでいるように思います。気になるのは、一人暮らしの高齢者、独居老人のケアという課題です。以下は、以前の投稿です。
「【ルポ】生と死を見つめて 大都市・東京で高齢化進むマンモス団地」
「大崎博子さんのこと」
【追記2】▪️このブログ、検索機能が壊れてしまっています。過去の投稿を検索するのに難儀しています。「脇田健一」と「団地」でGoogle検索すると、以下の投稿が見つかりました。
城野団地
小倉時代
今日の「月1クリニック」と「基礎ゼミナールA」
▪️毎朝、血圧を下げる薬1錠、糖を体外に尿と共に排出する薬1錠、あわせて2錠飲んでいます。その薬が今朝で切れてしまいました。ということで、朝1限、1回生の「基礎ゼミナールA」の授業、留年している学生さんの卒論の個人指導の後、あわてていつもの月1回のクリニックへ。木曜日は13時まで診療して、午後は休診なのですが、ぎりぎり間に合いました。私の場合fbは公開日記、公開ライフログのようなものなので記録に残しておきますが、血液検査の結果、HbA1cは5.2、血糖値は95でした。毎月、血液検査をしています。血糖値は昼食前なだったので、こんなものですかね。今月も医師や看護師さん、それから薬局の薬剤師さんにも褒めてもらいました。ずっとこんな数値が続いているので、特に頑張っているという意識もなくなってきました。単に糖質の食べ物をできるだけ摂取しないだけです。そういう食生活に慣れて、これが普通になりました。食の嗜好も変わってきていますね。
▪️さて、「基礎ゼミナールA」に話を戻します。今、この授業で使っているテキストは、『アカデミック・スキルズ』と『「日本」ってどんな国?』です。前者は1回生全28クラス共通のテキスト。後者はゼミで選んだテキストです。後者のテキストは、国際比較のデータをもとに現在の日本の社会の状況を浮かび上がらせていく構成になっています。同僚が使っておられる様子をfacebookで知り実際に手に取ってみると、確かにゼミのグループワークに向いているなと思えて、同僚を見習って自分でも使ってみることにしたのです。前者は大学での学習のコツ(様々なスキル)が解説してあります。今日は、このテキストのうち、クリティカルリーディング(書かれた情報を鵜呑みにするのではなく、批判的に分析し、評価しながら読む)の解説を再度読んでもらい、特にそこに書かれている要約の仕方を参考にしながら、後者のテキストの第1章「家族」を要約してきてもらいました。今日は、その要約をもとにグループワークを行いました。
▪️「きちんと」要約をすると、書かれている内容がしっかり頭の中に入ってきます。そういう経験ができて良かったと思います。また、クラスの仲間がどのような要約をしているのか、manabaというクラウド型教育支援サービスを使いますから、簡単にお互いに確認できます。いろんな気づきもあったようです。そのような確認や気づきをもとに、4つの班に分かれてディスカッションをしてもらいました。ディスカッションでは、「なるほど!」と思う部分と、逆に「そう言い切れるのかな…」と疑問に思える部分の両方があるわけですが、記録係の学生さんがグループ内の意見を書き留めて報告してくれました。書き留めてくれた意見は、manabaの方にアップしてもらうことにしています。来週は、第2章の「ジェンダー」の要約をもとにディスカッションをしてもらいます。今は、要約だけですが、そのうちに書評にもしてもうつもりです。あわせて、プレゼンテーションの練習も行っていきたいと考えています。
滋賀経済同友会で講演をさせていただきました。
▪️今日は、午前中、2限に「地域再生の社会学」の授業をした後、学食で昼食を済ませて草津市に移動しました。滋賀経済同友会の「MLGsと私たち」という部会にお呼びいただきました。そこで世界農業遺産・琵琶湖システムに関してお話をさせていただきました。一般市民の皆さんの前では、いろいろ講演を行なってきましたが、企業の経営者の皆さんの前では初めてなのかもしれません。ひょっとすると過去にお話しているかもしれませんが…。
▪️世界農業遺産の専門家でもなんでもないのですが、滋賀県が世界農業遺産に向けて申請作業を進める作業をお手伝いしてきたことから、今回、琵琶湖システムのお話をする機会をいただくことができました。まあ、世界農業遺産の琵琶湖システムの説明よりも、それぞれの地域で、流域の様々な場所で様々な生業や事業に取り組み、結果として、この琵琶湖システムを支えることに貢献されている方々に光を当てて感謝すること、そういう方達が緩やかにつながって、日々の生業や事業の中で琵琶湖システムことを想ってくださることが大切なのかなと思っています。そのような緩やかなつながりの中から、様々なアイデアが生まれ、そのアイデアを実現させていく取り組みが展開され…ということにも期待したいと思います。
▪️もちろん、企業経営者の集まりである滋賀経済同友会の皆さんには、経済人ならではの琵琶湖システムへの関わり方があろうかと思います。経済活動を通して、どのように日々の生業や事業に取り組んでおられる方達を応援していけるのか、私としてはそのあたりのことを期待しています。
▪️今日は、驚いたことがありました。滋賀県立琵琶湖環境科学研究センターの佐藤祐一さん、この春まで滋賀県庁の琵琶湖環部に勤務されていた三和伸彦さんも参加されていたことです。お二人は、これまで滋賀県で取り組まれている琵琶湖の環境保全のための取り組み、マザーレイクゴールズ(MLGs)を進捗させるためにご尽力されてきました。MLGsを所管しているのは県庁の琵琶湖環境部、それに対して世界農業遺産琵琶湖システムを所管しているのは農政水産部。その取り組みの中身を検討すると、かなりの部分で重なり合っています。もっと、この2つに関連する事業が融合しないのかなといつも思っています。そうすることで、必ずや素晴らしいシナジー効果が産まれくると信じています。
▪️もうひとつ驚いたことがありました。講演の後だったと思いますが、1人の女性が名刺交換に近づいてこられました。そして、「私は、龍谷大学社会学部の出身です」とおっしゃるのです。「学科はどちらですか?」とお尋ねしたら、「社会学科です。先生が担当されていた社会調査実習を履修していました」とおっしゃったのです。とても驚きました。今日一番のびっくりかな。私が龍谷大学に赴任した2004年の時のことです。よく覚えてくださっていたなあと、驚きました。ありがたいことですねですね。
▪️最後に、今日の「MLGsと私たち」部会の部会長、和菓子の「たねや」の小玉恵さん(執行役員経営本部本部長)には、今回の部会にお呼びいただいたこと、心より感謝いたします。お世話になりました。小玉さんと出会ったのも、偶然、人の紹介です。それも大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」でした。今日もご縁に導かれ、ご縁に活かされ、そして新たなご縁もいただくことができました。ありがたいことです。また、講演にあたっては、滋賀経済同友会の事務局の皆さんに準備等で大変お世話になりました。ありがとうございました。
▪️写真ですが、講演の後の、グループディスカッションの時の撮ったものです。
【追記】▪️滋賀県庁を退職された三和さん。現在は、一般社団法人「北の近江マザーレイク共創会議」の代表理事をされています。ヤンマーと連携しながら、湖北の地で新しい地域づくりの活動を始められるようです。楽しみですね。近いうちに、滋賀県庁に勤務されていた頃のことも含めて、お話しをお聞かせいただく約束をさせていただきました。
「シリーズ 環境社会学講座」全6巻完結!
▪️新泉社さんから出ている「シリーズ 環境社会学講座」全6巻が完結したとのお知らせが届きました。所属している環境社会学会の、私なんかよりもずっとお若い方達を中心に編集・執筆されたシリーズです。私は前期高齢者の年寄りなんですが、第6巻『複雑な問題をどう解決すればよいのか-環境社会学の実践』(宮内泰介・三上直之編)に、「多層的なガバナンスから流域環境問題の解決を考える――琵琶湖流域における協働の試みから」を書かせていただきました。もし図書館等でこのシリーズを見かけられましたら、手に取って目を通していただけると嬉しいです。できれば、拙論についても。このシリーズ、龍谷大学の図書館にも、1・2・3・6巻が入っています。残りの4・5巻も近いうちに入るのではないかと思っています。
写真をアニメ化/イラスト化するアプリ
▪️昨晩は仕事終わりに、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」に寄りました。すると、仲良しのご常連も来店されました。こうやって、「利やん」でご常連の皆さんとの交流=異業種交流することで、たくさんの元気をいただいてきました。今日も、いろいろお話をお聞かせいただき、またお話できて感謝感謝です。
▪️トップの写真。「利やん」の女将さんがスマホのアプリを使って撮ってくださったものです。撮った写真をこういうアニメ風に変換してくれるアプリのようです(よく知らんけど…)。で、このイラストを見て、3人で言ったのは、「おじいさんが並んどるな〜」ということでした。向かって一番右の方は、白髪ではありますがまだ50歳代で、真ん中の方や一番左の私よりもお若いのです。でも、アニメ風に変換されると、みんな優しいおじいさんの雰囲気になっていました。まあ、実際おじいさんなんですから、このアニメ風のようになるのも時間の問題ですかね。
▪️このことをfacebookに投稿したところ、いろいろ反応がありました。こんなに「おじいさん」ではないですよと励ましてくれるコメントをいただきました。ありがとうございます。でも、自分ではまあこんなものかなと思っています。それから、ご自身のスマホに入っているアプリを使って出来上がった画像を送ってくださった方がおられます。左側がその画像です。これは、なんだか、ちょっと雰囲気が違いますね。アプリによって仕上がりに差が出るんですね。こちらはずいぶん若いです。といいますか、何か三兄弟のようで、それぞれの個性が消えてしまっていますね(^^;;。
雨森鼎さんの来学
▪️金曜3限は、社会共生実習「地域エンパワねっと・大津中央」です。今日は、過去にも社会共生実習になる以前の教育プログラム「大津エンパワねっと」の時代から、社会学部の学生たちがお世話になってきた、「大津の町家を考える会」の 雨森 鼎さんが来学くださり、履修している学生さんたちに講義をしてくださいました。ありがとうございました。
▪️雨森さんは以前から、大津の街の魅力を発見するためにまち歩きをされていましたが、「大津の町家を考える会」が1997年7月に発足しましたことを契機に、この活動に参加され、それ以来中心メンバーのお1人として活躍されてきました。2000年2月に丸屋町商店街にあった明治時代に建築された町家(かつては書店として営業していました)を低額で借りることで活動の拠点を持つことができることになりました。そして、会員の皆さんが週末に傷んだ町家を補修・改修することで、2001年6月に「まちづくり大津百町館」としてオープンすることができました。
▪️「百町館」オープンまでも、中心市街地に残されていた町家を写真に撮り地域ごとにマップ作りをおこなったり、シンポジウムやフォーラムの開催を行い、考える会として1999年4月には『大津百町物語』を出版されました。百町館がやオープンしたあとは、ここを拠点に、様々な講座を開催されてきましたし、商店街を巻き込む「町家・まちなか・博覧会」を6年間開催されました。そのほかにも、「大津百町おもしろ地図」の作成など、市民団体として活発な活動をされてきました。2007年に龍谷大学社会学部が企画した教育プログラム「大津エンパワねっと」が文部科学省の現代GPに採択されたあとは、様々な学生チームが考える会で雨森さんからご指導を受けながら活動してきました。本当にお世話になった方なのです。
▪️今日は、町家だけでなく、大津の街の歴史、大津の街がどのように発展してきたのかということも含めて、大津には歴史的資源の宝の山であることをお話しくださいました。その上で、企業主導によるマンション開発により、町家をはじめとして地域の歴史的資源がどんどん希薄化していくことを非常に心配されていました。「まちはそこに暮らす人のもの」であって、企業主導の開発の場でない。「まちは人生を楽しむ場」であり、「多様な人が出会う場」であることを強調されていました。
▪️雨森さんのお話しのなかで、こんなことを教えていただきました。雨森さんが企画したまち歩きの企画に参加されたなかに、若いご夫婦がおられたのだそうです。帰りに、どこから参加されましたかと雨森さんがお聞きしたところ、中心市街地のマンションにお住まいの方たちであることがわかりました。大津の中心市街地に転居されてきたのですが、新しく暮らす場所はどのような場所なのか知りたくなり、そのまち歩きに参加されたのだそうです。自分が暮らしている大津という場所がどのような場所なのか。単に通勤に便利な場所、不動産価格が京都や大阪よりもお手頃…そのようなことだけでなく、どうせここに暮らすのであれば、この大津という「場所の履歴」を知りたいと思う方達が、数は少ないかもしれないけれどいらっしゃるのです。このエピソードには、学生さんたちにとって、大切なヒントがあるように思いました。
「基礎ぜミナール」のこと
▪️木曜日の1限は、9時15分から「基礎ゼミナールA」です。今日は、先週の続き、「KJ法を体験する」です。KJ法とは、文化人類学者の川喜田二郎さん(1920年~2009年)が考案した、情報整理の手法です。先週は、「大学4年間をどのようにすごせばよいのか」をテーマに、ブレンストーミングをしてたくさんのポストイットカードに意見を書き出しました。そして、それらを分類整理するところまでやってみました。今日は、それを模造紙に配置し、貼り付け、意見のまとまりであるグループやポストイットカードの間の関係についても検討して、その関係を線や矢印で示しました。まあ、うまくできたかどうかは別にして、様々な情報を整理して、そこに論理の道筋をみつけるという経験はできたのかもしれません。
▪️「KJ法を体験する」の後は、ノートテイキングに関する取り組みも行いました。基礎ゼミナールのすべての28クラスで使用しているテキスト『アカデミック・スキルズ』の第2章「講義を聴いてノートを取る」に書かれていることに十分に注意して、そして自分なりの工夫も加えながら、全員が必修で履修している授業「社会学への招待」で実際にノートを取ってもらいました。この「社会学への招待」は3人の教員が担当していて、学生の皆さんは、それぞれのクラスに配属されています。ということで、教員別にわかれてお互いのノートを見せ合いました。それぞれのノートの優れているところを評価しあいました。高校までは、先生が黒板に書いた内容をそのままノートに書き写すだけの人がほとんどでしたが、今回は神経を集中させて、きちんと考えながらノートを取ることができたようです。ノートを考えながらきちんと取ることができると、講義をより興味深く聴くことができるようになりますし、講義の内容も記憶のなかに定着してきます。皆さん、頑張っておられました。
▪️2限にはさまざまな事務仕事の処理をして、午後からは「基礎ゼミナール」に関して、担当教員で懇話会を開催しました。FD活動の一環です。担当教員は全員で28人いますが、今日は忙しいなか都合をつけて約半数の教員が参加してくださいました。参加者は少ないだろうなと思っていましたが、予想を超えた参加があり嬉しかったです。
▪️今日の懇話会では、「基礎ゼミナール」のなかで、それぞれの教員が行なっている様々な工夫や実践を知ることができました。今日の懇話会ではそのアイデアを一定程度共有することができました。素晴らしいと思う工夫や実践については、お互いに学び合うことができます。素晴らしいと思うことは、真似をしたり、参考にしたりすることができます。それから、新カリキュラムのなかでの「基礎ゼミナール」の位置付け、4・5セメスターに開講される「公共社会学」との関係等についても、意見をいただくことができました。「公共社会学」を履修することの前段階として、「基礎ゼミナール」ではどのようなことをゆるやかな共通の目標として設定すればよいのか、もう少し考える必要がありそうです。付け加えれば、社会学を専門とする教員だけでなく、社会福祉学や他の分野を専門とする教員もいますから、このあたりのことについても、もう少し丁寧に教員間で工夫をしていかねばなりません。
▪️とはいえ、時々、こうやって懇話会を開催し、情報や意見を交換することで、良い意味での様々な微修正がかかり、カリキュラム全体に対しても貢献できるのではないかと思っています。今日は、ご多用のなか教務課職員の方も参加してくださいました。ありがとうございました。
淡海環境保全財団の「新たなヨシ群落保全プロジェクト」
▪️先日、淡海環境保全財団の職員の方が、取り組まれている事業の説明をするために、ご来校くださいました。たいしたことはできませんが、こちらの財団の活動のお手伝いをさせていただいています。取り組まれている事業ですが、以下のようなものです。地域ごとのヨシ群落に着目し、その「むかし」と「いま」を明らかにして、「これから」を描くとともに、具体的な整備手法を考え、参加者の皆さんがそれらを共有しながら保全に取り組む「新たなヨシ群落保全プロジェクト」になります。
▪️具体的には、次3つのステージでの活動になります。
第1ステージでは、ワークショップ①を開催し、ヨシ群落の過去・現在を学び、将来の姿を描きます。また、ヨシ群落の整備に使用するヨシ苗の親木を採取します。
第2ステージでは、ワークショップ②を開催し、ヨシ群落の造成方法を考えていきます。そしてヨシ群落の整備に使用するヨシポット苗づくりを行います。
第3ステージでは、刈取や植栽といったヨシ群落の整備を行い、ワークショップ③で、ふりかえり、今後の方向性についての話し合いを行います。
▪️これまで、ヨシ狩のボランティアなどの活動はありました。そのような活動はとても大切なことなのですが、一時的にヨシ群落にかかわるだけで、ヨシ群落の維持管理全体にかかわるわけではありません。今回の新しい事業は、時間をかけてヨシ群落の整備にかかわっていくことになります。このような活動がモデル事業としてうまくいけば、その後は、いわゆる横展開していくことで、行政だけでは維持できない作業、あるいは行政の管轄内ではないヨシ群落の整備が行えるようになるかもしれません。
▪️以上のご説明をいただいた際,第2ステージでヨシポット苗については、自宅や勤務されている会社で丁寧に成長させて、第3ステージのときに再び持ち寄っていただくことはできませんかねとお話ししました。そのほうが、ヨシ群落の課題をより一層「自分事」として感じることができると思ったからです。すると、さっそく「ヨシ苗のホームステイ」というアイデアにして計画に組み込んでくださいました。ご対応、ありがとうございます。淡海環境保全財団の取り組み、期待しています。
宇良関の始球式
▪️日本相撲協会とパ・リーグ6球団のコラボイベントです。大学が同窓である宇良関が、オリックスの試合で始球式をおこないました。プレイボールの前に、呼び出しの重夫さんが「ピッチャ~う~~ら~~」と大相撲のように呼び出しをされました。また、重夫さんは、バッター役の選手、キャッチャー役の選手の呼び出しもされました。お2人も、普通はない経験だけに、喜ばれているご様子でした。宇良関が投げたボール、少し力みすぎたのか、バッターの背中の方に。でも、このような始球式、なかなか見ることができないので、このブログにも記録に残しておこうと思います。
▪️宇良関、始球式にあたっては、オリックスの古田島成龍投手から指導を受けました。下の動画は、その時のものです。驚いたのは、宇良関が、大相撲場所中のインタビューの時とは真逆で、よくしゃべるし、しかもユーモアがあるということでしょうか。場所中は、よほど取り組みに集中されているのでしょうね。
久末航さんが、エリザベート王妃国際コンクールのピアノ部門で2位に入賞されました。
▪️私は2014年から、環境保全に取り組まれている市民団体や地域団体に助成させていただく、平和堂財団の夏原グラントの選考委員を務めてまいりましたが、わけあって、この春からは選考委員長を務めることになりました。そのことと連動して財団の理事も務めさせていただくことになりました。昨日は、その財団の理事会でした。この理事会で、理事長や理事の皆さんのスピーチの中に度々登場されたのが、ピアニストの久末航さんでした。それにはわけがありました。
▪️大津市出身の久末さんは、平和堂財団の芸術奨励賞を2013年に受賞されました。そして、2015~2017年の海外留学助成を受けておられたのです。平和堂財団は、文化、体育、児童福祉、環境、教育の5つの分野で助成事業を行っていますが、久末さんは文化の分野で助成を受けられました。その久末さんが、今回、5月末にベルギーの首都ブリュッセルで開催されたエリザベート王妃国際コンクールのピアノ部門で2位に入賞されたのです。このコンクール、チャイコフスキー国際コンクール、ショパン国際ピアノコンクールと並ぶ、世界三大コンクールのひとつといわれています。演奏されたのは、ブラームスの「ピアノ協奏曲第2番」でした。財団の皆さんも、今回の入賞を大変誇りに思っておられました。常務理事の方からは、久末さんにお祝いのメッセージを送ったところ、すぐにお返事があったということをお話しいただきました。素晴らしいですね。