ガザ


▪️こちらは、エドガール・モランさんのスピーチに関するポスト。モランさんは、有名な『オルレアンのうわさ - 女性誘拐のうわさとその神話作用』の著者。102歳になっておられました。モランさんはスペイン系のユダヤ人ですが、今回、イスラエルのガザで行っている大虐殺に対して怒っておられます。商人になること、証言すること大切さ。

それにこの世界の沈黙はなんだ、イスラエルを擁護するアメリカ合衆国の沈黙、アラブ諸国の沈黙、文化と人道、人権を主張してきたヨーロッパ諸国の沈黙はなんだ。私たちは恐ろしい悲劇を経験している。私たちは無力だ、なずがままにこの暴力が荒れ狂うのをただ目撃している。少なくとも、唯一、私たちにできるのは、歴史の証人となることだ、具体的に力で対抗できないとすれば、できるのは証言することだ。


▪️こちらは、国連事務次長・軍縮担当上級代表の中満泉さんのポスト。

「のと鉄道」、2月15日より、七尾-能登中島間運行再開(能登中島-穴水間はバス代行)


▪️上の動画は、「石川テレビ公式チャンネル」の動画です。本日、15日より一部区間になりますが、七尾-能登中島間運行が再開されました。地元の皆さんは心待ちにされていたと思います。よかったです。こちらは、「のと鉄道」の公式サイトのお知らせです。「2月15日より、七尾-能登中島間運行再開(能登中島-穴水間はバス代行)」

▪️2月12日の投稿「発見された資料」で、学生時代に能登半島に行った時に関連する資料を紹介しました。今から45年前、学生オーケストラの演奏旅行に関連する資料です。あの時は、金沢から鉄道で七尾を経由して輪島まで列車に楽器を積み込んで移動することができました。七尾線です。まだ、国鉄の時代で、民営化される前でした。その後、特定地方交通線に指定された国鉄能登線を継承し、「のと鉄道」は1988年3月に開業した第三セクターとして開業しました。私たちが学生時代に乗った穴水と輪島の間は、客数減少のため2001年に廃止になりました。また、穴水から珠洲に向かう能登線は、2005年に廃止になりました。

▪️そのあたりのこと、「のと鉄道」の開業、JR西日本との関係等についてお知りになりたい方は、こちらの記事をお読みになると良いかと思います。「のと鉄道の復旧協議はどうなる?JR西日本との複雑な台所事情」。「鉄道関連の協議会ウォッチャーとして、赤字ローカル線の事業者と自治体との協議進捗をまとめたメディア『鉄道協議会日誌」を運営』されているライターさんのサイトです。鉄道に関心のない方は、少しわかりにくいかもしれませんが、丁寧に説明されていると思いました。

▪️今回、運行を再開したことは素晴らしいことだと思いますが、今後、「のと鉄道」の経営がどのように展開していくのかが気になります。個人的に、ローカル鉄道を応援しているので、地域の大切なインフラとして維持されて欲しいです

突然、BS放送が…

20240214tv_antenna.jpg▪️突然、テレビのBS放送が視聴できなくなりました。画面に、アンテナの具合が悪くなっているかも…というメッセージが現れました。以前、大雪が降った時も同じような現象が起きてしまったのですが、今回は、大雪も降っていません。原因がわからず、電気屋さんに来ていただきました。

▪️ハシゴをかけて屋根に登ってもらってアンテナの確認をしてもらいましたが、特に問題なし。テレビに繋ぐケーブルのところまでは、きちんと電波が届いているというのです。となると、問題はテレビ本体ということになります。電気屋さんがいろいろ操作をして、改めて受信の設定をしなおしたところ、BSが再び視聴できるようになりました。これは何が原因でこんなことになってしまったのか…。特に、どこか故障しているわけでもないのですが、工事代金はお支払いしなければならず…トホホ。けっこうしますね。でも、またBS放送が受信できるようになってよかったです。

▪️この投稿をFacebookにもしたところ、いくつかのアドバイスをいただきました。ひとつは「電源を抜いて、完全に消してから立ち上げ直すと元に戻る事が多々あります」というものでした。なるほど、なんとなくそんな気がしてきました。

St. Valentine’s Day

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▪️孫と娘からチョコレートが届きました。左は、孫たち(ひなちゃん6歳&ななちゃん3歳)お手製のチョコレートです。おじいさんは、病気で糖質を制限しているので一度にたくさん食べられませんが、毎日、少しずついただきますね。ありがとう。とっても嬉しいです。

第66回大津市民駅伝

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▪️昨日は、大津市民駅伝の日でした。私は、今はもう走っていないですし、昨日は、吹奏楽部のメンバーが関西アンサンブルコンテストに出場するので、そちらの応援に行っていました。ということで、大津市民駅伝に参加されたみなさんの「打ち上げ」だけ、参加させていただきました。打ち上げの会場は、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」です。日曜日は定休日なのですが、無理を言って宴会を引き受けてもらったようです。すみませんでした。

▪️アップした画像は、昨日の記録と駅伝のコースです。龍谷大学から5チームが出場しました。すごいです。アスリート揃いの龍谷大学教職員チームA、その後実力に応じて、チームB、農学部の教職員だけのチーム農学部SP、そしてチームC、そして最後がチームDです。チームAは、残念ながら2位、昨年は1位だったので連覇はなりませんでしたが、1位の自衛隊のチームに12秒差でゴールしています。惜しいですね。この市民駅伝に龍谷大学の皆さんは約30年前から出場しているようです。30年前といえば、瀬田キャンパスができてしばらくしてからかな。駅伝のコースですが、瀬田キャンパスの南側、田上の地域を周回するコースです。私も、2013年の第55回2014年の第56回に出場しました。懐かしいです。

▪️でも、懐かしいと言っている場合ではなくなってきました。「来年は走ってくださいね」と監督の竹之内さんに強く言われたからです。そうなると、またランニングの練習をしなくてはいけません。瀬田キャンパスで働くのは来年度までなので、思い出に出場してみましょうかね。教職員が力を合わせて一緒に走るというところが一番大切ですので。そういうのって、素敵ですから。

【追記】▪️監督の竹之内さんから、以下のようなメッセージをいただきました。「かつて7分/kmで駆け抜けた方もいらっしゃいますよ!1.6km,4.4km,6.0kmと距離も色々ありますし、チームも懇親目的も設定してますので、お気楽にご検討ください😊」。さあて、いよいよ追い詰められて来ました。7分kmというのは、1.6kmの区間のことですね。そうか、それでも許されるのか…と少しやる気になっています。

発見された資料

20240212kanoke_concert_tour1.jpg▪️我が家で発見された、学生時代の資料です。能登半島を学生オケで演奏旅行した時のものです。ガリ版刷りですね。時代を感じます。ちなみに、学生オケとは、関西学院交響楽団、通称「関オケ」のことです。

▪️この資料というか演奏旅行の「しおり」は、能登半島で演奏旅行を実施した年のものです。1979年(昭和54年)。45年前のことになります。まず、大阪から夜行列車(急行立山)で金沢まで行き、そのあとはローカル線で七尾市まで移動。その日は、七尾市で1つの中学と2つ高校でコンサートをして、夕方は輪島まで移動しています。翌日は、輪島から船に乗って舳倉島へ向かっています。舳倉島の分校でコンサートです。船酔いが大変だったことを記憶しています。舳倉島の場所ですが、この資料の表紙をご覧ください。ここには能登半島が描かれています。その北の方、この資料のタイトル「能登方面演奏旅行」の「演」の字のすぐ下のあたりが舳倉島です。船で舳倉島に渡るのに、当時は2時間半ほど時間がかかったと思います(今は、1時間25分)。そして3日目は、輪島の小・中・高であわせて3回のコンサートを開催して金沢まで移動。4日目は私立学校(中・高)で午前中コンサートを開催して、午後からは一般公演。リハーサルと本番。そして最終日の5日目は急行立山で大阪まで移動して解散。

▪️よくこんなことができたものだと、65歳の私は思ってしまいます。日程スケジュールの前に、演奏旅行マネージャーが何やら文書を書いています。その年毎の演奏旅行マネージャーが工夫を凝らして文章を書く伝統になっていたように記憶しています。この年のマネージャー氏はちょっと気取っているのかな。学術的な雰囲気の文章にしたかったようです。

ラジオ、ステレオが普及し、今日テレビの音もステレオ放送で聞ける時代となった。地方にいても、ウィーンフィルの「運命」がホールで聴いているのと同じような音響効果で聞けるのだ。また、各地にプロ、アマのオーケストラが結成され、昔の「庶民には縁のないもの」というイメージは通用しない。こんな中で18,000円もの参加費、それに高い交渉費を出して演奏旅行を行う価値があるのだろうか。このことを頭において「演奏旅行」について検討してみたいと思う。

▪️「この時代に演奏旅行をすることの意味はどこにあるのか」と部員に問うています。ちなみに、後輩たちは、今も演奏旅行を続けているようです。
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関西アンサンブルコンテスト2024


▪️昨日、守山市民ホールで、「第50回 関西アンサンブルコンテスト」が開催されました。すべての大学の団体が、何時に受付をして、その後、どうやって本番を行い、最後に撤収するのか…、事前に全て分単位で決まっています。たくさんの団体が出場するので、こうやって時間を厳密に管理しないといけないのでしょうね。タイムテーブル貼り付けておきます。私は、龍谷大学の「サキソフォーン四重奏」の受けつけの時間の前から、受付の机のすぐそばに座っていたのですが、少し遅れて到着。この遅刻で何か問題になるわけではないのですが、心配しました。
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▪️大学の部は、奈良県を除く、各府県から1大学ずつ演奏を競いました。で、結果なんですが、無事に、龍谷大学の「サキソフォーン四重奏」が金賞を受賞し、全国大会に出場することも決まりました。立派です。ちなみに、金賞は唯一、龍谷大学だけでした。全国大会は、3月20日に群馬県の高崎市で開催されます。私も同行する予定です。全国大会でも、良い成績を残してほしいなと思います。きっとやってくれると思います。

▪️このアンサンブルコンテスト、全国に進んでいくためには、龍谷大学の場合だと、まずは京都府大会を勝ち進まねばなりません。音楽の演奏で「勝ち進む」という表現は少し違和感がありますが、実際は団体間の戦いということになります。京都府大会は先月開催されましたが、9団体が演奏しました。そのうちの5団体が龍谷大学でした。さらに細かいことをいうと、金賞が3団体、銀賞2団体でした。まずは龍谷大学吹奏楽部同士での戦いになっていたわけですね。しかも、金賞が3団体のうち「サキソフォーン四重奏」だけが関西大会に出場しました。府県の代表は1団体なのです。結果としてですが、そうやって部内で切磋琢磨しているわけですね。なかなか厳しいものがあります。サックスパートは、外部講師として國末貞仁先生にご指導いただいています。國末先生、ありがとうございました。全国大会に向けて、引き続き、ご指導ください。よろしくお願いいたします。

岩手山


▪️美しい。岩手山です。岩手県の県庁所在地である盛岡市、その盛岡市を流れる北上川、その北上川に架かる旭橋のあたりから撮った写真のようです。知り合いの内澤稲子さんのFacebookへの投稿をシェアさせていただきました。内澤さんとは、NPO法人カシオペア連邦地域づくりサポーターズが始めた県北地域の地域づくり活動への助成事業の審査員を務めていました。私が龍谷大学の前に勤務していた岩手県立大学に在籍していた2001年から、龍谷大学に勤務すようになった2012年まででしょうか。その後は、残念ながら、あまり岩手を訪問することがなくなってしまいました。この「ひさしぶりの岩手」(2019年3月)は、懐かしい岩手の知人の皆さんにお会いした時のものです。その後、コロナ禍のために岩手には行きたくても行けないような状況が続きましたが、そろそろ、また岩手に行ってみたいです。

▪️投稿「ひさしぶりの岩手」にご登場いただいた大友宏司さんは、現在は、岩手県庁をご退職になり、「公益財団法人いわて産業振興センター」の理事長をされています。おそらく、大友宏司さんとの出会いがなければ、私は今のように大学・地域連携に強く関心を持つようにはなっていないと思います。今の私があるのは、大友さんのおかげなのかもしれません。私の人生の転轍手の役割をしてくださったのかもしれません。もちろん、ご本人は、そのようなご自覚はないとは思いますが。

小澤征爾さん

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▪️夕方、スマートフォンで世界的指揮者である小澤征爾さんがお亡くなりになったことを知りました。享年88歳。悲しいですね。ご冥福をお祈りいたします。 2010年から食道癌の治療をされ、それからは、かつてのようには指揮者として活動できなかったのではないか思います。ただ、後進の育成には力を尽くされました。写真は、自宅で所蔵している『小澤征爾さんと、音楽について話をする』と『小澤征爾さんと、音楽について話をする』です。両方とも、作家の村上春樹さんとの対談をもとにしています。左の方は、CD(加えて小さな冊子)です。もう一度、右側の書籍とともに、この左側のCDをきちんと鑑賞してみようと思っています。

▪️普段、クラシック音楽をお聴きにならない方も、ぜひこの演奏はお聴きください。チャイコフスキー作曲の「弦楽セレナーデ 」です。指揮をされている小澤さんだけでなく、小澤さんの指揮に反応する奏者の皆さんの様子もご注目ください。

NHK WEB特集「「消滅可能性あり」と言われて 人口減少 自治体の10年」

20240209syoumetsutoshi.png ▪️人口減少の問題。深刻だと思います。大学に勤務しており、仕事上で気になるのは18歳人口が急激に減少していくことが予想されていることです。これは、昨年文科省が発表した参考資料「大学等進学者数に関するデータ」です。大学の入試に関する会議等でも、入試部の幹部職員の方からは中長期的には厳しい見通しの話をお聞していますが、この文科省のデータをご覧になればわかりますよね。すでに、数年前から18歳人口は減少の局面に突入しています。まだ40歳代の同僚の教員・職員の皆さんは、定年退職の頃までに大変厳しい状況に向き合うことになります。大学の持つ「総合力」がさらに問われることになるように思いますし、コンソーシアム等を媒介とした大学間の連携についてもさらに求められることになると思います。限られた資源をどのように配置していくのか、大学組織内の連帯をどのように生み出していくのか、そこが問われるのではないかと思います。

▪️もちろん、人口減少の問題は大学だけの問題ではありません。社会全体の問題です。人口が増えていく高度経済成長期の時代に生まれた様々な制度や仕組みを引きずりつつ、世界経済の変化にもついていけず、未来に希望を見出せない中で、日本の人口はどんどん減少していっています。この人口減少の問題、担当している「地域社会論」の授業でも取り上げています。授業の通奏低音のような感じでもあります。今朝、この人口減少に関するNHKの記事を読みました。NHK WEB特集「「消滅可能性あり」と言われて 人口減少 自治体の10年」です。

▪️記事でまず登場されるのは、あの「増田レポート」の増田寛也さんです。記事からは、あえて「消滅」という言葉を使ったと理解できました。いわば、ショック療法ですかね。この「増田レポート」に関しては、批判も多いことは知っておいて良いかと思います。この辺りの論争については、行政学や地方自治論がご専門の嶋田暁文さん(九州大学大学院法学研究院)による「『増田レポート』再考 ~『自治体消滅』論とそれに基づく処方箋は正しいのか?~」(地方自治ふくおか / 60 巻 (2016))が、「増田レポート」の整理と「増田レポート」に批判的な意見を対比させながらそれらの論点を総合的に整理されています。今から、8年前のものですが、勉強になりました。

▪️さて、このNHKのWEB特集ですが、増田さんの後には、2つの対称的な施策を展開している自治体の取り組みが紹介されています。ひとつは、島根県吉賀町。こちらの町では、子育て支援に政策をシフトさせました。その財源は、町内に建設した小さな水力発電。売電することで、財源に充てるということのようです。その結果、合計特殊出生率も改善し、2040年の予想人口も改善しました。もうひとつは、岡山県美咲町。こちらの町では、公共施設を縮小していく方向で人口減少に対応しようとしています。一方で、住民の要望を受け入れて英語教育に力を入れています。私が興味深かったのは、このような厳しい状況の中で、まちづくり協議会の会長さんが、以下のように語っておられることでした。大津市の地域自治の問題に関わってきたものですから共感しました。

「『行政サービスですべきものを、自治会が何でしないといけないんだ』という意見は必ず出ます。みんなが同じ方向を向くのは難しい。ただ、実際困るのは住民なので、役場ができないなら自分たちでやるしかない。できるだけ楽しみながら『賑やかな過疎』を目指したいなとは思っています」

▪️「これって、過疎が進んだ地域の話でしょ、自分たちには関係ないよ」と若い方たちは思うのでしょうが、いえいえ、そんなことはありません。「自分が生きている間は、なんとかなるわ」と高齢者の方たちは思うのでしょうが、ほんまに大丈夫かな??…と思います。

【追記】▪️上記の嶋田暁文さんの文書を読んでいて、その中に役重眞喜子さんというお名前が登場していました。お会いしたことはありませんが、どこかでお聞きした名前だと思って調べたら、私が以前勤務していた岩手県立大学総合政策学部で教員をされていました。その役重さんの教員紹介のページに「ブルシット・ジョブと自治体職員」というエッセーが掲載されていました。「増田レポート」や人口減少とは直接関係ありませんが…。以下は、その中の一部です。大切なことだと思いました。自治体職員に関して指摘されているのですが、これは他の様々な職場、組織でも同様のことではないのかなと思います。

ブルシット・ジョブとは、世の中の役に立たず働く人自身もまったく無意味だと思っている仕事のことを言います(D. Graeber)。例えば現代思想家の内田樹氏は行政資源が縮む中にあって政策を<民主的に><正当化>しなければならない行政の仕事は、気を付けないと無数のブルシット・ジョブに侵食されてしまいます。

これを避け、職員の働きがいを取り戻すには、地域とつながり、住民と顔の見える人間的な関係を築くこと、その中で自分たちの仕事の成果を喜んでもらったり時には怒られたりする、血の通った経験を積むことが欠かせないと私は考えています。毎日パソコンに向かっていては得られない、人としての成長です。

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