法話「深き人生の悲哀」

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▪︎瀬田キャンパスの樹心館で、ご生誕法要が行われました。ご生誕法要とは、親鸞聖人のお誕生日(5月21日)を機縁として毎月21日に行なわれる法要です。『讃仏偈』を勤めた後、法話があります。本日は、農学部の杉岡先生から、「深き人生の悲哀」というテーマでの法話をお聞かせいただきました。家族や、家族のように親しい人との死別(二人称の死)=悲哀を契機に、阿弥陀仏のような大いなるはたらきにより自己の死(一人称の死)に自覚的になり、そのプロセスを経て他者の死(三人称の死)に共感できる…そのような法話でした。

▪︎私の狭い専門分野は環境社会学ですが、同時に、社会学の立場からですが、「死生観」に強い関心を持って細々と勉強をしています。大変勉強になりました。もっとも、仏教では「死生」とはいわず、「生死」(しょうじ)というそうです。

▪︎杉岡先生の法話は、西田幾多郎の哲学をベースにしたものでした。先生が配布されたレジュメでは、西田は大乗仏教とその思想(禅宗と念仏)を西洋哲学と対峙させることによって、「東西文化の融合の途」を探求したと解説されていました。その西田が、自身の子どもを亡くした経験と、『歎異抄』の理解をもとに、時間が経過しても悲哀はなくならない、そうではなく、その質が変わるのだと考えていたことを、資料をもとにご説明になりました。その上で、「よりそう」とは、本当は「よりそう」ことができない、共感することができないとわかった人が、初めて口にできる言葉なのだともご説明になりました。心に深く染み入る法話でした。ありがとうございました。

【追記】▪︎ご法話で、杉岡先生が引用されていた西田幾多郎の文章は、以下で読むことができます。「我が子の死」という題の文章です。「青空文庫」にありました。

過疎地域での在宅看取り

20150322asahihito.png ▪︎昨日の朝日新聞の「ひと」の欄は、「東條環樹さん 過疎地域で在宅看取りを広める診療所医師」でした。自治医科大学を卒業されたあと、2001年、医師5年目で、広島県の北西部の山間地域(北広島市)にある公立診療所の所長に就任されました。そして、「直前に勤めた総合病院では『家に帰りたい』と望む患者たちに何もできなかった」ことから、在宅ケアに取り組まれました。

▪︎こんなことが書かれていました。

たとえば、昨年3月、70歳代の女性が「がんの夫を家に連れて帰りたい」と相談に北。吹雪の山道を車で走り、入院先の主治医と話しあった。夫婦は1年近く自宅で穏やかに暮らすことができた。

管による栄養補給や排尿をなるべく避けるケアに変えた。食事を楽しみ、外出もしてもらう。「その人らしい生活」を大切にしたら、患者は生き生きとした。医療を控えれば最期が早まることもある。「後悔しない選択はなにか」。患者、家族と話し合いを重ね、介護職らとその選択に寄り添う。

▪︎この記事を読みながら、亡くなった父親のことを考えました。父は、肺がんで病院で亡くなりました。常に自宅に帰りたがっていました。しかし、本人の希望通りにしたくても、そのような父の希望を支えてもらえる仕組みがありませんでした。以前のエントリーにも書いたと思いますが、(1)身体の苦痛の軽減、(2)最期を迎えるまでの生活の質の維持、そして(3)自分が死んでいくことについて肯定的な意味や死生観によって支えられ、前向きに死を通過していくことのイメージをもつことができる…、この3つの条件が人の最期には必要なように思います。この3つの条件は、相互に連関しあっているようにも思います。ということで、「ひと」に登場された東條環樹さんの記事に注目していたのでした。東條さんは、地域社会のなかにどのような人の最期を支えるネットワーク(それは相補的な関係…)をつくろうとされているのか、とても気になりました。

▪︎東條環樹さんは、facebookも公開されています。

亡き人との“再会”


▪︎2013年に、NHKスペシャル『シリーズ東日本大震災 亡き人との“再会”~被災地 三度目の夏に~』が放送されたらしいのですが、私は視ていません。非常に残念です。今日、たまたまこの番組のことをYahooが提供する雑誌情報を読んでいて知りました。「NHKも取り上げた被災地の“心霊体験”はまだ終わっていなかった」という記事です。被災地で、亡くなった方たちの幽霊の目撃談が後を絶たない…という内容です。詳しくは、お読みいただきたいのですが、以下に引用をさせていただきます。

メディアではNHKが2013年に「津波の犠牲者と再会した」「声を聞いた」といった被災者の不思議な体験を特集したNHKスペシャル『シリーズ東日本大震災 亡き人との“再会”~被災地 三度目の夏に~』を放送し、大きな反響を呼んだ。またAFP通信などの海外メディアもこの事象を報じている。こうした幽霊話は被災地ではすっかり定着しているのだ。

「これまで様々な災害を調査してきましたが、幽霊に関する話がここまで顕著だった災害は近年、ありませんでした。しかも単なるウワサ話と異なるのは、4年という長期間にわたって語り継がれていることです」
そう指摘するのは、災害社会学や災害情報論を専門とする日本大学文理学部社会学科の中森広道教授だ。

その一方、本誌が取材を進めていく中で多く聞こえてきたのが、(1)「顔のある幽霊」、つまり実在した人間が登場する話(2)一般的な心霊話のように憑(つ)いたり祟(たた)ったりするのではなく、どこか温かみを感じさせる話、のふたつだ。

例えば、こんな話。夜、仙台市内で女がタクシーを止める。行き先は津波被害を受けて更地となった沿岸部の住宅地。「こんな時間に行っても何もないですよ」と言いながらも女を乗せて走り始めた運転手がしばらくして後部座席を見ると誰もいない。だが運転手は「きっと住み慣れた町に帰りたいんだろう」と、消えた女の気持ちをおもんぱかって目的地まで車を走らせた。

また、こんな話も。仮設住宅に知り合いのおばあちゃんが訪ねてくる。茶飲み話をして、そのおばあちゃんが立ち去ると座布団が濡れている。そこで初めて茶飲み仲間たちは「そういえば、あのばあちゃん、死んだんだっけな」と気づく。でも誰も怖がったりしない。「ばあちゃん、物忘れがひどかったから自分が死んだの忘れてんのかもな。まぁそのうち気がつくべ」

▪︎このような事象に関して詳しく学んでいるわけではありません。ネットでではありますが、少し調べてみると阪神淡路大震災でも同様のことが言われていたようです。しかし、東日本大震災のばあい、記事のなかの中森さんは「幽霊に関する話がここまで顕著だった災害は近年、ありませんでした」と指摘されています。どのような要因が、阪神淡路大震災と東日本大震災の違いを生み出しているのでしょうか。ひとつには、阪神淡路大震災と東日本大震災を比較したばあい、被災地の広さが違います。広い方が、こういう幽霊の目撃談が増えそうな気もしますが、そのことで説明しつくせるかというと、どうも違うような気がします。

▪︎私はこのニュースを読んで、すぐに頭に浮かんできたことがあります。それは、ある研究会で、医師である岡部健先生から「お迎え」の話しを伺ったときのことです(岡部先生は2012年の秋に、肺ガンでお亡くなりになりました。以前のエントリーをお読みいただければと思います)。臨終を間近にしたとき、自分の家族や親しかった友人があの世から自分を「お迎え」に来てくれることを多くの人びとが経験しており、しかもその「お迎え」を経験した人びとの多くが穏やかな最期を迎えられるのだそうです。人びとの意識の深層にある、広い意味での死生観が影響しているのでしょう。それが東北固有のものなのか、それ以外の地域でも確認できる一般性のあることなのか…そのあたりのことは私にはわかりません。しかし、このような死者とのコミュニケーションを可能にするような心性が東北の人びとの心のなかにあるとすれば、「幽霊に関する話がここまで顕著だった災害は近年、ありませんでした」という中森さんのご指摘もなんとなく理解できるような気がします。東日本大震災と幽霊の目撃に関連するネット上にある記事のリンクを「まとめた」ものです(NAVERまとめ)。このなかには、いろいろ興味深い記事があります。

震災から4年…今も絶える事がない「幽霊」体験の多さ

【追記】▪︎以下の記事も興味深いですね。
【3.11震災から4年】被災地で幽霊目撃談が多い本当の理由

NHKスペシャル「”あの日の映像”と生きる」

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▪︎東日本大震災から4年たちました。あの日、私は、一人暮らしの老母のために買い物等をしているときでした。母の家に戻ると、「大変なことになっている」というのです。テレビに映しだされる映像をみて、ショックが大きく、しばらく動くことができませんでした。翌日には、岩手県に出張する予定になっていました。被害が甚大であった沿岸部ではなく、県北にある内陸の地域でした。もちろん、出張は取りやめになりました。

▪︎さて、以下は今晩放送されるNHKスペシャル「”あの日の映像”と生きる」について新聞に掲載された番組紹介です。

父がどんな経緯で犠牲になったかを知らずにいた男性は、ある動画の中に逃げようとする父の姿が映っていることで救われた思いだったという。一方、その映像撮影していた男性は「何か出来たのでは」と悔やみ続けた。時を経て面会した2人の心は通じ合う。

逃げ遅れて7キロ流されたが助かった夫婦は、「生き残ったことを負い目に感じた」といい、全国の学校で、自分たちが映った動画を題材にして津波の恐ろしさを伝える講演を続けている。夫は「生きることと死ぬことの境界は、紙一重より薄い」と語る。

生きることの意味を問う番組だ。

▪︎この短い番組紹介の文章のなかに登場する2つの例では、いずれの人びとも、津波で亡くなってしまわれた方たちのことを思い続けています。矛盾するような言い方かもしれませんが、自ら語ることのない死者からのメッセージに必死に耳を傾けようとされている…そのように思えてなりません。また、死者の赦しのなかで人びとは生きることの意味を深く感じとっておられるようにも思いました(死者が生きる人びとに力を与えている)。

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