「杉岡孝紀教授 追悼の集い」

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▪️先月、センター長をしている世界仏教文化研究センターの副センター長をお勤めいただいた文学部の杉岡孝紀先生がお亡くなりになりました。そのことを「杉岡孝紀先生のこと」としてこのブログで投稿しました。この投稿をお読みいただいたからかもしれませんが、文学部の鍋島直樹先生から、3月28日に開催された「杉岡孝紀教授 追悼の集い」のお知らせをいただきました。この集いに参加させていただきました。

▪️杉岡先生のお通夜に参列した時と同様、参加された方たちは、ほとんどが僧侶の皆さんでした。皆さん法衣を身につけておられましたので、そうだと思います。第一部の追悼法要では、以前、社会学部に勤務されていた殿内恒先生をお導師に、参加者で「正信念仏偈」(行譜)が唱えて焼香を行いました。第二部では、杉岡ゼミをはじめとして教え子の皆さんが集なり、杉岡先生の思い出を語り合いました。こちらの方にも、私は参加させていただきました。ちょっとアウェーな感じもありましたが、杉岡先生がどういうお人柄であったのかがよくわかりました。

▪️私は、研究部長をしていた時に、生命倫理の審査で杉岡先生のお世話になりましたし、今年度は、この投稿の冒頭にも書きましたが、世界仏教文化研究センターの副センター長をお勤めくださり、センター長として心より感謝をしているのですが、先生とじっくりお話をすることができませんでした。ゼミ生や出身者の皆さんのお話を聞いていたら、杉岡先生が大変ユーモアのある方だったことがよくわかりました。残念なことは、先生と「他者」等の概念について、お話をさせていただきたかったのですが、それができぬままにお亡くなりになりました。大変残念でなりません。昨日は、杉岡先生の奥様も参加されていました。少しお時間をいただき、お話をさせていただきました。奥様とお話ができてよかったです。

▪️私が座ったテーブルには、文学部の内田准心先生、大学院の博士課程に在籍されている方、そして修士課程を修了され方で、栗東のお寺で副住職をされている方が座っておられました。本来であれば、杉岡先生のお話をするべきところなのですが、私が普段仏教や浄土真宗に関して「どうして〜〜なんだろう」と考えている素人の素朴な疑問について教えていただきました。全てにお答えいただいたわけではありませんし、一緒に「なぜなんでしょうね〜」ということになったりもしたのですが、楽しい時間を過ごすことができました。

▪️こういう「場」がもっとあればと強く思います。例えば、どうして日本の仏教はこんなにたくさんの宗派に分かれているのか。宗派の間では、お互いの交流はあるのかとか。また、仏壇の内側は金ピカでお浄土を表現していることはわかるけれど、ちょっと嫌だな〜。現代人の心に響くようなデザインはないのだろうかとか。大原三千院円融寺往生極楽院の天井絵が復元されているけれど、あんな素敵な雰囲気の方がいいな〜とか。短い時間でしたが、普段、疑問に思っていることを聞いていただき、一緒に考えてくださいました。これも杉岡先生にいただいたご縁なのでしょう。きっと杉岡先生も喜んでおられると思います。

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