琵琶湖博物館の皆さんと

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▪️昨日の出来事です。昨日、「公益財団法人淡海環境保全財団 設立30周年記念行事」と「記念講演会」には、滋賀県立琵琶湖博物館から学芸員の橋本道範さんと林竜馬さんがお越しになっていました。ということで、3人で呑むことにしました。「えっ、連日呑んでるやんか」と言わないでくださいね。私の場合ですが、こうやって「人とのつながり」を磨き直しているのです。「人とのつながり」は丁寧にお世話をしないとだんだん錆びていきますからね。

▪️橋本さんとは博物館の開設準備室時代からのおつきあいになります。私が開設準備室や博物館にいたときの後輩にあたる方です。彼は日本史、それも中世史を専門にしていますが、よく話しが合いました。当時、自然科学分野の研究者とも連携をしながら、琵琶湖の環境史に関するディシプリンを超えた総合的な研究進めていました。琵琶湖博物館らしい研究だったと思います。その時の成果は、「21世紀琵琶湖の環境課題とはなにか」や「21世紀の琵琶湖―琵琶湖の環境史解明と地球科学―」という形で『月刊地球』に掲載していただきました。もっと研究を進めてと思っていたのですが、私は、その後、岩手県立大学に異動することになりました。

▪️私は、琵琶湖博物館で働いていた頃から、社会学という学問の枠の中だけでなく、その枠を超えたところで研究をするようになりました。そして3つの文理融合型の研究プロジェクトに参加して、それらのプロジェクトの中で生み出される細かな成果を有機的に連関させて全体をまとめるための論理や考え方を提案してきました。そのような提案では、自分自身の専門分野である環境社会学の知見が活かされています。自然科学では扱えない意味やコミュニケーションの問題も取り込んだ考え方です。自分でも頑張ったと思います。それらを、『流域管理のための総合調査マニュアル』(京都大学生態学研究センター)、『流域環境学』(京都大学学術出版会)、『流域ガバナンス』(京都大学学術出版会)という形で発表してきました。その時は、必死だし、辛いことや、腹が立つことも多かったわけですが、今から振り返ってみて、結果としてですが、その軌跡には「自分らしさ」が表れている、浮かび上がってくるように思っています。

▪️その出発点は、琵琶湖博物館にあります。もし、琵琶湖博物館に勤務していなければ、全然違った人生になっていたと思います。研究者であったとしても、社会学の枠から出ることのないまま研究をしていたんじゃないのかなと思います。その大切な時期に、親切にお付き合いいただいた橋本さんには本当に感謝の気持ちしかありません。橋本さんは、その後も、環境史という新しい分野を開拓し続け、様々な分野の研究者の皆さんと共に、その成果を『自然・生業・自然観―琵琶湖の地域環境史―』にまとめておられます。また、その環境史の考え方を一般の皆さんにもよく理解できる形で、朝日新聞でも執筆されています。「地域環境史を開拓する」①~④です。
地域環境史を開拓する① ビワハツ 琵琶湖博物館研究だより
地域環境史を開拓する② ビワハツ 琵琶湖博物館研究だより
地域環境史を開拓する③ ビワハツ 琵琶湖博物館研究だより
地域環境史を開拓する④ ビワハツ 琵琶湖博物館研究だより

▪️林さんと知り合ったのは、比較的最近のことになります。滋賀県のヨシ群落保全審議会の関係、そして龍谷大学瀬田キャンパスで開講している教養の授業「びわ湖・滋賀学」(以前は、社会学部の授業)を琵琶湖博物館の学芸員の皆さんにご担当いただくいている関係で、お付き合いいただいています。飲むのは、今回が初めてかなと思います。3人で話をしているのですが、5:4:1=脇田:橋本:林の割合で話をしていたかなと思います。一番年寄りの私が懐かしい気持ちも含めて一番喜んで話をしていたのかなと思います。それから、橋本さんのお話が興味深く、いろいろ合いの手を入れながらお話を伺っていました。後で思ったのですが、こういうのをきちんと動画で録画しておきたいなと思いました。もったいないですから。で、林さんには、なんだか2人の話にお付き合いいただいたようで、後で少し反省しました。林さんの専門は、古微生物学です。湖や湿地の泥の中に眠る小さな花粉の化石から森の歴史を考えるというお仕事をされています。小さい花粉の化石、森林の歴史。素人考えですが、なんだかダイナミックです。今度、またこういう機会があったら、林さんのお話をじっくり聞いてみたいです。その人が何を面白がって研究しているのかを知ることって、楽しいです。まあ、社会学者は人から話を聞く(その人が生きている世界=意味世界を明らかにする)のがひとつの仕事のようなものですからね。

▪️林さんも朝日新聞に、ご自身にの研究のことを執筆されています。お読みください。
琵琶湖の森 100年史 1
琵琶湖の森 100年史 2
琵琶湖の森 100年史 3
琵琶湖の森 100年史 4

▪️もうひとつ、蛇足のような話を。私がなぜ琵琶湖博物館の学芸員になったのか。オーバードクターの時に、ある研究会に参加した時のことです。そこに、滋賀県琵琶湖研究所の嘉田由紀子さんも参加されていました。当時は、この研究所の研究員をされていました。研究会が終わった時のことです。嘉田さんが、「今度、滋賀県が琵琶湖の環境をテーマにした博物館を作るんだけど、脇田さん試験を受けてみない」と声をかけてくださったのです。当日、私にはフルタイムの仕事がまだありませんでしたから。研究会の後の懇親会も終わり、タクシーで京都駅に向かいました。一緒に乗っていたのは、文化人類学者の松田素二さんでした。松田さんに、「今日、嘉田さんから試験を受けないかと言われたんですけど、どうしたものでしょうね」と相談をしたところ、「脇田、そら試験を受けんといかんやろ」と一言。その一言で、採用試験を受けることにしたのでした。もちろん、松田さんは、深く考えずに適当に言っているだけなんですが(たぶん…)。誰も関心のない裏話ですが、結果としてではありますが、嘉田さんと松田さんは、私の人生のいわば転轍手(線路のポイントを切り替える人)のような役割をされたことになります。もちろん、その後も、私の人生にはいろんな転轍手が現れることになります。そういうことを書けるような(書いても許してもらえるような)年齢になってきました。いろんなご縁をいただきながら、ここまで生きてきました。そのご縁のことについては、またこのブログの投稿の中で触れたいと思います。

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