『ソシオロジ』の編集委員を終えて

20140310kyoto3.jpg ■昨日も書きましたが、社会学の学術雑誌である『ソシオロジ』の編集委員を終えました。『ソシオロジ』は通常の雑誌とは異なり、1度編集委員に就任すると、その後、4年間にわたり編集委員を務めることになります。4年間で12冊の雑誌の編集作業にかかることになります。これは、社会学系の学術雑誌としては少し異例のことです。しかし、それが『ソシオロジ』の持ち味のひとつなのでしょう。編集委員は、いわゆる「半舷上陸」。2年で半分の委員が交代することになります。

■もう記憶がはっきりしませんが、たぶん4年半位前のことです。「『ソシオロジ』の編集委員をやってくれませんか、勉強になりますよ」と、知り合いの先生から電話がかかってきました。私の初めての学術論文は、この『ソシオロジ』に掲載していただきました(「土地・林野政策過程における『むら』の主体的対応」というタイトル)。雑誌の編集にかかわることも会員の義務ですので、お引き受けすることにしました。とはいえ、あとでわかったことですが、『ソシオロジ』のばあい、1回につき多いときは5〜6本の論文を読んで、コメントを書かなくてはいけません(日本社会学会の『社会学評論』のばあいは、編集委員会の下に査読作業を行う専門委員会があり、委員は自分の専門分野に合致した論文しか査読を行いません。それも、通常、査読する論文数は1本です)。しかも『ソシオロジ』のばあい、査読をする論文のテーマが自分の専門分野に合致しているとは限らないのです。さらに、半日かけて編集委員と掲載の可否について議論しなくてはいけません。これは、片手間仕事でできることではありません。それなりにハードな仕事になります。4年間のうち、特に最初の2年間は辛いものがありました…。

■『ソシオロジ』の編集委員をしていると、時々、「たいへんでしょう〜」と言われることがありました。掲載の可否をめぐって編集委員が激論を交わすので大変だ…という意味です。私が編集委員をしているときは、そのようなことはありませんでした。熱心に議論はしましたが、皆さん、雑誌の発刊にむけて理路整然かつ建設的に議論をされていましたので、いつも比較的スムースに議論をすることができました。自分の主張にこだわりすぎる方もいらっしゃいませんでした。また、ベテランの先生が、ユーモアあふれる発言で編集委員会の場を和ませておられました。さすがですね。また、私個人にとっても、実際、他の編集委員の皆さんとの議論は、良い勉強になりました。

■4年間、編集委員をしていて、いろいろ思うところもありました。若い研究者の皆さんの問題関心がどこにあるのか…。雑誌の性格も影響しているのかもしれませんが、私が若い頃とはずいぶん違っています。私が編集委員をしているあいだは、狭い意味で私が専門とするようなテーマは、あまりなかったように思います。アイデンティティとか、集合的記憶論とか、エスニシティとか…。そのような関心の推移については、もっともなことだと思うのですが、その一方で困ったことだなと思うこともいろいろあります。

■これは、どの社会学系の学術雑誌もそうかもしせませんが、投稿者の皆さん、投稿する前に、自分の周囲の研究仲間や指導教員に原稿を読んでもらっていないように思います。若い頃は特に、まずは親しい仲間からきちんと建設的な批判を受けることが必須だと思います。その段階で、論文を書き直すことが必要だと思います。もっとも、国公立大学院は、いわゆる重点化により大学院定員を急激に増加させました。結果として、指導教員から十分な指導を受けられていないのでは…と思うことが多々ありました。特に、留学生への指導は丁寧にしていただきたい。

■もうひとつ。大学院生が増えたことで、また18歳人口の減少で、これからますます大学教員のポストが相対的に減少していきます。そうなると競争がより激化することになります。院生の皆さんは、とにかく将来のポストを獲得しようと「論文の本数をできるだけ稼ぎたい…」という傾向に走りがちです。投稿前の準備が不十分なままに投稿してしまう…、これは良くない傾向です。

■さらにもうひとつ。上記と関連しますが、編集委員会が指導教員にかわって、日本語表現のレベルから、院生の投稿者に細かくいろいろ指導する…というのは、困ったことだと思うのです。私が若かったときは、個々の大学院のなかに、お互いに切磋琢磨する研究グループがありました。これは推測にしかすぎませんが、今は、そのようなグループが生まれにくくなっているのでは…と思うのです。お互いにオープンに、相互に批判しあえるような関係って、今の若者にはなかなか難しいのかな…。

■さらにさらに、もうひとつ。それから、投稿される方は、もっとご自分の論文のメタレベルのことに敏感になってほしい。そのためには、関連する論文をきちんと読みこなして、学説史の深い水脈をきちんととらえることが必要です。また、論文の構造についても自覚的になってほしいと思います。これらのことについては、また別途エントリーで書いてみたいと思います。ちょっと、オヤジの愚痴っぽい感じになりましたね。

■さてさて、トップの写真の説明を忘れていました。これは、『ソシオロジ』の編集委員会のあと、慰労会をもったお店で撮ったものです。鴨川沿いのお店です。すでに暗くなっていますが、とっても素敵な雰囲気でした。

【追記】■ところで、ここまで書いたことにちょっと関係するかもしれませんが、以下のような論文をみつけました。今は京大におられる太郎丸さんが、阪大におられときに執筆された論文のようです(「社会学の方法の変化」に注目。ここでいう方法とは、学説や理論の研究をするのか、質的にせよ量的にせよデータの分析を主要な課題とするのか、 といった研究の素材とその処理法のこと)。日本の社会学会を代表する2つの学術雑誌、日本社会学会の学会誌『社会学評論』と『ソシオロジ』の投稿論文の分析をされています。

「ソシオロジと社会学評論に見る社会学の方法のトレンド 1952–2008」(太郎丸 博 ・ 阪口 祐介 ・ 宮田 尚子)

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